Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

ローヤル・ウエディング

2011-04-30 | 日記
 イギリスのウイリアム王子とキャサリンさんの結婚式の中継が
夜7時からあった。丁度6時に帰宅したので見ることが出来た。

世紀の”地味婚””派手な地味婚”と呼ばれているそうだ。費用は
総額13億6000万円かかったそうだが、チャールズ・ダイアナ妃の
式の三分の一とか。

厳かなウエストミンスター寺院で伝統的な格式と重みのある式は
執り行われた。参列者は1900名。女性は
ほとんど帽子をかぶっている。洋服の色はカラフルである。


エリザベス女王は82歳、御夫君は90歳でお孫さんの指揮に参列された。


花嫁、キャサリンは父上と妹さんと共に式場へ。


花婿、ウイリアム王子は弟のへンリー王子と・・。


厳かな中にも暖かい、気楽な緩やかな空気が流れたのは
聖歌隊の歌が多いからだろうか。


司会は特になく、式次第が書いてあるらしいプログラムのような
紙が配られている。大司教の厳かな式辞、説教も、『健やかな時も病める時も・・」と
普通の結婚式の宣誓の言葉は同じである。

キャサリンさんのドレスもシンプルでベールは2m70cmとか。

ダイアナ妃の時は7メートルで1万個の真珠がついていたそうだ。

思えば、チャールス・ダイアナ妃の結婚式は私はニューヨークで見た。
ニューヨークと言っても市内ではなくニューヨーク州のある町だった。
その夏、1981年7月だったと思うが、友人を訪ねてニューヨークに
行ったのだった。
ローヤルキスは語り継がれている。
その後、ダイアナ妃のファンになり、彼女の言動を注意して見るようになった。
その後の悲劇は本当に悲しいものだった・・。

キャサリンさんは、ケイト妃と呼ばれ英国王室の一員となった。
ダイアナ妃のようにきっと活躍されるだろう。

父上達と同じ馬車でパレードを。

イギリスの花、黄色い”ウオール・フラワー”がたくさん植えられている
バッキンガム宮殿に現れた二人は世紀のローヤルキスを!!


マモリーノ

2011-04-29 | 日記
 マモリーノ・・・何かと思われるだろう。
mamorino・・まもりーの、守りーの・・・日本語。

守ります、守ってあげますと言う意味だろうか?

auから出ている子供を守るための携帯。
ちょっと小さめである。
最近、テレビでも紹介されているようで、人気の商品だそうだ。

大人は普通の携帯を買ってしまうほうがずっとシンプルで楽だけれど。
これは子供に持たせておくとGPS機能がついているので
居場所が分かり、防犯用に役立つというもの。

他のメーカーも調べたが、このマモリーノはなかなか便利にできている。

まず、電話やメールはあらかじめ設定した10件とのみしか出来ないが
au同士はCメールが無料だしEメールは設定した人がau以外でも無料である。

文字パレットなので作成がちょっと面倒だがEメールができ、
話も出来てそれでいて登録先が限られるので(子供には不満かも
しれないが)余計な情報に触れなくて済む・・・という親の安心も
得られるすぐれものである。

カメラ、ゲームなどの機能は非搭載なので、トラブルに巻き込まれたり、
高額なパケット代金の請求などはない。

このご時世、子供の安全のために持たせる親御さんが
増えているそうだ。

もちろん、ばば馬鹿の代表、私も一台孫に買ったのは言うまでもない。



嵐と徹子さん

2011-04-28 | 日記
 今日本中で一番人気がある”嵐”

何年か前、偶然ジャニーズ事務所が”あらし”と言うグループを設立し、
確かハワイでお披露目をした?・・・そんなことをうっすら覚えている。
他のグループはSMAPしかわからない。

私の周りでも若い年代では孫。そして友人はもう、70を超えるのだけれど
嵐の大ファン。

こう言っている私は特にファンではないけれど、近頃大分孫の影響を受け
気になるようになってきた。
とにかく孫たちは嵐の番組はもちろん、本、雑誌、DVDなどすべてをチェック。

