いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

2011年7月の記事一覧表

2011年07月31日 17時43分53秒 | 月別 記事の一覧表

2011年7月の記事一覧表:

内モンゴルの旅
 今ではすっかり定住化が進み、遊牧民がいなくなったと言われる内モンゴル。
 そんな中でも、夏の間、放牧をして暮らすというモンゴル族の若夫婦のゲルを見学させてもらいました。

記事の一覧表:


2011.7.1.    1、モンゴル包見学
2011.7.2.    2、乳製品の加工中
2011.7.3.    3、肉牛の飼育

 

山西省と炭鉱
 2000年当時、民間の村炭鉱での見聞記。まだフィルム時代だったため、写真の色合いがノスタルジックです。

記事の一覧表:


2011.7.16.    1、炭鉱夫
2011.7.17.    2、横倒しのトロッコ
2011.7.18.    3、祭竈
2011.7.19.    4、黄土高原の葬式


山西省と炭鉱4、黄土高原の葬式

2011年07月19日 17時23分28秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
2001年1月。10年前の写真です。

山西省朔州の郊外のある谷に埋もれた炭鉱の村に葬式がありました。
ご老人の大往生です。

葬式は儀式であるとともに、喪主が村に送る大切な娯楽の一つ。
中世もかくのごときかと思われる姿のまま、葬式のめくるめくイベントに村全体が酔いしれる3日3晩の始まりです。

    
    
    葬式の正装。漂白していない生成りの布の端を縫わずにそのまま切って使うのが、正しい喪服。


    


    

    葬式の儀式自体は、間に合わず、撮れませんでした。私がかけつけた時には、遺体をすでに送り出し、皆が喪主の邸に帰ってきたところです。




右が喪主のおっちゃんです。如何にも黄土高原の気風のええ好漢らしき貫禄。亡くなったのは、お父様だそうです。






門前




門前には、お香典の差出人と内容の一覧表が張り出してあります。
こんなに堂々と張り出されては、下手な額は恥ずかしくて出せないですねー。


だんだんと人が増えてきます。




関係者から贈られた花輪があちこちにあります。日本の習慣はここから来たのですねー。




いよいよ始まるのは、葬式のための楽隊の演奏です。チューニングが行われています。




いよいよ3日3番続く鎮魂の演奏の始まりです。



演奏の始まる前から、村人たちが周りを取り囲みます。


故人を送り出すバンドの演奏が始まりました。
特徴的なのが、笙とチャルメラの音色。2台の笙で奏でる音色は、まるですすり泣きのように、旅立つ故人のために3日3晩泣き続けます。







笙の吹き手。


高い評価を受けている内モンゴルのバンドをわざわざ招いたそうです。
腕がいい分だけ普通のバンドよりお値段も高めとか。

佳境に入った演奏の迫力は鬼気迫るものがあり、聴衆はすすり泣きの洪水に気もふうっと遠くなる瞬間があります。
まさにほかの思考の入り込む余地を許さない陶酔の大波にふらふら。






音色は中世でも音響のボリュームは完全現代。
アンプ、スピーカーつきで鼓膜の奥の奥まで大音響が襲撃し、音楽が直接、脳天の裏まで殴りこんできます。


   

   もう一人の笙の吹き手。


キーボード、胡弓、チャルメラ、笙2台。5人のバンドのうち、笙が2台というところが味噌です。
やはり笙の「すすり泣き」で圧倒的なる迫力を狙った構成です。




   

   盛り上がってくると、吹き手の表情も陶酔してきます。




村人も太鼓系で演奏に参加気分。


   

   おっちゃんも楽しんでます。気分はアーティスト。


子供たちも物珍しそうに覗き込みます。




    村人はどちらかというと、じじばばと子供たちが中心です。若者は都会に出ている確立が高いのですね。

    





今時の都会では、こういう面構えのじいさまはみかけなくなりました。
如何にも谷の中に埋もれ、競争にもみくちゃにされることもなく、
意地悪い人間の悪意に触れることもなく年をとった感じの無防備なお顔です。





     


じいさまも社交に勤しみます。




たばこの火の付け合いは、大事なコミュニケーション。





おしゃべりも弾みます。

   


演奏は1ステージ2時間程度が1日3-5ステージ、3日3晩に渡り行われる、ウッドストックもまっつあおの充実度です。
この間、村人らはほとんどの仕事の手を止め、喪主宅に詰めかけ、ひねもす座り込んで演奏に聞き入り、楽しみます。



もおお、この満面の笑顔! とっても満足そうです。

演奏する曲目は、葬式らしいしんみりしたものだけではなく、
聴衆のリクエストに応えて、テレビドラマの主題歌や流行歌も何でもやります。
これが楽しくないはずがありませんっっ!


