
今日(3月4日)は「ミシンの日」
「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。
イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定。
「ミシン」を英語で書くと"Sewing Machine(ソーイングマシン)"。直訳すると「縫う機械」となる。「ミシン」は機械であるので、”Machine(マシン)”の分類の1つになる。、外人が”Machine”と発音すると日本人には、ミシンと聞こえる為、いつしか、ミシンになったというのが定説のようだ。
ミシンは数々の発明家によって、進化の歴史を遂げてきたようだが、16世紀になると、今まで時間や手間をかけて手縫いで行っていたものを、1589(天正17)年英国のウィリアム・リーが、妻の毛糸を編むのをみて、機械編みを考えたのが、ミシンの研究の始まりといわれているそうだ。
そして、色々な国の人に色々なものが作られてきたようだが、1790年に英国のトーマス・セントがミシンの条件を備えた機械((環縫いミシン=1本の糸で連続して鎖状に縫い上げるチェーンステッチミシン)を発明して特許を取ったのが、実用第1号と言われており、これが現在のミシンの原型とするのが、最も有力な説のようである。
発明の元祖が、ヨーロッパであるのに対して、それを商業ベースに乗せ、製品化していったのがアメリカのアイザック・メリット・シンガーだそうだ。
1832年 アメリカでは、ウオルター・ハントによって、二本の糸を使ったロックステッチ方式と呼ばれるミシンが発明されたが、製品化するつもりが無く他の人へ特許出願権を譲渡してしまったそうだ。 その後、1842年、ジョン・ジエー・グリーノフが特許(アメリカ最初の特許)を取得後、いろんな人に特許がとられ、当時、アメリカでは、分っているだけで、150社を超えるミシンの製造会社があったといわれている。1850年、アイザック・メリット・シンガーはボストンの機械製作所にいた。その製作所にミシンの修繕の依頼が入り、シンガーは修理にきたミシンをくわしく調べ、2週間も経たないうちに、改良して現在の本縫いミシンのもとになるミシンを開発し、友人の協力資金40ドルを元に、翌1951年、ミシン製造・販売会杜〈I.M.Singer社〉を創立した。しかし、直後に、エリアス・ハウ(アメリカで、5番目の特許取得者)から特許権の侵害で訴えられ、ミシン戦争と呼ばれる事態を引起こす危機もあったようだが、1854年和解が、成立し、15000ドルを支払って、製造販売権が取得できた。その後、事業は好調に伸長し、1863年には会社を再編〈シンガー裁縫機械会社〉を設立。以後「シンガー」を躍進させた。
日本に初めてミシンが渡来したのは、1870(万延元)年6月24日、万延遣米使の通訳として同行した、中浜万次郎(ジョン万次郎)がアメリカで、写真機とミシンを買い求め持ち帰ったのが最初であると伝えられおり、その後1874(明治7)年に教員の洋服が制定され、ミシン使用による衣服の縫製生産が始まったそうだ。
1881(明治14)年、左口鉄蔵が、第2回日本国内勧業博覧会に、国産ミシン第1号を出品。1886(明治19)年東京に陸軍被服庁が創立されて、ミシンの需要が高まった。
そして1900(明治33)年にシンガーミシンの輸入が始まり、1920(大正9)年にはミシンの年間輸入金額が500万円を突破するまでになった。1924年(大正13年) 国産の本縫いミシン(パイン=現在の蛇の目ミシン)の製造が開始され、 1928(昭和3)年に安井ミシン商会(現在のブラザー工業)が麦藁帽子用環縫い(カンヌイ)ミシンを製作、販売を始めたという。その後、日本のミシン産業は戦中の停滞期を過ぎ、第二次大戦後急激に発展をとげ日本の代表的産業の一つともなり、戦後の戦災復興資材の見返り物資として1947(昭和22)年に、800台のミシンがアメリカに初輸出された。その後、家庭用ミシンの性能も目覚しくアップし、一時は、街を歩けば犬に当たるじゃないけれど、街のいたるところで新しいミシンの実演販売をしている風景が見られたが、それまでの洋服やカーテンなど、何でもがホームメードの時代からメーカーの作った既製品が安く市場に出回り、既製品が主流となった今日では、一般家庭でのミシンの利用も急速に減った。私の家も使わない大きなミシンは邪魔なので処分し、卓上型の小型のミシンが1台あるものの、時たま、何かの補修に使われている以外は使われることもなく、普段は、箱に詰め物入の中にある。
(画像は1928ー昭和3年に安井ミシン商会が製造販売の「昭三式カンヌイミシン」といわれるもの。以下参考のHP「先駆者たちの大地-ブラザー工業 安井正義」のもの借用)
参考:
ミシンの歴史
http://www.doreme.info/event/sewing-history.html
ミシンの歴史
http://www006.upp.so-net.ne.jp/rosa/rosa-08.html
ミシン歴史館/ミシンの歴史・横山工業ミシン(株)
http://misinkan.com/history/index.htm
シンガーミシン SINGER:シンガーの歴史
http://www.singerhappy.co.jp/sewing/naruhodo/history/index.html
先駆者たちの大地-ブラザー工業 安井正義
http://manabow.com/pioneer/brother/3.html
JANOME(社名の由来)
http://www.janome.co.jp/company_name.htm
教えて!にちぎん・金融の歴史・豆知識(大正9年の物価を現在に直すと?)
