後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ブログへ自分の写真を出そう!

2008年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

012 ブログで自分の写真を出している人はあまり居ません。一方、種々のSNSでは本人の顔写真を出していることが多いようです。それぞれ一長一短がありますが、小生はある程度自分の姿や映像を掲載したほうが親しみが湧いて良いのではないかと思っています。

左下のサイドバーで紹介しているmikaさんのブログではご自分の写真を出しています。それに習って、上に小生の後ろ姿の写真を掲載します。近くのある公園の大樹を見上げているところです。

小生は「ブログの仮想空間」を実生活に近づけたいと思っています。しかし、「ブログは実生活から切り離された仮想世界だから良い。自由に何でも発表出来て良い。」と思っている人々も多いと思います。それに小生のような72歳の老人にとっては皺の多い顔写真を公開するのは恥ずかしいものです。昔から人相に自信がないので一層恥ずかしいものです。

皆様はブログにご自分の写真を掲載することをどの様にお考えでしょうか?

(終わり)


ブログへのコメントを増やす方法

2008年12月12日 | うんちく・小ネタ

 このブログへ多くのコメントを頂きたいと思います。そこで色々なSNS(社会ネットワークシステム)へ藤山杜人という名前で会員登録をしています。

入会順に書きます。(1)にほんブログ村、(2)みんなの足跡、(3)趣味人倶楽部、(4)中高年のコミュニティA-ha、(5)BYOOL、(6)日経WagaMaga、の6つのSNSに入っています。このうち、(1)と(2)は小生のブログの広報的役割をしてくれ読者はこのブログ欄へ直接投稿してくれるシステムです。あとの(3)から(6)は毎日書くブログ記事の内容を1、2行に要約して、日記として公開します。すると興味を持った読者がこのブログを開けて見て、コメントをそれぞれのSNSの中の小生の日記へコメントを書きこんでくれます。それらのコメントはそれぞれのSNSの会員だけが見ることが出来ます。このようにして毎日掲載しているこのブログの記事へ対するコメント数を増加させ、コメントの内容を楽しむことが出来ます。

しかしそれぞれのSNSの反応やメンバーの質は非常に違います。

最近、趣味人倶楽部で友人になった、本名、銭本三千年(ぜにもと みちとし)さんが色々なSNSの比較をしています。結論はBYOOLと趣味人倶楽部の読者の反応は素晴らしいよいうようです。会員数の多い巨大なSNSは反応が無く、役に立たないとも書いていらっしゃいます。

以下に銭本さんの種々のSNSの比較検討の報告文の一部を転載いたします。

===銭本さんによる各種SNSの比較評価文の抜粋=========

読者の反応のすばらしさ。それにいち早く目を付け、最高の評価を下されたのは、ポータルサイト構築会社の経営者でした。私に新しいビジネスへのご招待を下さった重要なキッカケは、この読者の反応でした。もし、これが無かったら、あの提言は無かったでしょう。ネット・ビジネスの経営者の目を惹きつけたのは、「趣味人倶楽部」 「BYOOL」 「日経WagaMaga」の会員たちでした。優良な読者群です。

★ 《打てば響く》 ・・・・ ネットでは、”インタラクティブ”などとハイカラな言葉を使いますが、要するに心が通う風土が生きている。そこに注目したいと思います。その点を考えると、私の場合は、BYOOL が一番、手応えがあります。つまり《打てば響く》のです。

★ 一つには、BYOOL 誕生の時から、私は、このSNSと深い関わりを持った、という経緯があります。こちらの会社も女性社長ですが、その方から直々にご招待がありました。それも、私のブログをご覧になって、「その志こそBYOOLの目指すもの。是非、ご参加を」との丁重なお招きをうけたのです。

★ ですから、個人的には、特別の思い入れがありますが、そんなことは、他の会員の皆さんはご存じありません。しかし、《打てば響く》  一番、心安んじておれるサイトです。この雰囲気・・・中高年者の皆さんにSNSをお選びになる時、是非、お考えいただきたい点です。

