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今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

秋・萩・月

2012-09-01 | ひとりごと

今日は9月1日。現在、用いられている太陽暦(グレゴリオ暦)では、年始から245日目(今年は閏年。平年では244日目、)にあたり、年末まではあと121日ある。1年を365日とすれば、丁度年始より、3分の2を経過し、残り3分の1を残す勘定となった。

日本の四季では、である。

秋とは、社会通念・気象学では9月・10月・11月を言うが、二十四節気に基づく節切りでは立秋から立冬の前日までをいう。

そのことから、立秋になると「今日は立秋。暦の上では秋に入りましたが、相変わらず暑いですね」などというコメントがあるが、二十四節気とは、分かりやすく言えば、昼と夜の長さが等しくなる春分と秋分を基準とした暦のこと。春分と秋分は、一年に2回地球の自転軸が太陽-地球と垂直になる瞬間であるが、後は、それを基に、特に重要な中気である夏至・冬至の二至を決め、一年を二四等分(約15日ごとに分け)し、立春や立秋など機械的に名付けもの。

夏至と秋分の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、立秋から立冬の前日までが秋となるが、暦の上での立秋(現在の暦では8月7日)は、暑さの頂点であり、徐々に暑さが緩むのはその翌日からなので、このコメントはおかしい。それは、立秋の次に控えているのが「処暑」(8月23日ごろ)であり、処暑は、暑さがやっと一段落し、過ごしやすくなるという意味なので、暦の上でもこのころまでは暑いぞ、ということを言っているのだから・・・。立秋の翌日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになっているのもそのためである。

二十四節気をさらに約5日ずつに3分した七十二候略本暦)の「次候」(平年8月28~9月1日)でやっと、「天地始粛=ようやく暑さが静まる」」となり、秋らしさを感じるようになるはずなのだが、今年の場合は、この時期でも日本列島に太平洋高気圧がいつまでも居座っていることから、残暑と言うより猛暑日が続いており、この暑さの治まるのは、「末候」(今年の場合9月3日以降)となってからのことのようだ。ただ、昨日夜遅くから、今朝まで降り続いた大雨が涼しくなるのを早めてくれば良いのだが・・・・。

昨・2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波及びその後の余震により、福島第一原子力発電所事故が引き起こされたことから、電力不足(東日本大震災による電力危機)が起こり、電力料金は値上げされ、その上、企業だけでなく我々庶民にも節電が求められた。

そして、長く続く猛暑の中、熱中症と闘いながら、今日まで、必死に耐えてきたが、この暑い夏、結果的には、停電など何処にも起こらなかった。

閏年の今年は、先日7月27日から8月12日までイギリスのロンドンで開催された第30回夏季オリンピックには、204の国と地域から約11,000人が参加し、実質19日間(開会式に先立ち男女サッカーの一部試合が行われた2日間を含む)に26競技302種目が行われ、日本は金7(男子3、女子4)、銀14(男子8、女子4)、銅17(男子10、女子7)計38個(男子21個、女子17個)と過去最高のメダルを獲得し、メダルの獲得数では、アメリカ、中国、ロシア、イギリス、ドイツに次いで第6位と健闘した。ただ、最初から日本の特技・柔道の軽量級などでつまずき、金メダル数では、豪州、カザフスタンと並び10位タイと残念ではあったが、今大会は最高に盛り上がったのではないだろうか。

ただ、時差の関係で夜から未明にかけてのテレビ中継に、節電のことも忘れて応援に熱中し、日中は「時差ぼけ」に悩まされた人も多かったことだろう。

それでも、この夏停電が起こらなかったのは、結果的には企業や庶民の節電努力と言うことになるのだろうが、私なども、節電は心がけてきたものの、この夏の猛暑には耐え切れず、クーラーなどの稼働時間数も昨年よりは増えている・・・。そんなことを考えると、政府や電力会社の言っていたこの夏の電力不足問題には、今後も原子力発電所を稼動しなくては、電力が不足し、困るぞという企業や国民への脅し的なものもあったような気がしないでもない。

いずれにしても、今後、日本のエネルギー政策上、原発稼動問題は大きな政治テーマーとなることだけは間違いない。

二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日雑節のひとつに二百十日がある。

この日は、立春を起算日(第1日目)として210日目、つまり、立春の209日後の日であり、21世紀初頭の現在では平年なら9月1日(閏年の今年は8月31日)。

台風襲来の特異日とされており、八朔旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされている。

しかし、210日頃の台風はむしろ少なく、統計的には二百十日よりも二百二十日(平年なら9月11日、閏年なら9月10日)の方を警戒する必要がある。

ただ、1923(大正12)年、偶然この年の二百十日にあたる9月1日に関東大震災が発生したため、在来の二百十日と併せて災害についての認識と心構えの準備を喚起する日として、1960(昭和35)年、防災の日 」に制定されている。

1995(平成7)年1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災以来、日本各地で大きな地震が頻発しているが、今、日本列島は断層の活動期に入ったといわれている。

先日(8月29日)、国の二つの有識者会議によって発表された東海、東南海、南海地震などが同時発生するマグニチュード(M)9級の「南海トラフ巨大地震」についての被害想定などによると、死者数は最大で32万3000人。そのうち津波による死者は全体の7割の23万人に達するという。有識者会議は、「最悪クラス」の地震起きる可能性は低い」とも指摘しており、適切な非難行動や対策をとれば死者数を最大の5分の1程度に減らせると言うが、それにしても、6万人以上の死傷者が出る勘定になり、恐ろしい限りだ。

それに、昨今は異常気象による猛暑や日照不足、局地的な豪雨などによる災害も各地に頻発している(日本だけでなく世界的にも異常気象は見られる)が、これからの時代、このような異常気象が異常とは言えず普通のことになるかもしれないともいわれている。

もう、このような災害事例はいくつも報道されていることである。それをよそ事とせず、いざ自分が災害にあってから泣き言を言わないように、各人それぞれが、地震や津波だけではなく、あらゆる災害を想定した防災対策・自衛策を講じておかなくてはいけないだろう。

暑い暑いといいながらこのようなことを書き出したのだが、さすが今の時期になると、早朝や日差しがかげたころになると、ひんやりとした風がそよぎ、ふと秋らしさを感じることもある。もう数日の我慢である。

