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今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

歌手・松島詩子(マロニエの木蔭) の忌日

2005-11-19 | 人物
1996年 の今日(11月19日)は、歌手・松島詩子 の忌日。<91歳>
松島詩子と言っても、その名を知っている人は少ないかもしれないな~。
本名は内海シマ。1905(明治38)年5月12日、山口県柳井(ひづみ)市の生まれ。柳井高等女学校(いまの柳井高校)卒業後、教員をしていたが、1931(昭和6)年音楽勉強のため上京、「月の砂漠」の作曲などで知られる作曲家・佐々木すぐるに勧められ歌手になることを決心し、1932(昭和7)年、「ラッキーセブンの唄」で日本コロムビアから歌手デビュー(このときの芸名は柳井はるみ)。その後、ニットー、リーガル、テイチク、キングなどで吹込み、芸名は千早淑子、東貫美子などの変名を多数使用していたという。芸名「松島詩子」は、デビューして間もない頃、作曲家・山田耕筰氏(こうさく)に命名されたもので、キングレコード専属歌手となって以来、生涯使用。1937(昭和12)年に「マロニエの木蔭」がヒットしてようやく人気歌手となる。流行歌手となった後もクラシック声楽を学び続け、オペレッタやシャンソンなど幅広く活動したという。1951(昭和26)年には、第1回NHK紅白歌合戦出場。このときの歌は「上海の花売娘」。以来第2回を除き、1960(昭和35)年の第11回まで続けて計10回出場している。
空はくれて 丘の涯(はて)に
  輝くは 星の瞳よ
  なつかしの マロニエの木蔭に
  風は想い出の 夢をゆすりて
  今日も返らぬ 歌を歌うよ
松島詩子の代表歌、「マロニエの木蔭」
作詞:坂口 淳、作曲:細川潤一。(二木 紘三MIDI歌声喫茶より) ここでは、「マロニエの木蔭」が聞けるよ。(歌詞付)
歌に出てくる「マロニエ」は、ギリシアやブルガリア付近が原産で、パリを始めヨーロッパ各地の街路樹などとしてよく植えられていることは、フランス映画などの情景でよく知られている。
海外旅行など夢のまた夢であった戦前の日本。当時、ヨーロッパ映画は円熟した文化を垣間見られる唯一の“窓”だったのである。
1930年代はフランス映画の黄金期。1931(昭和6)年ルネ・クレール監督の映画「巴里の屋根の下」がヒット。続いて、1933(昭和8)年「巴里祭」(原題名「14 Juillet」)が封切られた。この映画は、貧しいけれども清純な花売り娘とタクシー運転手の若者との可憐な恋の物語。背景に流れるモーリス・ジョーベールの主題歌が、実に情緒があっていい。 この映画も大ヒットし、この年から、フランスの革命記念日、建国記念日の7月14日を「巴里祭」と呼ぶようになったという。他に、ルナールの小説を映画化した「にんじん」(1932年)、ジャン・ルノワール監督の「どん底」(1936年)、名優ジャン・ギャバンの渋い演技が光る「望郷」(1937)など印象深い作品が多い。これらの映画は当時、わが国の知識人、学生を中心にパリ熱を蔓延させることとなり、フランス映画やシャンソン、さらにはフランス語への関心が高まることとなったという。 日本では、映画のことをシネマ「 (Cinéma)」と言っているがこれもフランス語である。アメリカでは、アート系の作品を、「シネマ」と呼び、娯楽作品は「ムービー」と呼ぶらしい。フランス映画にはアート系が多いからであろう。
萩原朔太郎の詩、「旅上」に、
「ふらんすへ行きたしと思へども  ふらんすはあまりに遠し  せめては新しき背広をきて  きままなる旅にいでてみん 」
とあるように、戦前の日本のインテリの間には、フランス、とくにパリへの強い憧れがあったそうだ。1937(昭和12)年にヒットした松島詩子の「マロニエの木蔭」も、シャンソンぽい雰囲気が受けたのだろう。松島詩子は、ほかにも『喫茶店の片隅で』(1960=昭和35年)などシャンソン風の歌がいくつかある。
大戦後世界では、アメリカ映画が人気を得るようになるが、日本ではまだ、フランス映画賞賛という傾向があった。1960年代前半に、アメリカに先駆けて、フランス映画には、ヌーヴェルヴァーグという新しい感覚の映画の流れが起き、1960年代後半には、アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンド、リノ・バンチェラなどそうそうたる顔ぶれが、フィルム・ノワール(虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画)で活躍するようになる。なんか、松島詩子の歌のこと書こうと思っているうちに、フランス映画の話になってしまったな~。でも、私が、社会へ出た昭和30年代前半は、音楽の世界でもシャンソンが流行っており、町のあちこちにシャンソン喫茶と呼ばれるものが有ったよ。私も、多少、文学青年ぶって、大阪のそんな、シャンソン喫茶にはよく行ったよ。そして、「喫茶店の片隅で」・・・でぼんやりと一人、静かに本など読みながらイベット・ジローやジルベール・ベコーの歌を聞いていた・・・。
(画像は、レコードジャケット「マロニエの木蔭」松島詩子。キング)
参考:
松島詩子記念館
http://www.city-yanai.jp/utako/
二木 紘三MIDI歌声喫茶
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/index.htm
映画 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB

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2 コメント

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松島詩子ですって (やすべい)
2005-12-13 11:33:17
柳井市の住人です。

柳井市の住民も松島詩子記念館はあるが、誰?という人が多い中このブログを発見し、びっくりしています。いとこに『杏の花の咲く頃』の歌詞を探せと言われ、検索中です。結構『松島詩子』さんのデータが多いので驚いています。『月の砂漠』を最初に大人でレコーディングしたのが松島詩子(そのときは、柳井はるみの芸名で)という記事を発見し驚きました。

今度記念館に行って見ます。

ちなみに“柳井市”は“やないし”と読み、“ひづみ”は“日積”という地名です。柳井市日積でお生まれになったそうです。
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松島詩子 (よーさん)
2005-12-13 13:45:48
やすべいさん、書き込みありがとう!

松島詩子のことそんなに詳しいわけじゃ~ないけれど、昔、詩は良く聞きました。上手ですよね。
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