2日目、道連れの女の子と炭火焼きの食事をしていると、
偶然にも(よく考えたら、偶然でもないのだが)モソ族の有名人の一人に会ってしまった。
むつくけきプロレスラーのような巨体にロン毛、ふてぶてしい面構えの、どう見ても堅気には見えない兄ちゃんが、焼肉屋のあたりをうろうろしていた。
一目見たら、誰もが忘れないだろう、強烈な面構えだ。
座った焼肉屋の席の横にいたので、なんとなく雑談になると、
「何をしている人なの」
と聞くと、
職業は「用心棒」だと彼は答えた。
つまりは場所を取り仕切り、みかじめ料を徴収しているやくざさんである。
「盛り場に刃傷沙汰はつきものだからね。やっぱり俺みたいなのが、納めにいかないと、納まらないのさ」
恐れ多くも相場なんぞを聞くと、一店当たりから月数百元から1000元程度、里格には100軒ほどのお店があるから、数万元から10万元の収入になるということだ。
「あなた武術でもやっていたの?」と聞くと、
「おうさ。崇山少林寺の武僧だったさ」と勇ましい答え。
「もしかして兵役なんかも行ったことある?」
「おうさ。兵隊もやったし、ラマ修行もしたし、何でも経験しているよ」
ラ、ラマですか。。。。えらい生臭いラマもいたもんだ。。。
彼は盛り場の道脇の欄干に腰かけ、あちこちにぎょろぎょろりと睨みを利かせる。
「お勤めは毎日、何時まで?」
「夜12時までさ。そこから後はあちこちの娘っ子のところに走婚(夜這い)に行かないといけないからね」
と、モソ族男としての見事な模範回答を言い放ってくれた。
「あなたいくつよ。」
「俺か? 40過ぎさ」
「えええ。だって走婚って、30過ぎくらいになったら、もう落ち着いて結婚するんじゃないの?」
「はは。そりゃあ、もう動けなくなったら、そうなるさ。じたばたしようにももう体力がなくなるからね。
それは個人差によるさ。俺様はここがまだまだ元気なんでね。あしからず」
と、ダイレクトに股間を指差す。
「あはは。それは恐れ入りました!」
そこに若い女の子がきゃあきゃあ言いながら割りこんでくる。
「あああ! 本当に走婚王子がいた!」
「本当に走婚王子なの? 今日も(夜這いに)行くの??」
「いっしょに写真撮らせてー!」
と、若い女子らが、いきなり彼の巨体をぺたぺたと触りまわしにくる。
じ、実はすでに観光に来た人たちの間では、「走婚王子」とあだ名がつき、ネットでは有名人らしいのだ。
。。。。そりゃああ、さっきみたいなトークを会う人ごとにしていれば、そういうあだ名もつくわいさ。。。。そういうことだったのねえええ。
ログ湖の有名人・ジャシ。
しかしさすがこの国の人たちは、好きなことをいう。
先ほどのべたべた用心棒を触りまわしていた中国人女子。
「王子っていうくらいだから、何人子供がいるのよ」
「2人だ」
「まあ。王子っていうくらいなのに、たった二人だけ? 名前負けしているじゃない、ふん」
と、捨て台詞を残し、そのまま去っていった。
。。。。それって、すんごい捨て台詞。まさに感情のポイ捨て。
それを受けた側が、どうなるか、まったく知ったこっちゃない、ってええことだねえええ。
記念写真までさんざんいっしょに撮っておいて。
私は横で見ていて、目が点になったわいさ。
しかしこちらの人はそれで一々傷ついたり、失礼だと感じたりしない、鋼鉄で完全武装した心を持っているから大丈夫。
場面はそのまま何事もなかったかのように流れていくのだ。
彼が胸にぶら下げているものは何か、と聞くと、嗅ぎタバコだという。
おおお。かのチベット人やモンゴル人がたしなむあれですな。
北方民族の町である北京でも民国時代以前までは皆、嗅ぎタバコがコミュニケーション・ツールだったという話は聞いたことがあった。
今の中国人男性がコミュニケーションのために初対面の相手にたばこを勧めるように、
嗅ぎタバコを親指の爪の上に1/3程度乗せて相手の鼻の先に差し出し、