夏の蝉は次第に鳴りをひそめ、赤とんぼの群れや、虫の声が耳にとまるようになる。

秋は春と肩を並べるにぎやかな季節である。様々な花が咲き、稲が黄金に色付き、栗、梨、葡萄などとりどりの果実が店頭を飾るようになる。台風がしばしば日本を襲い、秋雨が長く続くこともあるが、晴れた空は高く澄み渡り、俗に「天高く馬肥ゆる秋」ともいわれる食べ物も美味しい季節だ。

秋の花としては秋の七草が有名である。秋の七草と言えば山上憶良の詠んだ歌が有名で、現在の秋の七草とされる花はこの憶良が数え上げた花である。

山上臣憶良が秋野の花を詠める歌二首(万葉集に掲載※1参照)

巻8-1537:秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

巻8-1538:萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花

ハギ」(萩 Lespedeza)は、マメ科ハギ属の総称で、落葉低木。分布は種類にもよるが、日本のほぼ全域。普通にはヤマハギ・ミヤギノハギを指す。枝の先端から多数の花枝を出し初秋に紫紅色または白色の花をつけ、花は豆のような蝶形花。「萩」の字は「草冠に秋」と書くが、この文字は国字(日本生まれの漢字)である。

萩は秋の七草に数えられているので草花かと思う人もあるかもしれないが、山上臣憶良は万葉集の中で七種(ななくさ。七つの種類)の花として萩を挙げているので誤解のないように・・・。因みに、日本のハギの漢名は、「胡枝花」(こしか。胡枝子とも書く)だそうで、中国名の「萩」は日本の萩とは別の植物で、キク科ヤマハハコ属の植物ヤマハハコなどを指すと言われているようだ。(※2)。

秋を代表する花として、古くから日本人に親しまれ、『万葉集』で最も多く詠まれている花が萩であり、『万葉集』に詠まれた植物は 160種類以上あるそうだが、そのうち萩が142首を占める。これは桜の3倍以上の数だそうで、如何にに日本人が萩の花を好んでいたかが窺がえる。

しかし、『万葉集』の原文ではハギの歌に「萩」の字は全く使われていない。日本で萩の漢字が見られるのは平安時代中期に作られた辞書『和名抄』(⇒和名類聚抄、931年 - 938年編纂)からといわれる。

『万葉集』前半では、「芽」また、多くは「芽子」、後半では「波疑」(波儀とも)という万葉仮名で表わされている。(※「たのしい万葉集」の萩(はぎ)を詠んだ歌参照)。

萩の語源は「生(は)え芽(き)」だとする説が有力のようである。萩は古い枝には花をつけず、毎年、春に必ず古い株から芽が生えてくることからきているのだという。その芽が伸びた枝にだけ花をつける。それがハギに「芽」「芽子」の字を宛て由縁だろう。

ただ、万葉集でこれほど多くのハギの歌が多いのには、日本人にとって、萩はさまざまな意味で象徴性の豊かな植物であったからのようだともいう。

萩の開花期は、稲・粟・稗などの収穫期に重なり、豊かに咲きこぼれる萩の花は、豊穣の秋のシンボルであったが、そのほか、萩の花は性的な象徴物でもあったようだ。

端的にみると、豆のような蝶形花である萩の紅い花びらからは女性器を想像させ、その花の形からハギを「芽子」と見立てた可能性があるという。この字をそのまま文字通り訓読みすればわかるように、古来、女性器の部分を「芽」、「芽子」、「御芽子」と表現していたようだから・・・(※:3、※4:「やまとうた」和歌歳時記>萩の花参照)。

そして、万葉集にはシカ(鹿)を詠んだ歌が、68首あり。そのほとんどは、鹿の鳴く声を詠んだもので、歌の中では、鹿・さ牡鹿・猪鹿(しし)などという形で詠みこまれている。「さを鹿」とは、雄鹿のことで、雄鹿は冬に角を落として、春に新しく角を生やし始め、秋に一番角が大きくなるために、「さを鹿」は、特に秋を象徴する動物として認識されていたようだ。そして、萩は牡鹿とのペアで詠まれた歌が多いが、牡鹿の角は男性の生殖器の象徴とも見られていたようだ。

鹿とともに萩を同時に詠みこんだ歌が多く見られれ、(※:1「たのしい万葉集」の鹿を詠んだ歌参照)。万葉集第八巻 秋の雑歌の中に以下のような歌がある。

1541:我が岡に、さを鹿(来(き)鳴く、初萩の、花妻(はなつま)どひに、来(き)鳴くさを鹿 (作者: 大伴旅人)

意味::私の住む岡に、牡鹿がやってきて鳴いている。萩の花に求婚しにやってきた鹿が。

「妻どひ」とは、求婚することで、「花妻どひ」は、萩の近くにやってきた牡鹿のことを、萩に求婚しに来た、というように表現している。

1550:秋萩の散りの乱(まが)ひに呼びたてて鳴くなる鹿(しか)の声の遥(はる)けさ(作者:湯原王。※:4:「やまとうた」のここ参照)

意味:秋萩の散り乱れる中、妻を呼び立てて鳴く鹿の声が遥かに聞こえることよ。 

以下参考に記載の※4:「やまとうた」は、和歌を主題とするブログであり、その中の和歌歳時記>萩の花に以下の歌も紹介されている。

 ・なびきかへる花の末より露ちりて萩の葉白き庭の秋風(伏見院 『玉葉集』 )

・秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露( 藤原定家 『拾遺愚草』 )

萩が咲き添うにつれ、日没後の冷え込みは強まり、夜は目立って長くなる・また、上掲・定家の歌では、月と萩の下露が恋人同士に擬えられている。

万葉の時代から、歌人たちは秋風・露・月・雁など秋の代表的風物を萩の花に交錯させて歌に詠むことを繰り返してきた。

現在花見と言えば桜であるが、万葉集に桜と思われる花の歌は40首あまり残されているものの、この中に花見を思わせる歌は一首もなく、万葉集で「花見」と言えば梅と萩の二種であったが、当時、「梅」が大陸渡来の樹木であったのに対して、「萩」は日本古来のであった。

巻10-2103: 秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に(作者: 不明)

意味: 秋風が涼しくなった。さあ、馬を並べて野に萩の花を見に行きましょう。当時、渡来樹木の梅は貴族の庭園に植樹されていたのに対して、野にあった花を花見に行くのはハギだけであった。

巻8-1598: さを鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 玉と見るまで 置ける白露(作者:大伴家持

意味:: 牡鹿が朝に立っている野の秋萩に、玉のように美しい白露がついている。

この歌は、題詞に"大伴宿禰家持の秋の歌三首"とある。また後記に、"右のものは、天平十五年癸未秋八月に、物色を見て作れりなり。"と注がある。"物色を見て作れり"とは、実際に物(風景)を見て作ったということであるが、絵に描いたような典型的な秋の景色が詠われている。

しかし、穿った見方をすれば、そのような注記をしなければならないと言うことは、裏をかえせば、万葉の時代すでに、貴族の庭園は深山幽谷を模して、自然の景色を再現したものが尊ばれていたに違いなく、「萩」を詠った歌にも、実際には庭園の萩を見て詠ったものが多くあったのではないかとも想像できるのだが・・・。

いずれにしても、万葉の頃に愛された萩の花見の習わしもすっかり忘れられてしまった昨今、萩の花の咲くこの季節にもう一度、万葉の昔に思いをはせて、萩の花見などしてみてもいいのいではないか。

又、この時期は、昔から「月といえば秋」といわれるほどに、高く澄んだ夜空に浮かぶ月の輝きが美しい。とくに9月の中旬、もっとも月が輝く中秋の名月いわゆる「十五夜」は、今年の場合、満月にあたり、鑑賞には最高だ。

巻10-2228: 萩の花 咲きのををりを 見よとかも 月夜の清き 恋まさらくに(作者不明)

意味:「咲きのををりを」の「ををり」とは、「たわむほどに」という意味らしい。萩の花が たわわに咲き乱れる様を 見よとばかりの 今宵の月の清らかさよ。見れば かえって(余計に)恋しさが募るというのに 。

月を眺めているとなんとなくロマンチックになり、又、人恋しく、そして切なくもなるようだ。

「秋の夜は 長いものとは まん丸な 月見ぬ人の心かも 更けて待てども 来ぬ人の 訪ずるものは 鐘ばかり。」 (端唄『秋の夜』)

秋の夜が更け、待っている恋人は現れず、ただ満月の光に照らされて、鐘の音を指折り数えている・・・、という切ない気持ちを歌った端唄の名曲であり、幕末に流行したようだ。以下で聞ける。

端唄(はうた) - 歌唱編|文化デジタルライブラリー

萩の花を鑑賞し、月見を楽しむ頃、あちこちからかすかに虫の音が聞こえ始める。秋の夜、散歩をしていても身近な秋の自然が心身を癒してくれる。四季に恵まれた日本人にとって、秋は格別の季節ですね~。

参考:

※1;たのしい万葉集

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/

※2:萩、白萩、山萩、野萩 - NPO法人双牛舎

http://sogyusha.org/ruidai/03_autumn/hagi.html

※3:男の愛する花 鴨頭草(ツキクサ) と秋芽子(ハギ)(Adobe PDF)

http://image02.wiki.livedoor.jp/d/o/dokatakayo/3fccf245c4ed5650.PDF

※4:やまとうた

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html

国立天文台 | ほしぞら情報2012年8月

http://www.nao.ac.jp/astro/sky/2012/08.html

 

二十四節気とは

http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/calendar/nijuusi.htm

ロンドンオリンピック2012 - JOC

http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/

池田信夫 blog : バランスの取れたエネルギー政策 - ライブドアブログ

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51806937.html

aサロン(記者ブログ)_科学面にようこそ_日本列島は地震の活動期か

https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/2ox4SXZ9zg

南海トラフ 巨大地震と津波の被害想定 NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120829/k10014624091000.html

気象庁 | 日本の異常気象

http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/longfcst/extreme_japan/index.html


夏休み

2012-07-20 | ひとりごと

四国から関東甲信越地方で梅雨が明けた17日、群馬県館林市で39,2度を記録したほか、京都市で36,4度、大阪府枚方市で35,6度などと西日本でも今年一番の暑さを迎えた。

気象庁によると、全国930の観測点のうち75地点で35度以上、516地点で30度以上を記録し、急激な厳しい暑さに慣れていない人達が、熱中症で病院に次々搬送されていた。18・19日も暑い日が続いた。

こんな暑い中、私がパソコンをセットし使っている2階の部屋は、南向きで風通しも良いが、我が家で一番日当たりが良く、冬などは非常に過ごしやすいのだが、これからの真夏日は、自然の風も熱風のようなもので、かえって暑く、冷房を入れないと、遮光用のシートを張って扇風機を使ったぐらいでは、パソコンからの放熱だけでも鬱陶しくて、パソコンを使用する気がしなくなる。

それで、毎年、夏場はブログの作成を中止しているのだが、今年も、このブログを書いた後、明日から、8月一杯は、ブログを休止しようと思っている。

そこで、今日は何をテーマーに書こうかと、簡単に短文で書けるいいネタはないかと、日本記念日協会の7月20日の記念日をみていると「夏割りの日」があった。

いよいよ、本格的な暑い暑い夏を迎えて、もう、日中に屋外へ出かけることを考えただけで憂鬱ななこの時期だけに、「夏割り」と聞けば、夏の暑い中をわざわざ家族で旅行したり、買物に出かけてくれるのなら値段を特別に安く割引いてあげよう・・・という、ちょっと、気の利いた夏限定の割引セールの一種かと思っていたのだが、それは大違い。

 記念日を制定したのは、キリンビール株式会社。和酒や洋酒などを炭酸や好きな飲み物などで割って、夏らしいドリンクを楽しむ「夏割り」のPR(※1参照)のためのものだった。日付は7と20で「夏割り」と読む語呂合わせから・・・。

ま~、誰しも、暑い夏は食べ物も飲み物も冷たいものが欲しくなるし、冷たいビールなど最高だが、酒や洋酒なども好みの飲料で割って、夏らしいドリンクを楽しむ。それはそれでいいだろう。ただ、夏に余り冷たいものを摂りすぎると、内臓が急に冷やされ消化器官の機能が低下し、食欲が落ちたり、下痢、夏バテなどを引き起こす原因となってしまうのでご注意を・・・。

特に、甘み(糖)は冷たくすると感じにくくなり、糖質の含まれた冷たい食べ物や飲料を多く摂ると糖質過多にもなり易い。だから、冷たいといっても、キンキンに冷えているものではなく、「少し冷たい」と感じられる程度のものに抑え、糖質の余り含まれていないものがいいだろうね。

