怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

教育をテーマにしたテレビドラマ(女王の教室論議から)

2005-08-05 09:55:55 | 戯言
今までに熱中先生やら金八先生、スクールウォーズ、ゴクセンだけでなく、古くはフィルムの「教育は死なず」だとか、教育現場のいろいろなドラマ化がなされてきた。
私はその全てを見つくしてきたわけではない。
今回の「女王の教室」などはホントに少ししか見ていない。
ただ、周辺のいろいろな談義を聞いているとやるせない気持ちになる。

昔話をしたい。
私の中学時代はいわゆる不良の形骸化まっさかりの時代で、なめ猫なんてキャラも生まれた時代。
いわゆる不良はファッションだったが、上の世代にとっては「生き方」に近い部分もあり、様々な影響で争いごとが絶えなかった。
尾崎豊の歌に「・・・校舎の窓ガラス壊してまわった・・・」というのがあるが、そんなのが三日ごとに起こるようなそんな殺伐とした雰囲気の時代だった。
(人によりけりだろうが、私にはそうだった。)
学校での授業は、成立しているものが少なく、身の危険を感じる学校に、いきおい不登校の道へと進んだ。
突然、担任は「登校拒否児!」とののしるように言った。
私は学校に行けなくなっていたのだ。
行くと正門で吐いたこともあった。身体まで拒否反応を示していた。
休み時間に集団で脅されて、帰ったこともあった。家に引きこもることが増えた。
これは私だけに限ったことではなかった。
当時の先生は体罰でしめていた。私も理由なく殴られたものだ。いい記憶は残っていない。
内申書はガタガタで、内申書を重視しない私立高校にしか進めなかった。
25から26歳くらいになるまで、中学時代が悪夢としてついてまわり、夜中によく叫んで起きた。
「不登校」という言葉が普及したのは、私がつらい中学時代を終えてからである。

私はテレビドラマというのは信じない。
なぜなら、たいして下調べをせずに、視聴率をねらって作っているからだ。
エンタメであるし、表現であるのだから、その存在自体は否定しないし、私も楽しんでみる気分で見ればみれないことはない。
ただ、それを元に、リアルな物を考える人へは幻滅しか覚えない。
いや、縁側で話すよた話なら、「はいはい」と笑って聞き流せるが、まるでそこからリアルな物言いができるようなことを言う輩には「目を開いて物を言えよ」としかいえない。
ある意味、リアルを目指した金八先生シリーズでさえ、あの世代には酷な話だよな、という部分を感じる。
スクールウォーズなんてのは、はっきりいって弱者を切り捨てているとしか思えないドラマだ。

女王の教室談義を横目で見ていると、なんかやるせない。
きっと、よく自分を見つめている子どもには「何、おくれたことをドラマにしているんだよ。」と思われている。
そんな気がする。
(だって、ひいき目に見ても、過去のことをモデルにして製作されているのでしょう?)
そして、現場に立つ人間としては、ドラマから学ぶことはたいしてないし、リアルを見つめるしかないんだよとつぶやくしかない。
「いじめ」の問題一つとっても、よほど他の情報源の方がリアルで示唆に富んでいる。