「一つ、いかが?」
と勧める。
相手は、その親指の先に自分の顔を突き出し、片方の鼻の穴にずずううう、と吸い込み、
もう片方の鼻の穴でもずずううう、と吸い込み、勢いよくはっくっしょん、とくしゃみをし、
「けっこうなおタバコで」
と、いうのが、話のきっかけだった、と。
それだけ北京という町は、モンゴルなどの騎馬民族の風習も大量に根付いていた町だったということだ。
モソ族はチベット人の分派でもあるし、チベット仏教の文化が根付いており、
彼自身がラマ僧をしていたことがあるというところから来る嗜好なわけですな。
そんな話を連れの女子にしていると、「王子」はうんうん、と満足そうにうなずき、
「おぬし、なかなかやるのお」
といった風情で認めてくれた表情になった。
しばし満足。でへ。
彼は8つの言葉ができるという。
モソ語、中国語、チベット語、モンゴル語、プミ語、ペー語、サニ語・・・・ほかにも言った気がするが、忘れました。
でも漢字は一文字も読めないそうで、すべて耳学問なんだという。
ラマ修行をしていたからもちろんチベット語の読み書きの教養はあると思われる。
以前は普通の吸いたばこを1日に1箱半も吸っていたが、喉ががらがらになってしまったので、禁煙するために嗅ぎタバコに変えたという。
胸に下げている壷で1ヶ月以上ももち、一日に数回嗅ぐだけで満足できるそうだ。
値段も何壷も入るほどの量で10元程度。経済的にもやさしいらしい。
ネットで調べたら、「走婚王子」というのは、何人も出てくるのだが、お仁も出てきましたがなあ。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_5040710a0100bpzh.html
このブログの後半に彼の客桟に泊まった旅行記が出てくる。
彼の名前は6文字のものを紹介してくれたが、長すぎて私も覚えられなかった。
「扎西(ジャシ)でいいよ」
と彼はいい、上記の旅行記にもそう紹介されていた。
チベット系の名前としては、日本の太郎ひろしの如く、きわめて平凡でどこにでも転がっている名前だが。
「ジャシの家は非常に貧しく、そのために村から一番近いラマ廟である扎美寺に送り込まれた。
8歳から18歳までジャシは10年間僧侶としての生活を送った。
厳しい日々ではあったが、そこでチベット語の教養を身につけ、ほかのラマたちとチベットに旅したことで所謂『現代文明』に接した。
その後、成人すると還俗し、『馬幇』(馬キャラバン)を5年率いたり、山に入って冬虫夏草を掘り、売ったこともある。
それでも貧困から脱することはできず、上海や広東に行ったこともある。
(旅行記の主は婉曲にそう書いているが、つまりは出稼ぎに行ったということだろう)
(その後、故郷に帰ってきて)ジャシは中国語ができるので、現地でガイドになった。
泊まる場所のないという客は、自分の家に泊め、食事とベッドを提供した。
こうして彼の名声は次第に高くなり、ログ湖を紹介する書籍、ウェブサイトにはほとんど彼の名前が載り、
彼を慕ってくる人が増えると、ジャシは自分の二階建ての客桟を持つようになった」。
前述のブログより転載。
20代の頃の写真でしょうかね。
この旅行記ブログは2008年に書かれたものだが、
昨日私たちが出会ったジャシは、自分のことを宿の主人ではなく、用心棒だと名乗った。
。。。。。。まったく、酔狂なお仁じゃ。
あとからわかったことだが、彼の宿兼焼肉屋は私たちが座った席の隣の店。
彼が呼び込みの声をかけてくれたのを私たちは無視し、横の店に座ったということらしい。
彼の店は、外の席がすべて埋まっていたから。
(その時点では、何の認識もなしの私ら)
どうやら彼の用心棒としてのみかじめ料の徴収というのは、
彼がこの村の発展のためにしてきた貢献の結果として、この村の人たちが受け入れていることらしい。
