いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

文章中心の記事1

2016年06月12日 21時05分25秒 | カテゴリー別 記事の早アクセス表

文章中心のシリーズ:


陳廷敬と皇城相府、山西晋城
 拙訳本『紫禁城の月 --大清相国 清の宰相 陳廷敬』の歴史的背景を紹介するシリーズ。
 本書のサイド・ストーリーが盛りだくさん! 100倍、楽しんじゃいましょ!

    
    1、炭鉱と製鉄で身を起こす
    2、明末の動乱・王嘉胤の乱、始まる 
    3、陳家興隆の歴史的背景
    4、陳廷敬の両親・兄弟・本妻
    5、わずか19歳で進士に
      6、『紫禁城の月』の時代背景の理解に
    7、(写真中心)内城『斗築可居』 宗祠 容山公府と世徳院 
    8、(写真中心)内城御史府、河山楼と麒麟院
    9、『屯兵洞』、皇帝行列と外城 大学士第 点翰堂 内府 小姐院
    10、陳廷敬以後の『皇城相府』
    11、王岐山と陳廷敬
    12、王岐山と張英
    13、「号」に込められた意味
    14、隠居返上
    15、康熙帝、『湯座り』を勧める
    16、李光地にも『湯座り』を勧める
    17、李光地の病が湯治で完治
    18、陳廷敬、病に伏す
           19、陳廷敬の見送りには
           20、『紫芸[阝千]』
           21、高士奇の生い立ち
    22、高士奇、南書房に入る
    23、軍機処の前に南書房あり
    24、高士奇、起居注官に任命される
    25、康熙帝と高士奇と杭州霊陰寺
    26、康熙帝が高士奇を寵愛した理由
    27、高士奇と金の豆粒
    28、高士奇の蓄財が悪評に
           29、康熙帝、西渓山荘に滞在す
   

 



北京胡同トイレ物語1、糞道 --仁義なき戦い  
 壮大なる一大産業「糞業」。クサくも切ない男たちの奮闘の物語。

    1、世にも麗しき「飯櫃」  
    2、人口増加と「糞業」の発展
    3、4億人口を支えたシステム
    4、石炭の燃えカスはとにかく「かさばる」
    5、「糞道」制度の規範化
    6、暴力集団化する糞夫ら
    7、糞車改革の困難
    8、北平市長、袁良登場
    9、1500人の糞夫、役所前に整列
    10、日本軍はさじを投げる


北京胡同トイレ物語2、糞夫・時伝祥
 「糞取り夫」から国家主席・劉少奇の盟友にまで登り詰めた男・時伝祥の生涯と過ぎ去りし時代を描く。
  
    1、労働模範・時伝祥
    2、糞覇の元での生活
    3、都会の汚名を怖がらない
    4、時伝祥、嫁を取る
    5、花嫁が雄鶏と婚礼
    6、解放直後の北京
    7、農村の土地改革、始まる
    8、糞業、ついに国有化
    9、ボランティア精神
    10、食糧生産に肥えで貢献
    11、足の指切断の危機


胡同物語「雑居四合院」の人びと
 2008年前後、オリンピック準備で沸き立つ北京。胡同に住む人々の人生と生活を描き出す。

    1、胡同の長屋暮らし
    2、小堂胡同の暮らし
    3、住みついた経緯
    4、四合院の公共化
    5、唐山地震とせり出し小屋
    6、番外編「心」
    7、今も胡同に暮らす人とは
    8、「うちがつぶれたら、トイレに住んでやる」


楡林古城・明とモンゴルの攻防戦
 長城をはさんだモンゴルとの飽くなき戦い。中国版・防人(さきもり)の悲哀とたくましき姿。

    1、オルドスの真下
    2、明の万暦年間の建物が多いわけ
    3・アルタン、ハーンの位を継ぐ
    4、土達を最前線に
    5、英宗、大同城下に連行される
    6、逃亡者の増加
    7、フフホトと板昇
    8、嘉靖帝の不信感
    9、明代の戸籍制度
    10、守城と屯田
    11、関羽信仰の示すもの


佳県・白雲観と全真教の物語
 道教・全真教の龍門派の総本山を訪ねたことを機に竜門派の軌跡を追う。
    
    1、明の神宗の扁額を賜る
    2、始祖・王重陽
    3、全真庵と北七真
    4、チンギス・ハーンと丘処機、そして朱元璋
    5、龍門派の誕生
    6、律宗と龍門派清初の中興
    7、龍門丹法
    8、各種縁日と参拝客の礼儀
    9、道士の活動、そしてかの人も占いに


清の西陵
 雍正帝の即位にまつわる康熙帝の皇子ら、ガチンコの皇位継承争い、西陵の軍事的な意味、モンゴルやチベットとの関係を探る。

    1、騎馬民族の行動範囲
    2、西陵と雍正帝の兄弟争い、康熙帝の皇子らのそれぞれの末路
    3、父親に顔向けできないからこそ、そして紫荊関の地の利
    4、ゆっくりとモンゴル諸部を制圧(西陵の地図つき)
    5、ガルダン・ハーン、ウランブトンの戦いで首都に肉薄
    6、雍正年間にチベット直接支配
    7、ばつの悪さと国防と
    8、「西陵人」としての誇り


清の東陵
 康熙帝、乾隆帝、西太后などのスター面子を多く抱える東陵。
 権力争いに敗れた康熙帝の皇子の墓守り生活、墓守りの実態、西太后の死とともに連鎖倒産したアメリカのトルマリン鉱山の話など、小話をちょこちょこと・・・・。

    1、順治帝の孝陵、見目麗しい童男童女が突き固める?
    2、康熙帝の14皇子胤[ネ題]の東陵生活
    3、東陵の旗人は、実は皆、包衣 
    4、西太后の翡翠のスイカと孫殿英
    5、番外編・薊県の白塔寺と独楽寺



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