いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語26、蜂起して一年後も

2018年11月27日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
ところで、ここで初めて犬以外の家畜が登場する。
牛の財産があって良かった、と妙なことで喜んでいる場合ではないが。。。笑


この事件は、蜂起してからすでに一年近くが立ち、
同盟者らとともにトゥルン城を筆頭にサルフ(薩爾滸)城、チャオジャ(兆嘉)城を襲撃した後であり、
そのために戦利品なども少なからずあったと想像できる。
 

ここには主人ヌルハチと呼吸の合ったラハンなる手勢が登場するが、
その他には身の回りをしっかり警備してくれる勢力はまだあまりなさそうである。

いれば、自分がわざわざ妻の影に隠れ、刀かまえ、弓背負うてまで奮闘せずともよい。
 
知らない者同士に信頼関係が築かれるまでには、どうしても月日の経過が必要となる。
幾度かの戦争で捕虜をいくらか引っ張ってきたとしても、親衛隊にするほど信頼できるものではない。

逆に寝首をかかれるのが落ちである。

一年足らずに月日では、まだ信頼できる手勢が育っていなかったことがわかる。
 
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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

満州族のための民族小学校




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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語25、再び刺客

2018年11月24日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
刺客が襲ったのは、一度だけではない。
さらなる襲撃の経緯が『満州実録』に載っている。

万暦十二年(一五八四)四月、
「太祖(ヌルハチ)が夜半まで寝ていると、門の外に人の足音が聞こえた。
 そこで自らは刀を持ち、弓を背負い、子供たちを隠し場所に隠し、妻にわざと厠に行くように指示した。

 太祖はそのすぐ後ろに従い、後ろに体を隠し、煙突の影に身を潜めた。

 その後に部屋に戻ると、夜の闇に紛れ、きらりと光るものがあったので、
 賊が近いと知り、背中から斬り付けて捕まえ、家人に縛るように命じた。

 家人ラハン(洛漢)は、縛って何になります、殺してしまったほうがいい、という。
 
 しかし太祖は心中考えた。
 賊には必ず主がいる。
 殺してしまえば、その主が殺人を大義名分に掲げ、兵を向けて来るに違いない。

 自らの兵が少なく、敵が多いことを考えると、得策ではないと踏み、わざととぼけて言った。

 汝はきっと牛を盗みにきたのだな、と。
 賊は確かに牛を盗みにきた、他意はない、と答える。

 ラハンはさらに詰め寄る。

 賊はわが主を殺しにきたのに、牛を盗みに来たと嘘をつくとはふてえ野郎だ、
 殺して後の見せしめにするがよろし、と。

 太祖はいう。

 この賊は本当に牛を盗みにきたのだから、他意がないなら許してやろう、
 とこれを釈放した。」


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

満州族のための民族小学校



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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語24、勃興期の詳細は不明

2018年11月20日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
この時期、周囲がヌルハチをどう見ていたか、ということがわかる。

ヌルハチに実際の兵力としての裏づけはまだないが、
その将来性に危険を感じるほどには評判は広がっているという過渡期に当たったようだ。

勃興期にある、台頭途上の勢力が既存勢力に叩かれるのは、
現代の国際情勢でも多くの例を挙げることができるだろう。

ある程度の勢力まで育ってしまうと、周りもあきらめるが、
まだ芽を摘める段階にしかないと判断すれば、容赦なくぶったたく。

ヌルハチは、女真の勢力図の中でそんな踏ん張り時に差しかかっていた。


ヌルハチ勃興の初期のころの様子は、おぼろげながらしかわからないのが実情である。

当時はまさか彼が中国全土を支配する王朝の創始者になろうなどとは、
だれも想像だにしなかったのだから、記録が少ないのも当然である。


その断片の拾いながら、当時の情勢を分析していくしかない。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

満州族のための民族小学校があるというので、訪ねてみる。
ここでは、子供たちに満州語を教えているそうだ。



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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語23、ヌルハチの手勢まだわずか

