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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

「長」さんの落とし穴

2009年05月07日 | ビジネス横丁こぼれ話
世界に羽ばたく日本企業は多くの駐在員を海外に送り出している。もちろん、全ての駐在員がその任、即ち海外での任務に適しているとは言えないのだが、どうせ、10年も20年も居るわけでは無いので、4-5年の間は勉強と思って、自分を磨いてもらいたいものだ。

さて、企業の尖兵や代表として赴任する訳だが、日本で役職に就いていない若い社員も、現地に来るといきなり役職に就いたりする。実地でマネジメントが勉強できるという絶好の機会だから、その気になれば大いに血となり肉となる。しかし、中には勘違いする輩が居て、えらくなった気分で物事を進めるから、アメリカ人社員から鼻つまみ者扱いにされてしまう。こういう落とし穴にはまってしまう。
役職とは、偉い、偉くないを表すのではなく、責任の重さを表すと言うことが理解できない。あの、本田宗一郎の言葉だったと思うが、「世に社長、部長、課長と、長の付く呼び方があるが、あれは、単なる符丁に過ぎない。偉い、偉くないは関係ない」と。いい言葉だ。

役職に就いて偉ぶったわけではないが、別の落とし穴にはまった例がある。
Aさんは、営業として長年、同僚アメリカ人と丁々発止で仕事をしてきたが、ある日突然、現地会社の「長」になるという、大変喜ばしい事になった。同僚アメリカ人は彼の部下となったのだ。このアメリカ人、営業としての仕事は極めて優秀で、弁が立つ。しかし、組織の人間としては何かと問題有りで、会社の中での皆の評価には厳しいものがあった。問題は「長」さんだ。「あの営業力は捨てがたい。人間的にいい奴だ」と、”同僚”アメリカ人に対し、今までと同じ目線で見てしまった。そして、クビ相当の、ある問題が起きるのだが、「あいつ、いい奴だから」で、何もせず。「長」さんは、”同僚”アメリカ人を「同じ釜の飯を食った仲間」と思っている。日本的甘さが良く出ている。この”同僚”アメリカ人は更々「同釜」なんて思っていなかった事を、「長」さん後日知ることになる。

「長」さんは、「長」さんになった瞬間から、仕事のやり方、人の見方を180度変える必要があったのだが、出来なかった。従来どおりの路線の延長を歩いただけなのだ。その意味で自覚が足りなかった。周囲の「長」さんを見る目は日に日に厳しくなるばかり。落とし穴から未だに這い上がってこない。

ある会社の監査風景から

2009年02月27日 | ビジネス横丁こぼれ話
今、ある会社のお手伝いをしているのだが、例年の如く、会計事務所が来て監査をやっている。
横目で見ていると、2週間経っても未だ終わっていない。そこで、経理のマネジャーに聞くと、昨年迄は約一週間で終わっていたが、とのこと。特に大きな問題があるわけでもないらしい。よし坊が気になった点が一つあった。最初の週の前半は3人のチームに一人日本人が入っていた。ところが、週半ばからアメリカ人だけになって、翌週も続いた。こうして2週間が経ち、それでも終わらなかったのだ。この事をマネジャーにぶつけると、その通りだ、との即答であった。

来ているアメリカ人はいずれも大学の経理財務のDegreeを持った連中なのだが、こういうことになってしまう。兎に角仕事のペースが遅い。勤勉なアジア人、その中でも、テキパキさ、手際の良さでは群を抜く日本人から見たら、何とも遅いのだ。

この、イライラするようなペースは日常生活の至る所で見る。例えば、スーパー。世界最大のウォールマートなんてのがあるのだが、ここのレジのネエチャンを何人か日本のウォールマート(今の西友だが)に連れて行ったら、腰を抜かす位、びっくらこくに間違いない。

