いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

山西省と炭鉱 記事の一覧表

2011年07月25日 15時48分16秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)

山西省と炭鉱
 2000年当時、民間の村炭鉱での見聞記。まだフィルム時代だったため、写真の色合いがノスタルジックです。

記事の一覧表:


    1、炭鉱夫
    2、横倒しのトロッコ
    3、祭竈
    4、黄土高原の葬式


山西省と炭鉱4、黄土高原の葬式

2011年07月19日 17時23分28秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
2001年1月。10年前の写真です。

山西省朔州の郊外のある谷に埋もれた炭鉱の村に葬式がありました。
ご老人の大往生です。

葬式は儀式であるとともに、喪主が村に送る大切な娯楽の一つ。
中世もかくのごときかと思われる姿のまま、葬式のめくるめくイベントに村全体が酔いしれる3日3晩の始まりです。

    
    
    葬式の正装。漂白していない生成りの布の端を縫わずにそのまま切って使うのが、正しい喪服。


    


    

    葬式の儀式自体は、間に合わず、撮れませんでした。私がかけつけた時には、遺体をすでに送り出し、皆が喪主の邸に帰ってきたところです。




右が喪主のおっちゃんです。如何にも黄土高原の気風のええ好漢らしき貫禄。亡くなったのは、お父様だそうです。






門前




門前には、お香典の差出人と内容の一覧表が張り出してあります。
こんなに堂々と張り出されては、下手な額は恥ずかしくて出せないですねー。


だんだんと人が増えてきます。




関係者から贈られた花輪があちこちにあります。日本の習慣はここから来たのですねー。




いよいよ始まるのは、葬式のための楽隊の演奏です。チューニングが行われています。




いよいよ3日3番続く鎮魂の演奏の始まりです。



演奏の始まる前から、村人たちが周りを取り囲みます。


故人を送り出すバンドの演奏が始まりました。
特徴的なのが、笙とチャルメラの音色。2台の笙で奏でる音色は、まるですすり泣きのように、旅立つ故人のために3日3晩泣き続けます。







笙の吹き手。


高い評価を受けている内モンゴルのバンドをわざわざ招いたそうです。
腕がいい分だけ普通のバンドよりお値段も高めとか。

佳境に入った演奏の迫力は鬼気迫るものがあり、聴衆はすすり泣きの洪水に気もふうっと遠くなる瞬間があります。
まさにほかの思考の入り込む余地を許さない陶酔の大波にふらふら。






音色は中世でも音響のボリュームは完全現代。
アンプ、スピーカーつきで鼓膜の奥の奥まで大音響が襲撃し、音楽が直接、脳天の裏まで殴りこんできます。


   

   もう一人の笙の吹き手。


キーボード、胡弓、チャルメラ、笙2台。5人のバンドのうち、笙が2台というところが味噌です。
やはり笙の「すすり泣き」で圧倒的なる迫力を狙った構成です。




   

   盛り上がってくると、吹き手の表情も陶酔してきます。




村人も太鼓系で演奏に参加気分。


   

   おっちゃんも楽しんでます。気分はアーティスト。


子供たちも物珍しそうに覗き込みます。




    村人はどちらかというと、じじばばと子供たちが中心です。若者は都会に出ている確立が高いのですね。

    





今時の都会では、こういう面構えのじいさまはみかけなくなりました。
如何にも谷の中に埋もれ、競争にもみくちゃにされることもなく、
意地悪い人間の悪意に触れることもなく年をとった感じの無防備なお顔です。





     


じいさまも社交に勤しみます。




たばこの火の付け合いは、大事なコミュニケーション。





おしゃべりも弾みます。

   


演奏は1ステージ2時間程度が1日3-5ステージ、3日3晩に渡り行われる、ウッドストックもまっつあおの充実度です。
この間、村人らはほとんどの仕事の手を止め、喪主宅に詰めかけ、ひねもす座り込んで演奏に聞き入り、楽しみます。



もおお、この満面の笑顔! とっても満足そうです。

演奏する曲目は、葬式らしいしんみりしたものだけではなく、
聴衆のリクエストに応えて、テレビドラマの主題歌や流行歌も何でもやります。
これが楽しくないはずがありませんっっ!


中国人女性は水商売でもしていない限り、若いときはあまりたばこを吸う人はいません。
子供も巣立ち、家に嫁を取って隠居してばばさまになってから農村女性がおもむろに吸い始めることが多いようです。

もういまさら出産の影響も気にしなくていいし、
健康に気を使ってもお迎えの時期がそんなに変わるとは思えない、ってなもんでしょうかねえ。


中庭で聞き飽きたら、外にもたむろしておしゃべり。
中は大音響で自分の声も聞こえないくらいですからね。




大興奮の1日で、お疲れ。
ぽわぽわとあったかいオンドルの上でちょっと一眠り。
大音響も心地よい子守唄。家にあふれた人気が、温かみとなって安心感があるのでしょうな。






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山西省と炭鉱3、祭竈

2011年07月18日 20時40分45秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
炭鉱の祭儀、「祭竈」に行き会いました。1年の作業安全を祈願して、お供え物をします。

     





