後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

銭本氏がキリスト教を棄てるにいたる心の軌跡へ対する感想

2008年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争中、軍国少年であり、一方ではキリスト教徒であった銭本氏が棄教にいたった物語を数回に分けて連載しました。連載の終了にあたって私の個人的な感想を述べてこのシリーズを終わりにしたいと思います。

戦後、銭本氏は同志社大学神学部に入学して間もなく棄教を決心しました。
1年生の後期には英文学科志望に変更し、結局、3年生の所属学部決定に当たって法学部に転じて、卒業しましたの政治学科でした。

下の決定的な事情が棄教の原因になりました。

=========銭本氏の告白の一部だけです==========

(1)キリスト教については、私は、二つのことを問い続けております。
 第一は、世界に軍隊を派兵しているアメリカ軍には必ず従軍教会と従軍牧師が装備されています。そして出撃に当たり、牧師は必ず祝福を与えます。殺しを任務に出撃する兵士に神の代理人は一体、何を祈り、祝福するのか? 

 (2) テニアン基地から広島に原爆を落とした爆撃機・エノラ・ゲイの乗組員に祝福を与えている写真を見て、未だ若かった私は、棄教を決意しました。十字軍の昔から殺しを神の名において義とする詭弁を今も続けるこの宗教とは何でしょう?

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これだけの理由ではありません。しかしこれらがきっかけになったようです。

人間の歴史を見れば宗教が原因で大きな戦争が起きました。それは一神教の古い教えの中に、他の宗教の人々は絶滅すべしーーー聖絶すべしという教義が含まれていたからとも解釈できます。しかし宗教が無くても同じような戦争は起きたと思います。人間は他の民族を征服したいという本能を持っているからです。

しかし一方イエスの説いた新約聖書では「汝の敵を愛せ」とも教えています。

小生は「宗教は両刃の剣」と理解しています。刃物は人の殺戮にも使われますが、外科手術で人の命を救うのはメスと呼ばれる刃物です。

宗教のあるお陰で、他人の幸を思い、貧者を助ける気持ちがより大きくなります。マザーテレサのように死に行く人々の恐れや悲しみを慰めることが出来ます。宗教の影響で障害者でも社会へ受け入れる制度が出来ます。

宗教は利用しかたで人間へ破滅も幸福も、どちらでも与える力を持っています。

そのような前提で、私はカトリックの信仰を棄てる気にはなっていません。理屈で説明できなくても信仰は持てるものです。

銭本さんの告白を何度も読み返しました。なんという誠実な生きかたをしてきた方かと襟を正して、感動しています。棄教に至ったお気持ちは痛いほどよく理解できます。

この銭本さんの告白文の連載の間、mugiさんから貴重なコメントを何度も頂きました。最後になりましたが記して感謝の意を表します。(終わり)


東京、下町生まれのお姉さまたち、

2008年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 「インド刺繍・サリーの展示会」を終わって、ひかるのさんが会場のビルのオーナーの女性とお客さまと3人で話し合っています。その時の感想をひかるのさんのブログから転写します。

=====http://asiancloth.blog69.fc2.com/より転写================

オーナーの女性は80歳、お客様も70歳前後である。
 最近の世相のおかしさについての論議が 私を含めて3人で始まる。
 戦中戦後を知っているお姉様たちにとっても、今の世相は予想も出来なかったことだし、
 この消費社会にはあきれて物が言えないし、治安の悪化にもあきれ果てている様子だ。

 4,50年前の日本の田舎の生活を知っている私にとっても同じことだ。
 とんかつなどというものを食べたのも、18のときに上京したときが初めてだったし、
 ビフテキなど食べたのも 就職してからのことだ。
 田舎での生活は 家族が多かったから、盆と正月以外は お腹が空かない程度に食べていた
 毎日だったし、肉などを食べるなどたまのことだった。
 そんな生活だったが、人々の生活はもっとのんびりしていたし、暖かいかかわりや自由は
 あったような気がする。