ところで、7月20日(金曜) の今日、神戸市の公立の小学校、中学校、高等学校などは、1学期の終業式が行なわれ、明日から第2学期の始業式のある9月3日まで、長い長い「夏休み」となる(※2)。

朝の登校時間の前ごろから神戸の私の家付近ではあいにくの大雨で、雷が近くでゴロゴロと鳴っている。折角の雨でずぶ濡れになっているのではないかな。しかし、子供達にとっては明日から嬉しい夏休み。だが、親にとっては、大変なのだろうな~。

例えば、今年の西日本の場合、記録的猛暑だった昨夏ほどではないが、8月は平年より低い:20%、平年並み:40%、平年より高い:40%となっており、8月に高温傾向が特に現れており太平洋高気圧の張り出しが強まって、暑い夏となりそうだ(※3)。

昨年3月11日の東日本大震による被害で福島第一原子力発電所事故を起こして以来、日本国内の原子力発電所稼動問題などから、この夏季以降も電力の供給不足が懸念され、料金のアップだけでなく、政府、電力会社から節電を強く要請されている。許容量を超えると計画停電も止む無しなどと脅されると、厭でも節電しなければ仕方がない。

職場などでは、会社の節電対策で「エアコンの設定温度28度を厳守する」などといわれ、うだるような暑さに耐えながらの仕事をしている人も多いことだろう。事務所でのエアコンの設定温度などについては、事務所衛生基準規則 での定めもあり、それ以下の厳しい環境になっている場合は、健康上の問題もあり、参考※5:「節電と事務所衛生基準規則について」など一読し、改善すべき点などは会社に要望をしても良いだろう。

今年は、野田政権社会保障と税の一体改革を言いながら、社会保障は棚上げにしたまま、自・公・民三党合意(談合?)で消費税増税だけはあっさりと決めてしまった。(現在参院特別委員会で実質審議中、※4参照)。

所得の低い人は、先のことが心配で、せっかくの夏休みに家族旅行も中止し、費用のかからない近場のショッピングセンターなどでのイベントや海水浴などで過ごす人も増えているかも知れないし、家にいるとしても、節電でエアコンの使用もままならないないとなれば、今年は、本当に、暑い、辛い夏になりそうだ。

兎に角、この暑い夏は、ハードな運動はさけ、余り冷たいものは摂らないようにして、気温の低い朝の間などに、こまめに水分補給や休憩を行いながら適度な散歩や軽い運動をして、暑さに負けない体力づくりをすることが一番望ましいだろう。それと、熱中症の心配をしなければいけないほどの余り過度な節電はしないようにしよう(※6参照)。

熱中症は、自分で意識しないうちにかかるものだそうで、私も、朝急に足のこむら返りを起したりしてびっくりしたが、これも熱中症が原因だそうで、夜寝ている間に汗をかき水分不足になっているらしい。年をとると、喉の渇きも感じにくくなり、どうしても水分不足になるというので、私たち夫婦は家の中にいるときでもいつも水を入れたペットボトルをそれぞれが1本づつ手元においているのだが、ほっと気がつくと飲み忘れていると言うことが多い。相当意識をして飲むようにしないといけない。

上掲の画像は、私のコレクションである映画のチラシで、1994(平成6)年製作の金子修介監督の映画「毎日が夏休み」である。

この映画大島弓子の少女漫画が原作。昨年8月にNHKBSプレミアムでも放映されていた。“山田洋次監督が選んだ日本の映画家族編50作品”(※7)にも紹介されている名画である。

学校でのいじめが原因で登校拒否になっていた中学生のスギナ(佐伯日菜子)は、エリート会社員の義父成雪(佐野史郎)が時間をつぶすために行っていた公園でばったりと出会う。実は成雪も出社拒否(退職済)で、毎日が夏休みになっていたのだ。この出社拒否と登校拒否の親子が何でも屋をはじめるが、娘の成績優秀と夫のエリートぶりが自慢の種だったママ良子(風吹ジュン)は、ついにキレてクラブのホステスに……。

出社拒否と登校拒否の親子が、互いに協力して道を切り開いてゆき、実質上崩壊している家庭が、最後には見事に再生されてゆく。本来深刻な悩むべき問題を、コミックからの作品らしく、夢の有る明るく、前向きに描いたユニークな物語である。自分が思いがけなく必要とされていることのわくわく気分を演じた、13歳のヒロイン・スギナ役を佐伯が好演、佐野と風吹が佐伯を飄々とした味で支えている。映画をみた人達の感想はすこぶる良い(※7参照)。親子でこんな映画をDVDで見るというのも夏休みのいい過ごし方かも知れない。

今、大津市立中学2年の男子生徒(当時13)が昨年(2011年)10月に自殺した問題(いじめが原因であろうとされている)が連日マスコミで報道され話題となっている(※8)が、このような話を聞くと実に哀しくなる。

学校でのいじめや嫌がらせ、又、会社の職場や、地域社会など、集団の中では、昔から、多かれ少なかれ、いじめや嫌がらせはあったが、最近の学校などでのいじめの話を聞いていると昔のいじめとは大分違ってきたように感じる。

昔は、男の子の場合など、学校でも、住んでいる地域の中でも、何処にでもごんたくれ がいて、人をからかったり、仲間の者に使い走りをさせたりしているのを私なども多く見てきた。しかし、当時はかなりオープンに人前でも平気で堂々と単独で、威張ってやっていることが多く、今のように集団で影に隠れてこそこそ、しかも陰湿なことは余りしなかったと記憶をしている。女の子の場合は知らないが、・・逆に女のこの方が影で陰湿ないじめをしていたかもしれない。

私たち戦前産まれの年代の者だと、「男は男らしく」、「女は女らしく」というのが、躾や教育の基本であった。良くも悪くも、こういう決まりごとは世間の誰もが認知していたので、強いものが弱いものをいじめたり泣かせたりするのは男らしくないと回りから馬鹿にされるし、ましてや、陰に隠れて集団でいじめをするなんて男のすることとは考えられないことであった。だから、普通力の強い腕白なごんたくれたちが、たいたずらやからかい半分のいじめのようなことをしても、度が過ぎると回りの者が見ているので、大人の場合だと直接叱るし、学校などでも、見ている子どもたちが皆で注意し、それでもやめないと、「先生に言いつける」ぞと言うとやめるのが普通だった。それはどんなごんたくれにも、「わしも男だ」というプライドがあったからだろう。男が同じ男社会から認められないほど辛しことはないからね~。

