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今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

立春

2010-02-04 | ひとりごと
昨日の節分が終ると、今日は「立春」。暦の上では今日から季節上は春。
しかし、まだまだ、唱歌「早春賦」の歌詞ではないが、「春は名のみの風の寒さや」・・といったところ。神戸、今日の天気は良いがよく冷え込んでいる。
しかし、この歌は良い歌だな~。こんな歌を聴いていると、かっての良き昭和の時代が偲ばれるよ。以下で歌が聞ける。
YouTube - 早春賦(歌:島田祐子)
http://www.youtube.com/watch?v=T9JrmC8Tsy0&feature=related
冒頭に貼付の画像は私の酒器のコレクションより、佐渡の無名異焼の少し大振りの盃「お多福盃」(赤玉土使用」)。
これらの盃は器の外側が鬼の図柄、内側がお多福の図柄となっており、このような盃は通常「鬼面盃」と呼んでいるが、この盃は、箱書きに「お多福盃」となっています。
これらの盃の図柄は「手の内に福を収めて鬼は外」を意味しており、縁起の良い盃とされている。又、俗に節分盃などとも呼ばれる。コレクションの鬼面盃はよーさんの我楽多部屋・CorectionRoomRoom3を見てください。
昨日の節分は、家で手巻き寿司を食べながら、この盃で福を頂ました(^0^)
節分などには、このような鬼面と冬を代表する「柊」などをお飾りに使うが、1日明けた今日立春には、春の花「椿」とお多福の面などをお飾りにすることが多い。
我が家の椿は、もう、咲ききってしまって余り綺麗な花がなかったので、お多福盃と一緒に写真が撮れなかったので、鬼面盃の裏と表の写真を並べて撮ったものを貼付した。
鬼よさらば、福来たれ・・・の積りです(^0^)。
今年は桜の開花も早そう。兎に角、早く温かくなって欲しいものです。
(画像は{お多福盃」)
参考:
早春賦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%98%A5%E8%B3%A6
無名異焼 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%90%8D%E7%95%B0%E7%84%BC
よーさんのガラクタ部屋・CorectionRoom
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/yousan/corection-room.htm

ブルー・ムーン

2010-01-30 | ひとりごと
今年の1月1日も月は大きくて赤みを帯びた美しい満月であったと、後日家人から聞いたが、私は、もう正月気分で、夕方早くからお神酒を頂良い気分になっていたので満月どころではなかった。
私のブログ仲間に、毎月満月のお知らせをしてくれる人がおり、”今月は満月が2回来る月でそれが30日だとBBSに書き込みをしてくれていた。そして、ひと月のうちに満月が2回あるとき、この2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶこと。本来、大気中の塵やガスの影響により月が青く見えたことを「ブルームーン」と言っていたのだが、1946年に「Sky & Telescope」誌の誤解により、ひと月のうち2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶようになった”と、いうことも教えてくれていた。
それでも、忘れかけていたのだが、今回は、家人が夕食前の夜の戸締りのとき、月を見て、大きな月が出ていることと、テレビで、1月30日の満月がいちばん大きい満月だそうだといっていたことを教えてくれた。見てみると、確かに、何時も見ている月よりは相当大きく見えた。
Yahoo!きっず星空[今年いちばん大きな満月 
http://contents.kids.yahoo.co.jp/hoshizora/topics/20100130.html]
月は地球のほぼ4分の1の大きさで、地球から38万km(平均距離)の軌道を回っているが、その軌道はまん丸ではなく、楕円軌道を描いて地球の周りを回っているのだから月と太陽の距離は近くなったり遠くなったりするので、近いところを通っているということなのだろう。最も近いときは約36万km、最も遠いときは約40万kmだそうだから、よく見ると月の大きさは約10%変化しているのだ。
何でも、『ブルームーン』を見ると幸せになるという言い伝えがあるそうだ。
来月2月は28日までなので満月がなく(これも珍しいことだそうだ)、3月も1日と30日の2回満月にるそうで、3月30日は今年2度目の『ブルームーン』ということになる。
1月30日に見れなかった人は3月30日に幸福が訪れるという『ブルームーン』ぜひ見てみてくださいね!
ただ、今年・2010年はブルームーンが2回もあるとても幸運な年・・・と言うことになるのかもしれないが・・・、今の民主党を中心とする政府の迷走ぶりをみていると、本当に幸せな年を実感できる年になるのだろうかね~。
(画像は、1月30日夕方6時ごろ、家の2階ベランダより撮ったもの。)

この町が好き

2010-01-17 | ひとりごと
2010(平成22)年の今日1月17日は、1995(平成7)年に起きた阪神・淡路大震災発生から丁度15年になる。
毎年1月17日は、東遊園地などの広場・協会などにおいて追悼式典が行われている。発生時刻の午前5時46分と、その12時間前と12時間後の午後5時46分に黙祷を行う。また、伊丹市昆陽池公園では、発生時刻の12時間前にあたる16日午後5時46分に黙祷を行い、ロウソクを発生時刻にあたる17日午前5時46分まで点灯している。神戸市中央区三宮にある東遊園地では広場に6,000本の灯篭で模った「1.17」が北側の神戸市役所庁舎正面に掲示される。また1995(平成7)年より毎年12月に、開催されている神戸ルミナリエの装飾は、イタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と神戸市在住の今岡寛和の共同作品であるが、阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されているものである。
春は魚たちが とびはねる
さくらふぶきながす 芦屋川
夏は子どもたちが あそんでる
白いヨットはしる あしや浜
海と山をそめて きょうもまた日が昇る
この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから
「この町がすき」作詞・作曲:後藤悦治郎
この歌は毎朝、芦屋市役所の始業時に流れている曲である。
芦屋市PTA協議会が、震災後に、市民を元気付けようと、「わたしの街芦屋」をテーマに市内の小学生から詩を募り、集まった詩をもとに「冬が来る前に」(1977年)などのヒット曲で知られているフォークデュオ紙ふうせんの後藤悦治郎さん(兵庫県西宮市在住)が、詩を書き直し、それに曲を付けたもので、この歌が出来たのは震災3年後の冬のことだと聞いている。
芦屋市内では、震災で建物は半数以上が全半壊し、死者も444名を出している。当時まだ、小学校の運動場には仮設住宅が残っていただろう。子どもたちが書いた詩を基に作られたこの歌は、芦屋市の庁舎だけでなく、市内の小学校でも唄われている。いわば、芦屋市の歌であり、CDには収められれおらず、広くは知られていないが、地元のコーラスグループなどの間で歌い継がれている。最後のフレーズの「この町がすき あなたがいるから ひまわりのような えがおに あえるから」…が好き。いい歌ですよ。 以下で歌が聞けるので聞いてみてください。
芦屋物語  http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
阪神・淡路大震災では、全体で、死者:6,432名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名の大惨事となった。大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、マグニチュード7.3、震度7の激震を記録した初めての地震であり、兵庫県南部を中心に大きな被害を出し、死者数は日本の戦後最多となった。被害状況等は阪神淡路大震災関連情報データーベース(総務省消防庁)神戸市 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災震災記録写真(大木本美通撮影)等を参照ください。
私の住んでいる神戸市内では、家屋の倒壊の上に、火災が重なった。特に木造住宅が密集していた長田地域などを中心に、地震直後発生した火災の被害が甚大で、近隣の建物に次々と延焼。須磨区東部から兵庫区にかけても6,000棟を越す建物が焼失してしまった。私の家は山手にあり、難を逃れたが、家から火災にあった街を見下ろす感じになるが、町全体が火の海であり 、その火災から逃れて山の方へ避難してくる人達の群で町はごった返していた。救助の為の人員も足らず、水も無く、倒れた家屋の下敷きになったまま、助け出すことも出来ずに、火炎の中で生きたまま焼け死んでいった人達も多くいたと後に消防隊員などの話を聞いたが、今その時の光景を思い浮かべれば、それは正に火炎地獄図である。
今年は、震災から15年と言うことで例年以上に各地での追悼行事が行われている。
マスコミなどでは、良く神戸は復興した復興したといわれる。時の経過と共に道路網も整備され、家も建ち、表面上は復興したかに見えるが、それは外見的なことだけである。特に、建物倒壊と火災等により壊滅状態になった神戸の西部地域は道路網などの復旧も遅れ、又、土地・建物等の権利関係の複雑さも絡み、企業や商店の復興も遅れた為、優良な企業や商店そして、人なども比較的復興の早かった神戸東部の灘区や芦屋市あるいは西宮市方面へ移転し開業、また住み着いてしまった人達も多い。そのようなことから西部地域は商店街等再開はしても消費が回復していないところへリーマンショック以来の不況が重なり、未だに、かっての活況は取り戻せていないところが多い。住宅街も、かって建物の建っていたところが駐車場となっているところが非常に多いし、空き地のままとなっているところもまだまだ多い。震災以降、地域格差が広がった様に思う。神戸の灘区や芦屋市のような東部地域は確かにこの15年で、復興し、震災時より人口も増えているところが多い。その反面、西部地域は回復が遅れ、人口も減少したままだ。
私は、神戸生まれの神戸育ち、明治開港以来、港を中心に繁栄を続けてきた神戸の町が、そして、自分達が子供時代から過ごしてきたこの町が大好きである。早く元気に明るくなった町を見たいものだ。
神戸市長田区のJR新長田駅南の若松公園には、阪神大震災からの復興のシンボルとして作られた鉄人28号の実物大モニュメント(高さ18メートル、重さ50トン)も完成し、昨年12月4日には完成式典も行なわれたが、同式典で井戸知事は「震災15年を迎えるのにふさわしい長田の新たな守り神ができた。街に元気を与え続けることを期待する」と述べていたが、私も心からそれを願っている。今日1月17日には新長田・鉄人28号前からラジオ関西による震災関連生放送などもされているはずだ。多くの人が参加してください。
(画像左:神戸市広報課発行「震災10年~神戸の記録~」より、須磨区被災状況4。右:コレクションより、1986・10・21ピッコロシアター【正式名称:兵庫県立尼崎青少年創造劇場】での紙風船リサイタルのチラシ。後藤悦治郎と泰代の夫婦デュオ)
参考:
紙ふうせん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E3%81%B5%E3%81%86%E3%81%9B%E3%82%93
阪神・淡路大震災 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
芦屋物語
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/index.html
震災記録写真(大木本美通撮影)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html
阪神淡路大震災 芦屋の記録~マグニチュード7,3の世界~
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/quake/index.html
阪神淡路大震災関連情報で^ターベース(総務省消防庁)
http://sinsai.fdma.go.jp/search/index.html
ラジオ関西:阪神淡路大震災15周年関連特番
http://jocr.jp/event/shinsai/index.html
鉄人28号 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7

