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雲仙普賢岳祈りの日

2007-06-03 | 記念日
今日(6月3日)は「雲仙普賢岳祈りの日」
長崎県島原市が1998(平成10)年から実施。1991(平成3)年、雲仙普賢岳で大火砕流が発生。
避難勧告地区内で警戒中の消防団員や警察官、取材中の報道関係者等が巻き込まれ、死者40人、行方不明3人という犠牲者を出した。
雲仙岳は、長崎県の島原半島中央部にある火山。広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称。「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがる。狭義ではいわゆる「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともある。
前年の1990(平成2)年に11月17日朝から、不気味な噴火活動をはじめた。普賢岳周辺で噴火が確認されたのは、約1万5000人の死者を出し、「島原大変」といわれた今から約200 年前の1792(寛政4 )年以来のこと。1792(寛政4)年におこった雲仙普賢岳の噴火およびその後の眉山山体崩壊とそれに起因する津波は、島原対岸の肥後(熊本県)にも大きな被害を与えたことから「島原大変肥後迷惑」名付けられた。(詳しくは、島原市HP - 火山とともに「島原大変」参照)
普賢岳は1990(平成2)年11月の噴火以後、一旦は活動が鈍っていたものが1991(平成3)年2月再び噴火、5月には第1溶岩ドームが出現。その後も次々に新しい溶岩ドームが生まれた。政府は、島原市と南高来郡深江町に災害救助法の適用を決定。この間、噴火で堆積した土砂が流れ出す土石流が頻発し、多数の犠牲者と火災による被害を出した。6月3日に、地獄谷火口で大噴火が起こり、大規模な火砕流が発生、高温のガスを伴った溶岩塊がきのこ雲のような黒い噴煙をあげながら猛烈な勢いでふもとに駆け下り、火口から約3,5キロの島原市北上木場地区を呑み込み、住民、消防、警察、報道関係者ら43人が犠牲になった。民家が焼かれ、車も黒焦げになった。8日、再び火砕流が発生、その先端は火口から約6キロ下の国道57号近く、有明海まであと2キロの地点まで達し、水無川沿いの民家が多数消失した。そして、9月15日にも北東斜面で最大規模の火砕流が頻発、民家など170棟以上を焼いた。島原市や隣の深江町の住民8100余人は不安な避難生活を強いられたまま年を越した。
気象庁火山噴火予知連絡会が、溶岩ドームの成長やドーム周辺の地殻変動が停止していることや地震活動、火山ガスの放出量も極めて低いなど観測データーから判断し、雲仙・普賢岳について「噴火活動はほぼ停止状態にある」との統一見解をまとめたのは、1995(平成7)年5月25日のことであった。1990(平成2)年11月の噴火から約4年半、ようやく終息に近づいたとされた。しかし、この年・1995(平成7)年1月17日午前5時46分には、阪神淡路大震災が発生し、家屋や家具の下敷きや地震による火災の発生により5502人もの人が死ぬという戦後最悪の犠牲者を出していたのである。
物理学者寺田寅彦は戦前、「天災は忘れた頃に来る」・・と予告したが、まさにその通りである。(以下参考に記載の「寺田寅彦(寺田寅彦の伝説の警句 天災は忘れた頃に来る」参照)。この狭い日本に13000万人もの人間が住んでいるが、日本列島は全体が火山地帯であり、また、地震に弱い地質の島なのである。雲仙普賢岳の噴火を見ても、阪神淡路大震災などの地震を見ても、天然の強敵から人の命を守るための対策がいかにもろく、お粗末であるかが判る。火山や地震の予知システムがこれからもどれだけ機能するのだろうか?事前に予知し、災害が防げたことは、まだ一度もない。
雲仙普賢岳の主峰は普賢岳で、標高は1359m。現在では、1990年から1995年にかけての火山活動で形成された平成新山(へいせいしんざん)の方が高く1482.7mとなっている。古くは『肥前国風土記』に「高来峰」(たかくみね)と呼ばれているのがこの山(雲仙)であり、雲仙はもとは「温泉」と表記され「うんぜん」と読ませていた。何故雲仙は高来峰(たかくみね)と呼ばれたかについて、以下参考に記載の「雲仙観光協会 -雲仙の歴史-」によると、”肥前風土記には、十二代景行天皇が熊襲(くまそ)を攻めるとき、大野宿弥(おおのすくね)に長洲(熊本県)の浜から海の向こうに見える山は、陸か島か調査するよう命じた。 大野宿弥は、有明海を渡り、当地の支配者の出迎えを受けた。 支配者は、「僕(あ)は此(こ)の山の神、名は高津来座(たかくつくら)ともうす。」と話したことから、高来峰(たかくみね)と呼ばれた。”とある。 また、1934(昭和9)年に国立公園に指定されたとき、温泉温泉と書くのは紛らわしいので、雲仙温泉と改められたそうである。明治の頃に外国人の避暑地として開かれた国際的な観光地でもある雲仙温泉。私は、新婚旅行で行った時に宿泊したのが最初である。その後は、阪神大震災後で、現役を退く前に、九州に数年住んだことがある。仕事では、よく島原へは行ったので、平成新山は何度か見た。今は、平成新も観光の一部になっているのだろうが、見るのは切なかった。また、神戸に帰ってくる前に、新婚当時を思い出して、夫婦で雲仙に泊まり、雲仙地獄めぐりをしたが、昔は至る所から高温の温泉と水蒸気が激しく噴出し、強い硫黄の匂いが漂っていたものであるが、今は、かすかに・・と言った感じである。雲仙の温泉も大分枯れてきているのだろうね~?観光客も少なくなっているように思う。1954(昭和29)年、映画「君の名は」のロケが雲仙であり真知子と春樹のつかの間の逢瀬のシーンが撮られたが、ロケ地の地獄谷には、ヒロイン真知子役の岸惠子の「君の名は」で有名な「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」という有名な言葉が刻まれている。時代の流れか・・・、何か雲仙も忘却の彼方の存在のような感じがしたが・・・。
(画像の写真は、押し寄せる火砕流から必死で逃げる消防職員。6月3日。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
参考
雲仙岳 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BB%99%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%B2%B3
長崎県島原市HP
http://www.city.shimabara.lg.jp/index.html
雲仙岳災害記念館 WEB SITE
http://www.udmh.or.jp/
気象庁 | 雲仙岳
http://www.seisvol.kishou.go.jp/fukuoka/504_Unzendake/504_index.html
九州大学地震火山観測研究センター
http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/
島原市HP - 火山とともに
http://www.city.shimabara.lg.jp/kazan/01.html
雲仙観光協会 -雲仙の歴史-
http://unzen.org/japanese/rekisi/index04.php
独立行政法人 土木研究所土砂管理研究グループ火山土石流チーム
http://www.pwri.go.jp/team/volcano/jindex.htm
地殻変動 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%AE%BB%E5%A4%89%E5%8B%95
君の名は - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF
君の名は(1953)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23812/index.html
寺田寅彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6
寺田寅彦(寺田寅彦の伝説の警句 天災は忘れた頃に来る)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/torahiko/torahiko.htm
景行天皇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A1%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

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