★ SNS、と、言えば、だれでも、メジャーの大手、それも巨大サイトを望みます。そこにはきっといい出会いがある、と信じます。世界的には、アメリカのMySpaceが一番でしょう。私も加入しています。しかし、これが一番、ダメです。私の役には立ちません。

==========以下省略================

全文は、http://zenmz.exblog.jp/9182099/ をご覧下さい。

ご自分のブログをSNSで紹介している人々も多いようでえす。したがってブログ世界とSNS世界とは繋がった一つのネット社会を構成していると考えるのが良いと思っています。

すでにご存じの方々も多いと思いますが、ご参考になれば嬉しく思います。

(終わり)


ある方の宗教に対する心の軌跡(3)本当に天皇陛下を神と信じていました?

2008年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は毎日新聞記者であられた銭本三千年(本名で、ぜにもと みちとし)氏のブログの文章です。お許しを得て何回かに分けて連載いたしています。

孫と同年齢の女子学生が、私に向けた質問は、もう一つ、より深刻な問題を呼び覚まします。第二次世界大戦の時代に「軍国少年」と「クリスチャン」の二つの宿命を私は背負っていました。

 「軍国少年」としての側面は、天皇陛下との向かい合いの問題。それは疑うことが許されなかったイデオロギーとして説明出来ます。一個独立の判断力を備えた成人ではなく、従順を最高の美徳と教えられた子どもにとっては国家・教師が指し示す徳目は金科玉条の真理でした。子どもにそれを疑う能力は無かったのです。ましてそれに抗することなど夢にも思わなかったことです。

 しかし「クリスチャン」としての側面は、国家から一応、遮断された私個人の、神と向かい合った良心に属する信仰の問題です。学生の質問は、同時に「イエス・キリストを神と信じていました?」と問いかけてもいます。実は、この問題は長く、わが内にあって悩み、苦しんだ試練でした。

 私はこれまで自分の信仰問題を表に出すことを差し控えて来ました。でも多くの知人・友人は私はクリスチャンだと思いこんでおられます。若き日、同志社大学神学部に進み、キリスト教倫理学の勉強を志したのですからそう思われるのも自然でしょう。

 しかし私は、既に教会を離れ、キリスト教信仰も捨てております。その後、ユダヤ教、イスラム教、更にバハイ教などいわゆる一神教の研究に没頭した時期もありますが、「唯一無二の全知全能の人格神」には絶望し、それに帰依する気持ちはもう完全に消え失せております。信仰という一点から己を見つめる時、私はもっと原初的なアニミズムの世界に祈りの心を向けます。

 私のため日々の糧を備えてくださる天なる神のような都合のいい神は奉戴しません。今ある我が命のためそれぞれの命を捧げてくれる動植物を想い、贖罪と許しの祈りを捧げたい気持ちが強いです。 

 少し本論を外れましたが、私は生まれ落ちてから物心つく年頃まで、ずっとクリスチャン・ボーイで育ちました。小学校と基督教会の日曜学校は全く同列に重要な私の学校でした。

 今から考えると、非常にオカシイ話ですが、私には教会の日曜学校から牧師に引率されて明治天皇の桃山御陵に参拝した思い出があります。それも1度や2度ではありません。牧師の先導で聖戦必勝祈願の柏手を打ちました。

 みなさんもご存じでしょうが、キリスト教は偶像崇拝を厳しく禁じています。「そんなこと、ウソでしょう」 戦後、しばらく経って教会の新しい信者にお話しすると、誰も信じませんでした。しかし、事実なのです。またある時には、聖戦翼賛の誠を証するためキリスト教信徒による戦闘機を軍に寄付する話が持ち上がり特別献金もしました。

 これらのことは敗戦とともに一億総懺悔で、キレイさっぱり忘れ去られました。しかし、戦争の時代に信仰を守り通した古い時代の信徒たちは、その後、ずっと、心の内に秘めた良心の痛みとして、信仰上の忌まわしい過去を持ち続けています。