戦後の民主化とともに男女同権運動の一層の広がりは良いのだが、それまでの、行動規範ともいえる「男の子は男の子らしく」とか「女の子は女の子らしく」と言ったことを口にすると、それは、ジェンダーだと非難されてしまう。戦後シームレスと女性は強くなったと云われるように、女性はあらゆる分野での束縛から解放され社会へ進出し、強く逞しく生きている。その反面、敗戦に打ちひしがれ、自信喪失した男性は、男としての生き方が見つからないまま、卑屈で、ひ弱になってきているように思えて仕方がない。それは戦後生まれの男子の教育のあり方になどにも関連していると思うのだが・・・。

ああ!非常に大きな雷がすぐ近くで鳴り出した。パソコンがやばいので、この話はこれまでとしよう。いじめ問題を考えているうちに、ついこんなことをぐちってしまった。

もう現役を退き、ブログを書くことぐらいしか特にしなければならないことのない私ですが、兎に角、暑い夏の期間はブログの方も、小・中学生並みに、明日7月21日から9月の上旬まで、夏休みとさせていただきます。今までの訪問有り難うございます。

暑い夏!くれぐれも熱中症には気をつけて、乗り切ってください。

再開の節は又の訪問、宜しく御願いします。

(冒頭の画像は、7月18日朝日新聞朝刊より借用)

参考:

※1:KIRIN_夏を冷やそう!夏割り

http://www.kirin.co.jp/about/natsuwari/index.html

※2:神戸市:神戸市立学校園式典一覧

http://www.city.kobe.lg.jp/child/education/ceremony/index.html

※3:Tenk.jp近畿から沖縄、暑い夏に

http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-4714.html

※4:中国新聞

http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201207190097.html

※5:節電と事務所衛生基準規則について - 現代の臥竜窟

http://blogs.yahoo.co.jp/taka_007jp/52327788.html

※6:「節電で熱中症」ご注意 専門家、注意呼びかけ - 朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106090218.html

※7:山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 家族編::毎日が夏休み

http://www.nhk.or.jp/yamada100/review/review_mainichi.html

※8:朝日新聞デジタル:大津・中2自殺 教職員への聴き取り、記録残さず

http://www.asahi.com/national/update/0719/OSK201207190039.html

 毎日が夏休み - goo 映画

http://movie.goo.ne.jp/movies/p28324/index.html

民主党政権、モ~末期的!これが“離党予備軍”74人だ -

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120718/plt1207181810007-n1.htm

一体改革法案 3党合意ベースに議論深めよ読売新聞‎

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120719-OYT1T00027.htm

気象庁:サイトマップ

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/sitemap.html

 夏休み - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E4%BC%91%E3%81%BF

日本記念日協会

http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html

 

 

 


蝉の初鳴きを聞いた

2012-07-15 | ひとりごと

今日は朝から蒸し暑い。
しかし、神戸の私の家は、少し小高いところにあるので、いつも少しは南風が吹いている。
又、ここのところその南風が冷たくて、家の中にいると以外に過ごしやすい。
今朝起きて、裏庭の木に水をやっていると地面に大きな穴がある。
ひょっとしたら蝉が孵化しているのではと思って、その辺の木を見ても見つからなかったのだが、私の家の庭の塀といった感じで建っている造成地で一段下の向かいの家の壁に蝉がしがみ付いていた。
その蝉は鳴きもしなかったが、食時後、整形へリハビリに行って11時半ごろ帰ってきたとき、家の直ぐ近くの児童公園でかすかな小さな蝉の鳴き声が聴こえた。
セミセミセミ・・と弱弱しい鳴き方だったが多分クマゼミではないかと思う。
急激に気温が上ったので慌てて出てきたもののまだ、地中から出てくるには少し早かったのだろうか・・・、数は少ない。
我が家の裏庭の先の家にしがみ付いていた蝉がどうしてるかと再度見たときにはもういなかった。
長い地中生活からやっと出てきた蝉の地上での命は短い。相手を見つけてくれるといいのだが・・・。
蝉の話は、少し、早すぎると思いながら、俳諧師松尾芭蕉が、山形市立石寺(山寺、正式には宝珠山阿所川院立石寺)に参詣した際に
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだとされる、日付にちなんで、5月27日に書いた。
この句また蝉の話に興味のある人は以下で読んでください。

松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだ日


メルヘン

2012-06-26 | ひとりごと
1週間ほど前のブログで、日本記念日協会に登録されている6月19日の記念日「ロマンスの日」に、「ロマンス」をテーマとして、歌謡曲や映画のことをあれこれと書いた(※1参照)。
その時、日本では、「ロマンチックな人」のことをロマンチストなどと言っているが、そもそも「ロマンチスト」は和製英語であり、英語での正しい綴り“romanticist” (ロマンティシスト)は、“ロマン主義”romanticism“を信奉する人。ロマン主義者、つまり、ロマン派文学者・芸術家を言うことが多い。
ただ、日本語のロマンチストの意味に近いのは"romantic"であり、“現実を離れた、甘美な空想などを好む人。夢想家。空想家”を言っている・・・が、そういえば、日本語には、このような和製英語が多いがその中に、「ロマンチック」によく似た言葉、「メルヘンチック」があった。それが気になっていたので、今日は、「メルヘン」をテーマに書いてみることにした。
メルヘン」(ドイツ語:メルヒェン、Märchen)は、おとぎ話(説話)。昔話( Yahoo!百科事典も参照)。伝承民話のように民間に語り継がれた物・口承文芸(民間メルヘン。フォルクスメルヘン、〔Volksmärchen〕参照) また、それらを元に創作された創作童話(創作メルヘン、クンストメルヘン、〔Kunstmärchen〕参照)など、妖精小人魔法使いなどが活躍するドイツ発生の散文による空想的な物語である。
その文学形式は、英語ではフェアリーテール(Fairy tale、妖精物語)、フランスではコント(contes de fée)と呼ばれるものに相当するものである。
ドイツ語メルヘン“Märchen” の語源は、“Mär”="Maere"(知らせ、噂、面白い話)に、「小さい」を意味するドイツ語の指小形の“chen” が付けられたもの(※2.※3参照)で、メルヘンという言葉は「ちょっとした知らせ、噂話・情報」といった意味になるが、15世紀には、そのような、メーレ(Mär)と呼ばれるの文体の短い物語があったようである。
18世紀にフランスの妖精物語や、『千夜一夜物語』がドイツ語に訳され、これらをメルヘンと呼ぶようになったようだ。
ドイツではメルヘンの概念はグリム兄弟によって形作られたとされている。
「メルヘン」は、童話、あるいは童話的な素朴な空想を含む物語の意味で使われることが多く、童話の世界にでもありそうなさまを (ドイツ)Märchenに「ロマンチック」同様“語尾に英語の”tic“をつけた和製英語で「メルヘンチック」などといったりしている。

