後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

銭本氏がキリスト教を棄てるにいたる心の軌跡へ対する感想

2008年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争中、軍国少年であり、一方ではキリスト教徒であった銭本氏が棄教にいたった物語を数回に分けて連載しました。連載の終了にあたって私の個人的な感想を述べてこのシリーズを終わりにしたいと思います。

戦後、銭本氏は同志社大学神学部に入学して間もなく棄教を決心しました。
1年生の後期には英文学科志望に変更し、結局、3年生の所属学部決定に当たって法学部に転じて、卒業しましたの政治学科でした。

下の決定的な事情が棄教の原因になりました。

=========銭本氏の告白の一部だけです==========

(1)キリスト教については、私は、二つのことを問い続けております。
 第一は、世界に軍隊を派兵しているアメリカ軍には必ず従軍教会と従軍牧師が装備されています。そして出撃に当たり、牧師は必ず祝福を与えます。殺しを任務に出撃する兵士に神の代理人は一体、何を祈り、祝福するのか? 

 (2) テニアン基地から広島に原爆を落とした爆撃機・エノラ・ゲイの乗組員に祝福を与えている写真を見て、未だ若かった私は、棄教を決意しました。十字軍の昔から殺しを神の名において義とする詭弁を今も続けるこの宗教とは何でしょう?

====================================

これだけの理由ではありません。しかしこれらがきっかけになったようです。

人間の歴史を見れば宗教が原因で大きな戦争が起きました。それは一神教の古い教えの中に、他の宗教の人々は絶滅すべしーーー聖絶すべしという教義が含まれていたからとも解釈できます。しかし宗教が無くても同じような戦争は起きたと思います。人間は他の民族を征服したいという本能を持っているからです。

しかし一方イエスの説いた新約聖書では「汝の敵を愛せ」とも教えています。

小生は「宗教は両刃の剣」と理解しています。刃物は人の殺戮にも使われますが、外科手術で人の命を救うのはメスと呼ばれる刃物です。

宗教のあるお陰で、他人の幸を思い、貧者を助ける気持ちがより大きくなります。マザーテレサのように死に行く人々の恐れや悲しみを慰めることが出来ます。宗教の影響で障害者でも社会へ受け入れる制度が出来ます。

宗教は利用しかたで人間へ破滅も幸福も、どちらでも与える力を持っています。

そのような前提で、私はカトリックの信仰を棄てる気にはなっていません。理屈で説明できなくても信仰は持てるものです。

銭本さんの告白を何度も読み返しました。なんという誠実な生きかたをしてきた方かと襟を正して、感動しています。棄教に至ったお気持ちは痛いほどよく理解できます。

この銭本さんの告白文の連載の間、mugiさんから貴重なコメントを何度も頂きました。最後になりましたが記して感謝の意を表します。(終わり)


東京、下町生まれのお姉さまたち、

2008年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 「インド刺繍・サリーの展示会」を終わって、ひかるのさんが会場のビルのオーナーの女性とお客さまと3人で話し合っています。その時の感想をひかるのさんのブログから転写します。

=====http://asiancloth.blog69.fc2.com/より転写================

オーナーの女性は80歳、お客様も70歳前後である。
 最近の世相のおかしさについての論議が 私を含めて3人で始まる。
 戦中戦後を知っているお姉様たちにとっても、今の世相は予想も出来なかったことだし、
 この消費社会にはあきれて物が言えないし、治安の悪化にもあきれ果てている様子だ。

 4,50年前の日本の田舎の生活を知っている私にとっても同じことだ。
 とんかつなどというものを食べたのも、18のときに上京したときが初めてだったし、
 ビフテキなど食べたのも 就職してからのことだ。
 田舎での生活は 家族が多かったから、盆と正月以外は お腹が空かない程度に食べていた
 毎日だったし、肉などを食べるなどたまのことだった。
 そんな生活だったが、人々の生活はもっとのんびりしていたし、暖かいかかわりや自由は
 あったような気がする。