でも、こんなアメリカが何で世界一なのか、時々考えてしまう。勤勉だけじゃダメで、何かが足りないのだろう。天は二物を与えぬ、か。

East does not meet West

2009年01月29日 | ビジネス横丁こぼれ話
アメリカ人と仕事をしていると、随所でイライラすることにぶち当たる。この辺が、日本から来て、最初は面食らい、段々頭に来て、最後はあきらめともつかぬ感情になり、その疲れが癒えないまま数年後に日本に帰国することになる。

最も代表的なのが、時間を守るか守らぬか、である。

日本だと、ランチに出て、1時に間に合いそうに無いと、走ったりする光景をよく見かける。アメリカじゃそんな光景見た事もない。堂々と自分のペースで戻ってくる。タイムカード管理されていると、遅刻した分は夕方その分居残りでやれば一応オフセットされるからよいが、タイムカードの記録が無い場合は、さっさと定時どおりに帰ってしまう。

8時-5時の会社。7時40分くらいに来たやつが、夕方4時40分に帰ろうとする。文句を言うと、おれは早く来て直ぐ仕事に取り掛かったから規定の8時間労働だからこれでいいのだ、とのたまう。そのくせ、こういうのに限って遅めに来た場合はうまく誤魔化し、キッチリ5時に帰るのだ。

自動車が通っていなくても、信号が赤なら、日本人とドイツ人は青になるまでじっと待つと言う人種。片やアメリカ人は、車が通ろうが通るまいが、自分の責任で赤でも渡る。これを見ただけで、彼らはルールなんてくそ食らえと思っている節があるのだ。一度ルールが出来ると、ひたすら守る日本人。ルールが出来ても気に食わなきゃ直ぐ新しいルールを作ろうとするアメリカ人。この違いが、時間だけでなく、色々な局面に特徴として出ている。

例えばサッカーの試合。国際試合で兎に角日本のチームはフェアプレー賞物が多い。大概が予選で敗退するから、せめてこの賞で留飲を下げるわけだ。外国選手を見ると、審判が見ていないところでは、コノヤローと思うようなダーティな反則を使っている。
そう言えば、ボスがいない時のアメリカ人の勤務形態はゆるゆるもいいとこだ。昔、よし坊が出張で不在の時に、私用で無断でオフィスを抜け出したのがいたので、証拠固めをしてクビにしたことがある。

お天道様が見ていると思う日本人。神はよく目を瞑ると思っているアメリカ人。東と西はなかなか出会う事が出来ない。

派遣切りと日米労働事情

2008年12月26日 | ビジネス横丁こぼれ話
今、派遣切りが話題というか、問題になっている。昔からアルバイト、パート、契約社員、派遣社員はいたが、何故問題になっているかというと、ご存知のように、彼らの数が圧倒的に増えたからである。何故増えたかと言うと、バブル崩壊後の正規雇用が激減したために、多くの学生があぶれてしまった。その救済策として、企業に使いやすいような派遣制度をつくってしまい、今や企業は大いにそれを利用(悪用?)していると言ったところである。大分以前の事だが、東の御茶ノ水とともに女子大として有名な西の奈良女を卒業した娘さんが就職できたのが町のレコードCDショップと言う話を聞いて、えらい世の中になったものだとため息が出たものだ。

アメリカは、景気が悪くなってきたら直ぐレイオフと称してクビを切る、だからアメリカは駄目なんだ、とついこの間まで皆が言っていたような気がする。ところが今や日本でも同じ様相を呈してきたではないか。だが、日本がアメリカ並みになってきたのかと勘違いしてはいけない。むしろ、アメリカより悪くなる方向へ行く可能性がある。

根本的に違うのは、転職流動性。これが日本では極端に低いままで今日に至っている。要するに転職しづらいのである、社会が。終身雇用を標榜してきたから当然と言えば当然。終身雇用で培われる精神構造は「同じ釜の飯」を食ったかどうか。別の言葉で言えば、終生の戦友意識。だから、島国ニッポンの民族的排他性は、他の会社から移ってきた人間に対し、排他的な行動を随所にみせるのだ。かくして、転職した者は相当期間「よそ者」の悲哀を味わうことになる。これが横行するから開けた転職市場が発展しない。
片や、アメリカ。転職が普通の現象だから、他社から移ってきても、排他的ではない。と言うよりはむしろ、排他的な行動をとったら、ルールで罰っせられることを社会の規範の中で教えているので、そういう行動はあまり取らない。ルールが確立しているのである。

