はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

贈りものとは

2018年03月08日 | 
2018/03/08

松村圭一郎さん(岡山大学准教授)が書かれた[うしろめたさの人類学 ]という本を、昨年に読みました。

 

題名にあるように、人類学や経済に関する本なのですが、
〈「商品」と「贈り物」を分けるもの〉という章がおもしろかったのです。
本のテーマからは離れるかもしれませんが、〈贈り物〉のことを書いてみます。

少し引用します。

モノのやりとりには、「商品交換」と「贈与」とを区別する「きまり」がある。

店で商品を購入するとき、金銭との交換が行われる。
でもバレンタインデーにチョコレートを贈るときには、その対価が支払われることがない。好きな人に思いきって、「これ受け取ってください」とチョコレートを渡した時、「え?いくらだったの?」と財布からお金を取り出されたりしたら、たいへんな屈辱になる。
贈り物をもらう側も、その場では対価を払わずに受け取ることが求められる。
このチョコレートを「渡す/受け取る」という行為は贈与であって、売買のような商品交換ではない。
ホワイトデーにクッキーのお返しがあるとき、その行為もふつうは贈与への「返礼」として商品交換から区別される。

店の棚にある商品としてのチョコレートは、購入され、贈り物として人に渡す時には、その「商品らしさ」をきれいにそぎ落として、「贈り物」に仕立てあげなくてはならない。


贈り物とは代金が発生しないモノ、あげたもの(贈与)、という共通の認識が世の中にあります。
お金でさえ、祝儀袋に入れられ袱紗に包まれることで、贈り物に仕立て上げられます。

贈り物に対して、その場ですぐさま代金を支払われたら、
あなたからの贈り物は受け取れないと伝えているにも等しいことです。

贈り物はつながりを作り出すツールで、贈り物をもらうことは関係を受け入れたということ。
そして、返礼の義務が生じたということを示しています。

贈り物とは、思いや感情を伴ったモノのやりとりである。
同等の対価を、時間差を持って返礼するのがきまり。

・・・・・

こんなことを書いてきたのは、先日の誕生日にiphoneをもらったときに、
お金を息子たちに渡そうとして、贈与に対してすぐに代金を支払うのは
どうかな~と思い出したのです。
うん、これは時間差を持って返礼すべきものだ。
  
著者によれば、この贈与についての考え方の元になるものは、
1925年に出版された、マルセル・モースの『贈与論』です。
まだ、読んでいませんが、これもおもしろそうです。

 

贈与にはさまざまな側面があり、慈愛に満ちた行為とは限らない。
相手に返せないほどの贈与をして相手の名誉を傷つけ、
従属させる「ポトラッチ」という儀礼があるそうです。

自分の力を示すための贈与、つまり、分け与えてやる贈与もあり、
相手の力にひれ伏すことを示すための贈与(貢物)もあるのです。


コメント
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