 事実、教会を離れた私ですら、今日まで重く引きずっている心の問題です。一つは教会が何故、侵略戦争を聖戦として積極的に翼賛したのか? それは聖書のどの教えに基づくのか?という設問。もう一つは、何故、教会・牧師は信徒を引き連れ神社参拝(偶像崇拝)したのか?という設問です。

 日本基督教団が、初めてこの問題を総括し、過ちを認めて「告白」を公表したのは1967 3月のことでした。22年も掛けて、やっと真実が明らかにされました。そのとき手にした文書大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を読んで私は、すべての疑問が氷解したのです。


産学官連携の意味とその重要性

2008年12月11日 | うんちく・小ネタ

日本の経済の1970年代と1980年代は所謂「高度成長時代」でした。それが1990年ころバブル経済の崩壊で10余年にわたる長い不況が続きました。やっと景気が上むきになってきたと思ったらアメリカのサブプライムローンの破綻で金融業界が行き詰まり、またまた長い不況の時代に突入しました。1990年代に、少しでも早くバブル経済の崩壊から立ち上がらせよろうとして日本政府、とくに経済産業省は産学官連携政策を進めました。サブプライムローンによる今回の不況においてもこの産学官連携のさらなる推進は意義あるものと思い、ある考察をご紹介したいと思います。http://www.tb-innovations.co.jp/link.forum.goto.0.htm に御座いますのでご笑覧下さい。 

(終わり)


ブログとはいったい何だろうか?

2008年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年の11月にこのブログを始めて丁度13ケ月になります。その間の掲載記事は800件、コメントは1700件です。掲載写真も多数あります。一年たってみて最近ブログとはいったい何なのだろうか?と考えています。単なる暇つぶしだから下らないという人々も居ます。随分と取材のために暇と労力も使いました。しかし良い効果も出てきました。一年たってみてブログをして良かったと思うことを2つ3つ書いて見ようと思います。

(1)ヨット、山林の中の小屋、観光旅行などの趣味的遊びの記事を書いているとそ           の楽しみがより一層深くなりました。書くことによって気持の整理がつき、そして印象が一段と深くなる効果があるようです。それからヨットに独りで乗っていても読者の方々と一緒に乗っているような錯覚にしばしばとらわれました。それは山林の中を一人で散策している時も同じです。

(2)このブログの中には日本と外国の文化との比較論、宗教や習慣の比較など重い話題も取り上げました。頂いたコメントは多くありまんでしたが大変参考になりました。そして他の方々のブログも広く読んでみまた。

その結果、自分の持っている考えは育った時代や日本のおかれた国際的な環境で決まっていたことに気が付きました。その上職業的立場によって決まるのがごく自然なことと思うようになりました。国立大学で長い間働いてきたので、国家公務員としての視点によって強く影響を受けていました。それで中央省庁の官僚とよく意見が合ったことを思いだしました。しかし世の中には色々な人々が居て、それぞれ違った考えを持っていることが体験的に理解できました。

良いことの反面なにか空しい感じも受けています。それはブログ世界は仮名性で出来ている仮想的な空間だからと思います。実生活とは随分と距離があります。それが何かむなしい感じを与えています。

そこで最近はブログで知り合った、ひかるのさんと甲斐駒さんに実際にお会いしてみました。その感想は2つの記事として掲載した通りです。今週の土曜日にはもう一人の方と会う約束が出来ています。ブログで知り合った方々とお会いした結果どうなるか?