日本には、そんなルールの確立が見えない。経済戦争に勝つ為には安い労働力を求めるのは当然としても、転職流動性の高い社会基盤を創造しない限り、問題解決はしない。少子化と外国人労働者依存が明確なのに、ぐずぐずしている暇は無いはずだが。

個人主義のアメリカと言うけれど、だからこそ、今のような社会基盤が出来たのだろう。働く合理性ということでは、アメリカは日本よりはるかに優れている。働きやすいさを実感する。

異業種からの眺め

2008年12月19日 | ビジネス横丁こぼれ話
未曾有の金融危機に面し、デトロイトは震撼し、その救済案は議会で否決され、しかし、ホワイトハウスはレスキュー隊を派遣すべく、今なおワーキング中である。既に公聴会やらニュースメディアで報じられているように、GMとクライスラーはもう直ぐ資金ショートするので、倒産宣言の瀬戸際にある。ところがフォードは長期的救済資金は必要とするものの、短期的には今回の救済措置は不要なのである。嘗てのビッグ3でも何故明暗が分かれているのか。そこに、経営視点の違いを見ることが出来る。一見同じような事をやっていそうで、実は違う。

名門フォード。過去幾多の試練を乗り越えてきたが、2006年又もや危機を迎えた。社長のフォードJRは会長に退き、飛行機製造のボーイング社から新社長マレリー(写真)を向い入れた。

異業種から来たマレリーは、デトロイト流と言われる自動車産業の内側を初めて覗いてビックリしたらしい。飛行機と共にアメリカの牽引車である自動車が実は旧態依然とした企業文化を、大いなる奢りの中で育んでいるように見えたことだろう。

デトロイト流とは何か。
「車は作れるだけせっせと作りゃいい。客が何を望んでいるかって。そんなこと知った事じゃない。客は自動車が欲しかったらそこにあるものを買えばよい。俺達は作って待てばよい。景気が悪くなったらレイオフさ。回復したら呼び戻せばよい」。この繰り返しを何十年にも渡ってやってきちゃった。

彼は、小手先の利益追求などやっている場合ではないと考えた。何よりも時代にそぐわない企業文化を変えないと再生は無いと見た。ある種の革命だと言っている。では、何をどうしたのか。特別な事をしたのか。特別な事など何もしていないのだ。だから、逆に病根は根深いとも言える。

マレリーは、需要に見合った生産台数に絞れと号令をかけた。今までは、売れるかどうかは関係なく、兎に角作れるときには目いっぱい作っていたということだ。需要に見合った生産は、製造業なら基本中の基本。しかし、これさえも米国自動車産業は出来ていなかった。次にマレリーは、消費者がどんな車種デザインを望んでいるかを聞け、そしてそれを作れと号令した。今時、消費者の意向と嗜好を無視しての製造業は有り得ない。しかし、これも米国自動車産業は出来なかった。
マレリーが導入したのは他の産業では至極当たり前なのだが、自動車産業にとっては正に「革命」に等しいことと言うのだから、彼ならずとも驚いてしまう。

先にあげたデトロイト流を見てもらえば分かるが、デトロイト流とは、「奢り」と言い換えられる。その奢りの中で、悪名高いUAWという労働組合もモンスターの如く成長し、動きが取れなくなってしまったというところか。

フォードとて、決して安閑としてはおれない状況に変わりは無いが、経営と言う面だけに焦点を合わせると、たったひとりの優れた経営者でかくも違った会社に変身しうるのかということである。未だ、フォードも完全に変身を遂げたわけではない。数年後の検証が必要であろう。しかし、新しい方向に踏み出した事は確かなようだ。マレリーが内側を覗いた時の驚き。「異業種からの眺め」は貴重だ。

