その3 湯峰温泉から大日越えで熊野本宮へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー
有名な「ツボ湯」だ。「受付で料金を払ってから、順番を待て」 と書いてあり、中から大きな声で 英語が聞こえてきた。外人が入っているようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
湯気と硫黄の匂いの立ち込める温泉街には、びっくりするぐらい外人が多い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道が分からなくなったので、「東光寺」にお参りして 地元の方に道を聞く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いよいよ最後の難所 大日越えで本宮大社へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この石橋の袂に標識があり、ここが熊野古道と書いてある。何のことは無い、壷湯のすぐ上だ。
時刻は15時20分。案内地図によるとここから本宮大社まで 大日越えで70分と書いてある。
最終バス発車まで あと110分くらいあるので なんとかバスには間に合いそうだ。
さあ最後の山越えだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから最後の難所「大日越え」が始まる。気合と力を振り絞って歩き出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
早速岩を削った 急な階段がお出迎えだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
疲れきった体に 急坂はこれでもかこれでもかと 続く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうやら あれが峠のようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
峠には磨崖仏があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かなり古くて形がよく分からないが、右が道祖神のように見え、左が「大日如来」のようだ。「大日越え」の由来かもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この大日越えのみちの道標も今までとは違う。大日越え何番と書いてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今度は最後の下り道だ。急坂なのでゆっくりと降りる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
建物が見えてきた。地図には「月見が丘神社」と書いてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何やら祀ってあるが 「月読みの神(つくよみ)」かも知れない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
熊野は九州物部家が最初に 大和へ抜けた通り道なので 出雲系九州宇佐王家で盛んだった月読みの神は 物部勢が熊野に 持ち込んだのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この大きな岩の足元にも 何やら祀ってある。古代出雲族が信仰し あちこちに祀った「クナト大神」の化身の 磐蔵かもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どんどんと下る。もう街の喧騒が聞こえてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道端には秋の花 彼岸花が咲き乱れていてとてもきれいだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
台湾原産の帰化植物「高砂百合」が咲き乱れる斜面を眺めながら歩いていると、本宮町の集落に出た。最後の難所「大日越え」も終に終わった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本宮町のメインストリートを歩く。やれやれ、もうすぐゴールだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歩きながら右手を見ると 大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えるが そのまままっすぐ 本宮大社へ進む。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ついに本宮大社にゴールだ。時刻は16時40分。やれやれバスに間に合った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
九州物部家(徐福の子孫)の第一回目のヤマトへの東征は 紀の国で「高倉下(たかくらじ)」の子孫に 手強い反撃を受け 総大将 物部の五瀬が戦死した。 弟のミケイリたちは その後熊野へ南下して、上陸するも再び反撃を受けて前進出来ず 熊野川中州(今の大斎原)で陣取ったきり 動けずにいたという。
しかしひそかに使者を送り 大和の国の登美家に案内と協力を頼んだという。そして 古代出雲王家の分家、大和の登美家当主 加茂建津乃身の案内で無事大和の磐余(いわれ)に入る事ができたので、物部家は末代まで ヤタガラスとして加茂建津乃身に感謝を表したという。
この後150年後の 九州物部家の第二次東征でイクメ大王が生駒山を越えて大和入りしたこととあわせて 記紀では「神武東征」 と 一つの事件に書き換えた。
出雲人としての私は、主祭神 の素戔嗚(徐福)に挨拶するよりは、ヤタガラスの尊に無事到着の御礼をしてから、バス停に向かう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バス停が分からず 近所の方にお聞きしたら、こんな立派なバスターミナルが出来ていた。
バスターミナルでバス待ちしている人は 外国人が圧倒的に多かった。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10周年記念とかで 外人観光客が増えたのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が乗り込んだ 17時16分初紀伊田辺行き最終バスにも 外国人が沢山乗り込んでいた。車窓から眺める 熊野川風景だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バスが途中立ち寄った「湯峰温泉」で沢山の外国人が下りていった。夕暮れの温泉街をそぞろ歩きしている人のほとんどが外国人なのには びっくりだ。そういえば、このひなびた山の出湯風景が 日本的で 外人には人気なのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際に歩いた記録 小広峠から赤木越え分岐まで
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際に歩いた記録 赤来越え 大日越え
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高度と距離の記録
累積高度は 約800メートル かなり高い山に登る高度だ。
歩いた距離は 約20km これもかなりの距離だ。
※ 小広峠バス停から草鞋峠までの記録が抜けているので補正しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
熊野古道の記録の続きは現在整理中です。熊野本宮大社から小雲取越、大雲取越で熊野那智大社へ、
高野坂、熊野灘を歩いて熊野速玉大社 への記録を現在整理中です。
熊野古道は少しお休みして 北の国の山旅リメイク版を乗せます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー
有名な「ツボ湯」だ。「受付で料金を払ってから、順番を待て」 と書いてあり、中から大きな声で 英語が聞こえてきた。外人が入っているようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
湯気と硫黄の匂いの立ち込める温泉街には、びっくりするぐらい外人が多い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道が分からなくなったので、「東光寺」にお参りして 地元の方に道を聞く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いよいよ最後の難所 大日越えで本宮大社へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この石橋の袂に標識があり、ここが熊野古道と書いてある。何のことは無い、壷湯のすぐ上だ。
時刻は15時20分。案内地図によるとここから本宮大社まで 大日越えで70分と書いてある。
最終バス発車まで あと110分くらいあるので なんとかバスには間に合いそうだ。
さあ最後の山越えだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから最後の難所「大日越え」が始まる。気合と力を振り絞って歩き出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
早速岩を削った 急な階段がお出迎えだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
疲れきった体に 急坂はこれでもかこれでもかと 続く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうやら あれが峠のようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
峠には磨崖仏があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かなり古くて形がよく分からないが、右が道祖神のように見え、左が「大日如来」のようだ。「大日越え」の由来かもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この大日越えのみちの道標も今までとは違う。大日越え何番と書いてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今度は最後の下り道だ。急坂なのでゆっくりと降りる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
建物が見えてきた。地図には「月見が丘神社」と書いてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何やら祀ってあるが 「月読みの神(つくよみ)」かも知れない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
熊野は九州物部家が最初に 大和へ抜けた通り道なので 出雲系九州宇佐王家で盛んだった月読みの神は 物部勢が熊野に 持ち込んだのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この大きな岩の足元にも 何やら祀ってある。古代出雲族が信仰し あちこちに祀った「クナト大神」の化身の 磐蔵かもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どんどんと下る。もう街の喧騒が聞こえてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道端には秋の花 彼岸花が咲き乱れていてとてもきれいだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
台湾原産の帰化植物「高砂百合」が咲き乱れる斜面を眺めながら歩いていると、本宮町の集落に出た。最後の難所「大日越え」も終に終わった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本宮町のメインストリートを歩く。やれやれ、もうすぐゴールだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歩きながら右手を見ると 大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えるが そのまままっすぐ 本宮大社へ進む。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ついに本宮大社にゴールだ。時刻は16時40分。やれやれバスに間に合った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
九州物部家(徐福の子孫)の第一回目のヤマトへの東征は 紀の国で「高倉下(たかくらじ)」の子孫に 手強い反撃を受け 総大将 物部の五瀬が戦死した。 弟のミケイリたちは その後熊野へ南下して、上陸するも再び反撃を受けて前進出来ず 熊野川中州(今の大斎原)で陣取ったきり 動けずにいたという。
しかしひそかに使者を送り 大和の国の登美家に案内と協力を頼んだという。そして 古代出雲王家の分家、大和の登美家当主 加茂建津乃身の案内で無事大和の磐余(いわれ)に入る事ができたので、物部家は末代まで ヤタガラスとして加茂建津乃身に感謝を表したという。
この後150年後の 九州物部家の第二次東征でイクメ大王が生駒山を越えて大和入りしたこととあわせて 記紀では「神武東征」 と 一つの事件に書き換えた。
出雲人としての私は、主祭神 の素戔嗚(徐福)に挨拶するよりは、ヤタガラスの尊に無事到着の御礼をしてから、バス停に向かう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バス停が分からず 近所の方にお聞きしたら、こんな立派なバスターミナルが出来ていた。
バスターミナルでバス待ちしている人は 外国人が圧倒的に多かった。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10周年記念とかで 外人観光客が増えたのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が乗り込んだ 17時16分初紀伊田辺行き最終バスにも 外国人が沢山乗り込んでいた。車窓から眺める 熊野川風景だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バスが途中立ち寄った「湯峰温泉」で沢山の外国人が下りていった。夕暮れの温泉街をそぞろ歩きしている人のほとんどが外国人なのには びっくりだ。そういえば、このひなびた山の出湯風景が 日本的で 外人には人気なのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際に歩いた記録 小広峠から赤木越え分岐まで
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際に歩いた記録 赤来越え 大日越え
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高度と距離の記録
累積高度は 約800メートル かなり高い山に登る高度だ。
歩いた距離は 約20km これもかなりの距離だ。
※ 小広峠バス停から草鞋峠までの記録が抜けているので補正しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
熊野古道の記録の続きは現在整理中です。熊野本宮大社から小雲取越、大雲取越で熊野那智大社へ、
高野坂、熊野灘を歩いて熊野速玉大社 への記録を現在整理中です。
熊野古道は少しお休みして 北の国の山旅リメイク版を乗せます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます