内城を入って右手(南側)に見えるのが、『御史府』である。
陳廷敬の叔父・陳昌言の邸宅。進士に及第し、江南学政まで務めた人物である。
元々の名前は『中和居』と言ったが、
陳昌言が浙江道監察御史になって以来『御史府」と呼びならわされるようになった。
『台諌清風』は、邸宅の主人を表現する。
「台諌」は、諸官僚の行状を監視し、告発することを任務とする「御史」という官職の別名。
つまりは、他人の不正を告発する「御史」自身が汚職をしていたのでは埒が明かないわけで、
「御史」というのは、まず自らもが清廉潔白な人でなければ世間が納得しない。
「御史」というのは、清廉潔白の代名詞のような存在であり、
事実この邸宅の主人・陳昌言も世間からそのような評判を得ていたと主張する四文字である。
その間取りは、弟・陳昌期の『世徳院』とまったく同じ。兄弟二人の住居が、対を成す形になっているという。
現在、『御史府』は、「陽城生鉄冶鋳技術展覧館」として、展示されている。
陳家の家業であり、陽城一帯の主要産業だった鋳鉄技術に関する展示がされているということらしい。
お! 展示されているのは、今、中国人の爆買い必須アイテム、鉄瓶ではないですかー!
爆買いブームを受けて、鋳鉄の産地・澤州でも生産を始めたということですねー。
ルクルーゼ式の琺瑯コーティングの鉄なべ、ダッチオーブン式の鉄肌露出型の鍋、いろいろ揃っていますねー。
日本で売られている100スキやニトスキなんかは、すべて中国産なわけだから、
この『澤州鉄器』も日本に輸出されているのかもしれないですなー。
その昔の鋳鉄の工法が、パネル式に説明されていますな。
外では、大音量の民族風音楽に合わせて、機織りのパフォーマンス、進行中。
内城の北側のエリアに行くと、『河山楼」が登場。
写真は、以下の過去記事と重複しますー。
あしからず。
また建設の経緯も以下の過去記事のとおり。
陳廷敬と皇城相府2、明末の動乱・王嘉胤の乱、始まる
売店にされてしまっています・・・。
『河山楼』の麓には、お酒の量り売りのお店も。
実は、ここのお店の話は、前日、陽城市内の同じようなお酒の量り売りのお店で聞いていました。
過去記事・定州12・明の城壁の最後でも触れている通り、
田舎町の甕入りの量り売りのお店というのは、偽物が少なく、安くてめっぽうおいしいものが多いものなのだ。
地元の、本物ののんべえしか買いに来ない、化粧箱もへったくれもあったものじゃない、
ペットボトルにギイコギイコと汲み上げるだけの酒に偽があれば、すぐにバレるというもの。
そんなわけで、こんな佇まいのお店を見つけたら、まずは入ってみたくなる。
中に入ると、案の定、甕が並んでる並んでる。
しかもここは山西省。それぞれの甕のお酒の名前を聞いていくと、有名な名前のオンパレードー!!
竹葉青酒、杏花村、[さんずい+分]酒、などなど、どこぞの唐詩で聞いたことがある名前がずらり。
しかもお値段は、1斤6元から。
そして味もまた、値段に不釣り合いなくらいレベルが高い!
・・・とまたしこたまさまざまな種類を買いこんでしまったのである。
名声にたがわず、その味は前回、定州で買った地酒よりもずっとレベルが高かった!
皆、うまいお酒ですわ!
このお店の主人が、言っていたのだ。
「皇城相府はもう行ったか? え? 明日行く?
それなら、中で同じように甕の測り売りをしている店があるから、見てみたらいいよ。
あそこのお酒は、うちから出しているけど、値段は3-4倍はするからね。」
……というわけで、ああ、このお店のことでしたか、と合点が行ったわけである。
もちろん皇城相府の中なので、そりゃあテナント代もうんと取られているんでしょうから、
当然といえば、当然の話ではないか。
ご商売、ご苦労様です!
……と酒の話ばかりしている場合ではない。
『河山楼]からどんどん進んで行きましょう。
西北方向に進んで行くと、『麒麟院』に抜けることができる。
またまた立派な日本語つきの説明。
『麒麟院』は、陳廷敬の祖父・陳経済の邸宅だったところである。
しかしその後は、北門に近いため、車馬の出入りに便利だという理由で、車馬の「駐車場」にされた。
馬やロバ、牛などの使役畜を麒麟に見立て、敷地内の装飾に多く取り入れたことから、この名がついた。
『麒麟院』から東=山側を見やると、上まで続く階段が見える。
ぽちっと、押していただけると、励みになります!