中国人女性は水商売でもしていない限り、若いときはあまりたばこを吸う人はいません。
子供も巣立ち、家に嫁を取って隠居してばばさまになってから農村女性がおもむろに吸い始めることが多いようです。

もういまさら出産の影響も気にしなくていいし、
健康に気を使ってもお迎えの時期がそんなに変わるとは思えない、ってなもんでしょうかねえ。


中庭で聞き飽きたら、外にもたむろしておしゃべり。
中は大音響で自分の声も聞こえないくらいですからね。




大興奮の1日で、お疲れ。
ぽわぽわとあったかいオンドルの上でちょっと一眠り。
大音響も心地よい子守唄。家にあふれた人気が、温かみとなって安心感があるのでしょうな。






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山西省と炭鉱3、祭竈

2011年07月18日 20時40分45秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
炭鉱の祭儀、「祭竈」に行き会いました。1年の作業安全を祈願して、お供え物をします。

     





採掘作業で使うライト。






村中が炭鉱の恩恵を得ていますが、水を犠牲にしています。
地下水は、坑道がそれより低くなると、そっちに流れていってしまいます。

つまり深く坑道を掘れば掘るほど、谷を流れる渓流は枯れ、いくら井戸を深く掘っても水が出てこなくなってしまうのです。
村の各家庭では、1-2日に一度の給水車からの給水に生活用水を頼っています。




家にはこのとおり、水がめが欠かせません。
炭鉱長のお宅は、現金は豊かにありますし、家もこぎれいに内装し、風呂場にはバスタブもあります。

しかーし! モップを洗う洗い場と化してしまっています。。。。

限られた給水の量では、日常的にめったに風呂に入ることもなく、冬はあまり服も洗濯しません。
個人が儲けただけでは解決できないのが、インフラの問題なんですな。


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山西省と炭鉱2、横倒しのトロッコ

2011年07月17日 19時52分23秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
横倒しにされたトロッコの残骸。
黄土高原の荒涼とした風景を背景に、なぜか哀愁を感じてしまうのは、私だけでしょうか。

まさに日本アニメで好んで題材にされるイギリスの産業革命を彷彿とさせます。。






















炭鉱夫、再び。


     
















これは地下での作業。私が撮った写真ではありません。。。


2階建てにもなりそうな高さまで積み上げられた石炭をトラックに積んでいきます。










まだまだトラックが後ろから待機。

山西から渤海に至る秦皇島に至るまでの「石炭街道」は、
過積載のためにアスファルトがすぐにぼろぼろになってしまいます。

最近は、厳しく積載数を検査するようになったようですが。。




黄土高原をのっそのっそと過積載で進む石炭トラック。






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山西省と炭鉱1、炭鉱夫

2011年07月16日 22時31分12秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
2001年、山西省朔州の炭鉱を訪ねる機会がありました。
当時はまだ炭鉱に対する管理も甘く、個人で経営している小規模な炭鉱が
たくさんありました。

数年後には世界規模で石炭の値段が上がり、
この当時は炭鉱夫の月給が800元ほどでしたが、数年後には3000-5000元に
なりました。

政府の管理も厳格となり、この小さな炭鉱も閉鎖されたということです。
同じように小規模な炭鉱もなくなりつつあります。

産業革命時代のイギリスのムード、
宮崎アニメを彷彿とさせるような光景は、少なくなってきました。
たった10年前の写真でずが、歴史を感じます。











石炭は、山に掘られた入り口からトロッコで引っ張り上げられます。




入り口です。
昔からのしきたりにより、女性は地下に降りることができません。

女性が降りると落盤が起き、命の保障がないといわれ、私は降りることができませんでした。
これは迷信というにはあまりにもあちこちの分野で見られる風習ですな(船乗りなど)。