========以下省略==================

そして現在の若者批判が続きます。

私も先週、会場に座り込んで、彼女とひかるのさんと同じような内容の会話を楽しみました。

オーナーの女性はいかにも江戸っ子という雰囲気。歯切れの良い下町の言葉で早口に話します。喋りながら渋いお茶や菓子をさりげなく出し、こまやかな気配りをします。

このような会話は老人の小生にとっては心地良い、楽しいものです。

しかし「若者批難」には困惑します。こんな時代になっても尊敬できるような若者がたくさんいるからです。ブログで知り合った西森憲司さんも「オカブさん」も戦後生まれです。Dr.Yukiのブログをかいている「ゆきさん」も戦後生まれです。ブログだけでは有りません。電車の中では若者が席を譲ってくれます。道にまよって若いカップルに聞くと実に親切に教えてくれます。

小生のヨットの係留場所は釣り禁止でない岩壁なのでルアー投げの若者がたくさん来ます。彼らは礼儀正しく、ヨットに無断で登ってきたりしません。とにかくマナーが良いのです。

こうして若者を弁護すると、「若者へ迎合している」と批判されます。しかし、200年前の江戸時代にも、1000年前の平安時代にも、善い若者も悪い若者も、現在と同様に居たのでしょう。価値観の変化の善悪を議論しても「覆水盆に返らず」でしょう。

老人があからさまな若者批判を止めれば、若者はもっと心を開いて老人の話を真剣に聞くと思います。そのような態度をとれば老人の健康にも良いと思っています。

皆様のご健康とお心の平安をお祈りいたします。 敬具、 藤山杜人

オカブさんのブログ:http://homepage2.nifty.com/fledermaus/

Dr.Yuki のブログ:http://fanblogs.jp/dryuki/

西森憲司さんのブログ:http://nishimori.blog110.fc2.com/


ブログで知り合った人と会うときの準備

2008年12月17日 | うんちく・小ネタ

昨日、ブログで知り合った人と会ったときの体験を書きました。

皆さまのご関心のある問題だったらしくて、加入しているSNSへコメントを頂きました。

「そのような人と会って安全なのですか?」と「 私はよくお会いして楽しんでいますよ。初対面でも昔から知っているような気がします」 という2種類のコメントでした。

そこで小生の考え方をご説明します。しかしこれはあくまでも個人的な考えで他人様へ強要する気は毛頭ありません。

お会いする前に次の3条件を実行します。

(1)異性にはお会いしません。

(2)お会いする前にメールの交換をし、先方も会いたがっていることを確認しておく。

(3)お会いするのは相手の方のお話を聞くのが目的なので、自分の話はできるだけ控える。

何故会う必要があるのでしょうか? 必要なんて一切ありません。ただ、先方様のブログを何度も読んで感動して、つい一度会って見たくなるのも人情の自然ではないでしょうか?

メールアドレスの交換はブログへコメントをするときに、まず自分のアドレスを先方へ送ります。返事が無ければ、それ以上一切の催促はしません。とにかくご迷惑はかけない!これが鉄則です。

さて、ブログの内容もさることながら、ブログのオーナーのプロフィール欄も見ます。小生は自分の一生をすべて書いていますが、かなり抒情的すぎると反省しています。

ところが実名と詳細な履歴書を公開している人がいます。「天下の小論」というブログを書いていらっしゃる西森憲司さんです。ブログは「天下の小論」を検索すると出てきます。以下に西森さんの公開しているプロフィールを転載します。写真も勿論ご自分の上半身を正面から撮った写真を公開しています。お会いしたかったのですが、現役の方で、お忙しいようなので遠慮していました。ところが先日、ひかるのさんの「インド刺繍・サリー展示会」へお出で下さったそうです。そこで、来春にでもお会いしたいという連絡を差し上げました。どうなるかは西森さんのお考えにお任せしています。

