世界文化遺産大峯奥駈道を歩く 五番関から大峯山へ新緑の奥駈道を往復 2017年7月2日 その1
大峯山周辺は昔から何回も歩いているが、茶店や宿坊が営業中に歩いたことはありませんでした。
今回初めて それらの営業中に歩き、奥駈ですれ違う人は「よう、御参り」と声を掛け合うことも
初めて知りました。日曜日だったので沢山の人が「西の覗き」で修行していました。もちろん
そんな光景も初めて見ました。
この界隈は ほとんど厳冬期の 氷と雪に閉ざされた中を歩いていたので 新緑と大勢の人はとても新鮮でした。
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五番関から大峯山 その1
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登山地図です。五番関から大峯山までが奥駈道です。
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五番関登山口駐車場です。正式な駐車場ではありませんが 道路が広いので10台以上楽に止めれます。
この道路は奈良県道で天川村と川上村を結ぶ道で 川上村杉の湯の信号へ出ます。
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この東屋の奥に登山口標識が見えています。
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道というより 踏跡を辿りますが はっきりしていて間違えません。
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危険な箇所には ボランティアの方が ロープをフィックスしてくださっています。
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歩き出して15分足らず、あっという間に奥駈道です。
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五番関とは 女人禁制の大峰山への 女人結界門が各所にあり、清浄大橋、阿弥陀が森、蓮華辻、そしてこの五番関
ですが、もう一つは分かりません。廃道になった道の入口にでもあったのでしょう。
「女人」の女の字が壊されて、「人は入るべからず」になっていて笑わせます。何時まで女人禁制なんて
馬鹿なことをつづけるのでしょうか。日本中の山岳修験の山はすべて女人禁制でした。しかし徐々に開放されて
いまや この大峯山だけです。富士山も江戸時代に登山者(信仰者)の激減で 女性を取り込んで復活しました。
高野山も明治時代まで女人禁制で 空海のオカンも高野山に入れず 慈尊院で息子の帰りを待ちわびていました。
世界文化遺産に登録された今 未だに女人禁制なんて 日本の恥ですねえ。「紀伊山地の霊場と参詣道」は
世界遺産登録12年目です。沢山の外国人が 町石道、小辺路中辺路伊勢路や この奥駈道を歩いています。
女人禁制の理由をどう説明するのでしょう。
私が子供の頃は 女性は不浄だからと言う理由で 女性は神棚にも触れませんでした。私が会社へ入った頃
(1971年頃)もそうでした。神棚の掃除は男子新入社員の仕事でした。
今そんな事言えば 女性達や世間から ぼこぼこに叩かれますけどねえ。
女性は子供を造れるから 男より優れているのにねえ。
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道は直ぐに二手に分かれます。右は奥駈古道で 帰路に歩きます。
今は左の「巻道」とかいてある道へ行きます。この道は 合流地点では「在来道」と表示があり 今の奥駈道です。
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巻道とはいえ ジグザグの急登です。
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鎖場もあります。
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ボランティアによるメンテナンスも素晴らしい。
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きれいな小紫陽花が可憐な花をつけて 急登の疲れを癒してくれます。
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やがて尾根道に出た頃に
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奥駈古道が右から合流してきます。
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鍋冠行者堂を過ぎます。この謂れは分かりません。奥駈の行場ー75靡きではありません。
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このあたりまで来ると 植林帯も消えて やっと奥駈道らしくなります。
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足元には見事な苔の森が広がっていました。
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石碑に「百六十丁」と書かれているのは この道を吉野に向い歩いてあと金峰山寺へ16キロと言う意味でしょう。
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今宿跡を過ぎます。
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アップダウンを繰り返すうちに 遠くに大峯山が薄く見えてきました。
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見通しのよい場所に来ました。正面奥は 大台ケ原の日之出が岳でしょうか。
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板屋楓の若葉がきれいです。
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やがて この区間の最大の難所「鞍掛け岩」にきました。長い鎖場です。
厳冬期にここへ来て鎖は分厚い氷の下で ツルツルの氷壁に阻まれて引き返したこともありました。
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もう少しで抜けれそうです。慎重に登ります。
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五番関から大峯山 その2へつづく