それはもうしばらく時間をかけてから感想記事を投稿していと思います。

つまらない話題かもしれませんので一応終わりにします。(終わり)


日光の魅力(4)輪王寺別院中禅寺、立木観音、旧イタリア大使館別荘

2008年12月11日 | 旅行記

まずhttp://www.nikko-jp.org/map/yumocyuu-map.html#cyuzen をクリックして、中禅寺湖周辺の地図をご覧頂きたいとおもいます。

標高の低い日光市にある輪王寺や東照宮から、いろは坂を登ると、中禅寺湖畔に上がれます。上がったところが湖の東端です。そこに水の落ち口があり、華厳の滝になっています。

湖の東岸を南方向へ行くと、日光レークサイドホテル、輪王寺別院中禅寺(立木観音)、昔の夏期イタリア大使館が続いています。多くの観光客は華厳の滝の後は、東岸を省略して、北岸の観光船乗り場へ行ってしまいます。そこで今回は案外見落としがちな東岸をご案内します。下の写真は華厳の滝の上空からレークサイドホテルとその向こうに広がる湖の東岸を撮影した写真です。(写真の出典:http://www.tobuhotel.co.jp/nikkolake/06_around/ 

Kegon1 この写真の左の方向に順に中禅寺と昔の夏期イタリア大使館が続いています。

レークサイドホテルは下にある日光金谷ホテルの完成のすぐ後、1894年に開業した老舗ホテルです。

前庭の芝生の向こうに湖が広がっていて、風景の良い場所にあります。サービスの質が良い老舗ホテルなのに宿泊料が高くないのでよく泊まりました。

このホテルに泊まり、次の午前中は東岸沿いの美しい道を南へ走り、何度か中禅寺へ行きました。無料駐車場の前が湖で、その山側の小高い斜面に中禅寺がゆったりと広がっています。

斜めになった参道を本堂の方へ登って行くとき湖が見えて良い気分になります。

中禅寺が有るから、その前に広がる湖をのちに中禅寺湖とよぶようになったことが実感できます。

このお寺は男体山を信仰の対象として開山した勝道上人が784年に開いたと言われています。その時、勝道上人が一本の木に彫った観音が立木観音(重要文化財)と言われています。彫り方が素朴で浅い切り込みなので、まるで立木がそのまま観音様になったように見えます。材質を科学的に調べたところ平安時代の作らしいと言われています。男体山が御神体でそれを祀るのが二荒山神社と下の輪王寺や上の別院の中禅寺だったそうです。昔は神仏習合だったので不思議ではありません。下にあるのが中禅寺と立木観音の写真です。

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(写真の出典:http://www.rinnoji.or.jp/keidai/tyuzenji/tyuzenji.html 

中禅寺の前をさらに南へ行くと、昔、夏の間だけイタリヤ大使館として使っていた建物が修復されて公開されています。前庭が湖へ続いています。

別荘に入って、ゆっくり歩き回っているとイタリアの軽やかで明るい文化が身を包みます。何度か行きましたがあまり人影のない旧イタリア大使館でした。この様に中禅寺湖の東岸は観光客が少なく静かな一帯です。この地域も是非見て頂きたい日光の魅力の一つなのでご紹介しました。(続く)


人間が好きだから旅をする(6)簡素な木造建築の美を追求する人

2008年12月10日 | 旅行記

遠方へ行く旅ではなく、「建築美」というものを求めてさまよう仮想的な心の旅のことです。

随分以前から近所に簡素で美しい住宅がありました。芸術作品のような家です。庭樹と塀と屋根が渾然一体になった木造建築です。勇気を出して設計者を探し、取材を申し込みました。御忙しい方ですが、やっと2時間ほどお話を聞きました。一級建築士の原田智章氏で建築計画事務所を開いています。上野の芸大の建築学科を出て、恩師の経営するアトリエでチーフ・エンジニアを10年以上務めたのちに独立したそうです。

お話の中心は施主の予算内で如何に美しく、住み心地の良い家を作るか?という問題でした。芸大卒だけに従来に無い独創的な建築美を作ることに情熱を持っています。しかし施主とは何度も、何度も話し合って建築美と建築コストと住み心地の関係の最善のバランスを追求するそうです。日本の杉や檜を使った全木造の体育館や公共の建物や住宅を作ってきました。まだお若いのにいろいろな建築デザイン賞もとっています。