デトロイト スリー(Detroit 3)

2008年12月07日 | ビジネス横丁こぼれ話
例のリーマンショック以来、金融危機回避の為の救済プランが議会を通ったものの、根幹産業自動車のビッグ3がこぞって救済融資を申し出、議会と綱引きをやっている。この記事が出る頃はどう決着がついているのか分からないが、ラジオを聴いていると色々な意見が聞けて興味深い。金融機関を救済するのだから一産業に過ぎない自動車を厚遇するのはお門違いとする意見(納得だが)、それは違う、金融機関の不祥事(みたいなもの)から危機的状況が他の産業にも波及したのだから、救済してもらってもいいはずだ、とする意見。しかし、それじゃ、他の産業はどうなるのかという話にもなる。

ラジオの或るパーソナリティがこんな話をしていた。
彼は、デトロイトのビッグ3を訪問した後、サウスカロライナのBMWとアラバマのホンダの工場を訪問した。そこで、痛感したのは、ビッグ3は一回倒産しなければ、再生はあり得ないと確信したそうだ。その最大のポイントは組合だと指摘している。

何か事があると、いちいち強力な組合を通しての話となるので、事がちっとも進まないのだ。デトロイトではすったもんだの話ばかりしている現場を彼は垣間見た。
ところが、BMWやホンダへ言ってみると、市場の危機を乗り越える為に生産ライン、生産品種をより効率的にする為にどんどん現場の変更を行っている。そして、先行き不透明のなかでも、作業員が活き活きと仕事をしている様を真近に見たという。

日頃、意思決定の早さに優れているアメリカでも、組合化された集団では全く話にならない現状が浮かび上がる。組合の保護の下に長年膨れ上がった賃金とベネフィット。因みに表面的な時給賃金は日系自動車よりチョッと高い程度らしいが、組合員として手厚く保護されているベネフィット類を加えると、平均で70ドル対45ドルだそうな。これを断ち切るにはChapter 11しか手は無いと見ている人が多いのは事実だ。
かつては確かに必要であった、大げさに言えば、生存権獲得の為の組合活動は、はるか昔にその役目を終えてしまった。組合の存在価値は下がる中で、伝統的組合を抱える産業の硬直化は否めない。新産業や新興勢力は組合を嫌って、開発途上地域である南部に活路を見出し、社会的インフラが整った現代では、組合化が意味を成さない、むしろ邪魔である事を証明してしまった。

今回のBail Out問題でメディアはかつてのビッグ3をDetroit 3と表現している。最早”ビッグ”はふさわしくないという事か。何とも象徴的な話である。  

忍の一字

2008年11月18日 | ビジネス横丁こぼれ話
アメリカ人に仕事を教えるには大変な忍耐が必要である。文化と習慣の違いを乗り越えて教えるのは重労働とさえ言ってよい。これに言葉の壁が付いて回るから、大げさに言えば苦痛の極み。

日本だと、転勤や、転職で人が変わるとなると、結構長い期間の引継ぎが出来る。日ごろから「立つ鳥あとを濁さず」なんていう事を叩き込まれている(最近ではこんな言葉は知らないかも知れぬ)から、後でとやかく言われないように時間を掛けてキッチリと引継ぎをやる。転職で辞める人にも出来るだけ長く引継ぎをやってもらうよう頼んだりもする。だから、人が変わってもジタバタしない。

ところが、アメリカは辞める通告をしてキッチリ2週間でハイ、サヨナラとくるから、悠長に引き継ぎなどやっておれない。そこで威力を発揮するのは、やはりと言うか、マニュアルである。アメリカの優れているところは、実にこのマニュアルにある。アメリカはマニュアル文化の色濃い国なのである。

確かに、色々な人種がいて、しかも、外国から来て市民になった人も多いから、単一ルール、単一のモラルスタンダードで括るわけにはいかない。だから、誰もが使える共通の手引書みたいなものが必要になるのは当然だ。日本みたいに、一寸したヒントを与えて、やり方は自分で考えろ、なんて言ったってだめなのである。逆にやり方を教えろ、と言ってくるのが、オチである。