寅年

2010-01-02 | ひとりごと
新年明けましておめでとうございます。
元旦は、神社・お寺等へのお参りはされましたか。私は、仏教徒なので、お寺にお参りし、今年1年良い年であるようお祈りをしてきました。
昨年は大変な年でしたが今年は本当によくなってほしいですね。
今年は寅(虎)年。
強者の象徴である寅(虎)には古来、千里を行き、千里を無事帰るという勇猛さを示す言い伝えがあるようで、これが十二支にまつわる相場格言「辰巳(たつみ)天井、午(うま)しり下がり、未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ。戌(いぬ)は笑い、亥(い)固まる、子(ね)は繁栄、丑(うし)はつまずき、寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)は跳ねる」にもなっているのだという。
私は占いなど信じないが、昨年の丑(うし)年は経済的のたしかにつまづいたが、後半は、前自民党政権の景気浮揚策等により、株式相場そのものは、少し持ち直したかに見えるが、エコノミストなどには、今年2番底もあるとの予想も多い。
確かに景気の回復には不安も多い年であるが、民主党連立政権は、何とか、寅(虎)千里を行くとして欲しいものですね。
このブログ。松の内は、1月中旬頃まで、休憩し、その後再開予定ですが、その際は、又、よろしく御願いします。
今年、皆さんにとって良い年である事を、心からお祈り申しあげます。
参考:
寅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%85
『住・建関連業者の集い』家とは?
>http://e-mokken3.blog.so-net.ne.jp/2009-12-31-1