2018年11月17日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
「賊はその勇猛なる勢いに縮み上がり、皆遁走す。
 この時、のパハイ(帕海)が窓の下で寝ていたが、賊に刺し殺された」。

文中の「」は、同文の満州語版では、「ボウイ・ニヤルマ」つまりは家奴と書かれている。
この単語が後には短縮されて「包衣(ボウイ)」という八旗の中の特殊な集団をあらわす言葉となる。

「家内奴隷」として、対外的に権力を振るう集団となるのである。

この刺客到来のごく短い文章からは、当時のヌルハチの境遇がいくらか想像できる。

ヌルハチが父親からほとんど身一つで追い出されたことは、すでに述べたとおりだが、
確かにこの文章を見ると、財産の目安となる「アハ・ウルハ(奴隷・家畜)」は、
犬一匹と奴隷一人しか登場しない。

奴隷が多くいたなら、ヌルハチが自ら飛び出して賊に対応しなくてもよいわけで、
どうやら奴隷は一人ではないにしろ、せいぜい数人しかいなかったらしい。

妻、息子二人に娘一人、数人の奴隷と犬の慎ましい家族構成が浮き彫りとなる。


これは万暦十一年(一五八三)九月の出来事、
ニカンワイランのトゥルン城を襲撃したのはその年の五月であるから、
蜂起してすでに四ヶ月たっていても身の回りを警護する壮丁も十分でない状態が続いていたことが伺える。

この様子を見るにつけ、「兵百人」の大部分は、同盟者の連れてきた手勢であり、
戦いが終わると同時に主人とともに引き揚げていったことが想像できる。


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中



まずは町の食堂で腹ごしらえ笑
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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語22、ヌルハチ、刺客に襲われる

2018年11月14日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
蜂起後のヌルハチは、幾度も刺客に襲われる。

相手がニカンワイランなのか、明なのかはわからないが、
とにかくまだ勢力が弱いうちにつぶしておかねばならぬ、と思っていたようである。


その様子が『満州実録』に生き生きと描かれている。

『満州実録』巻一の漢文体には万暦十一年(一五八三)九月、
「賊は夜の闇に乗じて、太祖(ヌルハチ)の住宅の柵の木を抜いて潜入した」
からその日の夜のことを描写し始める。

ヌルハチが当時住んでいた屋敷の周りは、木の柵で囲まれていた様子がわかる。
それが当時の典型的な女真人の住まいでもあるのだろう。

「この時、ユグハ(湯古哈)なる名の犬が辺りを見回して、驚いたように鋭く吼えた」。
狩りで生活の糧を得ている女真人にとって、犬は欠かせない家畜だとわかる。
ヌルハチの愛犬ユグハはこの日も外で番犬としての役割をしっかり果たしたようである。

「太祖はこれに気づき、二男一女を箪笥の下に隠し、刀を持って大声で呼ばわった。
『どこの賊ぞ。犯しに来ようとは不届き者。汝が入らぬなら、我が打って出ようぞ。萎縮するなかれ』
といい終わらぬうちに、刀で窓を切り破り、窓から飛び出す勢いを見せつつ、しかし門から外に飛び出した」


天下の英雄の若き日らしき鬼気迫る気魄である。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中



  
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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語21、ヌルハチ、ニカンワイランのトゥルン城を落とす

2018年11月10日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
ニカンワイランのいるトゥルン(図倫)城への襲撃は、無血に終わった。

襲撃を事前に知ったニカンワイランが、兵士らと民を棄てて、
妻子とともにジャバン(嘉班、建設中の新しい城)に遁走したからである。

その後、ヌルハチがジャバンにまで追ってゆくと、再び遁走する。

それにしてもたかが百三十人の兵士を相手に
慌てふためいて遁走するとは、ニカンワイラン側もろくな兵力ではなかろう。

なんという少人数の戦いか。
これではまるで現代の暴走族同士の抗争レベルではないか笑。


ごく少人数レベル同士の戦いながら、ヌルハチはニカンワイランの放逐に成功した。

ヌルハチの属する建州女真は、本来なら明朝の領土にもっとも近いため、貿易の面で有利でもある。
その奥地にいる海西女真やさらに奥地の野人女真と比べ、物資も豊かでもっとも開けた女真のはずである。