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西森憲司
こんにちわ!ブログへようこそ...
昭和30年高知県佐川町生れ
通った学校
 奈良県榛原第一小学校
 兵庫県塚口小学校
 兵庫県宝塚小学校
 高知県昭和小学校
 高知県第六小学校
 高知県城西中学校
 高知学芸中学校
 高知学芸高等学校
 早稲田大学政経学部
千葉県大網白里町在住
家族:妻と息子3人、犬一匹
趣味:タイ語、海外旅行、ゴルフ

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このような履歴書と西森さんの写真をみて、その上で、彼のブログを読むと感心するような話が多いのです。何かお会いしたいと思いました。それだけの話です。

皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 敬具、  藤山杜人


ある方の宗教に対する心の軌跡(4)こうして私はキリスト教を棄てた

2008年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は毎日新聞記者でいらした銭本三千年(本名で、ぜにもと みちとし)氏のブログの文章です。お許しを得て何回かに分けて連載いたしています。

人間、誰しも弱い存在です。神の僕(しもべ)も聖書を引用した詭弁で信徒を過ちに導きました。私は、当時の牧師たちを弾劾する気持ちは毛頭、ありません。聖書によればキリスト受難の時、弟子の最高位にあったペテロですら師を3度、否みました。

 何時の時代でも、信仰者も揺らぎ、世俗の権力と妥協することはあるのです。日本で起こった国家と教会の政治的妥協を検証する一つの範例がここにあります。是非、みなさまに読んでいただきたい歴史文書です。ここに公開する由縁です。

この恥ずべき教団は、敗戦とともに解散されるべきでありました。日本基督教団がそのまま戦後も生き続けたのは占領軍の庇護があったからに他ありません。1945年8月15日に大変節し、今や、ファッション宗教化し、神の名を商標にブライダル・ビジネスに走っている堕落ぶりを許せない気持ちを、私は持ち続けています。

 世がどのように移り変わろうと、時の権力と妥協し、時流に乗る、このようなファッション的宗教教団に若者が集まることが心配でなりません。20世紀後半の半世紀、日本を風靡したキリスト教ブームは悪しきアメリカ風の典型というべき軽薄な世相を生み出しました。

 それにしても・・・・全知全能・唯一無二の神は、何故、いつも信徒最大の試練の時に沈黙するのか? 十字軍の昔から同じ信仰の諸民族がそれぞれ別の神意を掲げて相争い、殺し合ってきました。

 それは現在まで続き、現にイラン・イラク、パキスタン・アフガニスタン戦争を混迷に導いています。私たち日本人信徒は広島・長崎に原爆投下の任務を負った兵士たちをテニアン基地の従軍牧師が神の祝福を授けた光景の記録写真を忘れません。神の代理人は、女、子ども、老人を含む非戦闘員を大量虐殺に向かう兵士にどんな祝福をしたのでしょう?

 「汝、殺すなかれ」はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通聖典の根本義とされる十戒の一つです。それを信ずる者たちが相互に殺し合う時、それを授けた神は、なぜ、沈黙するのでしょう。

 不可解なそのワケは多分・・・ニーチェも言った通り、「神は既に死んだ」のです。
 事実、私は神の面影に自我の理想像を置いていたことに気づきました。神はいない。目覚めた今、一神教はもはや私には無縁です。 今、在る「神」は、邪な人間が世俗権力に迎合するため創造した模造神 レプリカでしかありません。ファッション宗教に心を奪われてはなりません。

 キリスト教については、私は、二つのことを問い続けております。
 第一は、世界に軍隊を派兵しているアメリカ軍には必ず従軍教会と従軍牧師が装備されています。そして出撃に当たり、牧師は必ず祝福を与えます。殺しを任務に出撃する兵士に神の代理人は一体、何を祈り、祝福するのか? 