東雲

2009-11-24 | ひとりごと
今朝6時20分過ぎ頃起きて2階の自分の部屋の窓を明け東南の空を見上げると、見事な朝焼けであった。見ている間にどんどんと色が変わっていく。あまりに綺麗ので慌てて写真を撮ろうと思うと、こんなときに限って、デジカメの電池が切れている。そのまた、予備電池がいつも置いてあるところに見当たらないので、とりあえず家人の使っているデジカメの電池を抜き取りそれを使ったが、もたもたしている間に10分以上経過しときには最初に見たときとは大分変化していたが、冒頭に掲載の画像が6寺30分~35分頃のものである。
時間 の流れの中におけるある一点(時点)を時刻 (じこく)と言うが、日本では、江戸時代の時間区分法は現代の定時法と異なり、日の出と日の入(または夜明けと日暮れ)の間をそれぞれ6等分する不定時法が使われていた。しかし、日本でも、当初は、中国の1日を12等分する定時法が導入されていたようで、不定時法が用いられるようになったのは室町時代ごろからだといい、天文や暦法で使う時法としては一貫して定時法であったようだ(Wikipedia)。
江戸時代に使われていた定時法どんなものかは、以下参考の※:「江戸で遊ぼう???」の江戸の時のところに説明はないが図示したものがあるのでそこを見られると良い。
『不定時法』は、太陽の動きに合わせて時刻を決める方法であり、季節によって時間の長さが異なるなど今の世の中のように時間時間で追われた生活をしている者には適さないが、自然の法則に従ってと生活をしていた時代の日本人には非常に適したものであったろう。今日は明け方の東の朝焼けの空の話であり時刻のことを書くつもりではないので、時刻のことはこれまでにする。
日の出(ひので)とは、“朝日が東の空に昇り出ることまたその時。天文学的には“太陽の上縁が地平線にくる瞬間”と定義されている。
つまり、太陽が地平線より上に昇る前から大気中の塵による光の散乱により空に薄明かりが射し始める。星が見え暗さが残る段階までを「明け方」、日の出前でも十分に空が明るい段階を「夜明け」として区別したりするが、日本語では、「明け方」から「夜明け」の頃を表す言葉がいくつかあるが、古語に東雲(しののめ)と言う美しい言葉がある。これは “一説に「め」は原始的住居の明かり取りの役目を果たしていた網代様(あじろよう)の粗い網目のことで、篠竹を材料にとして作られた「め」が「篠の目」と呼ばれた。これが、明かり取りそのものの意になり、転じて夜明けの薄明かり、さらに夜明けそのものの意になった。東の空がわずかに明るくなる頃。あけがた。あかつき。また東の空にたなびく雲”(広辞苑)をいうそうだ。つまり、闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる東の空を意味しており、 本来は夜半すぎから夜が明けるまでの間を「あかつき」(暁)、「しののめ」(東雲)、「あけぼの」(曙)空がほのかに明るくなった頃が「朝朗(あさぼらけ)」と細かく区分していた。
「東の空がわずかに明るくなる頃」・・としては、古今和歌集恋の歌637に、「東雲のほがらかと明け行けば己が衣着ぬなるぞ悲しき」(読人知らず)がある。
これは、“東の空が白み、ほのぼのと明けてきたので、それぞれの衣を着て別れることが悲しいことであるよ”といった意で、 当時は通い婚で、男性は夜一緒に寝て、朝が明ける前に自分の家に帰っていた。そして同衾(どうきん=一つの寝具の中に一緒に寝ること。特に、男女が特別な関係を持つこと。ともね。)の際に、二人の着物を重ねて掛けていた。そういった風習から「後朝(きぬぎぬ=衣着ぬ)の別れ」という言葉が出来たようだ。日本語の柔らかさとともに、ほのかな情感が伝わってくる言葉である。
「暁(あかつき)」は、“昔は夜をを3つに分けた第3番目「宵」「夜中」の次が「暁」で、古くは、暗いうち、夜が明けようとするとき”をいった。古今和歌集恋の歌625には「有明の つれなく見えし 別れより 暁(あかつき)ばかり 憂きものはなし」(壬生忠岑)がある。平安時代以前は「あかとき」といっていた。