全神経を張り詰めないと、命に関わるような危険な作業を行う場合、
男女の色恋沙汰ほど集中力を阻害するものはなく、危険なのは納得いきますな。

山西には逆に女性だけしか降りない炭鉱もあるそうですが、
その場合も男女混合という話は聞かないのは、同じ理由でしょう。

女だってイケメンくんがほかの女としゃべっていたら、作業の気が散って命に関わるというもの。
健康な男女がいれば、体力のある男にきつい仕事がいくのも自然ですから、何事もベクトルというのは、落ち着くところに落ち着くものですなあ。





トロッコが上に到着し、ころりとひっくり返します。





中身をすべて出します。




全身をかけて引っ張ります。





底に張り付いている分は、ハンマーでがんがん底をたたいて落とします。


この村では、炭鉱は村の人により経営されていました。

こういう地上でやる作業は、現地の人がやっていることが多いです。
地下に降りる危険な作業を行うのは、外地からの流れ者が多く、まさに水上勉の『飢餓海峡』の世界。

犯罪を犯した挙句の逃亡者もいれば、仮名を使い、過去をまったく語らない者もあり。
黄土高原の谷深くに埋もれた炭鉱のたこ部屋に逃げ込めば、警察が調べにきても簡単に入り込める空間ではありません。

『飢餓海峡』は、文革時代に中国でも「資本主義社会の過酷なる労働者への搾取」を反映する反面教師的な作品として、紹介されていたそうです。

ちょっと教養の高い50代の中国人が津軽海峡を目の前にすると、「おお!! これがかの飢餓海峡!!」と感動するとか。

しかし。。。。改革開放後の現実は、皮肉にもどちらが『飢餓海峡』かいえないもの。
そしてポスト・オリンピックの今、さらに新たな情勢となっています。

ドッグイヤー的な急速な時代の流れの中、今は5年単位くらいであっという間に情勢が変わります。
10年経った今日、人件費が安く、安全への保険が安かった時代も急速に過去となりつつあります。。

山西省ではすでに石炭が少なくなり、採掘の中心は内モンゴルに移っているようです。




食事時間に行き当たりました。
山西省は、麺の本場。

人々の食事は3食、麺でした。








皆、思い思いの格好でかっこみます。








先に食べ終わった人は、たばこで一服。


皆さん、おみごとなヤンキー座り。

ところで、このアジア人独特のヤンキー座りというのは、なんで日本では「ヤンキー」の座り方なんでしょう? 
確かにヤンキーの人たちがこういう座り方をしますが、
なぜ日本では、「ヤンキー」以外、しなくなってしまったのでしょう? 不思議だわ。。。


内モンゴルの旅 記事の一覧表

2011年07月04日 08時46分20秒 | 内モンゴルの旅(写真中心)

内モンゴルの旅
 今ではすっかり定住化が進み、遊牧民がいなくなったと言われる内モンゴル。
 そんな中でも、夏の間、放牧をして暮らすというモンゴル族の若夫婦のゲルを見学させてもらいました。

記事の一覧表:


    1、モンゴル包見学
    2、乳製品の加工中
    3、肉牛の飼育


内モンゴルの旅3、肉牛の飼育

2011年07月03日 14時55分37秒 | 内モンゴルの旅(写真中心)
入り口からちょうど向かいの奥の壁になにやら石のようなものがかけてあります。
何かおまじないか、魔よけのようなものなのでしょうが、詳しいことは聞けずじまいでした。







結び目を解くための角。
紐が革製品の場合、なかなか解けないので、これを突っ込み緩めるのだそうです。


若夫婦の生業は牛の飼育。
肉牛として飼育しており、100頭をかかえています。

1頭の売り値は5000元。100頭ということは、50万元の資産ですか?? 
けっこう豊かですな。









のんびりひなたぼっこかいな?