========以下省略==================

そして現在の若者批判が続きます。

私も先週、会場に座り込んで、彼女とひかるのさんと同じような内容の会話を楽しみました。

オーナーの女性はいかにも江戸っ子という雰囲気。歯切れの良い下町の言葉で早口に話します。喋りながら渋いお茶や菓子をさりげなく出し、こまやかな気配りをします。

このような会話は老人の小生にとっては心地良い、楽しいものです。

しかし「若者批難」には困惑します。こんな時代になっても尊敬できるような若者がたくさんいるからです。ブログで知り合った西森憲司さんも「オカブさん」も戦後生まれです。Dr.Yukiのブログをかいている「ゆきさん」も戦後生まれです。ブログだけでは有りません。電車の中では若者が席を譲ってくれます。道にまよって若いカップルに聞くと実に親切に教えてくれます。

小生のヨットの係留場所は釣り禁止でない岩壁なのでルアー投げの若者がたくさん来ます。彼らは礼儀正しく、ヨットに無断で登ってきたりしません。とにかくマナーが良いのです。

こうして若者を弁護すると、「若者へ迎合している」と批判されます。しかし、200年前の江戸時代にも、1000年前の平安時代にも、善い若者も悪い若者も、現在と同様に居たのでしょう。価値観の変化の善悪を議論しても「覆水盆に返らず」でしょう。

老人があからさまな若者批判を止めれば、若者はもっと心を開いて老人の話を真剣に聞くと思います。そのような態度をとれば老人の健康にも良いと思っています。

皆様のご健康とお心の平安をお祈りいたします。 敬具、 藤山杜人

オカブさんのブログ:http://homepage2.nifty.com/fledermaus/

Dr.Yuki のブログ:http://fanblogs.jp/dryuki/

西森憲司さんのブログ:http://nishimori.blog110.fc2.com/


ブログで知り合った人と会うときの準備

2008年12月17日 | うんちく・小ネタ

昨日、ブログで知り合った人と会ったときの体験を書きました。

皆さまのご関心のある問題だったらしくて、加入しているSNSへコメントを頂きました。

「そのような人と会って安全なのですか?」と「 私はよくお会いして楽しんでいますよ。初対面でも昔から知っているような気がします」 という2種類のコメントでした。

そこで小生の考え方をご説明します。しかしこれはあくまでも個人的な考えで他人様へ強要する気は毛頭ありません。

お会いする前に次の3条件を実行します。

(1)異性にはお会いしません。

(2)お会いする前にメールの交換をし、先方も会いたがっていることを確認しておく。

(3)お会いするのは相手の方のお話を聞くのが目的なので、自分の話はできるだけ控える。

何故会う必要があるのでしょうか? 必要なんて一切ありません。ただ、先方様のブログを何度も読んで感動して、つい一度会って見たくなるのも人情の自然ではないでしょうか?

メールアドレスの交換はブログへコメントをするときに、まず自分のアドレスを先方へ送ります。返事が無ければ、それ以上一切の催促はしません。とにかくご迷惑はかけない!これが鉄則です。

さて、ブログの内容もさることながら、ブログのオーナーのプロフィール欄も見ます。小生は自分の一生をすべて書いていますが、かなり抒情的すぎると反省しています。

ところが実名と詳細な履歴書を公開している人がいます。「天下の小論」というブログを書いていらっしゃる西森憲司さんです。ブログは「天下の小論」を検索すると出てきます。以下に西森さんの公開しているプロフィールを転載します。写真も勿論ご自分の上半身を正面から撮った写真を公開しています。お会いしたかったのですが、現役の方で、お忙しいようなので遠慮していました。ところが先日、ひかるのさんの「インド刺繍・サリー展示会」へお出で下さったそうです。そこで、来春にでもお会いしたいという連絡を差し上げました。どうなるかは西森さんのお考えにお任せしています。

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西森憲司
こんにちわ!ブログへようこそ...
昭和30年高知県佐川町生れ
通った学校
 奈良県榛原第一小学校
 兵庫県塚口小学校
 兵庫県宝塚小学校
 高知県昭和小学校
 高知県第六小学校
 高知県城西中学校
 高知学芸中学校
 高知学芸高等学校
 早稲田大学政経学部
千葉県大網白里町在住
家族:妻と息子3人、犬一匹
趣味:タイ語、海外旅行、ゴルフ

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このような履歴書と西森さんの写真をみて、その上で、彼のブログを読むと感心するような話が多いのです。何かお会いしたいと思いました。それだけの話です。

皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 敬具、  藤山杜人