さて、いよいよ教える段になる。ただマニュアルを渡せばよいかというとそうでもない。何の為にやるのかの、目的をキチンと伝えないとうまくいかない。ここにマニュアルがあるから、ヤレっ!ではやはり駄目なのである。

アベレージ以上の人は、内容の習得と共に、自分なりに臨機応変に考えてどんどんこなしていくが、問題はアベレージ以下の人で、これが実に多い。途中でチェックを入れながら、マニュアル片手に手取り足取り教えることになる。ここに「忍耐」が必要になってくる。

我慢を続けて数ヶ月。漸くサマになってきたな、と思った矢先、辞めます、とくる。出てくるのはため息ばかり。
それでも、同じ事を続けないといけない、そういう国である。

アメリカで働く、南部で働く

2008年08月28日 | ビジネス横丁こぼれ話
黒人の大統領候補者が出るまでになったとは言え、やはり、アメリカでの黒人差別は根強い。

広いアメリカ、南部で働くとなると黒人の比率は上昇するので、その採用を避けては通れない。そんなことは何も特別な事ではなく、ごく当たり前に考えていないといけないことなのである。

日本にいるビジネスマンで、とりわけアメリカへの出張が多く、所謂アメリカ通で通っている人は、人種問題も含め諸々慣れていると思われがちであるが、その多くは意外と疎いのが現実だ。アメリカは人種の坩堝、白人ばかり雇っていたらいかんのだ、等と日ごろから声高に言っている人間に限って、その実ちっとも分かってない。

会社のあるポジションの採用で、アドミで経験が長い白人女性に面接をしてもらうことにした。候補者は4人、3人白人、一人黒人である。彼女が選んだのは黒人であった。その理由を聞いたら、当該ポジションの仕事に、経験、やる気も含め、最も近いと感じたからとの答えであった。それ以来、彼女へのよし坊の信頼感は一層アップしたのは言うまでもない。

さて、採用報告を日本の御本社様へいれたら、早速、翌日電話が掛かってきた。「どんな人を入れたの?」。よし坊も意地が悪いから、「アメリカ人ですよ」。
御本社:白人?
よし坊:外れです。
御本社:アジア系?
よし坊:外れですね。
御本社:最近メキシコ人なんかが南部に増えているから、メキやん?
よし坊:それも違います。
御本社:それじゃ、もういないよな。
よし坊:そんなこと無いですよ、未だ出てない人種がいますよ。
御本社:まさか、黒人じゃないよね。
よし坊:そうです、黒人です。ここはアメリカ、とりわけ南部ですから。

アメリカ通もこんなレベルが横行しているのが現実だ。こんなことで電話なんかしてくるな、と言いたかったが、そこは抑えて受話器を置いた。あれから13年が経つ。日本人は果たしてどれだけ変わったのだろうか。

魔の金曜日

2008年07月16日 | ビジネス横丁こぼれ話
13日の金曜日、ではないが、アメリカ人にとっては「魔の金曜日」というのがある。

アメリカと日本の雇用形態は全く違うから、日本からマネジメント目的で派遣された日本人は大いに戸惑い、想像も出来ない問題にぶち当たり、もがきにもがくという寸法だ。日本は、基本的に終身就職だから、余程でなければクビになったり、自ら辞めることは無いが、アメリカでは、辞めたり辞めさせられたりは日常茶飯事のことで、慣れるまで時間がかかる。

人をクビにする時、アメリカでは大体金曜日に通告するのだ。これを知らないと一寸した騒動となる。

その日は木曜だった。5時となり、セールスのジェフが「また明日」と言って帰ろうとした。よし坊は彼の顔を見て彼と打ち合わせをする案件を思い出したので、「ジェフ、明日朝、ちょっと話があるのでミーティングしたいがいいか?」と聞いたのだ。一瞬彼はびっくりした表情をしたが、「OK]。何故その時ビックリしたのかは後で分かった。