川の水は透き通っています。すばらしい。。





草原と馬とモンゴル人 (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会



内モンゴルの旅2、乳製品の加工中

2011年07月02日 12時17分50秒 | 内モンゴルの旅(写真中心)
女主人がどんどんともてなしセットをちゃぶ台に並べてくれます。

手前の空の茶碗はバター茶を入れてくれるためのものです。
まだ漢族家庭では、少々経済的に余裕のある家庭でもボロボロのセンスの悪い食器が平気で出てきますが、
ウィグル族やモンゴル族などのアルタイ語系少数民族の家庭では、
はっとするほどセンスのよいコーディネートが出されることがあり、感心します。

文化は辺境に残るというのは、本当ですねー。
文革による破壊も辺境には徹底できなかったという「副産物」もあるのでしょうか。







何をいただいたのか、その場では説明を聞く暇もなく、帰ってからネットで調べました。
以下はネットの情報と体験を組み合わせた結論。


ガラスの容器に入ったのは、あられのようなカリカリした食感の「炒米」。


  「炒米」: モンゴル語では、「ロバダー(勒巴達)」=蒙古米の意味だそうな。
      キビを蒸し、炒めて乾燥させたものらしいです。ヨーグルトやバター茶の中に入れて炭水化物の補給とします。
      朝ごはんにするほか、放牧に携帯し、昼食にお茶だけ沸かし、お茶の中に放り込み、昼食とするそうです。
      
      ユーラシア大陸を征服したチンギス・ハーンの軍隊もキビのあられとカチカチのチーズを口に含みながら、
      ほぼ炊事に煩わされることなく、馬上で食事を済ませながら驀進していたのかしら。


どんぶりの中はヨーグルトと生クリームの間のようなもの。西洋でいうサワークリームかしら。
濃厚で砂糖なしでもおいしいです。


以下の中国語の説明(翻訳)を分析すると、生乳を放置して上澄みとなる「哲[口黒](ジュヒ)」、
つまり生クリームを発酵させてすっぱくしたもの、のような気がする。

  哲[口黒] --- (モンゴル語Juhii): 絞りたての牛乳をたらい、木の桶などに入れ、
      涼しいところで6-8時間寝かせておくと、表面に分厚い黄色の油の層ができる。

      これがJuhii。Juhiiの採取は季節によって大きく違う。
      時には何日もかかってやっとJuhiiに凝固し、季節によって厚さも違う。

      通常、牛乳の表面が固まったら、Juhiiを取ることができる。
      牛乳を寝かせる際には、一定の技術が必要。

      牛乳の清潔度に注意しないと、変質しやすい。
      たとえJuhiiが取れたとしても、味も悪くなる。

      暑い季節の場合、Juhiiに凝固する前に牛乳が腐ってしまったり、Juhiiに凝固しないこともある。
      夏は河畔から草の皮を取ってきて、容器の下におき、爽快に保つほか、
      野外から野花・草を撮ってきてゲルのハナ(壁)にかけ、空気を清潔に保つ。


・・・・解説の途中で失礼ながら、草木をぶら下げて清潔にするというのは、気休めっぽいんですなああ。
まあ。

それくらい気合いを入れて作れば、衛生にも注意して成功しやすいという覚悟のほどを固めていくためのプロセスでしょうかねええ。


続き。
      涼しい季節は、部屋でアルガリを焚き、室温が下がりすぎないようにする。
      Juhiiが出来上がったら、そのまま食べることができる。
   
      Juhiiは水分が多いので、変質しやすく、携帯する場合は煮沸させて水分を飛ばす。
      Juhiiはパンやマントウに塗りつけて食べるとおいしい。また炒米に混ぜて食べるのもよい。
  
      元代の《飲食真記》によると、Juhiiの性は涼、心臓、肺提に栄養を与え、
      咳を止め、のどの渇きを癒し、養毛効果があり、「心」の熱さのためにおきる吐血に効果がある。

      JuhiiはNai油、黄油を精製するための主要原料である。


・・・・ということだそうな。

やっぱりサワークリームで合ってますかな。
ここで「Nai油」と「黄油」の違いがわからんー。

辞書を見ると、両方ともバターと書いてある。。


白い板状のものがNai豆腐。


   Nai豆腐 --- モンゴル語ではSuunHuruudという。
      新鮮な牛乳を粗目の布でこした後、木桶またはかめに入れ、涼しいところで数日おき、自然に凝固させる。