多くの作品の写真を見せてくれました。飾り構造をそぎ落とした茶室のような印象です。しかし北欧の固い針葉樹で作った家具の機能的な美しさも備えています。日本の「侘び寂び」の伝統美とヨーロッパの家具や建築の機能美が深く溶けあって一種独特な造形芸術作品になっています。

その繊細な美しさはブログでは表現出来ない。無理に掲載すると原田さんの建築美にキズを付けてしまう。そんなメールを送りました。

ここに紹介する2枚の写真を添付してメールが返ってきまた。「写真から設計者のメッセージが伝わらなければ設計者の責任です。どうぞご自由にお使い下さい。」という返事でした。

初めの写真は大分県中津江村の注文で山頂に作ったあずま屋です。屋根板はまだ乗っていない段階の写真です。「200海里の森つくり」という水源涵養事業の一つです。

道が無くて車や重機の上がれないところです。ボランティアの人々が材木を持って登ってくみ上げられるように設計してあります。材料は村内の間伐材だけです。材料1本が人間一人で持って上がれる重さに切りそろえてあります。それらを通しボルトで組み上げた構造になっています。周りの山の景観に調和した建築物になっています。施工は平成15年10月19日でした。

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次の写真は大分県中津江村の村営住宅です。全て木造で間伐材を使っています。一家の室内を広々させるために柱を無くしました。2階と屋根の重さは外壁で受けています。美しい形状の木造螺旋階も、高い天井も全て磨いた檜です。住んでいる人が毎日見る天井や階段が優しい美しさにあふれています。住み心地が良い筈です。この村営住宅は平成15年度の大分県の豊の国木造建築賞(ユニーク構造賞)を受賞しています。

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原田さんの最近の注文主は東京近辺が多いようです。美しい家を合理的なコストで建てようとしている方は原田さんへご連絡してみて下さい。その場合は、この記事のコメントにご自分のメールアドレスを記入してご投稿下さい。小生が喜んで御取次いたします。尚コメントへ記入したメールアドレスは公開されず、小生だけ見ることが出来ます。

何故こんな面倒なことをするのか?原田さんはHPもブログもお持ちでないからです。(終わり)


雑木林のお好きな方の為に(6)冬山の雑木林の美しさ

2008年12月10日 | 写真

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日光の奥山深くに、湯西川温泉があります。平家の落人のあった山峡です。付近の山の枯れ木の雑木林が美しかったので写真を撮りました。撮影日時は12月1日の午前中です。撮影者は同行した家人です。(終わり)


フォトアルバム、「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を追加しました

2008年12月09日 | 写真

フォトアルバム、「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を4枚追加しました。12月3日に舵を縛りつけても帆走できるか試して見たときの悪戦苦闘の写真です。やはり舵が故障したら帆だけでの帰港はかなり困難なことが分かりました。メインセールがジブに比較して大きすぎるので、メインのウエザーヘルムが強力に作用して進路が決まりませんでした。(終わり)


天気が悪く暗い日は青空の写真をどうぞ!

2008年12月09日 | 写真

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今日の東京は天気予報通り、お昼ころから黒雲が空を覆い、冷たい雨が激しく降っています。憂鬱な気持ちになります。

こんな時には青空の写真を見ます。

抜けるような10月7日の霞ヶ浦の青空です。

さて、ここに写っているものは何でしょう? 

(答えはこの記事のコメント欄にあります。) (終わり)


お茶の水のニコライ堂の写真

2008年12月09日 | 写真

明治17年竣工したニコライ堂はまる7年の歳月ののち完成しました。ロシアから来た使途ニコライが、ロシア人の設計、イギリス人の工事監督で作り上げたのです。

現在のイスラエル近辺でナザレの大工の息子のイエスがキリスト教を説いてから2000年になります。当時はローマ領であったガリラヤ湖近辺から、その教はローマやギリシャへ伝わり、やがてビザンチンへ。そして黒海を渡ってロシアに信仰がひろまりました。この経路で発達したキリスト教をギリシャ正教や東方正教、あるいはロシア正教と呼びますが、全て同じ宗派です。これに対して西ヨーロッパ諸国へ伝わったのがカトリック教や各国独自のキリスト教になりました。しかしその後の宗教改革で刷新され、多くの新しい宗派ができました。それらを総称してプロテスタントと呼びます。その他にエチオピアへ伝わったキリスト教はコプト教といいます。

