ベジタリアン (Vegetarian) という言葉は1847年の今日・9月30日、英国ベジタリアン協会の設立の際にラテン語 “Vegetus”(完全な、健全な、元気なからの造語で「活気のある、生命力にあふれた」)をもとに英語の野菜 (Vegetable) の単語とかけて作られた言葉だという。
日本では、1993(平成5)年4月、日本ベジタリアン協会が設立され、2001(平13 )年2月に特定非営利活動法人(NPO法人) の認証を受けている。同協会は、「人と地球の健康を考える」をテーマに、菜食とそれに関連した健康、栄養、倫理、生命の尊厳、アニマルライツ(animal rights 、日本語では動物の権利)、地球環境保全、発展途上国の飢餓などの問題に関する啓発や奉仕を目的とし、菜食に関心のある人々に必要な知識や実践方法を広め、共有していくためのネットワークづくりを行っているようだ。関心のある人は、以下参考に記載の※1:「日本ベジタリアン協会公式ページ」を参照)。
世界中で、動物保護や健康増進そして環境保護などのエコロジー(ecology)また、道徳、宗教等の理由から動物性食品を排する主義・思想「ベジタリアニズム (vegetarianism) 」が注目を浴びている。これを実際に実践している人たちをベジタリアンと呼ぶが、幾つかの公式な団体(ベジタリアンの分類参照)では、菜食を中心とした食事を実践する人々の総称がベジタリアンと定義されているようだ。菜食だけ、菜食でも球根などの排除の有無や、卵と乳製品を摂ることの有無などに応じて様々な分類があるが、日本ではベジタリアンが正しく理解されず、明治時代に菜食主義と訳されたが、動物性食品でも一部については摂取の是非が問われないので、菜食主義という語訳は正確ではないが、その誤訳が訂正されることなく、今日まで広まってきた。英語で「まったく肉をたべないひと」は、ヴィーガン(Vegan)というそうだ。
いずれにしても、これらの思想の根底には、環境倫理や生命倫理の平等思想に基づいた人道主義の観点といった哲学的な思想がある。
歴史上の有名なベジタリアンに、ピタゴラスがいる。紀元前のギリシャでは、オルペウス教やピタゴラス教団による日本の仏教にも見られるような輪廻転生思想によって、動物と人間は同等である為に菜食を実践していたという。当時、菜食主義者は古代ギリシャの哲学者で菜食主義者であったピュタゴラス(=ピタゴラス。古代ギリシア語の発音による)にちなんで、ピュタゴリアンと呼ばれていたが、野菜のベジタブルと語呂の良いベジタリアンがこれに取って代わることになったものだという。
日本で有名なのが詩人・童話作家で有名な宮沢賢治である。農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。彼は、法華経の信者であったことでも知られている。そんな彼の作品で、あまり広く知られていない作品に、「ビヂテリアン大祭」がある(彼の詩や童話などの作品については、以下参考の※2:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」を参照)。
Wikipedia(宮沢 賢治)の記載によれば、彼が法華経信仰に入った後、1918(大正7)年5月19日付で、友人の保阪嘉内に宛てた手紙で「私は春から生物のからだを食うのをやめました」と書いており、その考え方がこの童話に窺えるという(保阪のことは、以下参考に記載の※3:「宮沢賢治の詩の世界」の歌曲の部屋の保阪嘉内の歌曲を参照)。
1918(大正7)年と言えば彼が盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業した年であり、したがって22歳の頃から菜食を始めたということになる。
この作品は童話といえるかどうか・・・彼の作品の中でも異質な作品であり、ニュウファウンドランド島の山村で行われた菜食主義者たちの世界大会に日本の代表として参加した主人公の話として書かれている。
賢治はこの作品で、ビヂテリアン(菜食主義者・菜食信者)と肉食異教徒の論争を通して肉食の是非を議論している。議論の相手を論破するために選ばれたテーマは多種多様で、肉類と野菜の消化率、味覚の比較に始まって、さらに殺生の是非、人口増加と食糧資源の問題、動植物を区別することの是非、キリスト教と仏教の見解の相違、輪廻の問題へと進むが、肉食異教徒も最後には皆ベジタリアンとなり反対者はだれもいなくなってしまうのだが・・・。
ここでの議論では、必ずしも菜食主義の主張が勝っているとは言えないと思うし、童話の最終章では反菜食主義の主張もすべてビヂテリアン側の仕組んだものであることが明かされている。そして、この物語の結末は皆さんで作ってください・・となっている。