採掘作業で使うライト。






村中が炭鉱の恩恵を得ていますが、水を犠牲にしています。
地下水は、坑道がそれより低くなると、そっちに流れていってしまいます。

つまり深く坑道を掘れば掘るほど、谷を流れる渓流は枯れ、いくら井戸を深く掘っても水が出てこなくなってしまうのです。
村の各家庭では、1-2日に一度の給水車からの給水に生活用水を頼っています。




家にはこのとおり、水がめが欠かせません。
炭鉱長のお宅は、現金は豊かにありますし、家もこぎれいに内装し、風呂場にはバスタブもあります。

しかーし! モップを洗う洗い場と化してしまっています。。。。

限られた給水の量では、日常的にめったに風呂に入ることもなく、冬はあまり服も洗濯しません。
個人が儲けただけでは解決できないのが、インフラの問題なんですな。


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山西省と炭鉱2、横倒しのトロッコ

2011年07月17日 19時52分23秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
横倒しにされたトロッコの残骸。
黄土高原の荒涼とした風景を背景に、なぜか哀愁を感じてしまうのは、私だけでしょうか。

まさに日本アニメで好んで題材にされるイギリスの産業革命を彷彿とさせます。。






















炭鉱夫、再び。


     
















これは地下での作業。私が撮った写真ではありません。。。


2階建てにもなりそうな高さまで積み上げられた石炭をトラックに積んでいきます。










まだまだトラックが後ろから待機。

山西から渤海に至る秦皇島に至るまでの「石炭街道」は、
過積載のためにアスファルトがすぐにぼろぼろになってしまいます。

最近は、厳しく積載数を検査するようになったようですが。。




黄土高原をのっそのっそと過積載で進む石炭トラック。






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山西省と炭鉱1、炭鉱夫

2011年07月16日 22時31分12秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
2001年、山西省朔州の炭鉱を訪ねる機会がありました。
当時はまだ炭鉱に対する管理も甘く、個人で経営している小規模な炭鉱が
たくさんありました。

数年後には世界規模で石炭の値段が上がり、
この当時は炭鉱夫の月給が800元ほどでしたが、数年後には3000-5000元に
なりました。

政府の管理も厳格となり、この小さな炭鉱も閉鎖されたということです。
同じように小規模な炭鉱もなくなりつつあります。

産業革命時代のイギリスのムード、
宮崎アニメを彷彿とさせるような光景は、少なくなってきました。
たった10年前の写真でずが、歴史を感じます。











石炭は、山に掘られた入り口からトロッコで引っ張り上げられます。




入り口です。
昔からのしきたりにより、女性は地下に降りることができません。

女性が降りると落盤が起き、命の保障がないといわれ、私は降りることができませんでした。
これは迷信というにはあまりにもあちこちの分野で見られる風習ですな(船乗りなど)。

全神経を張り詰めないと、命に関わるような危険な作業を行う場合、
男女の色恋沙汰ほど集中力を阻害するものはなく、危険なのは納得いきますな。

山西には逆に女性だけしか降りない炭鉱もあるそうですが、
その場合も男女混合という話は聞かないのは、同じ理由でしょう。

女だってイケメンくんがほかの女としゃべっていたら、作業の気が散って命に関わるというもの。
健康な男女がいれば、体力のある男にきつい仕事がいくのも自然ですから、何事もベクトルというのは、落ち着くところに落ち着くものですなあ。





トロッコが上に到着し、ころりとひっくり返します。





中身をすべて出します。




全身をかけて引っ張ります。





底に張り付いている分は、ハンマーでがんがん底をたたいて落とします。


この村では、炭鉱は村の人により経営されていました。

こういう地上でやる作業は、現地の人がやっていることが多いです。
地下に降りる危険な作業を行うのは、外地からの流れ者が多く、まさに水上勉の『飢餓海峡』の世界。

犯罪を犯した挙句の逃亡者もいれば、仮名を使い、過去をまったく語らない者もあり。
黄土高原の谷深くに埋もれた炭鉱のたこ部屋に逃げ込めば、警察が調べにきても簡単に入り込める空間ではありません。

『飢餓海峡』は、文革時代に中国でも「資本主義社会の過酷なる労働者への搾取」を反映する反面教師的な作品として、紹介されていたそうです。

ちょっと教養の高い50代の中国人が津軽海峡を目の前にすると、「おお!! これがかの飢餓海峡!!」と感動するとか。

しかし。。。。改革開放後の現実は、皮肉にもどちらが『飢餓海峡』かいえないもの。
そしてポスト・オリンピックの今、さらに新たな情勢となっています。

ドッグイヤー的な急速な時代の流れの中、今は5年単位くらいであっという間に情勢が変わります。
10年経った今日、人件費が安く、安全への保険が安かった時代も急速に過去となりつつあります。。

山西省ではすでに石炭が少なくなり、採掘の中心は内モンゴルに移っているようです。




食事時間に行き当たりました。
山西省は、麺の本場。

人々の食事は3食、麺でした。








皆、思い思いの格好でかっこみます。








先に食べ終わった人は、たばこで一服。


皆さん、おみごとなヤンキー座り。

ところで、このアジア人独特のヤンキー座りというのは、なんで日本では「ヤンキー」の座り方なんでしょう? 
確かにヤンキーの人たちがこういう座り方をしますが、
なぜ日本では、「ヤンキー」以外、しなくなってしまったのでしょう? 不思議だわ。。。