日本へは1549年にザビエルが伝えたカトリック教、そして明治維新以後にプロテスタント諸宗派が伝わりました。欧米宣教師に混じって、少数ながらロシア人宣教師も来るようになりました。

ロシア正教はお茶の水のニコライ堂を中心にして主に、仙台や函館のような北日本において信仰されています。しかし全国にロシア正教の組織が出来ています。

先日、お茶の水のニコライ堂のそばを通りましたので写真を撮ってきました。撮影日時は12月8日午前12時頃でした。(終わり)

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日光の魅力(3)輪王寺の大猷院(家光公廟)

2008年12月09日 | 写真

a日光観光の普通のコースでは、宇都宮から日光市に入り、まず東照宮を見ます。次は、いろは坂を登り、華厳の滝を見ます。そのあとは中禅寺湖へ行って遊覧船に乗り、帰ってしまいます。時間に余裕があれば中禅寺湖から龍頭の滝を見、湯の湖へ行き、湯元温泉や湖の周囲を散策します。したがって東照宮だけが思い出に残ります。

しかし東照宮の隣の輪王寺大猷院(家光公廟)は見落とさないほうが良いかも知れません。輪王寺にある重要文化財で、奥の方にあります。(http://www.rinnoji.or.jp/keidai/taiyuin/oku.html )

家康公の廟所として豪華な東照宮を建てた三代将軍の家光の廟所です。東照宮ほど規模壮大ではありませんが贅を尽くした極彩色の飾り彫刻や大きな金属製の灯篭などが有ります。しかし予算があまり無いのか彼方此方が傷んでいます。豪華な山門の右半分が傾いて、つっかえ棒が数本、右側の軒を支えています。そんな風情が「人の世のはかなさ」を感じさせます。隣の東照宮は国宝で、いつでも人々が群がっている。でもそれを作ったひとの廟は人影が無く閑散としている。入場料収入も少ないので修理もままならない。日光見物の人々は足早に華厳の滝や中禅寺湖へ去って行く。どうしてそんなに急ぐのでしょうか?

大猷院の入口には、輪王寺の常行堂と法華堂の二つの御堂が清楚な姿で森の囲まれています。静かに散策できる地域です。日光の魅力の一つは東照宮のような華やかのものの側に心静かに散策しながら見てたのしめる御堂や廟が幾つもあることのように思います。(続く)

撮影日時:11月30日午前11時頃。撮影者:Mrs.藤山

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人間が好きだから旅をする(5)インド刺繍・サリー展示会を訪ねて

2008年12月08日 | 旅行記

何度か掲載しましたように今日から「インド刺繍の世界・展示会」が神田、小川町で始まりました。東南アジアに住み着いて人々の哀歓を描いたブログを作っている「ひかるの」さんにお会いしお話を聞いてきました。まだ50歳前後のお若い男性で、心豊かな方でした。お顔は半分インド人のように見えます。展示してある刺繍やサリーは、天然繭を原料にした絹に細かな刺繍をした見事な作品です。素人ながら一目で全て超高級品と分かりました。きくとインド各地の絹織物の市場を半日歩いて一番美しい刺繍布やサリーを1点しか買わないそうです。そのように厳選した絹織物なので触ってみると何故か心が深い満足感で満たされます。

デパートのマネキンが着ている高級婦人服のような作品です。そこで売ったら数十万円で売れそうなものばかりです。そんな売り場へ卸せば良いのではないでしょうと言いました。ところが日本の女性は有名ブランドの服飾なら数十万円でも買うが、どんなに最高の品でもブランドの無いインドのものは買わないそうです。自分の美的感覚で選び、品質の良い、着心地の良い服飾を買うという文化は日本からは消えてしまったと、ひかるのさんが説明してくれました。