ベジタリアンが肉食を否定する主張には大きく2種類あり、過剰な肉の摂取を戒める主張と肉食そのものを否定する主張がある。この2つを混同している傾向も見られ、これが議論をより混乱させる要素となっており、「健康のため」と称しながらも、突き詰めれば別の理由に立脚している場合もあるようで、ベジタリアニズムが単純な理由に拠らない活動であることにも絡んで、その各々の信奉者・実践者によって主張・様式もまちまちである。
宗教・思想上等の理由で肉食を避ける者がいるがそれだけではなく、健康上の理由から肉食を避ける者もあり、上述のベジタリアン協会の主張する立場に立てば、ベジタリアンの本義は「健康で活力のある人」であり、「そうなるために肉食を避ける者」であるとされている。
明治以前の日本においては、基本的には仏教の僧侶には肉食が認められていなかった(例外もある)。それにより、精進料理が創られたが、精進料理の思想では、「より高い精神性を獲得する(=精進する)ために、菜食を主体とした食事をとる」という面で、原義のベジタリアニズムに近いものを持っている。この精進料理の思想の影響を受けて誕生した懐石料理も同様である。よって、ベジタリアンとは単に植物しか食べないということではなく、人生観・世界観をより深めてくれるライフスタイル(lifestyle。生活の様式・営み方。また、人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方。)を表しているものだ。しかし前述の「ベジタリアン=菜食主義」という訳語の誤った印象もあり、ベジタリアニズムは、近代以降の日本、特に最近では一種の健康ブーム的な側面が強調され、正確に理解されていない面もある。ひどい時にはただの偏食と同列に看做される場合さえある。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」より始まり、「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」で終わる有名な詩「雨ニモマケズ」(詩はここを参照)の中には、「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ・・・」とあるが、四合は「よんごう」ではなく音読みで「しごう」と読む。だからと言って別に意味合いが変わるわけではなく、書かれている通りの意味なのだが、これは随分と粗食だよね~。今とは時代は違うが、幾らなんでも現代の若い男性が、毎日これほどの粗食を続ければ、恐らく栄養不足で、病気になってしまうだろうね~。
「粗食は健康で長生き」・・・と考える人が多いようであるが、これは誤りで、粗食の人は病気がちで短命だと言う意見もある。多食・美食はいけないが、健康で長生きをするためにはバランスの良い食事で栄養を摂ることで大切であり、そのためには肉食も必要だ。
健康とは文字の如く、健(すこ)やかさと康(やす)らかさであり、身体が丈夫なことではなく心の問題であるが、多くの人は食べ物に拘っている人が多い。
人間は病気さえしなければだれでも皆90歳ぐらいは生きることが出来るといわれている。同じ野菜を食べても、菜食主義者になってはいけない。肉食を控えた菜食愛好者である事が望ましい。
最後に、「雨ニモマケズ」の詩は、東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京しているとき再び病に倒れ、この時賢治は死を覚悟して父母近親者へ遺書2通を書いているという。父の厳命により花巻の実家に戻って闘病中だった1931(昭和6)年秋に使用していた黒い手帳に記されていたもので、この手帳は今日、研究者からは「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれており、手帳には、その当時の賢治の悲願と自戒が綴られているそうだ。
詩の最後の言葉である「ワタシハナリタイ」に続いて、南無無辺行菩薩、南無上行菩薩、南無多宝如来、南無妙法蓮華経、南無釈迦牟尼佛、南無浄行菩薩、南無安立行菩薩と書き込まれている。中央に書かれている「妙法蓮華経」は「法華経」の正式な呼称であり、南無は「帰依します」の意味である。またその上下に書かれている「釈迦牟尼佛(釈迦如来)」は仏教の開祖釈迦を仏(仏陀)として敬う呼び方であり、多宝如来は、法華経の「見宝塔品第十一」に登場する仏であり、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩は法華経の「従地湧出品第十五」に登場する法華経の四菩薩である。