翌朝、ジェフの担当の顧客動向を聞くために会議室に入った。彼が緊張した顔で入ってきたが、なんでそんなに緊張しているのかツユ知らずである。おもむろに「今日は君のセールス状況をお客別に聞きたい」と言った途端、彼の身体が一気にリラックスするのが直ぐ分かった。

ジェフは言った。「それを聞いて安心した。実は昨日は眠れなかった。何の落ち度があったのかアレコレ考えたが、思いつかず、何故俺がクビになるのか、ずーっと考えていた」。今度はこっちがびっくりした。「クビ?解雇? 何の話だ?」。

ジェフは又言った。「アメリカで何の前触れ無く金曜日に話があると告げられると大方クビの話だから、アメリカ人は魔の金曜日と呼んでいる」。

日本では思いもつかぬことである。ジェフにはその場で謝ると同時に、貴重なことを教えてくれたことを感謝した。

石の上の3年目

2008年07月05日 | ビジネス横丁こぼれ話
石の上にも3年、と言う言葉があるが、今日は、石の上の3年目、という話。

転職が当たり前のアメリカでは人の採用は難しい。日本では、ある程度レベルが集約されている層から選ぶので、大きく外れることは滅多に無いし、何より生活行動文化が同じだから行動パターンがお互いよく分かる。もうひとつには、基本的に終身雇用だから、一旦採用となったら、企業は「じっくり育てていこう」、採用された者は「会社のために頑張ろう」となる。

こんな日本の企業文化で育った人間がアメリカに派遣されて現地企業の経営をやるわけだから、勝手が相当違うことになり、トラブル続出となってしまう。おまけに、海外勤務の平均が大体4~5年だから、余程腰を据えて掛からないと、訳の分からないうちに帰国となるのがオチだ。

会社をスタートさせ、いよいよ本格ビジネス開始の段となり、ロジステイック・カスタマーサービスのポジションに人を採用した。名前はジャネット。移ったばかりの会社でもあり、仕事も新鮮で、最初の一年は兎に角一生懸命に働き、あっという間に過ぎた。二年目は、仕事にも慣れ、日系企業という環境も含め、周囲のことが分かってきた。二年を過ぎる頃には、日本人駐在員の癖、動向も手に取るようにわかるようになった。

ある日、よし坊が外出から帰ると、ジェネットが居ない。残っているものに聞くと、XYZ会社に打ち合わせで急遽外出したとの事。確かに彼女の仕事に関係している会社では有るが、今まで一度も外出の例はない。よし坊は、彼女を信じて、まず、打ち合わせのレポートが出るのを2日待った。が、でて来ない。そこで、彼女に、「XYZ会社に打ち合わせで訪問したらしいが、報告書を書くように」と指示した。その日に詳細な報告書が上がった。内容を見ると、わざわざ出向いてまで打ち合わせをする事柄ではない。
よし坊は、おもむろに電話をとり、報告書にある、面談者3人にそれとなく、打ち合わせの件を尋ねたが、3人共、そのような事実は無いと言う。明らかに虚偽の報告である。外出した日から今までの成り行きを時系列に整理しよし坊なりのメモを作成、会議室に彼女を呼び、事実関係を確認、クビを通告した。

どうも、石の上の3年目は、企業にとっても従業員にとっても、気をつけなければいけない年である。と言うことは,2年目の終わりに実施する人事考課は、「3年目」を乗り越えるための最初の1里塚と認識すべき時期なのだ。
査定する側は、本人の評価をきちんとし、翌年に向けての目標を話し合い、いい意味での緊張感を与え続ける必要があるだろう。
所詮、「人物次第だ、ダメな奴は元々ダメ」と言ってしまえば簡単だが、折角採用した人材である。線路から外れそうになったら、元に戻るために一寸した指針を与えてあげるのも必要。その、「外れそうな時期」が、どうも、3年目のような気がする。