  テニアン基地から広島に原爆を落とした爆撃機・エノラ・ゲイの乗組員に祝福を与えている写真を見て、未だ若かった私は、棄教を決意しました。十字軍の昔から殺しを神の名において義とする詭弁を今も続けるこの宗教とは何でしょう?

  特に「日本基督教団」という宗教団体は、世界のキリスト教の中でも特異な存在です。それは、旧大日本帝国の「八紘一宇」の侵略戦争に翼賛するため、当時の国内プロテスタント系キリスト教会を合同して結成した軍事装置の一つです。靖国神社と同じく、「軍事施設」であったのです。この新教団の元、多くの青年信者は「靖国で会おう」を合い言葉に戦場に向かいました。

  「日本基督教団」は、終戦と同時に解体されるべきでありました。それは、自ら発した「「公同的使徒的書簡」にはっきり明記されているように、戦争翼賛のために各派が大同団結し、樹立した新教会。つまり聖戦貫徹のための戦争装置であったのです。

  敗戦の一億総懺悔で、当然、解体され、各派聖職者と信徒は、それぞれの母教会に復帰の許しを請う手続きを取るべきでありました。キリストに背き、過ちを犯したと真に反省するならば、当然、取られるべき信仰者の懺悔でなければなりません。

  しかし、聖職指導者はそれをせず、マッカーサー軍政の保護の元、キリスト教宣布の役を担って温存されました。新たな過ちを犯しました。そして今、時流に乗って、この教会の多くは、ブライダル・ビジネスに走り、牧師の多くは巨額の司式料を稼いでいます。信者でもない出来ちゃった婚の何を神の名において祝福しているのか? 

  イエス・キリストは、エルサレム神殿で商売する人々を「蝮の末裔」と口を極めて批判し、その商人の台座を覆された。聖職者たるもの、何よりもまず、自らを省み、その故事に目を止めるべきでありましょう。ともかく「日本基督教団」は、戦争の時代も、戦後の時代も、そして現代も、時流に乗る術に長けた詭弁の宗教、と、私は、断じております。

【お断り】 
 この一文は、第二次世界大戦の最中に、この戦いをキリスト教の聖戦として「八紘一宇」を唱道し、戦争翼賛のために結集した聖戦装置としての「日本基督教団」を取り扱っております。
これに加入を拒否したカトリックや、他の多くのプロテスタント宗派、独立教会などは全く関係ありません。これらの宗教にたいしましては、 私は敬意を持ち続けております。
誤解のないよう念のため申し添えます。

by zenmz | 2005-08-03 00:00 | 戦争秘話:平和への戒め


毎日コメントが貰えるBYOOLというSNS

2008年12月16日 | うんちく・小ネタ

ブログのオーナーの皆様へ

ブログを毎日書いていますと、読んで下さる方々のコメントが欲しくなります。

そこで数個のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)へ加入しています。以前から加入登録していた「趣味人倶楽部」では毎日1,2件のコメントを頂けます。

最近、元毎日新聞記者だった銭本三千年氏(本名)が種々のSNSを比較検討され、BYOOLというSNSが一番インタラクティブで良質であると決論されてます。

ただしこのSNSは会員の紹介が無ければ加入出来ません。そのせいか会員が1000人位と非常に小さなSNSです。会員数を少なくしても良質なSNSを提供しようとしている運営会社の精神が素晴らしいと思いました。そこで銭本氏へ御願いして紹介して頂きました。

12月10日に加入しましたが、15日までの5日間のアクセス数が240件で、このブログへ対するコメントは毎日3件あるいは4件頂けました。コメントはBYOOLの日記欄へコメントという形で投稿されますので、このブログの読者の皆様にはご覧頂けません。

