僕と猫のブルーズ

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映画「ひめゆり」によせて

2007年09月07日 | 日々の泡(日記)

「忘れたいこと」を話してくれてありがとう。
「忘れちゃいけないこと」を話してくれてありがとう。
 (Cocco「想い事」より)

Coccoのエッセイで紹介されている映画「ひめゆり」を今日見てきた。
第二次世界大戦末期、沖縄での戦争に「看護隊」とし駆り出された「ひめゆり学徒隊」。
その生存者が戦争体験を語るというドキュメンタリー映画。

このインタビューは1994年~2006年の13年に亘り行われた。
登場する女性・・おばあたちはもう70代~80代にかかる老齢。
寿命が尽きた後、「ひめゆり」を語る人たちがいなくなる。
「映像として形に残したい」という願いがこの映画化を実現した。

実際にこの映画の撮影期間の間に何人かのおばあが逝去されている。

最初に皆さんの少女時代の写真が映される。それを見て胸が詰まった。
皆さん・・・当時は、15歳~19歳。まだ「子供」。
そんな少女たちを戦地に駆り出すなんて。ずさんでムチャな作戦。
「看護隊」と言っても「赤十字」の元安全に守られてるワケじゃない。
爆弾や銃弾が飛び交う戦地に少女たちをそのまま放りこんだ。
しかも「病院」と言っても鍾乳洞を改造しただけのもの。

何人かのおばあが実際の戦地を訪れてそこで体験したことを語る。
今は美しくて静かな草原、海岸、洞窟。
でも・・そこはすべて戦地。その下には遺骨が眠ってる。
きっと、この地を訪れるのにも、相当の決意が。。勇気が要っただろう。

語られる内容は・・・あまりに壮絶で凄惨。
ここに書きようがない。ボクの表現力なんぞで書けるワケが無い。

わずか10代の少女が何でそんな目にあわなくちゃイケナイのか?
なぜ、そんなことが「当然」としてまかりとおるのか?
幾つもの「なぜ?」が頭を駆け巡り・・・涙がとまらなかった。


インタビューはどんどん進む。米軍の攻撃で負傷する兵士たち。
学徒の少女たちも次々と命を失う。
最後、米軍で包囲されたところでいきなり「学徒隊」の解散が決定。
「自分たちの判断で何とかするように」。。そんなムチャな。

少女たちは「捕虜になるくらいなら自決しよう」と思う。
捕虜になったほうが安全なのに・・・そんな教育を受けていない。
「捕虜になるのは恥だ。それなら死んだほうがマシ」・・。

でもやはり「こんなところで死にたくない。青い空の下で歩きたい」
「死にたくないよ。おかあさん」少女たちは必死に逃げ惑う。
そして、逃延びた先に辿り着いた海岸線で起きたあまりの惨劇。

生存者のおばあたちは言う。
「生き残った事が申し訳ない」「つらいです。話すことは」
おばあたちは、劇中、国や軍やアメリカに対する恨み言は一切なかった。
ただ亡くなった友人への想いと「わたしたちが語らなくちゃ」という
責任感だけを訥々と語っていた。

おばあたちの何人かは今でも「ひめゆり資料館」で自分の経験を語り継いでいる。
映画のラストシーンはおばあの「今後も語り継ぎたい」という笑顔で終わる。

終った後、「生きていてくれてありがとう」「話してくれてありがとう」と思った。
確かに重い映画だった。でも・・・見てよかったと思う。
当時の「誤った教育」には怒りを覚える。10代の少女に「自決しろ」なんて。
他にも「なぜ?」「それはないだろ?」等、割り切れなさ・腹立ちを覚えた。
でも最終的に残ったのは、おばあたちの友人への想い、優しさと生きよう
とする強さだった。胸の中に広がったのは「温かい何か」だった。

パンフレットに、おばあたちの「若いひとたちに思い通り、自由に生きてほしい」
「命を大切にしてほしい」というメッセージがあふれていた。

10年くらいまえ・・・すべてがイヤで「いつ死んでもイイ」「消えてもイイ」
なんて思って生きてた。今年になってそんなことを思ったときもあった。
とんでもないことだ。
この映画を見て、おばあの話を聞いて、そんな自分が恥かしいと思う。
もっと・・・しっかりと・・・チャンと・・生きなくちゃ。

この映画を知るきっかけを与えてくれたCoccoに感謝したい。
この映画を撮影した柴田監督に、世に出したスタッフの皆様に感謝したい。

そして・・・何より「語ってくれた」おばあたちに・・・感謝したい。
話してくれて・・ほんとうにありがとうございました。

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