ほかのサイトには、
「里格(リゴ)の今の発展は、ジャシによるところが大きい。
現地の人は、ジャシなしに今の里格はない、という人もいる」
とも書かれていたことからも、そうなのだろう、と見当をつけることができる。
旅行記が書かれた頃は、自らがガイドとなって車も運転して旅行客を案内していたらしいが、
今は毎晩、欄干の上に座ってたばこを吸っている。
用心棒として、みかじめ料だけで毎月10万元近い収入になるということだろう。
欄干に陣取っているのは、もちろんそれだけのためではなく、町の中を通る美女をくまなく物色して夜這いをかける相手を決めるためでもあるらしいのだが。
巨漢にすごい殺気を帯びた彼が顔を出せば、大抵の酔っ払いはおとなしくなるだろう。
彼にとって用心棒という家業はたいした負担でもないにちがいない。
さらに客桟も経営し、まさにリゴの「名士」である。
一つまたログ湖観光で押さえるべきポイントをクリアできたみたいで、私は大いに満足したのだった。
ラマ姿のジャシ。これも20代のときの写真でしょうかねー。
めっさ男前。
ログ湖へ来る際には、束河から往復のバス・チケットを買った。
復路は日程を決めていなかったので、予約をしていなかったが、ついた翌日の朝、旅行社から電話がかかってきた。
明日の便には乗るか、と聞くので、まだ決めていないが、もし晩に電話しても空きがあれば乗せてくれるか、と聞くと、
空きがあればもちろんOKだ、などという会話を交わした。
夜になり、もう1日滞在する必要性も感じなくなっていたので、旅行社に電話した。
すると、残念ながら翌日の便は満席で取ることができず、仕方ないので2日後の便になってしまった。
「2日後の便は、来たときと同じ運転手かしら」
と私は聞いた。
またちょいワル運転手の車に乗ることができたら、麗江でのホテルの予約もお願いできるのではないかしら、ともくろんでいたのだ。
何しろ、世間ではまだ端午の節句の連休が続いている。
ここリゴでも連日部屋が満室で寝る場所の確保にもかなり神経を使い、苦労したのだ。
ホテルの予約なしで麗江に戻って、また路頭に迷うのではないか、と不安だった。
今回、ちょいワル運転手さんに紹介してもらったリゴのホテルは快適だった。
おくさんと子供と今は、麗江に定住しているという彼なら、いい伝手があって、
どこもかしこも満室、という絶望的な状態になっても、なんとかどこかに私をねじ込んでくれるのではないかしら、と期待していたのだ。
すると、相手は
「どうしたんだ。彼はあなたによくしてくれたか」
と妙なことを聞く。
「ええ。よくしてくれたわ。客桟も予約してくれたし。彼が予約してくれなかったら、私は路頭に迷うところだったわ。」
「彼に客桟を紹介してもらったということは、彼はあなたに走婚(夜這い)をかけたのではないでしょうね」
と、突拍子もないことを言い出す。
声の主は20代の男性と思しき声質。
ちょいワル運転手さんには前科があるのだろうか。
そして声の主は、なまりの少ない標準語、
そこそこの教育を受けた人間の話す言葉遣いから察するに大学を出た漢族、おそらくちょいワル運転手さんの上司に当たるキャリア組なのだろう。
この数日の観察で出した結論。
それは、モソ男はスケこましにすべてのアイデンティティと人生の真髄をかけて挑んでいるため、
女性を落とすテクニックと成功率にかけては、並みの漢族男は足元にも及ばないくらいレベルが高いらしいということだ。
かくしてモソ男と接する漢族の若い男は、気も狂わんばかりの嫉妬の鬼のようになっているということではないのだろうか。
ロゴ湖のほとり。
「何人で予約するのか」
と声の主は、さらに問いかけてくる。
「一人よ」
「一人でロゴ湖に遊びに行ったのか」
「そうよ」
「走婚(夜這い)に来たのではないだろうな」
と、さらにわけのわからないことをいう。
