いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語57、戦場以外のタイシャン

2019年03月28日 01時28分09秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
軍事的な才覚では、跡継ぎとして父ヌルハチの期待に恥じない
堂々たる働きを見せてきたタイシャンである。
 
戦場での「いけいけどんどん」の猪突猛進では、鬼神のごときカリスマ性を発揮し、
兵卒の一人一人に至るまで戦いに駆り立てる魔力を持っていた。

ところが一たび複雑な権力闘争の場で、目に見えない謀略を相手にする場合は、
どうやらあまり健闘したとはいえないようである。
 

チュインが誅されてから、タイシャンはヌルハチの息子らの中では最も年長であり、
大福晋を生母に持つ、文句のつけようがない後継者であった。

……中原王朝の思考からいけば。

網の目のように張り巡らされた官僚機構により、
皇帝があほたれえでもまったく国の機能に影響しないシステムの中では。
 

しかしまだ文字も持たない、勃興したばかりの女真族の中でその道理は通じない。

ヌルハチの他の息子らが、
タイシャンを引き摺り下ろし、自分が取って代わるチャンスを虎視眈々と狙っていた。


**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城




前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語56、タイシャン理路整然

2019年03月24日 01時28分09秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
梯子作りでさえ、細心の注意を払って隠さなければならなかったのに、
数万の兵を動かした今、明が感づかないはずはない。

今さら雨が降ったからといって撤退しても、謀反の意思はもうすでに白日の下にさらされた形となっているではないか。


これまで明側も油断してきたからこそ、
ヌルハチが密かに満洲や朝鮮に対して「ハーン」の称号を僭称していることも発覚せずに済んでいる。

しかし今回のことをきっかけに明側の警戒心が強くなれば、
いずれ発覚し、以後名乗ることはできなくなるだろう。

また一介の建州衛の都督として、遼東巡撫の命令に従い、
これまで三十年かけて併呑してきた血と命の結晶である女真の属部も手放さなければならなくなる。


--まるで今日びのどこかの老大国とどこかの新大国のぼうえき戦争を見ているようだが。。。
鷹揚にかまえていた「世界の警察」を一気に覚醒させてしまった現象と
よおおく似ているような気がするが笑。


閑話休題。

タイシャンは、
雨が降っていても、兵士らにはそれに備えた雨よけの覆い服があり、
弓矢にも雨具があるから支障はない、しかも雨なら敵も油断している、
と強く主張した。

タイシャンの説得には、理路整然とした道理が通っており、力強さがあった。


またもや老いてやや軸がぶれ気味な父を支える力強い息子の役割を果たしている。

タイシャンの主張は受け入れられ、ヌルハチは攻撃続行を決定した。
満洲軍は、撫順だけでなく明側の城を五百ヶ所も陥落させ、
人畜三十万を得て明側との初戦を圧倒的な勝利で終わらせたのである。


**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城



前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語55、タイシャンもう一つの武勇伝

2019年03月20日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
タイシャンの戦いに関するエピソードがもう一つある。

のちのことのなるが、天命三年(一四一八)四月十三日、
ヌルハチは「七大恨」を大義に掲げ、ついに明への反旗を翻し、撫順攻撃のために出発した。

ところが翌日に雨が降ったために、ヌルハチは引き返そうとしたのだ。
タイシャンはこれを強く止めて主張した。

これまで明は、ヌルハチの勢力の拡大するのを、薄々は把握しつつも
国力が衰え、対応しきれないために目をつぶってきた。

しかしこのたびヌルハチが大軍を動かし、撫順に向かって移動を始めたことは、
明らかに反旗を翻した動かぬ証拠である。

そうなれば明は、台所事情がどんなに苦しかろうと、力を振り絞って兵力を終結してくるだろう。


今回の明への攻撃は、相手に完全に油断させた時に急襲するからこそ、
撫順には充分な兵力も備えもなく、勝つ可能性がある。


満洲側は明に気づかれないように、こっそりと戦いの準備を進めるため、これまで細心の注意を払ってきた。

二ヶ月前、ヌルハチは明に反旗を翻すこと決心し、城攻めのための梯子(はしご)の用意を始めた。
明側に感づかれることを恐れ、森林から木材を伐採する際も
「諸ベイレに馬小屋作りを命じる」
と周囲に喧伝し、七百人を山に派遣した。

梯子が出来上がった後も明側に見咎められることを恐れ、
横にして馬をくくる柵のように見せかけたくらいである。

**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城



前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語54、タイシャンのリーダーシップ

2019年03月16日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
この場合のヌルハチもそれに近い状況といえなくもない。

それ以前にすでに大きな犠牲を払っても落とせなかったウラ部である。
仲間の犠牲も大きい上に戦利品までないとなれば、士気が落ちる可能性が高いのに、
気弱になっているのは、老いのせいもあるといえなくもない。

但しヌルハチのヌルハチたる由縁は、
ではそのプレッシャーを一身に背負いたい、という若い将が現れた時には、
すんなりと一任するだけの即断力があるところだ。


ヌルハチは考えたことだろう。
兵士らは皆でタイシャンの元に集まり、ぜひやらせてくれ、と頭を下げて言って来たのだ。

もしこの作戦で失敗し、多くの犠牲者が出たとしても、
自分が怨まれることはないし、批判が集まるとしてもそれは息子のタイシャンになるだろう。
タイシャンは若いので、そのプレッシャーに耐えられる。

