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北京ときどき歴史随筆

胡同トイレ物語1、糞道 --仁義なき戦い  8、北平市長、袁良登場

2011年03月08日 11時40分58秒 | 北京胡同トイレ物語1、糞道 仁義なき戦い
1930年の1年で初めてさまざまな糞業に関する行政規則が出されたことは、
前々回で述べたとおりだが、規則を公布したはいいものの、実施は遅々として進まない。

清朝が滅びたのが、1912年。
18年たったこの時点でも国内はほぼ内戦状態、
北京の主人も数年でころころ軍閥系統が変わるという具合であったから、
税徴収などの財政系統は混乱を極めており、市自体にお金がなかった。

作った規則を実行するだけの人、予算の配備ができない。


中途半端に局地的に規則を実施しているうちに
翌年、1931年にはついに最初の糞夫デモに発展する。

特に彼らを立ち上がらせたのは、通行時間の制限であり、市政府の役所前に3000人の糞夫が終結した。

これ以後も糞夫のデモ、ストは頻繁に起こるが、今回が最初の抗議行動だ。


糞車の通行時間の制限は、糞夫らの抵抗のために、
その声に耳を傾けざるを得なくなった市が数年おきにころころ変える。

糞業の習性を十分にリサーチせずに強引に実施するのか、
悪臭の塊である彼らに集団で目の前に立たれたら、思わず屈服してしまうのか・・・・。


1931年7月の時点では朝11時から午後3時まで通行してもよいことになっていた。
ところが1933年8月には公安局が「朝7時から8時の間に糞車は城を出入りしてもよく、それ以外は禁止」とする。

3ヵ月後の11月には、朝10時以前、午後3時以後、という。
1934年6月になると朝9時以前、午後6時以後と制定する、
・・・・といった支離滅裂具合である。

これも糞夫らとの途切れることのない闘争の結果である。


そうこうするうちに市民の改革の声が高くなる。

世論の最終的な要求は、糞業の「官弁」、つまりは国営化である。

糞夫が皆公務員になってしまえば、汲み取りをサボれば、当局に通報してクレームをつけて懲戒処分にしてもらうことができるし、
チップをせびられた場合でも同様にすることができる。


しかし国営化は実際、そう簡単に行えるものではない。

何しろ、すべての糞道を手中に収めない限り、国営化は実現しないわけであり、
それぞれの糞道に市場価格があり、莫大な予算が必要となる。

現代でいえば、土地の再開発と同じようなもので、買取りの予算の捻出が一番の問題である。


ここに、そんなにたくさん払いたくない政府と、
飯の種を奪われてはならじ、奪うならそれ相応のものを出してもらおうか、
と求める糞道の持ち主との間の壮絶なバトルが繰り広げられることになる。


この糞業国営化のバトルに本格的に取り組もうとしたのが1933年、新たに就任してきた北平市長の袁良である。

その年出された「市建設三年計画」には、衛生面の改革の筆頭に糞業改革を挙げる。
糞廠の公営化、糞具の改良、糞閥の専横の取り締まり、糞車の通行時間の制限などを掲げている。

袁良には、糞業を市の財政立て直しの有力な収入源にしようというもくろみがあった。

前述のとおり、民国時代は半ば内乱状態にあり、平和な時代とちがい、税の取立てが困難な状況だ。
このため何をするにも財政不足で身動きが取れない。

袁良は上海時代の経験を元に、財政改革により北平市の収入を二倍に増やすことができると胸を張った。
その重要な収入源が糞業の公営化だったのである。


1932年12月の調査によると、北平市の人口は27万6000戸。
糞道1本を平均100戸として計算すると、市全体で約2760本の糞道があることになる。

当時の市場価格で糞道1本の値段は200-500元、
間を取って1本平均350元で計算すると、市全体の糞道の価値は96万元となる。


このほかに糞廠が400箇所あり、それぞれのインフラ設備の価値を1箇所当たり100元で計算すると、合計4万元、
糞道を合わせ、糞業全体の固定資産は100万元前後の価値となる。

これは北平市政府の年間平均予算の1/5であり、年間平均衛生予算の4年分に当たった。


さて。
これだけの価値のある糞業を公共のものにしたとしたら、
どれだけの儲けを稼ぎだしてくれるのかといえば、次のような計算になる。

つまり、糞道1本から出る糞は、1日糞車1台分、これを糞廠で加工し、肥料として売ると、1車当たりの儲けは0.3-0.8元となる。
中間を取って約0.55元とすると、1日当たりの北平市の糞の価値は1500元、1ヶ月で4万5000元、年間54万元となる。

このほかにも市政府の管理する公共トイレが449箇所あるほか、
さらに自治区、各行政機関、学校、軍警駐屯所にも数百個のトイレがあり、
1日2000車ほどの収穫量となる。その価値は1日千数百元となり、年間40万元を超える。

つまり糞の売り上げは、1年で94万元ほどとなる。

糞道のすべてを買い取ったら100万元だから、
糞業を1年経営したら、買い取った元出が返ってくることになるが、
この儲けの中からは、まだ糞夫の人件費を引いていない。


糞夫の人件費は、どれくらいかかっていたのかといえば、
糞廠で雇われている糞夫の収入は、食事つきで10元、食事なしで15元が平均だったという。

その内訳は、糞廠からもらう月給が平均6.3元。
これも集めてきた糞の量の出来高制であり、少しでもサボればたちまち収入に響く。

宿泊は糞廠の集団寄宿舎でただなのでこの宿代を3元と見る。
所謂、『駱駝のシャンツー』が寝るような数十人が一つのカン(オンドル)に寝る、寝返りを打つ隙間もないほどのたこ部屋である。


さらに住民からのチップ、おまる洗い代、おやつ代などを合わせて1ヶ月10元、という計算である。


当時、市の衛生局の清道班の職員の月給が7元、統計調査員が10元、公安局の三等警察が10元であったことを考えると、
糞夫の収入は決して悪くないように聞こえるが、不安定要素が多かった。

住民からのチップが10元を超えると、糞廠はすかさず給料を2-3元に減らしたほか、月給も払われないことが多かった。


糞夫の出来高はどういう風に計算されていたかというと、
糞車を満杯にして糞廠に糞を送り届けると、竹牌を1枚渡される。

その竹牌の数を元に月末に決算するのだが、糞車1台分の糞は、市場価格で支払った。
これとて、糞覇らが相場を操作することはたやすい。これでは住民へのたかりがエスカレートするのも無理はない道理であった。


さて。
経費計算の話題に戻ると、市では、公営化の暁には3000人の糞夫を雇い入れる計画をしていた。
これは現有の糞夫の数より遥かに少ないため、後に問題となるが、このことは後述する。
1人の糞夫を雇うために市がかけるべき経費は、食事代も入れると15元ということになる。
3000人であれば、1ヶ月4万5000元、年間5万4000元となる。


さらに住民から徴収する費用も考慮する必要がある。

これは逆に市の収入になるが、価格の決定に至る経緯は後述するとして、
最終的には汲み取り代を1戸につき、3ヶ月で1元、もしくは1ヶ月0.4元、
おまる洗い代は3ヶ月で0.2元、もしくは1ヶ月0.1元、貧困者は免除とした。

全市27万6000戸全員が払った場合、1年の収益は132万4800元(!!!!)である。


全市の1年間の糞の価値が94万元しかないのに、市民からの徴収費用だけで132万元にもなるのだ。


総括すると、糞道の総価値は100万元。
これに対して、1年の糞の売り上げ94万元 + 市民からの徴収料金132万元 - 糞夫の人件費5万4000元 = 約220万元

糞道をすべて買い取ったとしても半年で減価償却でき、その後は年間200万元ほどの純利益が出るのだから、
ものすごい割のいい商売だ。

もちろん糞夫に配布する糞車、糞具、制服などの経費を差し引く必要があるが、
北平市の年間平均予算が500万元というのだから、糞業だけでその40%を稼ぎ出すことができる。

これでは、既得権利を奪う側も奪われる側も命がけで戦うのも納得いく。


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写真: 恭親王府。2005年。続き。




邀月台へ続く回廊



邀月台から韵花[竹移]を見やる。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史の検証 (毛沢山)
2011-06-28 22:51:14
いつも驚かされております。
糞業についての此処まで詳しい解説は論文に匹敵しますね。
返信する
毛沢山さんへ (doragonpekin)
2011-06-29 22:55:59
いえ。。ちゃんと参考とする先人の論文や資料があるのです・・・。ですが、自分なりの分析を加えたり、糞業の儲け概算の細かい計算は、原始資料を元に私が掘り下げたものです。。
返信する

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