「結婚したい!!」
「お嫁さんになりたい!!」と黄色い歓声を上げている。

コマーシャルが流れるとさっとテレビの前へ。
「かわいい~!」
「すてき~」とまた歓声をあげる。

いいなぁ~、夢中になれるものがあって・・・とうらやましい。

昨夜は徹子の部屋が出張して福岡での嵐のコンサートの開演前、20分という
「徹子の部屋」を放映した。孫のために録画をしたり、ぱちぱち写真を撮ったり・・。
ばあばは忙しく・・・楽しんだ。


友人も「おばあさん」だから写真を撮ったりしないだろうから
写真を送ってびっくりさせてあげようと、プリントアウトした。
70歳をすぎてもファンクラブに入り、武道館のコンサートのチケットが当たったと
大騒ぎ。ペンライトを振って立ちん棒で応援してきたという。

暮のNHKの紅白も”嵐”が出ると言うので抽選はいつもの何十倍に跳ね上がったと
聞いた。
5人全員の名前、顔はわかるし、それぞれ映画、報道、CMなどに
まじめに取り組んでいる若者だと思う。
でも歌はあまりわからないし、どうしてもきゃあきゃあするほど夢中にはなれない。

ただ、孫についていくばあばである。

どうだんつつじ

2011-04-27 | 日記
 どうだんつつじが咲き始めた。葉が出てくると同時に壺形の白い花を
下向きにつける、白い可愛い花はスズランを連想する。

春だなぁ~とびっくりしたのはつい先日まで枯れていて枝ばかりだったのに
あっという間に白い花が咲いたことだ。

たまたま秋に葉っぱが赤くなってとてもきれいだったので写真を撮っておいた。

  (12月2日の撮影)

その後、少しづつ、葉がなくなっていくのでそれを惜しみつつ写真を撮った。

  (12月27日撮影)


そして気が付いたらもう、真っ白な花一杯になっていた。
自然の力、素晴らしい!!

  (4月18日撮影)

ダンスの雑誌

2011-04-26 | 日記
 どんな趣味でもその仲間が見る雑誌、愛好家が見る雑誌がある。
ダンスの二大ダンス雑誌と言えば、”ダンスファン”と”ダンスビュウ”がある。

大体発行日が25日なので3月25日に届いた5月号には震災のことは
一ページ、社長のお見舞いの文章があっただけであった。

今月届いた6月号は
表紙に「がんばろう!日本」
   震災復興祈念と書いてある。

記念ではなく「祈念」である。

各地からの応援メッセージと東北の方の
経験談などが十数ページにわたって書いてある。

今、ダンス人としてできること、今までダンスを愛してきた方々が
一刻も早くまたダンスに専念できるようにとの
励ましと祈りの文章がいっぱいであった。

外国での競技会に申し込みをしてしまっていて
避難所で練習できない・・・靴もない・・とツイッターで
知らせると直ぐに靴を送って下さった先生がおられたとか、
各地から沢山の救援物資が届いたと言う記事もあった。

一般的に見たら今、踊ってなんかいられない・・・それどころではないでしょう?
と言うところかもしれないのだが、若い子供たちで結成しているジュブナイル部門から
お年寄りのシニアのダンスまでどの地方でも同じように愛されてきているのだ。

それが家も、教室も、なくなり、もちろん踊る余裕さえないだろうと思うのに、
岩手、一関にあるジュニアのダンススクールでは震災6日目から練習を始めた
そうだ。それだけでも私には考えられないことだった。

目前に迫った数々の競技会の中止宣言に涙をのみながらも5月に英国ブラックプールで
開かれる『ジュニアブラックプール」と言う大会には日本の26名の子供たちが参加するそうだ。
今回は日本代表として喪章をつけて出場し、主催者の許可を得て子供たちが会場で
募金活動をするのだと言う。

野球やサッカーなどのスポーツで力を与えてあげたいと思うと同じに
ダンスではパーテイごとにチャリティパーティにしたり、募金をしたりと
応援をしたいと言うメッセージが多かった。

元気に踊ることができる幸せをあらたにかみしめて一日一日を過ごして行きたいと
思う。

私自身は今はダンスどころでなく、体調を悪くしているのであるが、雑誌を見て元気を与えられた
一日であった。

スターフライヤー

2011-04-25 | 日記
 羽田空港の国際線の江戸小路の一階上にエスカレーターで上ると
そこは送迎デッキがある。


人は少なかったが何気なく見ていると見たこともないいるかのような、黒と白の
飛行機が到着するところだった。私は飛行機に詳しくないので何もわからなかったが
色が珍しいので写真を撮った。

