いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

胡同トイレ物語1、糞道 --仁義なき戦い  9、1500人の糞夫、役所前に整列

2011年03月09日 18時26分49秒 | 北京胡同トイレ物語1、糞道 仁義なき戦い
莫大な利益に鼻息も荒くなった袁良市長が、まず取り掛かったのが、糞夫、糞道の登記である。
実態が把握できなければ、何事も始まらないからだ。

糞道の価値は売買の便利さにより決まる。
糞夫登記、糞道登記、公共トイレ登記の3つにおいて、
名前、出身地、年齢、住所、活動地域、活動道具、作業員、実際の糞道の所有者、賃貸状況などを登記させ、
実態を把握しないことには、次の段階に進めないのだが、
これが簡単な仕事ではない。


糞夫らのほとんどは文盲であり、そのために登記には言い知れぬ不安を覚え、登記したがらない。
登記を始めたからといって、皆が列に並んで待つなどはありえない。

登記を遂行するには、啓蒙活動、実地調査などを並行して進める必要があるが、
その経費が出せないのが行政の現実であったのだ。

鶏が先か、卵が先か・・・・。
うまく軌道に乗れば、放っておいても勝手に稼動し、
お金を生み出すものもシステムに乗せるスタート資金がないために実現できないのは、政治も商売も同じだ。


余談ながら、半年ほど前に中国では国勢調査が行われたが、
北京の東城区などでは、国勢調査に協力すると、粗品がもらえたそうである。

つまりは、それくらい現代でも「言い知れぬ不安のために調査を受けたがら」ず、
調査員が尋ねてきても逃げ回る人が多かったという事実を反映している。

親の代からずっとそこに暮らす地元民ならいざ知らず、外地から出稼ぎにきている人は、「いいしれぬ不安」がある。

つい最近までもマカオ返還、香港返還、オリンピック、全人代開催などのイベントがあるたびに、
正式な職場に所属しない外地の人は、北京の外に送り出された。

見つかったら終わりなので、約束しない時間に部屋をノックされてもドアを開けない、声も出さない、という人は未だに多い。

特に携帯電話の発達した今、知り合いなら、携帯に電話をかけてくるはずであり、
それさえないなら、ろくでもないことしか起こらない、とばかりに息を殺して居留守を決め込む。

滔々と歴史は流れ、百年単位程度ではぴくりとも変わらぬ現象、健在なり――。



閑話休題。
ともかくも人力、金、時間すべてが足りない現状を受け止めた結果、
一気に糞業を公営化することはあきらめ、段階的な政策を進めた。

 1、通行時間の制限
 2、糞具の改良の説得
 3、糞夫の活動範囲の登記


これにより高まる市民の糞業改革への声に応え、少なくとも何もやっていないのではないですよ、というところを示したのである。
世論では公営化への声は強くなるばかりだったが、
市ははっきりとした見解を示すことを避けつつ、水面下で着々と公営化への準備を進めていた。


何しろ、市の年間予算の40%を稼ぎ出す巨大産業の公営化である。
利益集団の捨て身の抵抗が予想され、事前に情報が漏れると、ただでは済まされないことを十分に認識していたのである。


袁良市長は「市建設三年計画」を発表してから、丸々二年たった1935年10月23日、突然新たな糞業改革方案を発表した。

 1、糞道とトイレの登記の義務付け。かつその政府による回収。
 2、公務員としての糞夫の雇用には、できるだけこれまで糞業に携わっていた人を雇い入れ、失業対策とする。
 3、新式の糞具と糞車の採用。
 4、各郊外に糞廠を作り、肥料を生産する。
 5、市民から汲み取り代とおまる洗い代を徴収する。100人の徴収員を募集し、研修を受けさせた後、職務につかせる。


2年間の準備を経た渾身の方案であった。

その内容は後に詳しく見ていくが、糞業関係者には、寝耳に水の話である。

糞商は「多くの糞夫にとっては先祖代々から続く家業であり、ただでさえ利益は微々たるものでしかない。
それを取り上げられたら、一族が路頭に迷う。

納得いく対応がない限り、断固として戦う」と、戦闘意欲満々で当日の《京報》のインタビューに答えている。

約一週間たった11月1日、平津衛戍司令部の門前に朝8時ごろから、三々五々と糞桶を背負った糞夫らが終結し始め、
午前10時ごろには、1500人を超えた。

だらだらとただ立っているのではなく、全員が右手に糞勺を持ち、左肩に糞桶を背負い、背筋をピンと伸ばし、厳かに誇り高く整列。
「糞夫の全身武装」のその姿からは、並々ならぬ強い覚悟が漲り、周辺の空気を張り詰める。

