後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

担保無しでお金を借りる方法

2008年12月03日 | うんちく・小ネタ

皆様はベンチャーキャピタルというものをご存じでしょうか?

昔からアメリカの銀行は担保が無くてもお金を投資してくれるとよく言われていました。

アメリカではこうなのに、日本では駄目だ。だから日本は遅れている!劣っている!という論法を軽薄に使う人を「出羽の神」と言うそうです。小生もかなり「出羽の神」の傾向があります。

でも、日本の銀行の抵当物件が無ければお金を貸さないという文化を、昔から尊敬出来ない文化と恥ずかしく思っていました。

アメリカの銀行は個人の起業・企画内容の信頼性によって抵当物件なしでもお金を貸すそうです。個人の起業家としての能力に対して投資するのです。

1990年頃の所謂バブル経済の崩壊後、日本でもベンチャー起業の重要性が認識され、起業のために必要な資金を抵当物件なして提供してくれる会社が次第に増えてきました。

そのような会社を「ベンチャーキャピタル」と言います。アメリカの経済組織を日本への輸入した組織です。

先日、伊藤忠テクノロジーベンチャーズ株式会社の安達俊久社長にお会いしました。

担保なしでもお金を貸してくれる会社です。ベンチャーキャピタルの一つです。どのような条件で貸してくれるか?

その明解なご説明文を近日中にこのブログへ掲載予定です。乞ご期待。

(終わり)


海上でヨットの舵が壊れたら帰港できますか?

2008年12月03日 | うんちく・小ネタ

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ブログを通じて出来た友人のHootaさんが、海上で舵が壊れてもヨットはセイルで帰港できますよとお教え下さいました。

今朝は抜けるような青空。さっそく霞ケ浦へ行き、船を出しました。メインとジブの2枚のセイルを揚げ、下段左のようにテラーをロープで結びつけました。

風上へ向かって45度から90度まではメインシートを絞めたり緩めたりして進路が決まり、走れました。クローズホールドは問題ありません。ところがメインシートを絞ってウエザーヘムで船首を風上へ直角まで回頭しますが、それ以上は絶対に船首が変りません。また元の角度に戻ってしまいます。ジブシートの引き加減を変えながら何度もタックを試みましが、タックしません。タック出来なければ万事休すです。

ウエザーヘルムが弱すぎて船首が回らないのです。今日の風が弱く、セイル2枚をフルに揚げても2.5ノットしか出ません。風が弱すぎてウエザーヘルムが弱いのか船の設計が悪いのか理解出来ません。

さて風下へ走るランニングですが、それもメインのウエザーヘルムが強く、すぐ船首が風上の方向へ回ります。これはスピンポールを使って2枚のセイルを観音開きにするば良いのではないかと想像しました。あるいはメインを下してジブの裾をスピンポールで固定し、左右に振れば、風下の方向なら180度任意に進路が取れると思います。

でもタックが出来なければ回頭出来ませんから360度どの方向へも走れることにはなりません。小生のセイリングの下手さが良く分かりました。でも暖かで楽しい一日でした。

そのうち風が止まり、下段右の写真のような情けないことになってしまいました。仕方がないので甲板の上で日向ぼっこをして帰ってきました。

それにしてもHootaさんのセイリング技術の凄さに感心してしまいます。再度、風の強い日に挑戦してみようと思っています。でも小生のやり方が間違っているかも知れません。誰方か御指導してくださいますように御願い申し上げます。(終わり)


平家落人の里の復元

2008年12月03日 | うんちく・小ネタ

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平家の落人というものは全国のあちこちにあります。しかし記録が残っていて信用できるところは多くはありません。

栃木県日光市湯西川温泉には「平家の里」という落人の里を復元したテーマパークがあります。写真がその様子です。訪れてみると、付近は水田も作れず畑作もままならない谷間の寒々しい土地です。復元、展示されている家々は少し立派すぎるようですが、それも一興と思いご紹介します。平家一門に関する数々の品や木工の道具類が展示されています。壇ノ浦近くの赤間神社から、テーマパーク建設に関して分祀した小さな神社もあります。そのおりに贈られた長門本20巻の復刻版も展示してあります。

壇ノ浦の戦いのあと、平家の武将、平貞能(さだよし)は平重盛の妹の妙雲禅尼を助け、宇都宮まで逃げて来ました。宇都宮の領主の藤原朝網に保護されようと思ったのです。しかし朝網は困ります。そこで付近の最高峰の高原山へ一行を隠します。ところが一行のなかのある女が男の子を安産します。御祝に鯉幟をあげます。それを山裾を落人探索中の源氏方に見つかり攻められます。ここで落人の一団は二手に分かれ貞能(さだよし)は塩原へ逃げ、さらに遠く、仙台の西の作並温泉近くまで落ちて行きます。一方、貞能の一団の他の落人は塩原のさらに西の険しい山々に分け入り、現在の湯西川温泉の地に隠れました。そこまでは記録も残っているらしいです。

仙台の作並温泉近くまで行った貞能は出家して定義(じょうぎ)と名乗ります。この定義は「さだよし」とも読めます。作並から山に入りこんだ所に現在も定義温泉があります。定義和尚はそこで天寿をまっとうしました。住んでいた堂を後の人々が定義不動堂として現在に到っています。

もっと詳細は「湯西川温泉」と「定義」をキーワードにして検索するとご覧頂けます。

撮影日時:12月1日午前10時頃、撮影場所:湯西川温泉1042、「平家の里」(電話:0288-98-0126)、

撮影者:Mrs.藤山         (終わり)