あわてて金網越しに撮ったので小さい映像である。

そしてふと飛行機に詳しいブログのお友達H氏を思い出した。

これはどこの飛行機ですか?
何も考えずにこんな小さな写真を添付して送信した。

もちろん、専門家のH氏は詳しく教えて下さった。
そして立派な写真もつけて下さったのでご紹介しよう。



 

写っている飛行機は、北九州空港をベースに飛んでいる新興航空会社で
名前を『スターフライヤー』と言うそうだ。
路線としては北九州=羽田を中心に、羽田=関西をANAと共同運航で運航している会社という。

スターフライヤー機の塗装には他社にはない特徴があり、
左右対象ではないとのこと。中々お洒落な航空会社と教えていただいた。 

江戸小路

2011-04-24 | 旅行
 熊本から帰ってきた際、迎えを待つ間羽田空港で時間があった。

まず、マッサージに行き、旅の疲れを取ってから、まだまだ時間が
あったので国内線の第2旅客ターミナル、ビッグバードを一回り。
普段は時間の余裕がないから出発の時は出発ロビーのみ、迎えに行く時は到着
ロビーのみで過ごしてしまう。

ロッカーに荷物を預け、マーケットプレイスなど見て回った。

噂に聞いていた江戸小路という江戸情緒のお店が並んだコーナーが
あるはず・・・と思いついた。
パンフレットを見ると、なるほど、それは国際線だと言う。


国際線にはどのようにしていくのかしら?

やっと第1ターミナル経由で国際線に無料シャトルバスがあることが
分かった。ぐるりと一周すると約15分である。このバスがどんどん出て
いるので、気楽に乗り降りができた。
国内線同士は地下連絡通路で徒歩400メートル、ほかにモノレール、京急線でも
行くことができる。

江戸小路はテレビで見たことがあるがとても混み合っていて
楽しそうだったけれど、少し時間がたってすいたら行ってみようと
友達と話していたのだった。
 

行ってみてびっくり!!
閑古鳥が鳴いている・・。

きれいな江戸情緒のお店があるが歩いているのは従業員。
お店の前で居眠りをしている人も・・。
 

たまたま国際線の出発がなかったからすいていたのかもしれないけれど
あまりにもガラガラでびっくりした。


空から富士山

2011-04-23 | 旅行
 熊本と羽田は1時間36分である。ちょっと東京に行っても
一時間以上かかるから、九州の遠いところまであっという間にひとっ飛びには
驚く。
シートベルト着用時間が昇降とも15分くらいあるから正味水平飛行は
一時間くらいである。シートベルト着用が終わると、CAが飲み物を
サービスして回る。

往きはコーヒー、緑茶、アップルジュース、それにスープだった。
復路は緑茶、アップルジュース、水だった。
それを小さい紙コップに一杯もらって飲んだらあっという間につく。

寝ることもできない、中途半端であるがイヤホンを耳に当てながらうとうと
していた。そして何気なく目を開けた時、開いている窓の外に
富士山が見えた。
飛行機では通路側が好きなので今回は失敗した。また
たいていの人は窓を閉めて眠っている。たまたま
右後方の人が気づいて携帯で写真を撮っていた。

私のとなりのご夫婦は気付かずに眠っている。
「もったいない」!!窓も閉まっている。
声を出して教えたかったが・・。

思わず後ろの人の窓から通路を挟んでの撮影となる。

だけど、電気機器は機内では使用禁止となっていると思うので
まさか席を代わって窓際に動いたり、写真を撮っていいかとCAに聞くのも
藪蛇かと、ドキドキしながら急いでパチリと撮った。

雲の上にぽっかり浮かんでいる富士山を上から撮れるとは思わなかったので
大興奮だった。


後から調べたら近頃は携帯も飛行機のドアが閉まるまで使用してよし、
パソコン、、カメラも水平飛行中なら使ってよいことが分かった。(携帯は
水平飛行中はもちろん禁止。ドアがあいたら機内でも使える)