しかしコメントの言葉が丁寧で美しい日本語で書いてあります。内容も良質です。

BYOOLへ加入したい方をご紹介いたします。ご希望の方はメールアドレスとブログのアドレスを記入してこのブログのコメント欄へご連絡下さい。

ご参考になれば嬉しく思います。年末のお忙しい季節に、皆様のご健康と平和をお祈りいたしております。敬具、藤山杜人


ブログで知り合った方と実名でお付き合いする

2008年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログは仮名やハンドルネームを用い匿名で記事を書いたり、写真を掲載したりします。その故にブログは単なる仮想的なお遊びと思っている方々も多いようです。

しかし私は数人の方々と実際にお会いし、実名、職業を紹介し合い親交を楽しんでいます。またメールで実名と個人的な生活の様子を交換し合って楽しんでも居ます。

今回はその中からHootaさんをご紹介します。ヨットのプロです。コメントの交換とメールの交換の内容はHootaさんによるヨット技術の具体的な指導です。ものすごく実際的に役に立つ指導ぶりです。ヨットを趣味にしている人々にとっても明日すぐに役に立つような内容です。(ttp://hoota.blog.so-net.ne.jp/ )

まだお会いしていませんが、小生のレベルの低さと、こちらの艇の性能にあった指導を、ステップごとに教えてくれます。

そのお陰で、いろいろなスポーツのコーチの重要性が体験的に理解できました。

来春には東京湾夢の島マリーナへ行って、Hootaさんへお会いしたいと楽しみにしています。そこでHootaさんの1枚の傑作写真をご紹介します。東京湾夢の島マリーナの夜景です。

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(出典は; http://hoota.blog.so-net.ne.jp/ )

Hootaさんによるヨット技術の指導内容は、海上で舵が壊れてしまった場合、どのようにして港まで帰ってくるか?という問題に関してです。Hootaさんは舵が壊れてもセールだけで進路を決めて帰ることが出来ます。と指導します。自分で2回出艇していろいろ試してみて、そのつど結果を書きます。Hootaさんが具体的に指導します。裏ワザも教えてくれます。でも結論は、私の技術レベルでは帰港困難となりました。そこで船上にあるもので応急の舵を作る方法を書きおくりました。Hootaさんが、もっと簡単に作る方法を教えてくれます。緊急時に使う予備の舵の写真も送ってくれるそうです。

この冬の間、自宅でエマージェンシー・ラダー(予備の舵)を、日向ぼっこをしながら作ることを楽しみにしています。来年の春にはその手製のラダーを船に積んでおくつもりです。

このようにブログは決して仮想空間では有りません。

コメントを交換するときメールアドレスを非公開で交換出来ます。そんな機能があるブログなら、仮想空間が実空間にすることが容易です。しかし実際に実名を紹介し合い、お付き合いする前に相手の立場や趣味趣向を慎重に考えないとご迷惑をおかけします。まだ現役で毎日お仕事にお忙しそうな場合は特に慎重にしましょう。また実際に親交する方の数も多過ぎないことも充実感を得るためにも重要と思います。(終わり)


冬の蒼穹と水面の輝き

2008年12月15日 | 写真

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今日の青空は底が無いようにスポンと抜けていました。冬の蒼穹です。湖水も澄んで群青色です。ジブ1枚で沖に出て帰りは輝く筑波の峰々を見ながら帰港しました。

(終わり)

撮影日時:12月15日午後1時頃、撮影場所:霞ヶ浦、土浦港沖


雑木林のお好きな方へ(8)雑木林散策と風流な料亭の組み合わせ

2008年12月15日 | 写真

040 武蔵野の雑木林を歩き、風流な料亭で昼食、また林の中を歩くコースをご案内したいと思います。

JR中央線の国分寺駅で西武国分寺線に乗り換え、2駅目の「鷹の台」駅で下車します。

玉川上水に沿って下流方向へ、左の写真のような道を20分歩きます。急がないで30分以上かけて散策するのも良いものです。

小平市の上水本町2丁目まで歩くと下の5枚の写真のような「いろりの里」という風流な料亭が雑木林の中に広がっています。美しい庭を見やりながら遊山弁当という昼食をとります。