     
---つまりこれがJuhiiを作るということですな。
Juhiiをなべに入れ、弱火でゆっくり煮る。
    
たんぱく質を加熱すると凝固するので、乳清がゆっくりと分離し、同時に乳清を絞り出し、
濃度のあがったところで火力を上げ、乳清を完全にとばす。

専用の型に入れ、冷暗所におく。
甘くしたいなら、乳清を飛ばす時点で砂糖を入れる。乾いたものを棒状に切ったものをNai豆腐条という。

成型の型は地方によって大きさが違い、月餅のように模様のついた丸い型に入れる時もある。

一度に取れる牛乳の量が少なく、すぐにNai豆腐にできない時は少量をストックしておくこともできる。
Juhiiを途中まで加熱して水分をややとばし、容器に入れて保存する。一定の量がたまってからNai豆腐に加工する。

Nai豆腐は時間がたつと固くなるので、蒸して食べることもある。またはお茶、炒米、煮込んだ牛・羊肉に浸して食べる。


・・・・・と書いてあるので、

お皿に乗っている白いかまぼこみたいなのが、生乾き状態。
さらにそれを乾燥させてがちがちに硬くしたものがその横のスティック上のもの。

私は生乾きの奴がおいしかったです。
ぽそぽそと豆腐とチーズの間くらいで。



かめに入っているのが、Juhiiを抽出する過程でしょうな。






その横では、Nai豆腐条を切って乾燥させている工程。そこからおもてなし用のものを盛ってくれます。




Nai豆腐が出来上がったところ。




後ろにあるのは、木の型枠です。この時点では、生乾き、ぽそぽそ、ちょっとゴムゴムした食感です。




中華包丁で切り分けています。。

家族で食べられるだけしか作らないそうです。
若夫婦は牛飼育を生業としており、100頭くらいの牛を飼っています。

牛乳は絞ろうと思えば、もっと絞れるのですが、乳業で食べているわけではなく、
肉牛として売って生活しているので、食べられる以上は必要ないということです。

つまり日本でいえば、自家消費分だけ漬物を漬けるようなもんですな。


中国では、物価に対して牛乳の値段が高いです。
250ccの小さな袋のロングライフで1,2元ほどします。

しかもロングライフなので、毎日がぼ飲みしようと思えば、防腐剤の量なども気になって、なかなかできません。
新鮮なパックの牛乳はもっと値段が高く、やはり毎日がぼ飲みできるような状態ではありません。

中国人は特に子供の成長期には、牛乳を一生懸命飲ませようとしているので、
大きな需要があると思うのですが、生産ラインのシステムがなかなか追いつかないのは、こういうことかなあ、と合点が行きました。


つまり牛はいくらでも育てられるけど、清潔な牛乳を採取し、
腐らない間に加工して、消費者の元に届けるというシステムを浸透させることが難しいということなのですね。


かと言って、Nai豆腐に加工すると、日持ちがするので、
販売ラインに乗せるときに鮮度の問題を考えなくていいでしょうが、チーズ以上に高カロリーすぎます。

漢人は小さい頃から乳製品を食べて骨や内臓を作り上げていないので、
ちょっと食べただけでもすぐに太ってしまうわ、中高年ならメタボの症状を悪化させるわ、で食べれるような体のしくみになっていない。。

またヨーロッパのチーズのように発酵させて複雑な味にさせていないため、
嗜好品としてもやや洗練さが欠けて、余計浸透しないのかなあ、と思います。


こんなに牛さんがもおもおいるのに、もっと乳を生かせないものかしら、と余計なお世話を考えているのでした。


さまざまな調理道具が並びます。
壁にかかっているのは、漉し網、牛乳をすくう柄杓、炒め物のためのおたま、
なべを洗うためのほうきのようなものもありますな。






さまざまな馬具もかけてあります。馬のことはさっぱりわからないので、
それぞれに何をするものなのか、検討もつきませんが。。




緑の棒のようなものは、馬の汗をこそぎ落とすためのものだそうです。


『草原と馬とモンゴル人』(楊海英、NHKBooks)の中に、チンギス・ハーンの二頭の駿馬の叙事詩が出てきます。
二頭の兄弟の駿馬が、ハーンの馬の群れの中で待遇に不満を感じて逃亡するが、やがて戻ってくるという物語です。