もし、カメラ禁止であったら、ブログにはアップしなかったのだが・・。

三春の滝桜

2011-04-22 | 旅行
福島県田村郡三春町の「滝桜」は樹齢1000年で「ベニシダレザクラ」の
古木として有名である。


「桜おたく」の夫と昔、訪ねたことがある。
ある朝、確か休日・・で土曜日だったと思う。
NHKのニュースで「三春の滝桜が満開で・・」と言う映像が映った途端、
夫は
「今日、ここへ行こう!」と言いだした。
「え~っ、急に言われても・・・。来週ではだめ?」と言う私に
「桜は待ってくれない。来週では遅い!」と言い、あちこちに
電話を始めた。急なので三春町の宿は満杯。
大分離れた宿を抑えるとすぐ出発となった。

東北道をひたすら走り、午後福島に到着。
まず、滝桜へ直行。


その後、宿まで40分。
やっと夕食が終わったと思ったら、
「これから夜桜を見に行くぞ!」とまた出発。

翌朝ももう一度写真を撮りに行ったことを思い出した。
 

福島県と聞き、地震の被害はどうだったか気になっていたが
今朝NHKで放送があった。まだ7,8分咲きだという。
原発から50キロ以上離れており、地震の被害も少なく
三春の滝桜は元気ですと言うものだった。
それにしても見物客は少ないそうだ。

桜、間に合った

2011-04-21 | 日記
 今年は早くから熊本で桜を見て帰宅したら関東の
桜は終わっているかと思っていたが、先日帰宅して丁度満開の
花を見ることが出来た。


花冷え・・と言うか桜が咲いているのに、お天気が悪いと
寒々と感じる。
一晩であっという間に咲きだし、青い空を花越しに見上げると
今年も”春”がめぐってきた!と感激するものだが
そのチャンスはなかったような気がする。

年年歳歳花相似たり、、歳歳年年人同じからず。・・・・という
言葉を実感する季節でもある。

悠久不変の自然に対し年とともに変わっていく人間の
はかなさ、人の世は変わっていくと言う感慨をひとしお
感じる季節である。

熊本の偉人達

2011-04-20 | 旅行
ご覧になった方もあるだろうが、阿蘇・熊本空港の出発ロビーには
「熊本の偉人達」と5人の人々を紹介してある。
時間があったので一部をメモをしてみた。

夏目漱石(1867-1916)
 29歳の時、松山から熊本の第五高等学校(現熊本大学)に赴任。
熊本を「緑の都」と讃え、英国に留学するまで四年間英語教師として過ごした。


宮本武蔵(1584-1645)
 57歳で細川忠利に招かれ没するまで5年間過ごした。二刀流の創始者。


細川ガラシャ(1563-1600)
 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
 細川忠興に嫁ぎ、運命に翻弄されながらも美しく強く生き「恩寵」を意味する
「ガラシャ」の洗礼名を与えられる。自らの命を絶ち、壮絶な最期を遂げた。


加藤清正(1562-1611)
 熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ親しまれている。
日本三名城の一つ、熊本城を築いた肥後熊本藩の領主。
23年間にわたり熊本を統治し「土木の神様」とも呼ばれ治水、利水事業に
貢献した。


天草四郎(1622-1638)
 江戸時代、「島原の乱」で過重な年貢と相次ぐ凶作のため飢餓に苦しむ
農民の先頭に立ち、十字架を掲げて幕府と戦った。カリスマ性もあり
容姿端麗、「天から下った救世主」として信仰を集めた。


二人で200歳

2011-04-19 | 日記
 去年、4月に198歳の姉妹を紹介したが、
めでたく二人は一年を過ごしそれぞれ一才年を取った。

そして今年の4月に二人合わせて200歳になった。

叔母、101歳、京都に暮らしている。
去年の集まりはふぐ料理の店だったが叔母はほとんど食べず、
なんとなく雰囲気が分かっていたような感じでおとなしかった。
バースデーケーキにろうそくをつけてハッピバースデー~と
みんなが歌った時に、昔声楽家だった叔母の口が動いていた。

   去年100歳の叔母

そんな叔母も今年は介護施設で静かに過ごしていると従姉妹から
報告があった。

一方、妹、高田深雪は鎌倉の自宅と、大船の介護施設を行ったり来たり。
家でお稽古があるとき、”別荘”から出勤。俳句の会、教会の集まりに
勤勉に出ていく。
99歳、白寿を元気で迎えた。
その日、子供+配偶者8人、孫10人、ひ孫7人が集まった。
玄孫(やしゃご)もいるし、いつもならもっと集まるのだが・・。