ところで、私たちが子供の頃の最もメルヘンチックな世界と言えばディズニーのアニメ映画(ディズニー作品参照)の世界ではなかっただろうか。
日本での公開が決まっていながら、太平洋戦争勃発によって国内上映が出来なくなった作品の中には、普通の大人用の映画だけではなく、子供向きの作品も含まれていた。
ウォルト・ディズニーが手掛けた世界初の長編アニメ「白雪姫」もその1本であり、作られたのは1937年、グリム童話のおとぎ話の1つをアニメ化したものだったが、日本公開は、戦後、5年を経った1950(昭和25)年9月のことであった。
戦後最初に上映されたアメリカ製長編アニメは、マックス・フライシャー兄弟(フライシャー・スタジオ)製作の「ガリバー旅行記」(映画の解説は、goo-映画参照)で、「白雪姫」より2年早い1948(昭和23)年の公開だった。
こちらは、「ベティ・ブープ」や「ポパイ」などのカートゥーン映画を制作し人気を誇っていた初期ディズニー・プロの最も重要な競争相手であったフライシャー・スタジオ及びパラマウント映画が、ディズニーの「白雪姫」の成功を受けて、1939年に製作したものである。その翌1949(昭和24)年には、ピョートル・エルショフのロシアの古いおとぎ話に取材した長編色彩民話「せむしの仔馬」を題材にしたソビエト初の長編 アニメ「せむしのこうま」(後に邦題は「イワンと仔馬」と改題。映画の解説は、goo-映画参照)も公開された。
このアニメ映画も、ディズニーの白雪姫に代表されるアメリカのアニメがモスクワでも人気を呼んだことをきっかけに設立されたソビエト連邦動画撮影所による作品である。
日本製アニメの製作が途絶えていた戦後のこの時期、輸入アニメは好成績を記録、なかでも「白雪姫」は、質、内容の点でも評価が高く、ディズニーアニメの時代はその後長い間続き現代に至っている。私も、初めてこの映画を見たときには本当に感動した。
アニメ映画『白雪姫』の原題「Snow White and the Seven Dwarfs」は、直訳すると「スノーホワイ(白雪姫)と7人の小人達」という意味になる。
アニメ映画『白雪姫』の内容は、ざっと以下のようなもの。
むかし、ある城に、雪のように白い肌に血のように赤い頬、そして黒檀のように黒い髪の白雪姫という姫が住んでいた。
母が亡くなって、新しい女王となった白雪姫の継母は、実は魔女で毎日魔法の鏡に向かって「この世で一番美しいのは誰?」と質問していた。
ところが、ある日、いつものように鏡に聞くと、鏡は「世界で一番美しいのは白雪姫」と答えた。
そこで女王は、ある家来(狩人?)に、白雪姫を森へ連れだし殺し、彼女の心臓を持ち帰るよう命令するが、家来は、可哀相で殺せず姫を森へ逃がした。
白雪姫は森で迷い、一軒の小さな家を見つけると、そこは七人の小人の住む家だった。
一方、女王は、鏡に聞いてみると、鏡は「一番美しいのは、白雪姫です」と答えたので、白雪姫が生きていることを知り、再び姫を殺そうと、魔法を使って毒リンゴを作り、老婆の姿に化けて、リンゴを持って森へ出かけ白雪姫に食べさせて殺してしまった。
7人の小人達が、嘆き悲しんでいるところへ、王子様が通りかかり、ガラスのお棺に入った白雪姫のあまりの美しさに、王子は、思わず口づけをすると奇跡が起こって姫が生き返り、そして王子様と一緒にお城へ行って結婚して幸せにくらしましたとさ・・・。めでたし、めでたし・・・といったところで終わっている。誰もが「白雪姫」というと、このアニメの内容を思い出すのではないか。
冒頭の画像は、グリム童話のガラスの棺に入れられた白雪姫。Wikipediaより。
このディズニーのアニメ「白雪姫」は以下参考の上のところに記載の◎YouTubeで見ることが出来る。このようなアニメは子どもだけでなく、大人が見ても十分に楽しめる。
ディズニー初の長編映画というだけでなく、アニメ史に残るファンタジーの傑作として知られるが、グリム兄弟の『グリム童話集』が初めて世に出たのは1812年のことだ。
今年は、丁度グリム童話誕生200周年に当たる。グリム童話の中でも幅広い世代に愛されてきたおとぎばなしの「白雪姫」の童話の物語に大胆なアレンジを加えてアクション・アドベンチャー作品として作られたユニバーサル映画「スノーホワイト」が6月1日から公開されている。

上掲の画像は映画「スノーホワイト」のチラシ。
スノーホワイトの元題はSnow White & the Huntsmanこれを直訳すると、「白雪姫とハンター(猟師)」。私は、この映画をまだ見ていないが、この映画ではディズニーのアニメとはことなり、王子様よりもハンターが重要な役割を果たしているようだ。そして、白雪姫もディズニーアニメ「白雪姫と7人の小人」に見られる優しくてきれいな白雪姫とは異なり、森の中へ逃亡したスノーホワイトを捕らえるために女王が放った刺客のハンターと手を組み、狩や剣のテクニックを身につけ戦うスノービューティーへと変貌してゆくそうだ。同映画予告編を見ていると、何か「ナルニア国物語や、「ハリーポッター」の映画に近い雰囲気を感じる・・・・。
又、今年は、インド出身の「ターセム・シン監督によるアメリカ映画「ミラー・ミラー(Mirror Mirror)」が邦題を白雪姫と鏡の女王」に改めて、9月に日本公開されるそうだ。 前者がシリアスなハード白雪姫ならこちらはコメディー・タッチなちょっと笑える白雪姫であり、その白雪姫が挑むのは史上最強のわがまま女王と言うことになっている。
「鏡よ鏡この世で一番美しいのは誰?」・・・。
ディズニーアニメとは違って、現代版の白雪姫は、どちらも、女王と白雪姫、女と女の戦いの映画といったようなものになっている。女性が強くなった現代の社会を反映した映画といえるのかも・・・。
以下でその予告編が見られる。