このIT時代、わざわざこんな辺鄙な世界の果てまで来て夜這いを体験しにこなくたって、都会のど真ん中でも別に同じことはいくらでもできるんですけど。
自分と価値観や生活観、衛生観念の似た魅力的な相手と、と思いつつ、あきれて答える。
「わけわからないことをいうわね。意味がわからないんですけど」
すると、長い長い沈黙。
「ウェイ(もしもし)」
「ああ。聞いているよ」
「とにかくもしこの前の運転手なら携帯番号はわかるからもうメッセージは送ってくれなくてもいいけど、
ほかの運転手なら連絡が取れないまま置いていかれたら困るから、メッセージで電話番号を送ってね」
「それはもちろんだ」
翌朝、また旅行社の番号でかの声の主から電話があった。
すでに予約は済んでいるはずだから、はっきり言って無用の電話である。
「いつ麗江に帰るのだ」
「だから今朝の便はもうないんでしょう。乗せてくれないから仕方ないから明日の便を予約したじゃない。
今日帰れないからおかげでホテルも追い出されて、新しいところを探す羽目になって大変だったわよ」
「かわいそうな目に遭っているんだな。」
「そうよ。乗せてくれないから」
「早めに予約しないからあなたが悪い」
「それはわかっているから、仕方ないから明日の便にしているじゃない」
「夜のキャンプファイヤーの踊りでモソのイケメンでも見つけて泊めてもらえば、宿も探す必要はないじゃないか」
「はあああ? わけわからないこと言わないでよ」
「・・・・俺に甘えた声を出すのはやめてくれ」
もおおおおお、目が点なんですけど???? 誰が甘えた声出しているのよ???
つまり以上の会話をわざわざ書きたてた理由は、何が言いたかったかというと。
声の主は私に会ったこともなければ、どういう容姿なのかも年齢も国籍も知らないのに、
一人旅の女性、ばあさんの声でもなさそうというだけでもう妄想で頭が爆発しそうになり、モソ男どもに嫉妬して狂わんばかりになり、
私の行動が気になってストーカーをかけてきているわけである。
これって、相当ヤキが回っていませんか???
ログ湖。
写真ではわかりづらいが、白い花びらが浮かんでいるのがわかるだろうか。
水中の水草が白い花を咲かせている。
高原独特の高山植物だろうか。。。なんか貴重なものなのではないか、という気がする。。。
ということは、本来は保守的(というより、性を取引の商品として後生大事にしまいこみ、出し惜しみしてなかなか与えないということ)な漢族女性であっても、
モソ男の手練手管にかかると、コロコロと次から次へと落ちて行くという事実があるということなのだろう。
旅先の気楽さも手伝って。
モソの夜這いの基本は秘密の守り方の段取りにあるので、人に知られることもなく、都会に戻った後の生活には一切影響しない。
そして漢人男には、そんな訓練を受けた経験がないし、
保守的な中原の社会概念では下手すると相手に告訴されたり、牢屋に入ったりしなければならない危険もある。
だからやりたい放題のモソ男どもの「専横」をみすみす指をくわえて見ているしかない。
そのマグマのはけ口が、電話の向こうの通りすがりの旅行者でしかない私にも向けられたというわけか??
・・・・・やっぱり迷惑すぎる。。。。
その後、バスの情報が送られてきたが、運転手の電話番号は先日のちょいワル運転手のものではなかった。
上司としてシフトを組む権限のある20代男が、
私を彼といっしょの車にしないためにわざとはずしたのではないか、というのは、勘ぐりすぎだろうか。
連休中で麗江のホテルが取れるかどうかも心配な私としては、チャキチャキと段取りを取ってくれるちょいワル運転手さんを当てにしていたのだ。
もおおお。男の嫉妬、思いっきり迷惑なんですけど。
湖岸。
サイクリングを楽しんだ人たちの集団。
この辺りは、レンタサイクルもレンタバイクも充実している。