よし坊のあっちこっち

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水ボトル戦争

2012年05月07日 | アメリカ通信
たまに日本に帰ると、家庭ゴミを出すのに、実に肌理の細かい指示に従わなくてはならない。その点、広大なアメリカではプラスチックとそれ以外の大雑把な分け方で事は簡単である。このプラスチック、正確に言うと“Bottled Water”を巡って静かな戦争が巻き起こっている。そう、30本4ドルとか5ドルで売られている水入りのペットボトルである。

環境保護団体が、「水入りボトル」廃止のキャンペーンを張っている。曰く、ナショナルパークでゴミが増加する、ゴミ処理場での無駄な廃棄スペースが必要となる、ボトル生産に石油を使うから資源の無駄遣いだ、等。
このキャンペーンがいささか功を奏したのか、グランドキャニオンを筆頭に、ナショナルパークでのボトル持込制限をどうするか決める事になった。更に、公共施設、具体的には空港の売店でボトル販売に制限しよういう動きが出てきた。その代わりに、将来を先取りする形で、水のRefillサービスを新しいビジネスにする動きが始まった。

ボトル製造の企業側も黙っては居ない。水ボトルはお客様が進んで選択した製品である、もし、水ボトルの普及が無かったら、砂糖がたっぷり入った清涼飲料がもっと蔓延し、現在の肥満度はもっと酷くなっていたはずで、健康に貢献している、等。同じ会社が、片方で肥満度増長の清涼飲料を売り、片方で健康的な「水」を売っているのだから、苦しい言い訳とも言えるが、肥満度抑制の点では一理ある。

環境保護団体は、もっと水道水を飲め、と奨励している。日本もアメリカも水道水に問題が無く、且つ、歯に有効なフッ素が含有されているから、歓迎すべき動きではあるのだが、我々は何時頃から、水ボトルに行ってしまったのだろうか。恐らく公害が社会問題になる中で、水質やら水源の危機が強調された辺りから、水ビジネスが構築され、あっという間に「飲み水は水ボトルから」が定着してしまったのだろう。確かに、あのカルキ臭には閉口したものだ。

水ボトル離れは簡単には起こらないとしても、公共施設でのボトル排除の動きは無視できない。これからは、マイ・水ボトルがおしゃれな時代になるかもしれぬ。そう、昔の水筒だ。