大乗仏教では、悟りを求める人や求道者を菩薩という。宗教では、人が「生きる」とは言わずに「生かされている」と言う。それは、自分だけのために生きるのではなく困っている人がいれば助けるために生かされているのだが、詩の中の「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」に始まり「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」までに書かれている内容を見ると、賢治の法華経信仰の深さと共に、自身の実践が出来ていないことへの自戒の念も感じられる。宮沢賢治は、この詩を書いた翌翌年・1933(昭和8)年9月21日急性肺炎により37歳の若さで永眠した。
画像は精進料理。Wikipediaより。箸袋には、信州 善光寺 淵之坊とある)
参考:
※1:NPO法人 日本ベジタリアン協会 | Japan Vegetarian Society | 公式ページ
http://www.jpvs.org/
※2:青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person81.html#sakuhin_list_1
※3:宮沢賢治の詩の世界
http://www.ihatov.cc/song/kanai.html
※4:法華経と日蓮にアプローチ!―宮沢賢治をより理解するために―
http://www.kitakama-yusui.net/tokusyu/zen-6.html
お年寄りの食生活を改善しよう /大曲市保健センターの料理教室
http://www.hana.or.jp/hana/nitiniti/news00/Oct/n001012.html
Yahoo!百科事典-菜食
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%8F%9C%E9%A3%9F/
Yahoo!百科事典-動物保護
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8B%95%E7%89%A9%E4%BF%9D%E8%AD%B7/
utopia-宮沢賢治
http://www1.ocn.ne.jp/~workship/utopia/utopian/Miyazawa_Kenji/utopian-Miyazawa_Kenji.htm
ベジタリアニズム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
Yahoo!百科事典トップ
http://100.yahoo.co.jp/ http://100.yahoo.co.jp/
菜食のススメ
http://saisyoku.com/index.html
日本では、1993(平成5)年4月、日本ベジタリアン協会が設立され、2001(平13 )年2月に特定非営利活動法人(NPO法人) の認証を受けている。同協会は、「人と地球の健康を考える」をテーマに、菜食とそれに関連した健康、栄養、倫理、生命の尊厳、アニマルライツ(animal rights 、日本語では動物の権利)、地球環境保全、発展途上国の飢餓などの問題に関する啓発や奉仕を目的とし、菜食に関心のある人々に必要な知識や実践方法を広め、共有していくためのネットワークづくりを行っているようだ。関心のある人は、以下参考に記載の※1:「日本ベジタリアン協会公式ページ」を参照)。
世界中で、動物保護や健康増進そして環境保護などのエコロジー(ecology)また、道徳、宗教等の理由から動物性食品を排する主義・思想「ベジタリアニズム (vegetarianism) 」が注目を浴びている。これを実際に実践している人たちをベジタリアンと呼ぶが、幾つかの公式な団体(ベジタリアンの分類参照)では、菜食を中心とした食事を実践する人々の総称がベジタリアンと定義されているようだ。菜食だけ、菜食でも球根などの排除の有無や、卵と乳製品を摂ることの有無などに応じて様々な分類があるが、日本ではベジタリアンが正しく理解されず、明治時代に菜食主義と訳されたが、動物性食品でも一部については摂取の是非が問われないので、菜食主義という語訳は正確ではないが、その誤訳が訂正されることなく、今日まで広まってきた。英語で「まったく肉をたべないひと」は、ヴィーガン(Vegan)というそうだ。
いずれにしても、これらの思想の根底には、環境倫理や生命倫理の平等思想に基づいた人道主義の観点といった哲学的な思想がある。
歴史上の有名なベジタリアンに、ピタゴラスがいる。紀元前のギリシャでは、オルペウス教やピタゴラス教団による日本の仏教にも見られるような輪廻転生思想によって、動物と人間は同等である為に菜食を実践していたという。当時、菜食主義者は古代ギリシャの哲学者で菜食主義者であったピュタゴラス(=ピタゴラス。古代ギリシア語の発音による)にちなんで、ピュタゴリアンと呼ばれていたが、野菜のベジタブルと語呂の良いベジタリアンがこれに取って代わることになったものだという。
