英廉は心を決めた。
年端も行かぬうら若い娘に自分で判断させるなどはろくなことにならないというのが、
この時代の多くの大人の見方であったろう。
それでも本人に幸せになってもらうには、自分で気に入ってもらうしかないと英廉は考えるのだった。
自らの決定の責任を取るという決心が本人になければ、二人の関係にも前向きに向き合えないだろう。
他人から押し付けられた結婚であれば、少しでもうまく行かないことがあれば、投げやりになってしまう。
――不謹慎ながら、今上の公主様らもご短命であられた。
英廉は乾隆帝の娘(公主)らのことを思い浮かべていた。
乾隆帝の娘たちの中で排行がついたのはこの時点では、九人である。
うち六人は乳幼児で夭折され、四人が成人されたが、二人が短命で命を落とされている。
一番年長の和敬公主は、モンゴル王公の色布騰巴爾珠爾(ゼプトンバージュル)に嫁がれ今もご健在だが、
皇四女の和碩和嘉公主は乾隆帝の愛妻、皇后フチャ氏の甥・福隆安(フロンガー)に嫁いだが、わずか七年で他界された。
十六歳で嫁ぎ、二十三歳までの儚い青春であった。
先日ももう一人他界されている。
七番目のお姫様・固倫和静公主様である。
ハルハモンゴル王公のラワンドルジに嫁がれたが、二十年の短いご生涯であった。
この時代の高貴な女性は皆短命かと言えば、そうともいえない。
前述のご年長の和敬公主は、この後も健在でありつづけ六十二歳で亡くなる。
一番のご長寿はなんと言っても乾隆帝のご生母、八十歳を越えても矍鑠とされている。
――やはり自ら望んで嫁がねば、本人にとって不幸だ。
英廉はそう考えるようになった。
高貴な女性たちが、望まぬ相手に嫁いでどうなるか。
自らも積極的に夫婦関係を円満にしようという努力もしないまま、
わずかな挫折でも急速に人生や生活への希望を失ってしまい勝ちなのである。
我が家はもちろん高貴なお上のご一家とは比ぶべくもないほどの平凡な家庭ながら、
少なくとも中流以上だ。
その階級の女性たちが世間にほとんど触れぬまま、あまりにも脆い価値観の中で育つことには変わりはない。
あどけなさが勝る我が孫娘を目の前に見るにつけても、英廉はそう感じるのだった。
「よし。爺爺(イエイエ)は決めた」
急に意を決したように叫んだ英廉を月瑶は一重まぶたのぽってりして目を見開いて見つめ返してくる。
「月月、婿によろしき相手を見つけたぞ」
月瑶は苦い薬でも突然口に流し込まれたような表情を浮かべた。
「そんな顔をするでない。
心配せずとも爺爺は月月の嫌がる相手に無理やり嫁がせることはしない」
紫禁城を少し北に歩いて行ったところにある「恭倹氷窯レストラン」。
かつての氷室の上に建てられたレストラン。
自家製の薬種
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