または批判を受ける「痛み」を知らないから、怖いと思っていない。



この場合、その豪胆さは吉と出た。

タイシャンは、阿修羅の如く敵陣に切り込み、
やはり戦利品への渇望が強い兵士らがその後に気勢を上げて続き、
相手の戦死者一万人、甲(かぶと)七千個を得て、長い伝統を持つ強国ウラ部を滅亡させたのである。


この時代の満洲は、自国で生産できる衣服といえば、獣の毛皮か、サケの皮で作った服しかない。
鉄の針一本にしても、すべて中原から輸入しなければならない。

その状況で「甲(かぶと)」がどれだけ貴重な戦利品であったかは、想像に余りある。
日常着る衣服でさえ貴重品なのだ。かぶとも値が張ったに違いない。

それを七千個得たということが、ヌルハチの勢力にとり、どれだけ貴重だったか、わかるというものだ。

**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城

  


前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語53、戦争は将が若い方が勝つ

2019年03月12日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
戦争には人の命がかかっている。
将には、命令一つで兵士らの命を落とさせる危険があり、
そのために慎重にならざるを得ないし、それだけにプレッシャーも大きい。

一説には、戦争は将が若い方の軍勢が勝つ可能性が高い、という統計があるという。

それは年をとればとるほどプレッシャーに耐えるだけの精神力が弱くなるからだろう。
失敗すれば人に嫌われる、人に怨まれる。

誰だって人に好かれ、褒められたい。

怨まれるかもしれないという大きなプレッシャーを受けてでも自分の信念を曲げず、
作戦を遂行するには、強靭な精神力が必要となる。

そのプレッシャー合戦で老いたほうが負けやすいということなのだ。


それは過去の失敗の後に批判にさらされた「痛み」を覚えているから、怖くなることもある。
失敗したことのない若者なら、
「痛み」がどういうものか、わからないからこそ、大胆になれることもあるだろう。

怖気づけば、仲間の中から上がる反対意見、皆が好き放題なことをいうさまざまな意見に流されてしまった結果、
作戦が一貫性を失い、支離滅裂になりやすい。


**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城



前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語52、タイシャン物申せる男

2019年03月08日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
ヌルハチの言葉にも、確かに一理あった。

しかし前年のウラ攻めでもそういい、捕虜の数もたいしたものにはならなかった。
今年も同じことを繰り返せば、恐らく士気を維持するのは難しい。

戦士らの士気は戦利品への期待にかかっているのだ。


原始状態にある満洲族には、金銭・財産的な戦利品はあまり期待できるものではなく、
役に立つものといえば「人間」、つまり捕虜である。

去年もその収穫があまりなく、また出直しといわれれば、
兵士らは次第に真剣に戦わなくなる危険性が大いにあった。


ヌルハチに物申せる人はあまりいない。
一度言い出したことを取り消すことはめったになく、逆に反対意見を出した方が罰せられる可能性の方が高かった。
心の中で思っていても、口に出せる者はほとんどいなかった。

タイシャンは父の心象を悪くすることも恐れず、配下の将軍・兵士らを率いてヌルハチを説得した。
その熱意にヌルハチもついに根負けして、それなら思う存分やればよい、と承諾したのである。

ヌルハチにしてみれば、皆が納得の上ならいうことはない、というところだろう。


**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城



前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ  

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語51、タイシャンを太子に

2019年03月04日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
チュインの廃嫡後は、次に年長の同母弟タイシャン(代善)が、太子に立てられた。

タイシャンは生まれも嫡夫人である一人目の大福金を生母に持ち、
そして何よりも戦いで勇猛果敢、人々を納得させるだけの素質は十分にあった。

何度も登場する戦いだが、ウラ部から帰順するという五百戸を出迎えに行き、
ウラ部の酋長プジャンタイに阻止された時の戦いでは、
チュインとタイシャンが主力になり、戦いを勝利に導いた。

この戦功を称え、ヌルハチはタイシャンに「グエン・バトゥール(古英巴図魯)」の称号を与えた。
グエンは満州語で刀の柄にかぶせてある鉄カバーを指し、バトゥールは英明かつ勇敢の意である。
鉄の如く硬く勇敢なり、と。

この称号は清朝一代でタイシャンのみにつけられた称号であり、ヌルハチの寵愛のほどが知れる。


明の万暦四十一年(一六一三)、ヌルハチは三万の兵を率い、ウラを攻撃し、
ウラ部の酋長プジャンタイがこれを三万の兵力で迎え撃った。

諸ベイレ、大臣らは積極的に攻撃をかけようとするが、
ヌルハチは血気逸る皆を戒めた。

ウラは吾らと同等の大国なり、巨大な樹の如き相手をいきなり打ち倒せるものではない、
少しずつ枝を切り落としてように各城・塞を取っていくしかない、と説得した。


**************************************************************
遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城




前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


ぽちっと、押していただけると、
励みになります!

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