労働で日々鍛え上げた鋼の肉体から鋭く放たれる濃厚な体臭と糞夫独特の動物臭を熱気に乗せて発散させ、通り行く人たちを圧倒していた。


ついには、警察と軍隊が交通整理に乗り出す騒ぎとなり、糞夫らを解散させようとしたが、
前述のごとく、糞業界自体が暴力集団化しつつあり、命知らずの荒くれ集団を怒らせると、流血沙汰は避けられず、当局側も及び腰だ。

糞夫らは、糞業の公営化への反対を主張し、どうしても司令の宋哲元と直に話ができるまでは、引き下がらない、といって聞かない。

このためついには于安傑など12人の糞夫の代表者らが、司令部の内部に招き入れられ、
宋哲元の派遣した経理処の処長・張吉[方方土]などに直談判した。

張らは、糞夫らの主張を宋司令に伝えるように約束するとともに、
糞道の接収はまだ始まってもいないのだから安心しろ、と彼らをなだめ、
糞夫らも気持ちを落ち着かせて納得し、一応解散したのである。



その二日後、11月3日に袁良市長が突然辞任を発表した。

後釜は司令の宋哲元が臨時で北平市長を勤めることになり、
宋哲元は糞夫らへの約束どおり、糞業の公営化取り止めを宣言し、糞夫らの拍手喝采を浴びたのである。

糞夫らは全員がカンパして3000元余りを集め、「往平津卫戍司令部致謝宋司令」の扁額を贈った。

日本ならこういう場合は賞状、
現代の中国なら「錦旗(赤いビロードの旗に感謝の言葉を印刷したもの、高倉健の出演したチャンイーモウ監督の《千里走単騎》にも出てきますね)」だが、
昔は扁額である。

名所旧跡に行くと、お寺の本堂などの軒下には、有名人の贈った扁額がずらりとかけてあるが、あれである。


それにしても糞夫からの扁額なんて、どこに飾るのだろうか。世にも珍しき扁額に違いない。

宋哲元は、気前よく糞業の公営化取り止めを宣言して、男を上げたが、本心はまったくその気はない。
糞業が巨額の利益を生み出す産業であることは、彼も馬鹿ではないからよくよく承知しているし、政策を進める資金がほしいことだって同じだ。



しかしともかくも袁良以下、糞業の公営化の推進派がすべて失脚したことで、公営化政策は一旦は頓挫する。


その原因を2つの面から見て行きたい。

一つは、袁良の公営化政策そのものが抱えていた問題点、もう一つは、袁良の失脚を招いた民国の勢力図の確認である。

1933年に「市建設三年計画」を発表してから、1935年10月23日に糞業の公営化を含めた改革方案を発表するまで、
丸々二年の準備が進められたことは、前述のとおりである。

この2年の間、公営化のことはおくびにも出さず、ひたすら秘密裏に水面下で準備を進めた。
その段階で関係部署として、公安局、財政局、社会局の三局連席会議をたびたび開き、意見を聞いた。

公安局を入れたことから見ても、糞業の公営化が社会の治安まで脅かすくらい重大な措置であることがわかる。


会議でまず挙げられたのが、当然のことながら予算の問題であり、先立つものは金、資金不足である。
前述のとおり2760本ほどあると見られる糞道をすべて買い取るとしたら、96万元必要になる。

これに対して市政府が準備していた予算はたったの20万元である。
これは糞道の価値が1本当たり200-500元の市場相場であることに対して、1本当たりたった50元しか出さないことになる。
これでは糞道の所有者が納得するはずはなく、暴動が起こりかねない、と。



低すぎる賠償金への市当局側の説明は、以下のとおりであった。

 1.糞道は公共通行区域にあり、個人財産権保護の対象にはならない。
  国と市政府が糞道の財産権の先例を認めたことはなく、市政府に糞道への賠償の義務はない。
 2.1928年公布の《汚物掃除条例》では、土地、家屋内の汚物は、市政が直接処理すると規定している。

 3.そうはいっても衛生局では、人道主義の観点により、糞道の価値の最低基準を元に補償金を支払う。
  支払いは、糞便処理の公営化が軌道に乗ってから、その収益より支払っていく。