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食後はまた玉川上水に沿って下流方向へ20分ほど歩くと西武多摩湖線の「一ツ橋学園」駅に出ます。そこからは電車に乗って国分寺駅へ出て、中央線で帰ります。

このコースは冬でも、風が弱く陽射しのある日は暖かです。雑木林の梢のシルエットの美しさを楽しみながら散策するのも良いものです。

歩くのが苦手で車をお使いの場合は料亭の前に広い無料駐車場があります。

遊山弁当は3800円で夜の懐石しゃぶしゃぶコースは5000円から10000円です。詳しくは、http://homepage3.nifty.com/irorinosato/ をご覧下さい。(終わり)

撮影場所:小平市上水本町2-19-22いろりの里、

撮影日時:12月13日午前10時頃、撮影者:Mrs.藤山

 


ちょっと良い話を二つお贈りします

2008年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日、ブログで知り合ったオカブさんという方にお会いしました。プロテスタントの 「Church Of Christ」という宗派のキリスト教徒です。忘れられない二つのお話を聞きました。

何故クリスチャンになられたのですか?と聞きました。すこし間をおいて、「自分に奇蹟が起きたからです」と答えます。どんな奇蹟ですか?顔を赤らめて、「自分の奥さんに巡り合い、結婚出来た瞬間、それを奇跡と強く感じ、今でも奇蹟と信じています」。なんと幸せな結婚ではないでしょうか?私も自分の結婚は奇蹟のように感ずることも有りますがいつも確信している訳ではありません。世の中の夫が皆、奥さんと結婚出来たのが奇蹟と信じていれば円満な夫婦関係になるのではないでしょうか?

Church Of Christ という宗派はアメリカ生まれの宗派で、その地域の信者が相談して教会を建て、牧師さんを探して、連れてきて、住んでもらい、説教を聞く。当然、牧師さんの給料も信者の間で相談し決める。給料だけでなく教会の維持管理の費用も全て信者が相談して支払う。従って、この宗派にはカトリックのような聖職者もいないしローマ法王庁のような組織も無い。

Church Of Christ の教会はどれも独立していて平等な立場にあり、教会を組織化し教団の本部などは一切作らない。同じく牧師さんも平信徒も皆平等で、直接、キリストに繋がっている。

住民の一人一人が自分の信仰を守り、皆で一緒に祈るために教会を作る。

なにか素朴で良い話のようです。

仏教徒が相談してお金を出し合ってお寺を作る。和尚さんを探して来て、住職になってもらう。檀家がお寺の管理運営を行う。こいうお寺がもっと数多くなったら仏教も楽しくなるような気がします。

私はカトリックが好きでいつまでもそこに留まっているつもりですが、他の宗派の良いところは是非学んで行きたいと、そう何時も思っています。(終わり)


楽しいクリスマスがやって来る

2008年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

クリスマスには家族で美味い食事をして、丸い大きなケーキを切って楽しみます。子供達はサンタクロースから贈り物を貰います。家族が仲良く楽しむ祝い日です。

家族が一層仲良くなる時期です。それだけに家族の居ない人々のことを忘れないようにしたいと思います。欧米ではクリスマスの夜は商店がみな戸を閉めて、街が暗く、淋しくなります。丁度、大晦日やお正月のようです。昔、外国で単身赴任で仕事をしていた時、クリスマスの夜に非常に淋しい思いをしたのを思い出します。

今日は教会へ行って来ました。クリスマスの5週間前から待降節になりミサが急に楽しそうな雰囲気になります。待降節第3の主日でしたが、山本量太郎神父様の説教は待降節とは関係なく、40年前の学生の頃指導してくれた浜尾神父さんの追悼ミサのことでした。