映画『スノーホワイト』公式サイト

映画『白雪姫と鏡の女王』公式サイト

グリム童話は、アレンジされて色々映画化されているが、今から、15年ほど前の1997(平成9)年10月に、グリム兄弟が1812年に発表した「白雪姫」の原典に忠実にその残酷さと狂気の世界を再現したといわれるアメリカ製のファンタジーホラー映画「グリム・ブラザーズ/スノーホワイト」(原題:Snow White:A Tale of Terror。直訳:白雪姫:恐怖の物語)が日本で公開されているが、大筋は一般によく知られた童話通りの流れであるが、グリム童話本来の残酷性を前面に出したストーリーになっている・・・という(映画の内容はgoo-映画を参照)。
グリム童話の『白雪姫』の菊池寛に依る邦訳ものが青空文庫(※4)で読めるが、菊池寛に依る邦訳ものにしても、ディズニー・アニメのような、めでたしめでたし・・・で終わるものではなく、白雪姫を城に連れて帰った王子は白雪姫と結婚し、その結婚披露宴で、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる・・・という恐い結末で終わっている。しかし、初版グリムでの記述 では、白雪姫を殺そうとし、又最後に焼けた靴を履かされて殺されたのは、継母では無く実の母であったとされているなどもっともっと恐いものらしい。

現在一般に広く読まれ流布している『グリム童話』(正式には、ドイツ語でKinder und Hausmärchen 。略してKHM)。日本語では『子供たちと家庭の童話』)は、1875(明治8)年に出版された最後の版(第7版)であり、おもに童話200編、子供のための聖人伝説10編からなっており、「白雪姫」はKHM 53番目の作品である。
18世紀ごろまで、民話やおとぎ話は大人の娯楽の一部でしかなかったが、18世紀末から19世紀前半にかけて読み書きのできる子どもが増えてきたことから、子どもにも読めるやさしい昔話や童話が人気であった。
グリム兄弟が採集してきた民衆の間で口承されてきた民話などを子供向けにわかりやすく書き直して、童話集「子供と家庭のための昔話集」を出版した1812年出版の第1巻には、86話が収録されていたが、1815年には、70話からなる第2巻が出版され、さらに1819年には1、2巻を纏めて、161話を収めた第2版が出版された。
以後、最後の版(第7版)に至るまで、おもに弟のヴルヘルムによって、7回も加筆・修正されている。
グリム兄弟と言えば、日本では、『グリム童話』の編集者として知られているが、彼らは、実際には言語と歴史の専門家であり、童話集は彼らのメインの仕事ではなかった。彼らの主著は『ドイツ語辞典』であり、それ以外にも、兄弟で、40冊以上の専門書を発行しているという。
そんな兄弟が、何故、童話集を出したのか?
18世紀後半から19世紀にかけての時期は、ドイツ文化の一つの絶頂期であり、文学の世界では、ゲーテシラーが、哲学ではカント、音楽界ではモーツァルや、ハイドンベートーヴェンなどが活躍していた時代であるが、その少し前の時代まで、三十年戦争によって、ドイツ地方各地には諸侯が分立し、自由都市や小国が独立国としての権威を獲得し、300以上もの 領邦に分裂しており、(Wikipedia-ドイツの歴史又、ドイツのコトバンク-領邦国家も参照)、文化もヨーロッパの他の国と比べてはるかに貧弱だった。
つまり、グリム兄弟が生きた時代には、まだ、ドイツと言う国はなく、ドイツ語圏の統一国家を目指す社会的機運があり、ドイツ民族を統一するには先ず言語と文化からだということで、ヤーコプとヴィルヘルムの2人が、言語と文化の研究に強い関心を抱くようになり、そのことが、メルヘン集をつくった動機のひとつとなっているようだ。
また、1760年代末に「シュトゥルム・ウント・ドランク(日本語訳:疾風怒涛)」という革新的な文学運動が起こったことも、グリム兄弟がメルヘン集をつくる動機となったようだ。
この運動の中心人物にはゲーテがおり、史劇『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(1773年)や、小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)を残している。戯曲『群盗』(1784年)や『たくらみと恋』(1784年)の作者であるシラーや、音楽家であるハイドンも、この運動に参加していた。そのような動きのなかで、ドイツでは、自国の固有文学に対する見直しが叫ばれるようになり、昔から伝わるメルヒェンに注目が集まるようになっていった。そして、さまざまな民話集やメルヒェン集が発行されるようになった。
1770年代には、 ヘルダーが『民謡集』を、1782年には、ムゼーウスが『ドイツ人の民間メルヘン』を、1789年にはナウベルトが『ドイツ人の新しい民間童話』を出版。1806年から1808年にかけてアルニムブレンターノが共同で、民謡集『少年の魔法の角笛』(Des Knaben Wunderhorn) を出版,し、また、1808年には、A・L・グリム(グリム兄弟とは何の血縁関係もない)が『子どもの童話』を出版しているなど、グリム兄弟がメルヒェン集をつくる以前から、いくつものメルヘン集が出版されていた(以下参考の※5。※6の「ShosBar」のグリム「童話集」の真実は?参照)。
先に述べたブレンターノは、『少年の魔法の角笛』が評判がよかったので、その続編を出版するために、より多くのメルヘンが必要になり、グリム兄弟に蒐集活動の手助けを求め、ブレンターノは、図書館の中にある民謡の資料を写すことと、古い本や古い手稿類にある物語を記録することをグリム兄弟に依頼。グリム兄弟は、ブレンターノに協力することを決め、さまざまなメルヘンを集め出した。
1810年頃ブレンターノより、集めたメルヘンの草稿を送るよう頼まれ、グリム兄弟は、万が一のためにメルヘンの草稿を筆写した後、ブレンターノ宛に送ったが、何故だか、ブレンターノは、グリム兄弟から借りたメルヘンの草稿を公表しないばかりか、その草稿を紛失してしまい、返却することもしなかったそうだ。そのため、グリム兄弟は今まで蒐集してきた数多くのメルヘンを使って、自分たちでメルヘン集を出版する決心をし、1812年に出版した童話集が『子どもと家庭の童話』だというのだが・・・。
このグリム童話集は他の童話集とはちょっと違っていた。それは、他の童話集は、編者(著者)が大幅に加筆潤色していたため一つ一つが大変長かったが、グリム童話集は個々の話が非常に短い。これが売れ行きにも繋がり、3年後に第2版を出版することが出来たのだという。
初版は、口承のものをほぼそのままに、どちらかといえば大人向けのものであったため、話の内容や表現が子ども向きでなかったため、第2版以降は残酷な場面や性にまつわる表現などを書きあらため、会話体を増やしたり情景描写を詳しくしたりなどの文体上の改変が重ねられて、回を重ねるごとに収録童話の数も増えて言った。
よくアンデルセンの童話が「創作童話」であるのに対して、グリム童話は伝承童話であるといわれるが、グリム童話も初版のときの民間に語り継がれた口承民話(メルヘン)から離れてゆき、回を重ねるごとに、次第にグリム兄弟による創作童話(ファンタジー)的なものに変化していったようである。
童話集というと全国各地の村々をまわって、字の読めない老人、特にお婆さんを捜し出し、覚えている昔話を語ってもらいそれを記録するのが普通のやり方であり、グリム童話もそんな風にして集められたと思っている人も多いだろうが、実は、グリム兄弟は、遠くまで出かけず、主に知人や友人(あるいは友人の友人)から話を集めた。それらの協力者はみな、字の読めない老人などではなく、裕福な家庭で育った教養のある若い女性たちであり、主な語り手の中でももっとも多くのメルヘンを語ったのはハッセンプフルーク家の三姉妹等ユグノー系(ユグノー戦争参照)の人々であった。ハッセンプフルーク家は、カトリックに迫害されてドイツなどへ国外逃亡していた16世紀のフランスのプロテスタントの子孫であり、三十年戦争で疲弊したドイツ中部のヘッセン地方へ移住してきて繁栄していた。グリム兄弟は、同家とは親交があり、同家の息子の1人ハンスはグリム兄弟の妹と結婚している。
ハッセンプフルークは家庭では、主にフランス語が話されていたという。そのため、メルヘェンを書籍によって知っていたという可能性がある。特に、フランスのペローのメルヒェン集を読んでいるであろうことは、十分考えられる。そのため、ハッセンプフルーク家の三姉妹がグリム兄弟に語ったメルへンは、フランスやそのほかの地域の影響を受けている可能性を含んでいる。グリムは、昔話の出自を示すメモを残しており、三姉妹の一人マリーが語った話の中には「いばら姫」(KHM50。「眠れる森の美女」参照) や「白雪姫」(KHM53)などがあるという。後に、ハッセンプフルーク家等の若い女性からの入手情報は、グリム兄弟によって特に手が加えられているという(※7)。
このようなことから、『子どもと家庭の童話』に収録されたメルヘンは、純粋にドイツ独自のものであるとは言い切れず、グリムが昔話や民話の原型を改変したとの批判もあるようだが、グリム兄弟がメルヘンを改変したのは、フォルク(Volk)とドイツ語のためだった。・・・・と、同時に、当時グリム兄弟は生活が楽ではなかったらしいので、より期待される童話集にしてその売り上げの向上を期待しての面もあったかもしれない・・・とも思えるのだが・・・。
最後になったが、以下参考の※5「第1章」では、グリムの「白雪姫」の初版、第二版で、見られるストーリーの変化を、「白雪姫」の草稿時の史料と初版、第二版を比較し、変更点について細かく解説している。又、グリム兄弟によってつくりだされた「白雪姫」が、ディズニーによってどのように変身させられたか。それを、『グリム童話集』の第二版に収録された「白雪姫」と、ディズニーの長編アニメを比較し、ディズニーが新たに付け加えた場面と、グリム版から変更した場面を表に挙げを比較している。グリム兄弟や、ディズニーがそれぞれ、何を訴えたかったかもよく分かりますよ。


