以下は毎日新聞記者であられた銭本三千年(本名で、ぜにもと みちとし)氏のブログの文章です。お許しを得て何回かに分けて連載いたしています。
★孫と同年齢の女子学生が、私に向けた質問は、もう一つ、より深刻な問題を呼び覚まします。第二次世界大戦の時代に「軍国少年」と「クリスチャン」の二つの宿命を私は背負っていました。
★「軍国少年」としての側面は、天皇陛下との向かい合いの問題。それは”疑うことが許されなかったイデオロギー”として説明出来ます。一個独立の判断力を備えた成人ではなく、従順を最高の美徳と教えられた子どもにとっては国家・教師が指し示す徳目は金科玉条の真理でした。子どもにそれを疑う能力は無かったのです。ましてそれに抗することなど夢にも思わなかったことです。
★しかし「クリスチャン」としての側面は、国家から一応、遮断された私個人の、神と向かい合った良心に属する信仰の問題です。学生の質問は、同時に「イエス・キリストを神と信じていました?」と問いかけてもいます。実は、この問題は長く、わが内にあって悩み、苦しんだ試練でした。
★私はこれまで自分の信仰問題を表に出すことを差し控えて来ました。でも多くの知人・友人は私はクリスチャンだと思いこんでおられます。若き日、同志社大学神学部に進み、キリスト教倫理学の勉強を志したのですからそう思われるのも自然でしょう。
★しかし私は、既に教会を離れ、キリスト教信仰も捨てております。その後、ユダヤ教、イスラム教、更にバハイ教などいわゆる一神教の研究に没頭した時期もありますが、「唯一無二の全知全能の人格神」には絶望し、それに帰依する気持ちはもう完全に消え失せております。信仰という一点から己を見つめる時、私はもっと原初的なアニミズムの世界に祈りの心を向けます。
★私のため日々の糧を備えてくださる天なる神のような都合のいい神は奉戴しません。今ある我が命のためそれぞれの命を捧げてくれる動植物を想い、贖罪と許しの祈りを捧げたい気持ちが強いです。
★少し本論を外れましたが、私は生まれ落ちてから物心つく年頃まで、ずっとクリスチャン・ボーイで育ちました。小学校と基督教会の日曜学校は全く同列に重要な私の学校でした。
★今から考えると、非常にオカシイ話ですが、私には教会の日曜学校から牧師に引率されて明治天皇の桃山御陵に参拝した思い出があります。それも1度や2度ではありません。牧師の先導で”聖戦必勝祈願”の柏手を打ちました。
★みなさんもご存じでしょうが、キリスト教は偶像崇拝を厳しく禁じています。「そんなこと、ウソでしょう」 戦後、しばらく経って教会の新しい信者にお話しすると、誰も信じませんでした。しかし、事実なのです。またある時には、聖戦翼賛の誠を証するためキリスト教信徒による戦闘機を軍に寄付する話が持ち上がり特別献金もしました。
★これらのことは敗戦とともに”一億総懺悔”で、キレイさっぱり忘れ去られました。しかし、戦争の時代に”信仰を守り通した”古い時代の信徒たちは、その後、ずっと、心の内に秘めた良心の痛みとして、信仰上の忌まわしい過去を持ち続けています。
★事実、教会を離れた私ですら、今日まで重く引きずっている心の問題です。一つは教会が何故、侵略戦争を聖戦として積極的に翼賛したのか? それは聖書のどの教えに基づくのか?という設問。もう一つは、何故、教会・牧師は信徒を引き連れ神社参拝(偶像崇拝)したのか?という設問です。
★日本基督教団が、初めてこの問題を総括し、過ちを認めて「告白」を公表したのは1967年 3月のことでした。22年も掛けて、やっと”真実”が明らかにされました。そのとき手にした文書大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を読んで私は、すべての疑問が氷解したのです。