5月には白寿記念書道展を開くために今はお弟子さんたちと
準備を進めている。元気印である。

熊本の水

2011-04-18 | 旅行
 熊本の水はおいしいと聞いていた。だがその詳しいわけはわからなかった。
城下町の水と言う説明を見てなるほどと思った。


坪井川の明八橋にその説明の碑があった。熊本は水道水源を100パーセント地下水で
賄っている日本最大、世界でも希少な都市なのだ。清らかで豊かな地下水の秘密は
世界有数のカルデラ・阿蘇があり、加藤清正公などの先人が築いた水田や森林に
関係していると言う。阿蘇山の噴火による幾重にも重なった地層の天然のフイルターを
通し磨かれ、地下水の源になっているという。


夏目漱石が緑の都と呼んだ美しい熊本。

明十橋の弟分の橋、明八橋から見た川の景色も美しい。


確かに水道の水はそのままおいしく飲めるし、温泉でなくても
お風呂の水が柔らかく感じた。
また肌にもよく、ニキビなどすっかり消えてつるつるの肌に
なっていく。

熊本はよかとこばい(?)
(言葉の使い方があっているかしら?)

中唐人町

2011-04-17 | 旅行
おいしいメンチカツのお店があるからと連れて行かれ市電で「呉服橋」で
下車した途端、目にはいったのがこの赤レンガの建物。


ピーエス・オランジュリという大正8年に銀行として建てられた建物。


そばには坪井川が流れている。明十橋からの景色。

中唐人町・・・「なかとうじんまち」と読むそうだ。
こんな古き良き歴史と伝統が集まっている町並みは初めてで
ただただ感激した。
城めぐりんバスのバス停にもなっていた。


全部の写真を載せたいが抜粋してお見せします。

普通の商店。瓦が美しい。

 
豆腐屋さん                      ケーキ屋さん



 


清永商店。(雑貨卸店)
創業は江戸時代中期(1750年ころ)エアコンがつけてある。


山田眼科病院。
大きな眼科病院である。フレンチレストランが院内にある。また別棟のビルも大きい。

こじんまりした情緒あふれる町並はまさに熊本の”掘り出し物”と言う感じだった。

しろめぐりんバス

2011-04-16 | 旅行
 しろめぐりんと言うのは城めぐりん、お城・・熊本城の周りを巡回する
バスである。今回、誰も知人がいないのでなんとなく一人で見るところを
開発した感じであったが、最後になって「しろめぐりん」「みずめぐりん」と
言う便利なバスを見つけた。


特にガイドはついていないが、ワンマンバスが20分おきに出ているので
好きなところで下車してまた次のバスに乗ることができる。

熊本駅から出発して、ホテルにも止まるが各主要な市街地、
文化会館、博物館、美術館、旧細川刑部邸前、(プラネタリウム)
もちろん熊本城に行くのである。

熊本城は加藤清正が7年かけて築城したといわれ、49の櫓や武者返しと呼ばれる
石垣が有名である。また四つの門があり、それぞれ近くから入ることができる。


バスは二の丸駐車場に止まり、そこで降り、西大手門をくぐると頬当御門
(ほほあてごもん)があるのだ。
二の丸駐車場のそばにはひろい広場があり沢山の人が集まっていた。


春の行事はほとんど中止になったとテレビで言っていたが
小さなイベントがあったようだ。
熊本でみた一番の人の集まりであった。

バスは一時間弱で一周する。一区間だけ乗ると130円。
帰りにまた130円となるが300円のチケットを持っていれば
何回でも周遊できるのだ。


熊本城で降りようとした時、一人のアメリカ人と話す羽目に
なってしまった。彼はカリフォルニアから来たと言う。昨日は
一人で阿蘇の草千里に行ってきたという勇敢な人だ。
日本はセキュリテイがしっかりしているから旅行しやすいと
言っていたが、日本人は誰も英語を話さないと言っていた。

彼は熊本城に行くためにこのバスに乗ったと言う。
すっかり頼られてこの上またガイドをしなければならないかと
思うと憂鬱になったので、私はもう一周してから来よう、その
前に一周して全体を見ようと思ってそこで別れた。


しかし、熊本駅に帰ってみるともう一周していては次の約束に
間に合わないことが判明。
熊本城見学は今回お預けとなってしまった。

次回は一番に出かけようと思った。