今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

万霊節

2006-11-02 | 記念日
今日(11月2日)は、「万霊節」
11月1日の万聖節が「諸聖人の日」なのに対し、万霊節は「諸死者の日」と呼ばれる。
諸死者の日はキリスト教カトリック教会で全ての死者の魂のために祈りをささげる日。通常は11月2日が諸死者の日であるが、その日が日曜日の場合は11月3日に移される。
かつてキリスト教では、人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄(れんごく )での清めを受けないと天国にいけないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなるという考え方があったそうだ。死者の日はこのような発想にもとづいて、煉獄の死者のために祈る日という性格があったようだ。
イタリアの詩人・政治家であるダンテ・アリギエーリの代表作である、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』は、地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から成る、全14233行の韻文による長編叙事詩である。
西暦1300年の春のある日、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国と彼岸の国を遍歴して回る。ウェルギリウスは地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチフェロ(サタン)の幽閉されている領域まで至る。そこから、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどりつく。(ダンテの時代、地獄は聖地エルサレムの真下に存在すると信じられていたそうだ。)
天国は九つの天とそれらを総括する至高の天からなる。九つの天にはそれぞれの役割をもつ天使がおり、神のメッセージを魂に伝える。最上部にある至高の天は、神と天使と、死を超克し、神とともにある歓喜を他者に伝えた至高の聖者の魂だけが住む「秘奥のバラ」とよばれる場所である。ダンテの「神曲」は壮麗な神学的秩序をなして完結する。
煉獄は浄罪の場所であり、山となって聳え、旅人は山頂めざして登っていく過程で、地獄におちる原因となったあらゆる罪のつぐないの方法と手順とが示される。頂上に近い色欲の環道にはいったところが地上の楽園であり、アダムとイブの原罪の場所だ。知恵の木もそこにある。ウェルギリウスに煉獄の山頂まで導かれたダンテはそこで、ウェルギリウスと別れる。そしてダンテはそこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。
煉獄とは、古くは「浄罪界」とも訳され、主にカトリック教会の教義において、死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所だそうでる。地獄は救いの無い場所、天国は罪の一切無い場所と定義されるが、煉獄はキリスト者として罪の贖いを受けて救いが約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所と考えられていたようで、聖書には具体的な記述は無いが、『マタイによる福音書』12章32節において、後の世で赦される可能性が述べられていること、および、『マカバイ記』2の12章43節において、罪を犯した死者のために執り成しの祈りを認めていることを根拠にしている。煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされるという。
この死者のために祈るという発想自体は古代から存在していたそうだが、キリスト教の歴史の中で死者の日というものを取り入れたのは11世紀のクリュニー修道院の院長オド(オディロン)であるといわれている。
宗教改革の時代、イギリス国教会で死者の日が廃止されたが、ヨーロッパの国々ではプロテスタントが主流の国であっても死者の日は廃止されることがなかったようだ。
マルティン・ルターは聖書に根拠のないすべてのキリスト教伝統を廃止しようとしたが、それでもザクセン地方から死者の日の習慣を廃止することはできなかった。死者の日は単なる教会暦の祝い日という枠を超えて、人々の文化の中に根付いていたようである。フランスでは死者の日になると墓に飾りをほどこし、ドイツでは墓に花を飾るなど地方によって独自の習慣があるそうだ。
11月2日の「万霊節」の前の日11月1日は、「万聖節(諸聖人の日)」その前の日10月31日は万聖節の前夜祭にあたる「ハロウィン」である。
11月1日が“万聖節”で、すべての聖人を記念する日であるのに対して、万霊節はすべての死者が解放されて戻ってくるということだそうで、さしづめ日本で言う「お盆」に通じるものがある。10月31日~11月2日には亡くなった魂がこの世に舞い戻ってくるようだ。この間、死者を暖かく迎え、もてなし、手厚くお送りするという一連の行事が行なわれる。まず、10月31日の深夜、子供達の魂がこの世に戻り始め、翌日、大人達が戻ってくる。そして、この世に残した家族と楽しい食事を過ごし、11月2日に自分達の世界に戻って行くと信じられているようだ。
日本では、お盆に家の者が墓に先祖を迎えに行って、自分の家に連れて帰り、お盆中先祖を供養し、盆が終わる先祖を送る慣習がある。日本人が持っている、このような死者との交わるという思想と同じ様なものが、この「万霊節」であろう。
救いの無い場所「地獄」や、罪の一切無い場所「天国」。人間どんな悪いことしたものにも「仏心」はあるもの。また、仏のような人にも少しの「悪い心」があり「仏」といえるものはいない。それが「人間」というものであり、仏教の教でもある。そのような人間の「浄罪の場所」である「煉獄」というものの存在があるという考え方を、私は、非常に気に入っている。
”安らかに憩え 万の霊よ 恐るべき苦しみ終えたもの
  甘き夢見果てたもの 生に倦んだもの 生まれきて幾許ならず
   この世より去っていったもの 万の霊よ 安らかに憩え”
フランツ・シューベルト 「万霊節の連祷」。詩: ヤコービ(Johann Georg Jacobi) 詳しくは↓
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/S/Schubert/S354.htm”お墓にはみないいにおいの花がいっぱい、 
 年に一度の、亡くなった者のための一日だ
  僕の胸においで、そうして君をまた抱いていたい 
   あの五月の時のように ”
リヒャルト・シュトラウスの「Allerseelen (万霊節)」。詩: ヘルマン・フォン・ギルム 。詳しくは↓http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/S/Strauss/S392.htm
上記2つ詩は以下参考の「詩と音楽(梅丘歌曲会館)」より詩の1節を引用させてもらった。
リヒャルト・シュトラウスの「Allerseelen (万霊節)」静かないい曲だよ。以下参考に記載の「ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス誕生(音楽ひめくり・YAMAHA)」にアクセスすると試聴が出来るよ。
(画像は、冥界の渡し守カロンが死者の霊を舟に乗せてゆく。地獄篇の挿絵より。フリー百科事典Wikipediaから)
参考:
死者の日ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E6%97%A5
諸聖人の日ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%81%96%E7%AF%80
「神曲」ダンテ・アレギエーリ/三浦逸雄訳
http://www.gutenberg21.co.jp/dante1_3.htm
ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス誕生(音楽ひめくり・YAMAHA)
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20020611
詩と音楽(梅丘歌曲会館)
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs.htm
リヒャルト・シュトラウス 万霊節詩と音楽(梅丘歌曲会館)
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/S/Strauss/S392.htm
リヒャルト・シュトラウス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9


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2 コメント

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Unknown (匿名)
2010-10-30 16:08:25
たまたま「万霊節」と「万聖節」の違いを検索していたらここに来ました。
色々と面白いことを伺いありがとうございました。
ところでブロガーさんはクリスチャンですか。
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匿名さんへ。 (よーさん)
2010-10-31 10:08:23
訪問と書き込み有り難う!
子供の頃は良く協会へも出入し、クリスマスなどには協会の劇にも出たりしていましたが、今は仏教徒です。
しかし、神さんや仏さんは、いろんな歴史や行事などと深く関わっているので、そのようなことを調べていると、どうしても関係してくるのでその時そのその時に色々と調べて書いているだけです。
だから間違っていることも多いかもしれませんがその点は悪しからずご容赦を・・。

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