陳廷敬の叔父・陳昌言の邸宅。進士に及第し、江南学政まで務めた人物である。
元々の名前は『中和居』と言ったが、
陳昌言が浙江道監察御史になって以来『御史府」と呼びならわされるようになった。
『台諌清風』は、邸宅の主人を表現する。
「台諌」は、諸官僚の行状を監視し、告発することを任務とする「御史」という官職の別名。
つまりは、他人の不正を告発する「御史」自身が汚職をしていたのでは埒が明かないわけで、
「御史」というのは、まず自らもが清廉潔白な人でなければ世間が納得しない。
「御史」というのは、清廉潔白の代名詞のような存在であり、
事実この邸宅の主人・陳昌言も世間からそのような評判を得ていたと主張する四文字である。
その間取りは、弟・陳昌期の『世徳院』とまったく同じ。兄弟二人の住居が、対を成す形になっているという。
現在、『御史府』は、「陽城生鉄冶鋳技術展覧館」として、展示されている。
陳家の家業であり、陽城一帯の主要産業だった鋳鉄技術に関する展示がされているということらしい。
お! 展示されているのは、今、中国人の爆買い必須アイテム、鉄瓶ではないですかー!
爆買いブームを受けて、鋳鉄の産地・澤州でも生産を始めたということですねー。
ルクルーゼ式の琺瑯コーティングの鉄なべ、ダッチオーブン式の鉄肌露出型の鍋、いろいろ揃っていますねー。
日本で売られている100スキやニトスキなんかは、すべて中国産なわけだから、
この『澤州鉄器』も日本に輸出されているのかもしれないですなー。
その昔の鋳鉄の工法が、パネル式に説明されていますな。
外では、大音量の民族風音楽に合わせて、機織りのパフォーマンス、進行中。
内城の北側のエリアに行くと、『河山楼」が登場。
写真は、以下の過去記事と重複しますー。
あしからず。
また建設の経緯も以下の過去記事のとおり。
陳廷敬と皇城相府2、明末の動乱・王嘉胤の乱、始まる
売店にされてしまっています・・・。
『河山楼』の麓には、お酒の量り売りのお店も。
実は、ここのお店の話は、前日、陽城市内の同じようなお酒の量り売りのお店で聞いていました。
過去記事・定州12・明の城壁の最後でも触れている通り、
田舎町の甕入りの量り売りのお店というのは、偽物が少なく、安くてめっぽうおいしいものが多いものなのだ。
地元の、本物ののんべえしか買いに来ない、化粧箱もへったくれもあったものじゃない、
ペットボトルにギイコギイコと汲み上げるだけの酒に偽があれば、すぐにバレるというもの。
そんなわけで、こんな佇まいのお店を見つけたら、まずは入ってみたくなる。
中に入ると、案の定、甕が並んでる並んでる。
しかもここは山西省。それぞれの甕のお酒の名前を聞いていくと、有名な名前のオンパレードー!!
竹葉青酒、杏花村、[さんずい+分]酒、などなど、どこぞの唐詩で聞いたことがある名前がずらり。
しかもお値段は、1斤6元から。
そして味もまた、値段に不釣り合いなくらいレベルが高い!
・・・とまたしこたまさまざまな種類を買いこんでしまったのである。
名声にたがわず、その味は前回、定州で買った地酒よりもずっとレベルが高かった!
皆、うまいお酒ですわ!
このお店の主人が、言っていたのだ。
「皇城相府はもう行ったか? え? 明日行く?
それなら、中で同じように甕の測り売りをしている店があるから、見てみたらいいよ。
あそこのお酒は、うちから出しているけど、値段は3-4倍はするからね。」
……というわけで、ああ、このお店のことでしたか、と合点が行ったわけである。
もちろん皇城相府の中なので、そりゃあテナント代もうんと取られているんでしょうから、
当然といえば、当然の話ではないか。
ご商売、ご苦労様です!
……と酒の話ばかりしている場合ではない。
『河山楼]からどんどん進んで行きましょう。
西北方向に進んで行くと、『麒麟院』に抜けることができる。
またまた立派な日本語つきの説明。
『麒麟院』は、陳廷敬の祖父・陳経済の邸宅だったところである。
しかしその後は、北門に近いため、車馬の出入りに便利だという理由で、車馬の「駐車場」にされた。
馬やロバ、牛などの使役畜を麒麟に見立て、敷地内の装飾に多く取り入れたことから、この名がついた。
『麒麟院』から東=山側を見やると、上まで続く階段が見える。
ぽちっと、押していただけると、励みになります!