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「応天門の変」応天門が炎上した日

2007-03-10 | 歴史
866(貞観8)年の今日(閏3月10日=太陽暦:5月3日)は、「応天門の変」で、平安宮大内裏の正殿入り口にあたる応天門が炎上した。
応天門の変は、平安時代前期の866(貞観8)年に起こった政治事件・『伴大納言絵巻(詞)』の事件である。(応天門:以下参考に記載の「平安宮大内裏復元図」参照)
伴大納言絵巻』は、貞観8年(866)に実際に起きた平安京内裏の応天門炎上事件(世に言う応天門の変)にもとづき成立した説話を忠実に絵画化した絵巻とされ、日本の国宝『源氏物語絵巻』、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣人物戯画』と並ぶ、四大絵巻物と称されている。事件から300年後の12世紀後半に後白河法皇の命により、宮廷絵師だった常盤光永(ときわのみつなが)によって描かれたとされている。
史実ではこの事件は動機不明のまま時の大納言であった伴善男(とものよしお)の犯罪ということで決着を見るが、絵巻では伴大納言の政治的野望と挫折という脚色が加わっている。
出世欲に駆られた大納言・伴善男が、その地位を狙い不仲だった左大臣源信(みなもとのまこと)を失脚せしめんと応天門に放火、源信を犯人として天皇に訴える。しかし太政大臣藤原良房が源信を庇護し、十分な調査無しに源信を断罪しないよう天皇に奏上する。やがて思わぬところから伴大納言が真犯人であることが発覚、彼が逮捕され牛車で運ばれていく場面で絵巻は終わる。この応天門が炎上焼失した事件については『宇治拾遺物語』巻十ノ一 「伴大納言 応天門を焼くの事」 に記載がある。(以下参考の「宇治拾遺物語」の巻十ノ一 参照)。
伴氏はもともとは大伴氏であった。大伴(おおとも)氏は、古代日本の有力の一つで、雄略天皇の時代の5世紀後半の大伴室屋(むろや)の時代より勢力を伸ばし、武烈天皇の代に孫の大伴金村(かなむら)が大連(おおむらじ)になった時が全盛期であったが、それ以降も、政界で大納言中納言参議等を輩出している。また、大伴安麻呂大伴旅人大伴家持大伴坂上郎女などといった歌人も多く世に出している。しかしながら、8世紀頃の橘奈良麻呂橘諸兄の息子)の変や藤原種継暗殺事件などに関わり、連座する者が多く次第に勢力を失っていた。
823(弘仁14)年、淳和天皇(大伴親王)の名を避けて大伴から(とも)と氏を改めた。その後、清和天皇の時に伴善男が頭角を現し、864(貞観6)年に久々に大納言を出すことになったが、その子中庸(なかつね)とともに、応天門に火を付けた犯人として流罪になる。その後は振るわず、平安時代前期には、紀氏と並んで武人の故実を伝える家とされたが、武士の台頭とともに伴氏は歴史上から姿を消していくことになる。
この変は、実体のよく分からない事件とされているが、その背景には、伴氏を陥れるための藤原氏による宮廷からの他氏族の排除の一環とする陰謀説が根強くある。
この時期の勢力図としては、藤原良房が太政大臣、弟の良相右大臣、良房の養嗣子で次世代の権力者となる藤原基経は、まだ参議(近衛中将)の地位であった。しかし、この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、応天門の変の後、清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力拡大に成功。872(貞観14)年、良房の没後、基経は、その後を継ぎ、朝廷において実権を握った。そして、その後の阿衡事件などにより、藤原氏の権力は天皇よりも強いことをあらためて世に認めさせることになり後の藤原氏による摂関政治へと繋がっていった。
この変の起こる前、840(承和7)年、淳和上皇が崩御した際に起こった承和の変(じょうわのへん)は、藤原氏による最初の他氏排斥事件であった。事件後、藤原良房は大納言に昇進し、良房の望みどおり道康親王(良房の妹順子が仁明天皇の中宮となり、その間に出来た子)を皇太子に立てたばかりでなく、名族伴氏(大伴氏)と橘氏に打撃を与え、また同じ藤原氏の競争相手であった藤原愛発藤原吉野をも失脚させている。応天門の変に至るまでの藤原良房にとって実に都合の良い展開であることを考えれば、良房陰謀説が根深くあるのも無理からぬものがあるようだ。
この頃の天皇は、どろどろとした政治紛争に巻き込まれながら、権力者に実験を握られ、ただ象徴としての地位にとどまったままであった。戦後の天皇は、名目的にも象徴天皇となったが、見方によっては、お気の毒な存在だと思う。
(画像は、応天門炎上に駆けつける人々と朱雀門。『伴大納言絵巻(詞)』(12世紀後半)には、応天門の火災が描かれている。応天門は朝堂院の正門で、大内裏の正門である朱雀門に対している。出光美術館所蔵。この画像は、週間朝日百科「日本の歴史」より)
参考:
応天門の変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E5%A4%A9%E9%96%80%E3%81%AE%E5%A4%89
東京文化財研究所_「伴大納言絵巻」パネル展示
http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/project/panel/bandainagon.html
宇治拾遺物語
http://hysmt.hp.infoseek.co.jp/ujisyui/ujisyui.html
宇治拾遺物語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E
大内裏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E8%A3%8F
内裏から京都御所へ
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka07.html#a
平安宮大内裏復元図
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heian/heian02.html
第13回 進む藤原氏の他氏排斥
http://www.uraken.net/rekishi/reki-jp13.html
伴大納言絵巻(院政期社会の言語構造を探る)
http://www.furugosho.com/inseiki/goshirakawa/bandainagon.htm
「謎解き伴大納言絵巻」(黒田日出男氏)をめぐって
http://www.furugosho.com/inseiki/goshirakawa/bandainagon-note-a.htm
思いっきり味わいつくす「伴大納言絵巻 」(単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%82%8A%E5%91%B3%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%99%E4%BC%B4%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E8%A8%80%E7%B5%B5%E5%B7%BB-%E9%BB%92%E7%94%B0-%E6%B3%B0%E4%B8%89/dp/4096070122

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