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アメリカン・ニューシネマの代表作「明日に向って撃て!」で知られる俳優・ポール・ニューマンの忌日

2010-09-26 | 人物
今日・9月26日は米国を代表する俳優の1人で、アメリカン・ニューシネマの代表作である「明日に向って撃て!」(1969年)や「スティング」(1973年)などで知られるポール・ニューマン(Paul Newman,本名:Paul Leonard Newman)の2008年の忌日である。
アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半 ~1970年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称である。
ヴェトナム戦争への米国の軍事的介入を目の当たりにすることで、米国民の自国への信頼感が音を立てて崩れ、以来、懐疑的になった国民は、アメリカの内包していた暗い矛盾点(若者の無気力化・無軌道化、人種差別、ドラッグ、エスカレートしていく暴力性など)にも目を向けることになる。そして、それを招いた元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こった。アメリカン・ニューシネマはこのような当時のアメリカの世相を投影していたと言われている。
真夜中のカーボーイ」「イージーライダー」(いずれも1969年)などとともに、アメリカで若者にヒットしたアメリカン・ニューシネマの代表作「明日に向って撃て!」が日本で封切られたのは、「血のメーデー事件」(1952年5月1日に東京で発生した、デモ隊と警官隊とが衝突した騒乱事件)が17年にして一区切りのついた年・1970(昭和45)年の2月のことであった。冒頭の画像が同映画の1シーン(アサヒクロニクル週間20世紀より借用)である。映画は、1900年代末の西部に実在した銀行強盗ブッチ・キャシディ( 主演:ポール・ニューマン。向かって左)と・サンダンス・キッド( 共演:ロバート・レッドフォード。右)に、サンダンスの恋人エッタ・プレース(キャサリン・ロス。中央)が絡む物語。
冒頭、セピア調のモノトーンが徐々に色づいてゆき、峡谷の夜明けのシーンで始まる画像は、冒頭とは逆に、ラストシーンでは、フルカラーからモノトーンへと変化していくストップモーション(映像を静止させること)は映画史に残る屈指の名シーンとして有名である。名うての強盗のくせに銃で人を撃ったことがないというブッチ(ニューマン)と腕利きのガンマンのくせに泳げないというサンダンス(レッドフォード)のウィットに富んだ会話や、軽やかな音楽(雨にぬれても)が新鮮で映画を観終わっても心地よく爽やかな風を感じさせる作品である。この映画の設定と筋立ては、アメリカン・ニューシネマと同じように、体制に楯を突くアウトローたちが時代に追い詰められ、次第に行き場を失くし、やがて最後はついに破滅(自滅)していくストーリではあるが、一連の西部劇に良く見られるような刺客との銃撃戦など派手なアクションシーンもない異色西部劇映画であり、私の心にも深く残っている名画である。
この映画で見せた親しみやすい笑顔と、漂う知性で魅了したポール・ニューマン。「スティング」のニューマンは、都会的なスマートさと味のあるユーモアを滲ませていて、実に魅力的であった。この2作は共にレッドフォードとの共演であるが、女性を魅了させるレッドフォードに対して、ニューマンは男が惚れる男といった感じである。
彼は、1925年1月26日、米国オハイオ州クリーブランドで、スポーツ用品店を経営するハンガリー系ユダヤ人の父と同じくカトリックの母との間に生まれ、父親が共同経営するスポーツ用品店を継ぐため大学では経済学を専攻していたが、第二次世界大戦が始まり無線士として従軍。
復員後。演劇の道に進み、エール大スクール・オブ・ドラマに学び、同大学院で披露した演技がプロデューサーの目に留まり、ニューヨークに招かれ、そこでのテレビドラマや舞台における演技が認められて、1952年にジェームズ・ディーンマーロン・ブランドと共にアクターズ・スタジオに入学。その後、ブロードウェイの舞台「ピクニック」(後にウィリアム・ホールデン、キム・ノヴァク主演で映画化されている。Goo映画-ピクニック参照)の演技などが評価され映画界へ。しかし、1954年に「銀の盃」(ニューマンの出演映画のことは、以下参考に記載の※1:goo映画参照)で映画デビューを果たす。しかし、この作品を私は見ていないが、作品自体が映画評論家から失敗作の烙印を押されるという不本意なデビューとなったようだ。
アクターズ・スタジオで共に学んだディーンとブランドがそれぞれ「エデンの東」(1955年)、「波止場」(1954年)で世界的トップスターへと上り詰める一方でポールは満足のいく作品に出演できない上、スタジオや批評家から「第2のマーロン・ブランド」と称されることに失望し映画を離れ、活動の拠点を舞台とテレビドラマへ移していたようだが、そこでの演技が賞賛されたポールは、ディーンの急逝(1955年9月)により主演のポストが空白となっていた映画「傷だらけの栄光」(1956年)に、監督のロバート・ワイズの依頼を受け出演した。
この映画では、不良少年からボクシングの世界王者にのぼりつめた実在のプロボクサー・ロッキー・グラジアノの半生を演じて一躍注目を浴びる存在となった。確かに、ブランドとニューマンは顔の印象もさることながら、共に徹底した役作りをするなど優れた演技派でもあり、どこかに少しニヒルさを感じさせ、陰のある演技を見せるなど共通しているところが多い。私もイメージ的には、この2人には非常によく似ているとところが多いと思う。
