後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ある方の宗教に対する心の軌跡(2)以下の告白を真剣に受け止めて下さい

2008年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は毎日新聞記者であられた銭本三千年(本名で、ぜにもと みちとし)氏のブログの文章です。お許しを得て何回かに分けて連載いたします。

 私は、クリスチャン・ボーイであると同時に「軍国少年」であった自分の不思議を、キチンと整理し、次世代に残す責務を感じています。是非、以下の告白を真剣に受け止めて下さることを、国民の皆様にお願いいたします。

  この告白は、ある問いかけに対する私の内省から始まりました。
 数年前、大阪の短大で教えていた頃、一人の女子学生がこう質問したのです。
  「先生は、本当に天皇陛下を神と信じておられましたか?」 

 ドキッと来ました。授業の中で戦争体験を取り上げて
 「私が子どもの頃は、教室に入ると、先ず、先生から精神訓話があった。オマエたちは天皇陛下の赤子(せきし) 天皇陛下のお恵みによって、こうして勉強させていただいておる。そのご恩に報いるため、天皇陛下のおん為に死ぬ、それがオマエたち軍国少年の忠義の道だと、そして「天皇陛下は現人神(あらひとがみ)だった」
 と説明しました。その直後の質問です。

私は、
 「当時の子どもは、それを疑うことが許されなかった。あなたは信じたか?と、問われれば、キリスト教徒として幼児から育てられた私にとっては神は教会の十字架と共にあった。しかし、天皇陛下が現人神である、といわれても別に反発も矛盾も感じなかった」
 と答え、校門入り口にあったご真影殿や朝礼での東方遙拝が毎日、行われて、頭を垂れて天皇陛下への忠誠の固めをしていたことなど・・・天皇の神聖のシルシを説明しました。

 ところが、この学生は事前準備をしていたようで、「司馬遼太郎著「歴史と視点』には現人神とは誰も信じていなかった、と書いてありますと言って、本のある一節を指し示しました。見ると、
 「もし私が小学校高学年か中学生のころに、天皇は神さまだ。というようなことを言ったとすれば、漫談でもやりはじめたかと同級生が大笑いするにちがいなく・・・・・」
と書いてあります。ビックリしました。

 司馬遼太郎氏の体験は私の体験と大きくズレています。私は、小学生の頃、京都・伏見の桃山に住んでいました。ここには明治天皇の桃山御陵とその忠臣・乃木希典を祭った乃木神社がありました。当時の国鉄京都駅から桃山御陵へは単線の伏見桃山線が特設されており、昭和天皇が屡々、参拝に来られました。

 天皇のお召し列車が通る度に沿線の国防婦人会や小学生は日の丸の小旗を手にお迎えに駆り出されました。遠く蒸気機関車がはき出すケムリが見えると、「キョーツケイ」の号令が掛かります。 一斉に直立不動の姿勢。続いて機関車が近くに来ると、「サイケイレイ」 頭を深々と下げ、頭を垂れます。前を通る列車の車輪が見えなくなると、「ナオレ」で頭を上げる。汽車は遙か彼方に消えていました。傍らに筵を敷いて正座していた国防婦人会のお婆さんたちからは「頭をあげたらアカンぇ。天子様、見たら目がつぶれるサカイニな」と言い聞かせられていました。

 そう言えば、山本夏彦氏が「陛下のことは『天ちゃん』と呼んでいた」(「誰か『戦前』を知らないか」)と書いているのを見て首を傾げた記憶があります。山本氏は、私より15歳も年長者、戦争末期には20代後半~30歳の大人として経験されたのでしょう。大人はそうだったかも知れませんが、私たち10代前半の小学生は、絶対にそんなことは無かった、と断言できます。

  司馬遼太郎氏や山本夏彦氏が・・・僅か10歳前後の年齢差で、これほどまで戦争体験や「現人神」像が異なるのか? 疑うことを許されなかった「軍国少年」は、平和な時代になった時に、このオトナたちが語る戦争体験なるものになにがしかのいかがわしさを感じざるを得ません。
===続きます===================

原文のURL:http://zenmz.exblog.jp/1125365#1125365_1

私は終戦の時。国民学校3年生でした。上記の文章通りの体験をいたしました。

「---なにがしかのいかがわしさを感じざるを得ません。」という文章に同感です。 ======================================================  ★天皇を神と信じたか? 若い女子学生が私に突きつけた質問に対する”当時の小学生”の答えは「疑うことが許されなかった」としか言えません。そこには自ら考え、判断し、行動する自由な主体としての自分など無かったからです。あの時代、「天ちゃん」などと言っておられた大人がいた、とは!? それこそ驚きです。  ★本当に、当時の大人たちは「天皇が現人神だと? オマエ漫談でもし始めるのか? あれは天ちゃん!」とヤユして笑うことがあったのでしょうか? あの極度にヒステリックな時代に? 「絶対に信じられない」と私は司馬説を否定しましたが、女子学生は黙ったママでした。その目は「だってェー、司馬遼太郎さんが本に書いている」と言いた気でした。  ★一つだけ私が目撃した事実を記しておきます。同級生のK君は「天皇陛下て、オッシコしはるの?」と聞いて、担当教師から「バカッ!」と一喝され、殴られたのです。その時、クラス一同は”非常識な”K君に非難の目を向けたものでした。みんながピリピリした狂気の時代でした。神聖な天皇陛下を日常生活レベルの話題に引き出すことなど絶対に無かったのです。