戦争中、軍国少年であり、一方ではキリスト教徒であった銭本氏が棄教にいたった物語を数回に分けて連載しました。連載の終了にあたって私の個人的な感想を述べてこのシリーズを終わりにしたいと思います。
戦後、銭本氏は同志社大学神学部に入学して間もなく棄教を決心しました。
1年生の後期には英文学科志望に変更し、結局、3年生の所属学部決定に当たって法学部に転じて、卒業しましたの政治学科でした。
下の決定的な事情が棄教の原因になりました。
=========銭本氏の告白の一部だけです==========
(1)キリスト教については、私は、二つのことを問い続けております。
第一は、世界に軍隊を派兵しているアメリカ軍には必ず従軍教会と従軍牧師が”装備”されています。そして出撃に当たり、牧師は必ず祝福を与えます。殺しを任務に出撃する兵士に神の代理人は一体、何を祈り、祝福するのか?
(2) テニアン基地から広島に原爆を落とした爆撃機・エノラ・ゲイの乗組員に祝福を与えている写真を見て、未だ若かった私は、棄教を決意しました。十字軍の昔から”殺し”を神の名において義とする詭弁を今も続けるこの宗教とは何でしょう?
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これだけの理由ではありません。しかしこれらがきっかけになったようです。
人間の歴史を見れば宗教が原因で大きな戦争が起きました。それは一神教の古い教えの中に、他の宗教の人々は絶滅すべしーーー聖絶すべしという教義が含まれていたからとも解釈できます。しかし宗教が無くても同じような戦争は起きたと思います。人間は他の民族を征服したいという本能を持っているからです。
しかし一方イエスの説いた新約聖書では「汝の敵を愛せ」とも教えています。
小生は「宗教は両刃の剣」と理解しています。刃物は人の殺戮にも使われますが、外科手術で人の命を救うのはメスと呼ばれる刃物です。
宗教のあるお陰で、他人の幸を思い、貧者を助ける気持ちがより大きくなります。マザーテレサのように死に行く人々の恐れや悲しみを慰めることが出来ます。宗教の影響で障害者でも社会へ受け入れる制度が出来ます。
宗教は利用しかたで人間へ破滅も幸福も、どちらでも与える力を持っています。
そのような前提で、私はカトリックの信仰を棄てる気にはなっていません。理屈で説明できなくても信仰は持てるものです。
銭本さんの告白を何度も読み返しました。なんという誠実な生きかたをしてきた方かと襟を正して、感動しています。棄教に至ったお気持ちは痛いほどよく理解できます。
この銭本さんの告白文の連載の間、mugiさんから貴重なコメントを何度も頂きました。最後になりましたが記して感謝の意を表します。(終わり)