1956年に最初の妻と離婚し、1958年、先述の舞台「ピクニック」で知り合った女優、ジョアン・ウッドワードと映画「熱く長い夜」での再共演を機に再婚。この年の映画「熱いトタン屋根の猫」(1958年)で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、公私共に充実した時期を迎えた。1960年代はニューマンにとって順風満帆そのものであり、「ハスラー」(1961年)で英国アカデミー賞の男優賞を受賞すると1963年の「ハッド」での受賞を機に1965年と1967年の3度、ゴールデングローブ賞の「世界で最も好かれた男優」に選出された(以下参考の※2参照)。そして、1974年の「タワーリング・インフェルノ」での報酬は100万$に達したという(Wikipedia)が、この映画では、前妻との息子スコット・ニューマンとの共演も実現している。その後、「評決」(1982年)などで何度もアカデミー主演男優賞にノミネートされたが長くこの賞には恵まれなかったが、初の受賞は「ハスラー2」(1986年)であった。彼は、監督業にも進出し、「レーチェル・レーチェル」(1968年)では妻のジョアン・ウッドワードを主役に起用もしている。
又、サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功したほか、ベトナム戦争の敗北を目の当たりにしたニューマンは、積極的な公民権運動ならびに反戦運動を展開。活発な運動と過激な発言は、当時のリチャード・ニクソン大統領をも敵に回す結果になり、1973年にホワイトハウスが公表したブラックリストにその氏名が記載されたという。
1970年代後半からは俳優業も不振続きであったが、不幸な出来事としては、1978年に、息子スコットが酒とドラッグに溺れ命を落としたが、 愛息の死を嘆いた彼は、麻薬撲滅運動の展開を決意。ドラッグで命を絶たれた息子の名を冠した「スコット・ニューマン基金」を設立 し、ドラッグの弊害を描いた映画やテレビ番組に対する資金提供を行っていたという。
又、彼は本業の俳優・監督の他にカーレーサー、実業家という顔も持っており、自家製のサラダを自慢していたニューマンは、1982年、冗談半分で食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立し、サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功。設立以降挙げた純利益(2億2千万ドルとも)を全額、貧困に喘ぐ子供たちに寄付しているという。
カーレーサーとしては、1975年にレーシング・チーム(ここ参照)を設立し、1979年のル・マン24時間耐久レースでは2位にもなったが、レース中からずっとパパラッチがしつこく付いてくることに嫌気が差し、それ以来ル・マンにエントリーすることはなかったが、カーレースへの興味は晩年まで尽きず、擬人化されたレースカーが主人公のピクサーのアニメ映画「カーズ」(2006年)に声優で出たのが、最後の映画出演になった。
その翌・2007年5月25日に、現役を引退することを24日に出演したABCテレビの番組で表明したことが報じられた。この中で、ニューマンは「自分が求めるレベルの演技ができなくなった」「記憶力も自信も創造力も失い始めた」と引退の理由を語っていたが、1年後の 2008年の今日・9月26日、50年以上連れ添った妻や5人の娘(ジョアン・ウッドワードとの間は3人)・孫など愛する家族に看取られて亡くなった。
反抗的で野性味に満ちたヒーロー役が多かった演技派スター、ポール・ニューマンは、「明日に向って撃て!」の映画以降、知性を前面に出したスマートな役柄が増えていったが、何時の時代にも何にでも常に挑戦を続けた“理由ある反抗児”だったともいえるだろう。私の大好きな俳優の1人であった。以下では、映画「明日に向って撃て!」で、ブッチ・キャシディ役のポール・ニューマンとエッタ・プレース役のキャサリン・ロスが、雨にぬれてもの曲の流れる中自転車に乗ってデートをするシーンが見られる。最後にこの映画の名場面を見て彼を偲ぶことにしよう。
YouTube - Butch Cassidy and The Sundance Kid 明日に向かって撃て / 雨にぬれても
http://www.youtube.com/watch?v=hUVpYENQJMg
(画像は、「明日に向かって撃て!」のポール・ニューマン。向かって左端。画像はアサヒクロニクル「週間20世紀」1970年号より借用。)
参考:
※1:ポール・ニューマン- goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/c4237/index.html
※2:Yahoo!映画/ゴールデン・グローブ
http://info.movies.yahoo.co.jp/bin/search/a4/proaward/
アメリカンニューシネマの誕生とその時代
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/new-cinema.htm
ポール・ニューマン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3シネマ・イラストレイテッド | 明日に向かって撃て!
http://cinema200.blog90.fc2.com/blog-entry-59.html