信濃町のカトリック学生センターで大学生が40人くらい集まって毎週、浜尾神父さんの司式でミサにあずかったそうです。その40人の学生が40年ぶりに学生センターに集まり昨年亡くなった浜尾神父さんの追悼ミサをしたそうです。40人ぶりに会ってみると神父になったのは山本さんだけだったので自然に司式することになり祭壇に立ったそうです。ミサが進行していくに従い、当時の浜尾神父さんが一緒に司式しているような気分になってきます。浜尾神父の後ろにはイエス様が立っています。

今日の説教はそのような内容でした。浜尾神父は後に司教、枢機卿になりローマ法王の下で働いた方です。浜尾神父さんや山本神父さんの個人情報は浜尾太郎と山本量太郎をキーワードにして検索すると公開されています。(終わり)


小劇場とライブハウスの街、下北沢

2008年12月13日 | 写真

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小田急線と井の頭線が下北沢駅で斜めに交差します。それで駅前商店街はすべて斜めになっていて、賑やかな狭い道にいつも若者が溢れ活気があります。

ここには10軒以上の小劇場と10軒以上のライブハウスが集中しています。一見それと分かる演劇人やライブ音楽家も歩いています。そのせいか生の舞台芸能の緊張した雰囲気も流れ、一種独特な街になっています。

新宿や渋谷の繁華街から少し離れているのも良いです。道を聞いた若いカップルが親切に答えながら、「私達は品川に住んでいるので、分からないのです。すみません」と言ってました。東京中の若いカップルがここにデイートに来るのかも知れません。少し変わった雰囲気の街なのでご紹介します。

小劇場やライブハウスの詳細は、http://pennylane-s.web.infoseek.co.jp/theater.htm に御座います。(終わり)

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人間が好きだから旅をする(7)ブログで知り合った方と会ってきました

2008年12月13日 | 旅行記

このブログの左下のサイドバーに推薦したい他の方のブログがあります。その一つにオカブさんが作っている「昼のガスパール」(http://homepage2.nifty.com/fledermaus/ )というブログがあります。

今日の午後、1時間ほどの旅をして下北沢のコーヒー専門店で、彼に初めてお会いして来ました。なにか深い幸福感に体がやわらかく包まれたような気分で帰ってきました。

話題はご自分の立ち上げようとしている株式会社のこと、学生時代の本格的な岩登りのこと、そしてプロテスタント系の色々なキリスト教の宗派のお話などでした。

新しく株式会社を立ち上げる方はギラギラした経営者が多いなかでオカブさんはおっとりとした方でした。事業の内容はベンチャー企業のシリーズ記事として別途掲載いたします。

ブログで知り合った方とお会いするのは甲斐駒さん、ひかるのさん、に続いてオカブさんが3人めです。お会いし、お話をお聞きするとその方のブログを一層深く味わうことが出来ます。帰ってからまた改めてオカブさんのブログを見てみました。

ブログで知り合った方とお会いする意義については、続編でまた掲載します。

今回はやはりお会いして、しみじみ良かったという感想だけをご報告致します。

(終わり)


日光の魅力(5)竜頭の滝、戦場が原、湯滝、湯の湖、湯元温泉

2008年12月13日 | 旅行記

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上の写真は竜頭の滝へ入る付近の中禅寺湖の紅葉の様子です。

(出典:http://outdoor.geocities.jp/hpmonda/nikkou_20071018.html 

日光の奥深い魅力は中禅寺湖北岸から竜頭の滝を登り、戦場が原を横切って湯元温泉に到る地域にあります。特に竜頭の滝は激流が20度くらいに傾斜した岩石の間を流れ下っています。その横約200メートル位の歩道をゆっくり登ると、激流が岩を噛み、飛沫を上げている様子が間近に見ることが出来ます。いつ行っても豊富な水が斜めに流れ下っていて、その光景には感動します。下に竜頭の滝の写真を2枚示します。