「曙(あけぼの)」は、夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始める頃。あさぼらけ。”をいう。枕草子第1弾に出てくる「春はあけぼの(曙)」の言葉が有名(以下参考の※「古典に親しむ:枕草子」参照)であるが、これ以降、春の明け方をいうようになったようだ。
「朝朗(あさぼらけ)」は、朝がほんのりとあけてくる頃。を言う。「あけぼの」、「しののめ」とおなじ。古今和歌集冬332に「朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪」(坂上是則)の有名な歌がある。「有明けの月」は夜明けにまだ空に残る月。月の出のおそい陰暦の廿日前後の月をいい、歌の意味は「ほのぼのと夜が明けるころ明け方の月の光かと思うほどに吉野の里に降り積もった白雪であることよ」といったところか。
明け方は他に黎明(れいめい)や彼誰時(かわたれどき)などがある。
以下参考に記載の※:「昼の長さ夜の長さはなぜ変わるの?」によると、神戸の2009年11月24日・今日の日の出時刻は6寺42分と言うことだが、「朝朗」は主に和歌に用いられ、秋冬と結びつけて使われることが多いようなので、今朝私が見た東の空の朝焼けなどは「朝朗」と言うことだろうか。
今頃の朝方の東の空は5分、10分単位で景色が変わる。ちょっと朝早く起きて、中世の歌など思い浮かべながら一時を過ごすのも良いと思うよ・・・。古今和歌集の恋の歌などは以下参考の※:「古今和歌集の部屋」を参照されると良い。詳しく解説されているよ。
また、マラルメ、ヴェルレーヌと共にフランス象徴派・三大詩人の一人とされるランボー(以下参考の※:Yahoo!百科事典参照)が1886年に発表した詩集『イリュミナシヨン』の中の詩の” Aube” は「曙」「黎明」「暁」とも訳されており、ランボーの詩の中でも特に美しい詩として知られているようだが、夜明けと恋は関係が深いんだな~。興味のある人は以下参考の※:「夜明け/アルチュール・ランボー「イリュミナスィオン」 門司邦雄による翻訳・解読」を見られると良い。
(画像は2009年11月24日明け方の東の空)
参考:
※:江戸で遊ぼう???
http://www.k3.dion.ne.jp/~edo-cad/koyomihyoushi.html
※古典に親しむ:枕草子
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/makuranosousi.htm
※:昼の長さ夜の長さはなぜ変わるの?
http://www.saga-ed.jp/workshop/edq01460/
※:古今和歌集の部屋
http://www.milord-club.com/Kokin/index.htm
ランボー - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC/
※:夜明け/アルチュール・ランボー「イリュミナスィオン」 門司邦雄による翻訳・解読
http://rimbaud.kuniomonji.com/illuminations/aube.html
明け方 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E3%81%91%E6%96%B9
時刻 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%9A%E6%99%82%E6%B3%95
江戸の時刻制度"不定時法":お江戸の科学
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/03/kaisetsu1.html
新古今和歌集散歩
http://www.geocities.jp/keisukes18/sinkokin.html
21b 歳時を詠める和歌
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/88/8812/t21/881221b.htm
枕草子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90