◎「白雪姫」(元題=Snow White and The Seven Dwarfs)日本語吹き替え版 
 ディズニー映画- YouTube part 1 part 2 part 3 part 4 part 5 part 6 part 7 part 8 part 9

参考:
※1:今日のことあれこれと・・・ロマンスの日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20120619
※2:mpedia:メルヒェン
http://mpedia.jp/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%92%E3%82%A7%E3%83%B3
※3:げたにれの “日日是言語学”
http://ameblo.jp/nirenoya/day-20080122.html
※4:グリム 菊池寛訳 『白雪姫』(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html
※5:第1章(Microsoft Word)
http://lab.inf.shizuoka.ac.jp/nakao/thesis/06/natuki.doc
※6:ShosBar(鈴木晶のウエブサイト)
http://www.shosbar.com/
『ヘンゼルとグレーテル』ヤーコプ・グリム&ウィルヘルム・グリム 松岡正剛
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1174.html
※7:第ー部 書きかえられた 『昔話集』(Adobe PDF)
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/64057/5/dt-ko-0039004.pdf#search='ハッセンプフルーク家'
中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家( PDF)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/585pdf/sehara.pdf#search='中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家( PDF)'
グリム兄弟とペロー童話 高 木 昌 史(Adobe PDF)
http://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/europe/pdf/seur-30-06.pdf#search='シャルル・ペロー 妖精物語'
グリム兄弟の「いばら姫」 テキストの類遷・類話[PDF]
http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/13908/2/200000052412_00000140_61.pdf福娘童話集:今日の世界昔話
http://hukumusume.com/douwa/index.html
補陀楽通信:第224回   時代はメルヘンチック  
http://www.potalaka.com/potalaka/potalaka224.html
メルヘン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%B3

金環食

2012-05-22 | ひとりごと

皆さん昨日の金環食どのように観察しましたか。
私は、観賞用の眼鏡がないので、テレビでしましした。
一番きれいに見えるという和歌山県串本町で徐々にリングが出来ていく様は本当に感動しました。
7時27分にピークを迎えた。
実物写真が、撮れなかったので、テレビの画像を撮って残しておくことにしました。
時間まで入っていて変化していくさまを記録するには都合がいいですからね(^0^)。
金環食が次に国内でみられるのは2030年の北海道、関西では京都や滋賀で1941年のことらしい。また、今回のような広い範囲でみられるのは300年後というから、もう、私などは見ることが出来ないだろうな。