日本で有名なのが詩人・童話作家で有名な宮沢賢治である。農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。彼は、法華経の信者であったことでも知られている。そんな彼の作品で、あまり広く知られていない作品に、「ビヂテリアン大祭」がある(彼の詩や童話などの作品については、以下参考の※2:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」を参照)。
Wikipedia(宮沢 賢治)の記載によれば、彼が法華経信仰に入った後、1918(大正7)年5月19日付で、友人の保阪嘉内に宛てた手紙で「私は春から生物のからだを食うのをやめました」と書いており、その考え方がこの童話に窺えるという(保阪のことは、以下参考に記載の※3:「宮沢賢治の詩の世界」の歌曲の部屋の保阪嘉内の歌曲を参照)。
1918(大正7)年と言えば彼が盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業した年であり、したがって22歳の頃から菜食を始めたということになる。
この作品は童話といえるかどうか・・・彼の作品の中でも異質な作品であり、ニュウファウンドランド島の山村で行われた菜食主義者たちの世界大会に日本の代表として参加した主人公の話として書かれている。
賢治はこの作品で、ビヂテリアン(菜食主義者・菜食信者)と肉食異教徒の論争を通して肉食の是非を議論している。議論の相手を論破するために選ばれたテーマは多種多様で、肉類と野菜の消化率、味覚の比較に始まって、さらに殺生の是非、人口増加と食糧資源の問題、動植物を区別することの是非、キリスト教と仏教の見解の相違、輪廻の問題へと進むが、肉食異教徒も最後には皆ベジタリアンとなり反対者はだれもいなくなってしまうのだが・・・。
ここでの議論では、必ずしも菜食主義の主張が勝っているとは言えないと思うし、童話の最終章では反菜食主義の主張もすべてビヂテリアン側の仕組んだものであることが明かされている。そして、この物語の結末は皆さんで作ってください・・となっている。
ベジタリアンが肉食を否定する主張には大きく2種類あり、過剰な肉の摂取を戒める主張と肉食そのものを否定する主張がある。この2つを混同している傾向も見られ、これが議論をより混乱させる要素となっており、「健康のため」と称しながらも、突き詰めれば別の理由に立脚している場合もあるようで、ベジタリアニズムが単純な理由に拠らない活動であることにも絡んで、その各々の信奉者・実践者によって主張・様式もまちまちである。
宗教・思想上等の理由で肉食を避ける者がいるがそれだけではなく、健康上の理由から肉食を避ける者もあり、上述のベジタリアン協会の主張する立場に立てば、ベジタリアンの本義は「健康で活力のある人」であり、「そうなるために肉食を避ける者」であるとされている。
明治以前の日本においては、基本的には仏教の僧侶には肉食が認められていなかった(例外もある)。それにより、精進料理が創られたが、精進料理の思想では、「より高い精神性を獲得する(=精進する)ために、菜食を主体とした食事をとる」という面で、原義のベジタリアニズムに近いものを持っている。この精進料理の思想の影響を受けて誕生した懐石料理も同様である。よって、ベジタリアンとは単に植物しか食べないということではなく、人生観・世界観をより深めてくれるライフスタイル(lifestyle。生活の様式・営み方。また、人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方。)を表しているものだ。しかし前述の「ベジタリアン=菜食主義」という訳語の誤った印象もあり、ベジタリアニズムは、近代以降の日本、特に最近では一種の健康ブーム的な側面が強調され、正確に理解されていない面もある。ひどい時にはただの偏食と同列に看做される場合さえある。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」より始まり、「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」で終わる有名な詩「雨ニモマケズ」(詩はここを参照)の中には、「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ・・・」とあるが、四合は「よんごう」ではなく音読みで「しごう」と読む。だからと言って別に意味合いが変わるわけではなく、書かれている通りの意味なのだが、これは随分と粗食だよね~。今とは時代は違うが、幾らなんでも現代の若い男性が、毎日これほどの粗食を続ければ、恐らく栄養不足で、病気になってしまうだろうね~。