しかしなまじ近いがために、
国境を接する明朝の領土に侵入しては安易に物資が手に入ってしまう略奪に甘んじ、
明朝の堪忍袋の緒が切れて一網打尽に遭ってきたことは、これまで見てきたとおりである。


この時点の建州女真は、たび重なる明朝の討伐に遭って息も絶え絶え、ろくな壮丁はもはや残っていない。

それが百人前後の兵力同士の戦いという局面を生み出したと思われる。

以上のような理由から、たかが武装兵30人レベルの武装蜂起であっても、
ヌルハチの蜂起は十分に周囲の勢力の注視を浴びる理由があった。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中




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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語20、ヌルハチの起兵

2018年11月05日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
万暦十一年(一五八三)五月、ヌルハチはわずか三十人の武装兵とともに兵を起こし、
ニカンワイランのトゥルン(図倫)城を囲み、攻撃をかけた。

これが清朝建国につながる最初の戦いとなっていく。

これまで見てきたとおり、この時ヌルハチは
突然の祖父と父の死により、属民をすべてニカンワイランに取られただけでなく、
さらには明から謀反の意あり、という濡れ衣まで着せられていた。

このまま行動を起こさねば、どのみち明とニカンワイランの連合軍に
攻めて来られて皆殺しの目に遭う、というのっぴきならぬ状況まで追い詰められていたということである。

寝込みを襲われるのを座して待つくらいなら、
こちらから奇襲をかけた方がわずかながらも生き残れる可能性があると判断したのだろう。


武装蜂起とは言え、この時のヌルハチの兵力は、なんともお気の毒な体である。

「甲兵」つまり防具をつけて武装した兵士は三十人、「兵士」は百人前後。
ここでいう兵士は、鎧などの防具をつける条件も持たぬ壮丁どもということだろうか。

ヌルハチはこの時、いくらかの同盟者を得ていた。
サルフ部のグワラ、その弟のノミナ、その手下のガハシャン、チャンシュ、ヤンシュ等である。

皆ニカンワイランに恨みを持つ点で団結し、
彼らはその後ヌルハチの最も初期の協力者として、清朝の功臣となってゆく。

百三十人の兵力は、彼らがかき集めてきた属化の壮丁らのようだ。

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マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語19、ヌルハチに濡れ衣

2018年11月01日 11時43分26秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
我らがヌルハチが生きるのは、東北アジアの一角、極限の原始社会の中である。

祖父と父がなくなった万暦十一年(一五八三)の時点で、長男のヌルハチ二十五歳を筆頭に、四人の弟がいた。

次弟のムルハチは二十三歳、三弟のシュルハチは二十歳、
四弟のヤルハチは十八歳、五弟のバヤラはわずか二歳でしかない。

年端も行かぬ小わっぱ集団に自分と家族の命運を預けるわけにいかないと判断されただろうことは、充分に想像できる。

さらに追い打ちをかけるように、状況は悪化していった。
明側がヌルハチがニカンワイランを脅迫し、自分を「満州国主」に推戴しろと迫った、
と主張し、ヌルハチを非難し始めたのである。

どうやらこれはヌルハチの方にも原因はありそうである。
つまり祖父と父の死後、あまりにもうるさく騒ぎすぎたことがあるのだろう。

八年前(万暦三年、一五七五)にワンガオという勢力をつぶしたところ、
その遺児二人が明に恨みを抱き、勢力を結集して再び明の敵となった、
というのが先のグロ城の戦いの起因である。

その反省を生かし、こうるさいヌルハチは将来きっと争いの火種になるにちがいないから
今のうちにつぶしておこう、と濡れ衣を着せたのではないだろうか。

ヌルハチが祖父と父の死から数ヶ月も経たぬうちに武装蜂起せざるを得なかったのは、
このような追い詰められての、やむに已まれぬ事情があったからに違いない。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中

  


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