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大峯山周辺は昔から何回も歩いているが、茶店や宿坊が営業中に歩いたことはありませんでした。
今回初めて それらの営業中に歩き、奥駈ですれ違う人は「よう、御参り」と声を掛け合うことも
初めて知りました。日曜日だったので沢山の人が「西の覗き」で修行していました。もちろん
そんな光景も初めて見ました。
この界隈は ほとんど厳冬期の 氷と雪に閉ざされた中を歩いていたので 新緑と大勢の人はとても新鮮でした。
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五番関から大峯山 その1
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登山地図です。五番関から大峯山までが奥駈道です。
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五番関登山口駐車場です。正式な駐車場ではありませんが 道路が広いので10台以上楽に止めれます。
この道路は奈良県道で天川村と川上村を結ぶ道で 川上村杉の湯の信号へ出ます。
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この東屋の奥に登山口標識が見えています。
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道というより 踏跡を辿りますが はっきりしていて間違えません。
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危険な箇所には ボランティアの方が ロープをフィックスしてくださっています。
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歩き出して15分足らず、あっという間に奥駈道です。
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五番関とは 女人禁制の大峰山への 女人結界門が各所にあり、清浄大橋、阿弥陀が森、蓮華辻、そしてこの五番関
ですが、もう一つは分かりません。廃道になった道の入口にでもあったのでしょう。
「女人」の女の字が壊されて、「人は入るべからず」になっていて笑わせます。何時まで女人禁制なんて
馬鹿なことをつづけるのでしょうか。日本中の山岳修験の山はすべて女人禁制でした。しかし徐々に開放されて
いまや この大峯山だけです。富士山も江戸時代に登山者(信仰者)の激減で 女性を取り込んで復活しました。
高野山も明治時代まで女人禁制で 空海のオカンも高野山に入れず 慈尊院で息子の帰りを待ちわびていました。
世界文化遺産に登録された今 未だに女人禁制なんて 日本の恥ですねえ。「紀伊山地の霊場と参詣道」は
世界遺産登録12年目です。沢山の外国人が 町石道、小辺路中辺路伊勢路や この奥駈道を歩いています。
女人禁制の理由をどう説明するのでしょう。
私が子供の頃は 女性は不浄だからと言う理由で 女性は神棚にも触れませんでした。私が会社へ入った頃
(1971年頃)もそうでした。神棚の掃除は男子新入社員の仕事でした。
今そんな事言えば 女性達や世間から ぼこぼこに叩かれますけどねえ。
女性は子供を造れるから 男より優れているのにねえ。
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道は直ぐに二手に分かれます。右は奥駈古道で 帰路に歩きます。
今は左の「巻道」とかいてある道へ行きます。この道は 合流地点では「在来道」と表示があり 今の奥駈道です。
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巻道とはいえ ジグザグの急登です。
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鎖場もあります。
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ボランティアによるメンテナンスも素晴らしい。
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きれいな小紫陽花が可憐な花をつけて 急登の疲れを癒してくれます。
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やがて尾根道に出た頃に
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奥駈古道が右から合流してきます。
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鍋冠行者堂を過ぎます。この謂れは分かりません。奥駈の行場ー75靡きではありません。
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このあたりまで来ると 植林帯も消えて やっと奥駈道らしくなります。
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足元には見事な苔の森が広がっていました。
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石碑に「百六十丁」と書かれているのは この道を吉野に向い歩いてあと金峰山寺へ16キロと言う意味でしょう。
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今宿跡を過ぎます。
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アップダウンを繰り返すうちに 遠くに大峯山が薄く見えてきました。
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見通しのよい場所に来ました。正面奥は 大台ケ原の日之出が岳でしょうか。
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板屋楓の若葉がきれいです。
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やがて この区間の最大の難所「鞍掛け岩」にきました。長い鎖場です。
厳冬期にここへ来て鎖は分厚い氷の下で ツルツルの氷壁に阻まれて引き返したこともありました。
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もう少しで抜けれそうです。慎重に登ります。
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五番関から大峯山 その2へつづく
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