1974(昭和49)年の今日(1月16日) 石油危機により電力使用制限令が発動された日。
第二次世界大戦後、豊富な中東原油の登場による原油価格の低迷が、石油需要を増加させた。日本でも石炭から石油への転換が進行。日本の造船業は超大型タンカーの独占供給者になっていた。世界の原油需要が急増したため、資源制約が意識され始め、一部の専門家は価格上昇を予想していた。しかも、産油国には少ない採掘利権料に不満をもち、石油事業への資本参加の実現・・・つまり、「資源ナショナリズム」ができつつあり、産油国政府が原油供給を操作する基礎が出来ていたのである。そこに、1973年10月6日、第四次中東戦争が勃発。これをうけて10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は、原油公示価格を21%引き上げと、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁油を決定した。さらに12月には、翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定した。いわゆる「石油戦略」によるアラブ諸国に対抗するイスラエルを支援する西側諸国への牽制であった。
安定した外国為替レートと豊富な原油に依存して、便利な生活を築き上げてきた日本に、「ニクソンショック」が襲い、これに対処するつもりの金融緩和政策がインフレを誘発。そこに、「オイルショック」がやってきた。10月からの石油ショックによる、石油不足の噂に、関西から始まった買いだめ騒ぎ(1973年11月末(23日頃)から)は、瞬く間に全国に波及、灯油だけではなく、スーパーの店頭からは、連日トイレットペーパー、洗剤、ちり紙、石鹸、砂糖、塩、少油などの商品にまで拡大しそれらの棚が空っぽになるという事態になった。(買いだめ騒ぎ)。産油国からの石油産出制限を「千載一隅のチャンス」とばかり、日本の石油業界が石油の販売量を絞ったため、冬に向かって灯油の値段は暴騰。11月27日通産省は灯油を1缶(18リットル)全国一律3,800円以下と指示は出したものの地域によっては配達量込みで6000円と言う価格まで出現。石油ショックがもろに出た翌1974年1月には、狂乱物価は石油製品だけでなく食料品から日用品までが値上がり、物不足となった。噂が噂を呼び日本全国パニック状態になった。
造語の名人福田赳夫が「物価の暴騰は狂乱状態」と語ったのが、同年1月11日のことであった。この1月の卸売物価は前年比35%高。終戦直後並みであった。このとき、メーカーや商社の便乗値上げが社会問題となった。これに対して消費者からの批判が起こり、大衆薬や食品の値上げ撤回などの動きもあった。一方、石油危機をきっかけに、エネルギーの節約をしようとする気運が生まれた。1月の新春恒例の出初式に参加の消防、化学、はしご車なども昨年より半減し、ポンプ車による一斉放水も中止された。そして、1月16日には、ついに、電力使用制限令が発動され、街のネオンサインが消え、国電の暖房が切られ、NHKテレビが23時で放送終了になる 。また、燃費の良い車や電気をあまり使わない製品に人気が高まったこともあって、産業界も国民の要求に合わせた商品づくりに努力するようになり、省エネルギー技術が急速に進んだ。企業の入社式などでも、今までの「社業順調、今年も頑張ろう」といった社長挨拶も「戦後最大の危機」「経験したことのない転換期」といった悲壮感のにじむものになった。第一次石油危機によって、日本経済に不況の嵐が吹き企業倒産も続出、完全失業者も100万人を越えたが、経営者も従業員も一致協力して会社の為に一生懸命働くという会社本位主義を生む。しかし、この後、イラン革命により、イランでの石油生産が中断したため、需給が逼迫した。1978年末には、オペックが翌年よりの原油価格を4段階に分けて14.5%値上げすることを決定した。規模としては、第一次オイルショック並の原油価格の高騰であった。(第二次石油危機)これも、さらに強化された会社本位主義で切り抜けた日本企業は、この会社本位主義が日本企業の強さの秘密として、世界中から注目を浴びるようになり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞されるようになった。日本が最高に輝いていた時代である。(朝日クロニカル・週刊20世紀参照)しかし、やがて、バブルがはじけてみると・・・・。今の日本の国は、借金まみれの国となり、その財政赤字は・・・・。右→リアルタイム財政赤字カウンタを御覧あれ・・・(→o←)ゞあちゃー ・・・。
(画像は商社の買占めに抗議して集まった大坂消費者団体の主婦達。大阪市役所横1973・3・14。毎日ムック・戦後50年より)
参考:
第四次中東戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
原子力百科事典 ATOMICA(石油危機と日本)
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/01020304_1.html
イラン革命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD
電気事業法施行令(昭和四十年六月十五日政令第二百六号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S40/S40SE206.html
財政赤字問題/日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタ
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
第二次世界大戦後、豊富な中東原油の登場による原油価格の低迷が、石油需要を増加させた。日本でも石炭から石油への転換が進行。日本の造船業は超大型タンカーの独占供給者になっていた。世界の原油需要が急増したため、資源制約が意識され始め、一部の専門家は価格上昇を予想していた。しかも、産油国には少ない採掘利権料に不満をもち、石油事業への資本参加の実現・・・つまり、「資源ナショナリズム」ができつつあり、産油国政府が原油供給を操作する基礎が出来ていたのである。そこに、1973年10月6日、第四次中東戦争が勃発。これをうけて10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は、原油公示価格を21%引き上げと、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁油を決定した。さらに12月には、翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定した。いわゆる「石油戦略」によるアラブ諸国に対抗するイスラエルを支援する西側諸国への牽制であった。
安定した外国為替レートと豊富な原油に依存して、便利な生活を築き上げてきた日本に、「ニクソンショック」が襲い、これに対処するつもりの金融緩和政策がインフレを誘発。そこに、「オイルショック」がやってきた。10月からの石油ショックによる、石油不足の噂に、関西から始まった買いだめ騒ぎ(1973年11月末(23日頃)から)は、瞬く間に全国に波及、灯油だけではなく、スーパーの店頭からは、連日トイレットペーパー、洗剤、ちり紙、石鹸、砂糖、塩、少油などの商品にまで拡大しそれらの棚が空っぽになるという事態になった。(買いだめ騒ぎ)。産油国からの石油産出制限を「千載一隅のチャンス」とばかり、日本の石油業界が石油の販売量を絞ったため、冬に向かって灯油の値段は暴騰。11月27日通産省は灯油を1缶(18リットル)全国一律3,800円以下と指示は出したものの地域によっては配達量込みで6000円と言う価格まで出現。石油ショックがもろに出た翌1974年1月には、狂乱物価は石油製品だけでなく食料品から日用品までが値上がり、物不足となった。噂が噂を呼び日本全国パニック状態になった。
造語の名人福田赳夫が「物価の暴騰は狂乱状態」と語ったのが、同年1月11日のことであった。この1月の卸売物価は前年比35%高。終戦直後並みであった。このとき、メーカーや商社の便乗値上げが社会問題となった。これに対して消費者からの批判が起こり、大衆薬や食品の値上げ撤回などの動きもあった。一方、石油危機をきっかけに、エネルギーの節約をしようとする気運が生まれた。1月の新春恒例の出初式に参加の消防、化学、はしご車なども昨年より半減し、ポンプ車による一斉放水も中止された。そして、1月16日には、ついに、電力使用制限令が発動され、街のネオンサインが消え、国電の暖房が切られ、NHKテレビが23時で放送終了になる 。また、燃費の良い車や電気をあまり使わない製品に人気が高まったこともあって、産業界も国民の要求に合わせた商品づくりに努力するようになり、省エネルギー技術が急速に進んだ。企業の入社式などでも、今までの「社業順調、今年も頑張ろう」といった社長挨拶も「戦後最大の危機」「経験したことのない転換期」といった悲壮感のにじむものになった。第一次石油危機によって、日本経済に不況の嵐が吹き企業倒産も続出、完全失業者も100万人を越えたが、経営者も従業員も一致協力して会社の為に一生懸命働くという会社本位主義を生む。しかし、この後、イラン革命により、イランでの石油生産が中断したため、需給が逼迫した。1978年末には、オペックが翌年よりの原油価格を4段階に分けて14.5%値上げすることを決定した。規模としては、第一次オイルショック並の原油価格の高騰であった。(第二次石油危機)これも、さらに強化された会社本位主義で切り抜けた日本企業は、この会社本位主義が日本企業の強さの秘密として、世界中から注目を浴びるようになり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞されるようになった。日本が最高に輝いていた時代である。(朝日クロニカル・週刊20世紀参照)しかし、やがて、バブルがはじけてみると・・・・。今の日本の国は、借金まみれの国となり、その財政赤字は・・・・。右→リアルタイム財政赤字カウンタを御覧あれ・・・(→o←)ゞあちゃー ・・・。
(画像は商社の買占めに抗議して集まった大坂消費者団体の主婦達。大阪市役所横1973・3・14。毎日ムック・戦後50年より)
参考:
第四次中東戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
原子力百科事典 ATOMICA(石油危機と日本)
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/01020304_1.html
イラン革命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD
電気事業法施行令(昭和四十年六月十五日政令第二百六号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S40/S40SE206.html
財政赤字問題/日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタ
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html