http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100021.htm
「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。
イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定。
「ミシン」を英語で書くと"Sewing Machine(ソーイングマシン)"。直訳すると「縫う機械」となる。「ミシン」は機械であるので、”Machine(マシン)”の分類の1つになる。、外人が”Machine”と発音すると日本人には、ミシンと聞こえる為、いつしか、ミシンになったというのが定説のようだ。
ミシンは数々の発明家によって、進化の歴史を遂げてきたようだが、16世紀になると、今まで時間や手間をかけて手縫いで行っていたものを、1589(天正17)年英国のウィリアム・リーが、妻の毛糸を編むのをみて、機械編みを考えたのが、ミシンの研究の始まりといわれているそうだ。
そして、色々な国の人に色々なものが作られてきたようだが、1790年に英国のトーマス・セントがミシンの条件を備えた機械((環縫いミシン=1本の糸で連続して鎖状に縫い上げるチェーンステッチミシン)を発明して特許を取ったのが、実用第1号と言われており、これが現在のミシンの原型とするのが、最も有力な説のようである。
発明の元祖が、ヨーロッパであるのに対して、それを商業ベースに乗せ、製品化していったのがアメリカのアイザック・メリット・シンガーだそうだ。
1832年 アメリカでは、ウオルター・ハントによって、二本の糸を使ったロックステッチ方式と呼ばれるミシンが発明されたが、製品化するつもりが無く他の人へ特許出願権を譲渡してしまったそうだ。 その後、1842年、ジョン・ジエー・グリーノフが特許(アメリカ最初の特許)を取得後、いろんな人に特許がとられ、当時、アメリカでは、分っているだけで、150社を超えるミシンの製造会社があったといわれている。1850年、アイザック・メリット・シンガーはボストンの機械製作所にいた。その製作所にミシンの修繕の依頼が入り、シンガーは修理にきたミシンをくわしく調べ、2週間も経たないうちに、改良して現在の本縫いミシンのもとになるミシンを開発し、友人の協力資金40ドルを元に、翌1951年、ミシン製造・販売会杜〈I.M.Singer社〉を創立した。しかし、直後に、エリアス・ハウ(アメリカで、5番目の特許取得者)から特許権の侵害で訴えられ、ミシン戦争と呼ばれる事態を引起こす危機もあったようだが、1854年和解が、成立し、15000ドルを支払って、製造販売権が取得できた。その後、事業は好調に伸長し、1863年には会社を再編〈シンガー裁縫機械会社〉を設立。以後「シンガー」を躍進させた。
日本に初めてミシンが渡来したのは、1870(万延元)年6月24日、万延遣米使の通訳として同行した、中浜万次郎(ジョン万次郎)がアメリカで、写真機とミシンを買い求め持ち帰ったのが最初であると伝えられおり、その後1874(明治7)年に教員の洋服が制定され、ミシン使用による衣服の縫製生産が始まったそうだ。
1881(明治14)年、左口鉄蔵が、第2回日本国内勧業博覧会に、国産ミシン第1号を出品。1886(明治19)年東京に陸軍被服庁が創立されて、ミシンの需要が高まった。
そして1900(明治33)年にシンガーミシンの輸入が始まり、1920(大正9)年にはミシンの年間輸入金額が500万円を突破するまでになった。1924年(大正13年) 国産の本縫いミシン(パイン=現在の蛇の目ミシン)の製造が開始され、 1928(昭和3)年に安井ミシン商会(現在のブラザー工業)が麦藁帽子用環縫い(カンヌイ)ミシンを製作、販売を始めたという。その後、日本のミシン産業は戦中の停滞期を過ぎ、第二次大戦後急激に発展をとげ日本の代表的産業の一つともなり、戦後の戦災復興資材の見返り物資として1947(昭和22)年に、800台のミシンがアメリカに初輸出された。その後、家庭用ミシンの性能も目覚しくアップし、一時は、街を歩けば犬に当たるじゃないけれど、街のいたるところで新しいミシンの実演販売をしている風景が見られたが、それまでの洋服やカーテンなど、何でもがホームメードの時代からメーカーの作った既製品が安く市場に出回り、既製品が主流となった今日では、一般家庭でのミシンの利用も急速に減った。私の家も使わない大きなミシンは邪魔なので処分し、卓上型の小型のミシンが1台あるものの、時たま、何かの補修に使われている以外は使われることもなく、普段は、箱に詰め物入の中にある。
(画像は1928ー昭和3年に安井ミシン商会が製造販売の「昭三式カンヌイミシン」といわれるもの。以下参考のHP「先駆者たちの大地-ブラザー工業 安井正義」のもの借用)
参考:
ミシンの歴史
http://www.doreme.info/event/sewing-history.html
ミシンの歴史
http://www006.upp.so-net.ne.jp/rosa/rosa-08.html
ミシン歴史館/ミシンの歴史・横山工業ミシン(株)
http://misinkan.com/history/index.htm
シンガーミシン SINGER:シンガーの歴史
http://www.singerhappy.co.jp/sewing/naruhodo/history/index.html
先駆者たちの大地-ブラザー工業 安井正義
http://manabow.com/pioneer/brother/3.html
JANOME(社名の由来)
http://www.janome.co.jp/company_name.htm
教えて!にちぎん・金融の歴史・豆知識(大正9年の物価を現在に直すと?)
http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100021.htm
子供の頃、ウチにもシンガーミシンがありました。母親が踏むとカタカタカタと軽いリズムで針が上下するのが面白かったです。母がミシンを離れた時に自分で足をカタカタやったら逆周りをして糸が切れて叱られたこともありました。懐かしいです。
親父が若死にしたので女で一つで私達兄弟を育ててくれ、本当に苦労をしているが、子どもの前で泣き言一つ言ったりしたこもないし、親父への愚痴を言っているのも聞いたことがありません。
昔の母親は本当に立派でしたね~。