その中でひどい扱いを受けているという具体例として、

「ハーン主君がいたわって乗るのは、大事な褐色馬でしょう。
 殺されるほど乗られるのは、あなたと私の二人ではないか。

 かわいがって乗るのは、黒金色馬でしょう。
 厳しいとき、寒いときに乗られるのは、あなたと私の二人ではないか。
 丁寧に鞍をつけて乗るのは、大事な褐色馬でしょう。

 暑い日があるではないか。
 干上がって耐えられなくなくほどつなぐではないか。
 黒や黄色の鞍敷があるのに、砂利の上で転がせるではないか。

 寒い日があるでしょう。
 それでも青ざめた冷たい馬轡をはめられるではないか。

 絨毯の鞍敷をつけ、汗びっしょりになるでしょう。
 汗だらけのまま放されて、冷たい雪を食べさせるではないか。

 どうする、兄さん。行きましょう。」


・・・とあるように、馬の汗をこそぎ落としてあげるのは、
大切な養生のようですな。。

余談ながら、その後、弟馬の言葉にお兄さん馬が反対し、逃亡をとめる。


「もし逃げたらどうなるか。
 私たちを見た他人は他人の馬だといって、
 追ってつかまえて酷使するだろう。

 戦いになったといって、みんなで酷使するだろう。
 命令だといって、別れ別れに連れ出されるだろう。

 野生の馬だといって、やじりで倒されるだろう」

と、逃亡馬のみじめな末路を挙げ立てている。


こちらのお宅のだんなさんは、どうやら競馬にはまっている人のようです。
現代、もはや馬は経済家畜ではなく、飼っていても買い取り手先もあまりなく、
乗り物も自動車やバイクに取って代わられ、用を成しません。

ところがだんなさんはけっこうな数の馬を持っているらしく、
もう純粋に道楽の域です。

その日もナーダムの競馬に参加、自慢の馬とともに、腕試しにでかけているとのこと。
おくさんは、もおお、男の人の道楽はしょうがないわねえ、というような雰囲気でした。

といっても、草原での馬道楽は、勝手に放して草を食べるに任せるだけでいいのですから現金の出費はあまりありません。
せいぜいが、かわいがって汗をまめに落としてあげたり、
競馬のためにチームで走りこみを行うための手間ヒマでしょうなあ。


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内モンゴルの旅1、モンゴル包見学

2011年07月01日 09時44分05秒 | 内モンゴルの旅(写真中心)
2010年の夏に訪れた内モンゴルの旅シリーズで行きまっす。
赤峰市の郊外の草原でモンゴル包(バオ=ゲル)を見学する機会がありました。



ゲルの外観。
若夫婦の住む2つのゲルになっていました。

一つは夫婦の生活用。
もう一つは手伝いにきている若い従業員さんの寝泊りのためのゲル。

この日はおくさんが出迎えてくれ、だんなさんが地域のお祭りで競馬に参加中で留守ということでした。






従業員さんのためのゲル。




シンプルにかまどが泥で作られていますが、煙突もつけていないところを見ると、どうやら普段は使っていないようですね。




天井の空気窓。


となりの主人宅のゲルにお邪魔します。



見学者のくせにどかんと上がって座り込む我ら。。
顔を塗りつぶすと、美しくないー。




おくさんがいろいろともてなしの机を整えてくれます。






かまどには、バター茶の用意を始めてくれます。
こちらのかまども泥で塗り固めたもの。

おかずを作るための大きな大きな中華なべとお茶を沸かすための小さめのなべ用のかまどと、二段がまえ。
一つの煙突で排気ができるようになっています。




天井窓から煙突を出しています。
恐らく、昔は煙突なしで、煙がそのまま自然に上に逃げていき、排気する仕組みになっていたのでしょうか。

またうろ覚えでよろしくないのだが、
京大派の梅棹忠夫教授らが戦前に満州の北極限を探検した『大興安嶺探検』には、
ツングース系の狩猟民族の原住民らが、ほとんど煙で視力を失っているというような場面があった気がします。

つまり室内で物を燃やせば、いくら上に逃げていくとはいえ、そうそう効果的ではなかったということですな。
そういう意味では、一見原始的に見えるゲル暮らしも現代科学に裏付けられた変化が見えます。




中華なべのほうのかまどには、下から追加で燃料をくべることができるように穴が開いています。




燃料はアルガリ=家畜の糞です。知識としては聞いていましたが、実際に見たのは初めて。
からからに乾いていて、臭くありません。




お茶を沸かしてくれているかまどの中を見せてもらいました。
燃えカスは、余計にアルガリだとはわからないくらい、ごく普通に薪のよう。




かまどの上から写真、しつこく。




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