展示会にあるものは、どれも数万円から数十万円する絹織物です。天然染料を用い、手で一点一点刺繍した作品です。機械・動力を一切使わない手織りの製品のみだそうです。

会場を貸してくれた「T女史」も手織り文化の素晴らしさに取りつかれた女性で、一緒に現在の日本の生活様式の底の浅さを嘆いていました。

ひかるのさんの展示会では安物は一切売っていません。インドの最高の手織りの絹織物の良さを日本人へ伝えたがっているようです。売ってお金を儲けようという気が無いようです。生活費は心配していません。しかし職業は持っていません。ただ南アジアの人々が好きで住んでいるだけです。T女史と小生がそんな人生が理解出来なくで質問を続けます。きっとお金持ちの2代目で困らないのですか?そんな質問をT女史もしていましたが、否定されていました。

結論をいうと、理解を超えた素晴らしい人生を送っているらしいということです。お会いし話を聞くと何か幸福感につつまれて楽しくなります。小川町から明治大学の前の坂を登ってJRお茶の水駅まで歩いている間中、この心地良い幸福感が身を包んでくれました。

寒い午後でしたが、春のように暖かさを感じながら坂を登ってお茶の水へ上がってきました。

(終わり) 下の写真の撮影日時:12月8日午後2時頃

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日光の魅力(2)豪華絢爛な東照宮

2008年12月08日 | 写真

日光東照宮はよく知られています。流石に豪華絢爛で境内のなかに居ると異国の宮殿のなかへ迷い込んだような錯覚にとらわれます。

東照宮といえば静岡の久能山の東照宮をいつも思い出します。日光の原型になったこじんまりした東照宮です。海を見下ろす小山の上にあり、急な石の階段がはるか下へ伸び海岸通りへ続いています。

江戸時代の3代目の将軍になった家光公が幕藩体制を完成したと言われています。財政基盤も豊かにしたそうです。久能山の東照宮の建築様式に従って、規模を各段に大きくした日光の東照宮をみると、それを建てた家光公の非凡な統治能力を実感できます。

日光東照宮の4枚の写真を掲載します。

撮影日時:11月30日午前11時頃。撮影者:Mrs.藤山 (終わり)

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いよいよ明日ですね、

2008年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
私のブログでは ひかるの様の展示・即売会のご案内を何度も出しています。
いよいよ明日からですね。私は明日の午後1時から2時頃まで会場の、ひかるの様のそばに居ます。
このブログをご覧の方々の誰方かとお会い出来れば嬉しく思います。
ご本人のひかるの様は会期中の昼食時間より夕方まで毎日会場にいらっしゃるそうです。
彼に会いにいらっしゃいませんか?小生はお会いするために参上いたします。
ブログで知り合った本人にお会いする楽しみは大きいものです。(終わり)
『アジアの布展 インド刺繍の世界』のご案内
『アジアの布展 インド刺繍の世界』のご案内 1

『アジアの布展 インド刺繍の世界』のご案内 2 
日程と会場の地図です。
クリックをすれば、大きくなります。

 案内状にありますように 神田小川町にあるギャラリー『TEORIYA』にて
 12月8日から12月13日まで 展示会『アジアの布展 インド刺繍の世界』を
 開催いたします。

 インド ラジャスタン・グジャラート、パキスタンのアンティーク刺繍布、
 刺繍を施したシルクショール、シルクサリー類の展示も行います。
 インドの美しい工芸、手仕事の世界を味わって頂きたいと願っています。

 ** 野蚕のシルク布を使った洋服類、ネパールの手編みのウールセーターも
     用意しました。
     これらの商品に関しては 半額セールで売り出します。**

 インドのバザールのような雰囲気が出せればとも考えています。
 会場では インド ラジャスタンのフォークミュージックも流し、
 お越しの皆様には インド的世界を味わってもらおうと企画しています。

 どうぞ皆様、こぞってお出かけください。