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竜頭の滝を登りきるといきなり広大な戦場が原にでます。ここは車を駐車場に入れ1時間以上散策するのが良いです。夏はかなり暑いですが、春、新緑の季節には野の花が咲き乱れ、紅葉の頃は草もみじが美しくハイキングが楽しめます。戦場ヶ原の西を小田代が原と言います。国道120号線から北へ分かれ、光徳牧場へ行くと、乳牛がのんびり草を食べています。とにかく広い高原の平地なので無料駐車場があちこちにあります。

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戦場が原の北端には湯滝があり、その上には湯の湖があります。湖岸には豊富な湯の湧き出る原泉があり、湯元温泉です。かつてここに一泊し、湯の湖の周囲を歩いたことを思い出します。下に湯滝と湯の湖の写真を示します。

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竜頭の滝から戦場ヶ原、湯の湖までを奥日光と称しますが、この地域は車で行くと気ままに駐車出来て、自然の中を歩くことができます。出来ることなら湯の湖のほとりの湯元温泉に泊まると、はるか下の方の東照宮周辺の騒々しさとは別世界の静かさを楽しむことが出来ます。(紅葉の2枚の写真以外の写真の出典は:http://www.asahi-net.or.jp/~wj7y-sgwr/nikkou/nikkoul.html ) (続く)


A 級グルメ、B級グルメ、 C級グルメの分け方

2008年12月12日 | インポート

世にいう「グルメ情報」は、かなり高級な料理屋やレストランに行ってこれを食べたら美味でした、というものが一般です。清貧や素朴な生活を心がけている人々が眉をひそめるような情報です。でも、ちっと待って下さい。グルメにも色々あります。清貧を心がけている人々でも興味ありそうなお話を致します。

まず誤解を避けるために幾つかの言葉の定義を致します。グルメとは外食の場合に食べる料理と定義します。それを3つの種類に分けます。

A級グルメは一食3001円以上の料理とします。

B級グルメは一食1000円以下とします。

C級グルメは一食500円以下で、木枯らしの吹く屋台で食べる一品とします。

そうするとAとBの間にはAB級グルメとBとCの間にはBC級グルメが存在しています。

料理は高ければ美味とは限りません。作る人の誠意がこもっていれば美味と断言するわけにも行きません。

安い料理でも作ってる人の才能と努力と誠意の3拍子が揃っていれば美味しくなります。清貧を心がけている人が1日中忙しくて食事を忘れ、通勤の帰りに屋台により熱いラーメンを食べる。その美味さに思わず涙がこぼれる。そんなことはありそうです。

小生は清貧という言葉が好きです。お金の余裕も有りません。ですからA級グルメにはあまりご縁が有りません。老齢で夜歩きも出来なくなったのでC級グルメも縁遠くなりました。そこでもっぱらB級グルメばかりです。下の写真はJR武蔵小金井駅北口から小金井街道を北へ100mほど歩いた右側にある越前屋の入り口と「カレー南蛮」の写真です。650円です。

50年以上営業している庶民的な蕎麦屋ですが、安い上に誠意のこもった仕事で何を食べても美味しいのです。鴨南蛮は800円です。他に天丼、カツ丼、親子丼、アジフライ定食、などなど何でも800円、900円が限度です。自信をもってご紹介できる店です。(越前屋の電話:042-381-3538)

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この店は白い料理人服を着た夫婦と料理運びをする娘の3人でしています。

蕎麦屋で主人が作務衣を着て、電動石臼が店先で廻っていたら要注意と言います。日本料理屋でBGMに琴の調べが流れ、和服を着た仲居さんがいたら要注意と言います。どうして要注意なのは分かりませんが、電動石臼や和服の費用が料理の値段に加算されるからでしょうか? しかし要注意の店でも安くて美味しい店も有るでしょうからこのような言い方は公平では有りません。

A級グルメ情報やC級グルメ情報は読んで楽しめます。ですからそれも大歓迎です。皆様はグルメ情報をどのようにお考えになっていっらっしゃるでしょうか?

(終わり)