 4.当局は本来は合法的権利のない糞道を原価で賠償を予定しているのだから、感謝してしかるべきである。
  糞夫2300人のすべては局の清潔班の職員となり、
  現在と同じ月給を受け取ることができるのだから、公営化に反対する理由はないはずだ。

 5.軍隊と警察も動員し、万全の備えをするので、糞夫らは反対できないはずである。

というものであった。


糞夫側からすれば、随分とふざけた内容である。

何がふざけているかといえば、
 1.すでに既成事実として、定着して100年以上たっている糞道をまったく認めていない。
 2.1928年の規定は、政権が安定しない中でうやむやに終わってしまっているのに、それを根拠にしようとは、笑止千万。

 3.人道主義から補償金を払うとは、わけわからん恩の着せ方だ。
  しかも「糞道の価値の最低基準」が、なぜ50元なのか、意味がわからない。
 
 4.再び意味のわからない恩きせがましいことを言っている。
 5.自分側に理があるなら、なぜ軍隊と警察を総動員する必要があるのか。


特に5の軍隊と警察の動員に関しては、特別に秘密通達が出され、
公営化の公布日には、各区署の馬隊の半分を待機させ、もう半分は区内を巡査させ、
衛生局から要請があれば、直ちに警察力の動員に協力するように指示が出されていた。

つまり平津卫戍司令部の前で糞夫のデモが発生した時、すでに軍と警察側の対応体制は万全に整えられており、
すわっとばかりに出動し即刻、交通整理に当たったというのである。



このやり取りから見ていると、まず言えるのは、行政側が「いくらなんでもケチすぎ」なことだ。

前述の概算のごとく、糞業を完全に公営化できれば、
市場価格ですべての糞道を買い取ったとしてもたった半年で元が取れることになるのだ。

ちと腹黒すぎるというものだ。


次に問題となったのが、市民側の負担である。
前述の汲み取り代とおまる洗い代だ。

衛生局が事前に調査した結果、現状で市民は汲み取り代に1戸当たり1-2元/月、最高でも5-6元、おまる洗い代に1戸当たり0.1-0.2元/月支払っているので、
公営化後は汲み取り代1戸0.5元/月、おまる洗い代1戸0.05元/月にする、という提案を出した。


ところが三局連席会議では反論が出され、誰が1-2元/月も払っているのだ、
普通は1戸0.1-0.2元/月しか払っていない、という。


どうやら内戦状態の続く国内事情から、袁良市長とその側近らもいつまでその地位にいられるのか、
あまり長いスタンスで政策を考えていなかったような嫌いがある。

前述の概算のとおり、もし本当に100%糞業を公営化できれば、
最初の1年以内に投資が回収できるほどの「ボロい」商売なのだ。

既得集団にそこまで苛酷に利益を締め上げなくても、と思うのだが、
恐らくは「短期決戦、かき集め」を狙っていたということだろう。


内戦が続いている現状では、権謀術数による「頭脳」闘争だけではなく、
自分の属する軍閥が戦争するための武器弾薬の購入資金から兵士の食い扶持まで稼がなければならない。



そうはいっても、なるべくトラブルは小さいままで公営化を断行したいことも事実であり、
三局連席会議との折衷案を受け入れ、
前述の1戸につき1元/3ヶ月、もしくは0.4元/月、おまる洗い代は1戸につき0.2元/3ヶ月、もしくは0.1元/月、貧困層は無料、
としたのである。


市民にしてみれば、これまで糞夫からそれ以外のチップを何かと要求される不愉快さと比べたら、大歓迎の政策なのであった。



**************************************************************************

写真: 恭親王府。2005年。続き。


蝠庁。

    

    

人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へにほんブログ村 人気ブログランキング くる天 人気ブログランキング
ブログランキングのブログん家
blogram投票ボタン 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うまい!!! (てんつん)
2011-07-01 19:49:07
読み手の興味をそそって、ぐいぐい引き込む文章といい、
糞なだけに、読後のなんとなく不潔感を恭親王府の写真で、浄化される感じといい、
うまい!ですね♪
てんつんさんへ (doragonpekin)
2011-07-03 19:40:17
レスが遅くなり、すみません。

とってもとっても励みになる言葉をありがとうございます!!
真剣に読んでくれている人がいると思うだけでも質のいいものを書かねば、と勇気が沸いてきます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。