ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

柔道=小学生の全国大会廃止に

2022年04月04日 | 日記

    古木に咲いた桜=下手な絵。もっと練習します。

 子どもの柔道全国大会を中止するという。今度の山下スポーツ庁長官、なかなかの決断である。各地からいろいろ具申があったとはいえ、体育会系の欠点をよく知っているからの判断だと思う。報道によると次のようだ。
 「柔道の楽しみは、練習した技で相手を投げること。この大会では、勝つために組み手争いばかりしている試合もある、と聞いていた。そうすると、柔道の試合で勝つことだけが好きになってしまう」
 「強いチームにもしっかり基礎を固め、子どもの自主性、安全に配慮しているところはある。だが、全体的には勝利志向が強すぎる。これは指導者の問題だけではない。試合に勝つことばかりを評価する日本社会の問題でもある。子どもたちにはのびのびと柔道をやってもらい、魅力を実感してもらいたい。柔道を好きになってもらいたい」(3/22 朝日)
 もともと柔道というのは、嘉納治五郎のことを思うに、勝つということより、自己防衛のための身体訓練だったはず。これが、オリンピックなどという勝負の世界に踏み込んだせいで、心身の修養という意味がすっかり影を潜めてしまって、近代スポーツの勝ち負けの世界に入ってしまった弊害が出ているのだと思う。柔道に限らない、剣道とか空手とかも、武道の持つ心身の修練という意味を、偏った近代化の道に進めてはならないものだと思う。
 このことに関してはいろいろ言いたいことがあるのだが、いい機会だから山下長官には日本の学校スポーツのあり方に根本的なメスを入れてもらいたいものだ。その最右翼にあるのが、高校野球。甲子園大会は、新聞社の拡販手段として称揚されたのが元で、未だ甲子園球場オンリーの運営に縛られて、雨や寒さ、暑さに呻吟している。県単位で部数を大幅に拡張するためには、分散した大会では、役割を果たせないのだ。ドームなど数種の球場で、日数を減らし、大会を運営すればいいものを。分散して実施することによって、選手や学校、父兄の負担がどれほど軽減するものか。
 今、新聞は部数激減で、各種大会を側面援助する費用が捻出できずに苦労し、例えばマラソン大会など縮小している。そうした現況も考慮した上で少年スポーツのあり方を、山下長官にはぜひ検討してもらいたいものだ。【彬】

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