「粗食は健康で長生き」・・・と考える人が多いようであるが、これは誤りで、粗食の人は病気がちで短命だと言う意見もある。多食・美食はいけないが、健康で長生きをするためにはバランスの良い食事で栄養を摂ることで大切であり、そのためには肉食も必要だ。
健康とは文字の如く、健(すこ)やかさと康(やす)らかさであり、身体が丈夫なことではなく心の問題であるが、多くの人は食べ物に拘っている人が多い。
人間は病気さえしなければだれでも皆90歳ぐらいは生きることが出来るといわれている。同じ野菜を食べても、菜食主義者になってはいけない。肉食を控えた菜食愛好者である事が望ましい。
最後に、「雨ニモマケズ」の詩は、東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京しているとき再び病に倒れ、この時賢治は死を覚悟して父母近親者へ遺書2通を書いているという。父の厳命により花巻の実家に戻って闘病中だった1931(昭和6)年秋に使用していた黒い手帳に記されていたもので、この手帳は今日、研究者からは「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれており、手帳には、その当時の賢治の悲願と自戒が綴られているそうだ。
詩の最後の言葉である「ワタシハナリタイ」に続いて、南無無辺行菩薩、南無上行菩薩、南無多宝如来、南無妙法蓮華経、南無釈迦牟尼佛、南無浄行菩薩、南無安立行菩薩と書き込まれている。中央に書かれている「妙法蓮華経」は「法華経」の正式な呼称であり、南無は「帰依します」の意味である。またその上下に書かれている「釈迦牟尼佛(釈迦如来)」は仏教の開祖釈迦を仏(仏陀)として敬う呼び方であり、多宝如来は、法華経の「見宝塔品第十一」に登場する仏であり、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩は法華経の「従地湧出品第十五」に登場する法華経の四菩薩である。
大乗仏教では、悟りを求める人や求道者を菩薩という。宗教では、人が「生きる」とは言わずに「生かされている」と言う。それは、自分だけのために生きるのではなく困っている人がいれば助けるために生かされているのだが、詩の中の「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」に始まり「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」までに書かれている内容を見ると、賢治の法華経信仰の深さと共に、自身の実践が出来ていないことへの自戒の念も感じられる。宮沢賢治は、この詩を書いた翌翌年・1933(昭和8)年9月21日急性肺炎により37歳の若さで永眠した。
画像は精進料理。Wikipediaより。箸袋には、信州 善光寺 淵之坊とある)
参考:
※1:NPO法人 日本ベジタリアン協会 | Japan Vegetarian Society | 公式ページ
http://www.jpvs.org/
※2:青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person81.html#sakuhin_list_1
※3:宮沢賢治の詩の世界
http://www.ihatov.cc/song/kanai.html
※4:法華経と日蓮にアプローチ!―宮沢賢治をより理解するために―
http://www.kitakama-yusui.net/tokusyu/zen-6.html
お年寄りの食生活を改善しよう /大曲市保健センターの料理教室
http://www.hana.or.jp/hana/nitiniti/news00/Oct/n001012.html
Yahoo!百科事典-菜食
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%8F%9C%E9%A3%9F/
Yahoo!百科事典-動物保護
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8B%95%E7%89%A9%E4%BF%9D%E8%AD%B7/
utopia-宮沢賢治
http://www1.ocn.ne.jp/~workship/utopia/utopian/Miyazawa_Kenji/utopian-Miyazawa_Kenji.htm
ベジタリアニズム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
Yahoo!百科事典トップ
http://100.yahoo.co.jp/ http://100.yahoo.co.jp/
菜食のススメ
http://saisyoku.com/index.html