後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ウクライナへ2万人の国際義勇兵、そして『誰がために鐘は鳴る』」

2022年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今回、ロシアの独裁者、プーチンはウクライナに武力侵攻し人々の自由と民主主義を蹂躙しています。
これに対抗して2万人もの国際義勇兵がウクライナへ馳せ参じています。
この報道を見て私は1936年のスペイン内戦で独裁者、フランコ将軍と戦った国際義勇兵を思い出します。人々の自由と民主主義のために戦ったのです。
そしてそれを題材にしたピカソの「ゲルニカ」と、ヘミングウエイの「誰がために鐘は鳴る」を思い出しました。まさに「歴史は繰り返す」なのです。

今日はそんな「ゲルニカ」という絵画と「誰がために鐘は鳴る」と題する小説をご紹介いたしたいと思います。
さてスペイン内戦を簡単に書きます。
共和国として平和だったスペインで、1936年から1939年の3年間にわたって内戦が続き、国土が荒廃しました。左派の人民戦線派と独裁者、フランコが率いる右派の軍人部隊が激しく戦ったのです。
ソ連やメキシコが左派軍を支援し、それに加えて欧米の自由主義者が数多く國際義勇兵として人民戦線側に参加しました。
一方、独裁国のドイツとイタリアは独裁者、フランコを支援し、1937年にはドイツの爆撃機が人民戦線側が占領していたゲルニカという町を徹底的に爆撃したのです。
そして結局、独裁者、フランコが勝利してフランコ独裁政治がその後1975年まで36年間続くのです。
その爆撃されたゲルニカを描いたのがピカソの「ゲルニカ」という黒一色の絵画です。

1番目の写真はピカソのゲルニカという黒一色の絵画です。引き裂かれた人間や生き物の体を描き、絶望と恐怖、戦いの悲惨さ愚かさを訴えています。
『ゲルニカ』はスペインのピカソがドイツ空軍による無差別爆撃を受けた1937年に描いた絵画です。
ドイツ空軍によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題とした有名な絵画です。
戦争の絶えなかった20世紀を象徴する絵画です。
発表当初の評価は高くなかったのですが、やがてその後の反戦運動や抵抗のシンボルとなったのです。ピカソの死後にも保管場所をめぐる論争が繰り広げられましたが現在はスペインのソフィア王妃芸術センターで展示されています。

一方、ヘミングウエイはスペイン内戦で人民戦線側に志願した男の悲劇的なラブロマンスを書いた小説を書きました。「誰がために鐘は鳴る」を1939年に出版しました。
それは大戦中の1943年にゲイリー・クーパーとイングリット・バーグマンの主演で、アメリカで映画化され、日本では戦後に上映されました。以下にその関連の写真を示します。
私の戦後に仙台の映画館でこの映画を見て感動しました。ゲイリー・クーパーの男らしい戦いぶりと哀愁をおびた彼の顔が印象的でした。負傷して死んで行く悲劇性を一層深くしたのがイングリット・バーグマンの悲し気な表情です。彼女は笑顔を一切見せません。悲しい映画でした。

2番目の写真はパラマント映画、「誰がために鐘は鳴る」のポスターです。
3番目の写真は映画の一場面です。ゲイリー・クーパーが機関銃を撃って戦っている場面です。一緒にいるのはイングリット・バーグマンです。
4番目の写真はイングリット・バーグマンです。
この映画は日本では単なる悲しい結末の恋愛を描いた娯楽映画として楽しまれました。しかし映画の政治的内容は自由主義者が國際義勇兵となって独裁主義者と勇敢に戦うという内容です。
自由な国、アメリカが独裁国、ドイツと大戦争をしている最中の1943年のアメリカで作られた映画なのです。
いろいろな勢力が外国から加わった1936年から1939年のスペイン内戦は複雑な事情があり、日本ではあまり知られていません。
しかしそれは第二次世界大戦の前哨戦として重要な意味を持っていると思います。
私は興味深いヨーロパの歴史の一駒と思っています。

今日はプーチンのウクライナへの武力侵攻と國際義勇兵が馳せ参じたことにちなんで思い出したスペイン内戦のことを書きました。
1936年から1939年の内戦です。國際義勇兵と独裁者、フランコが激しく戦ったのです。欧米の自由主義者が数多く國際義勇兵として戦線に参加しました。しかし結末は悲劇でした。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====映画、「誰がために鐘は鳴る」のあらすじ===========
反ファシスト軍としてスペイン内戦に参加したロバート・ジョーダンは戦略上重要となる橋梁を爆破する任務を背負い、パブロが率いるゲリラ隊に協力を求めた。そしてゲリラ隊にかくまわれていたファシストに両親を殺された娘マリアと知り合い、恋に落ちた。やがて、彼は作戦を進めていくうちに、敵の作戦が変更となり、自分の任務である橋梁の爆破が無意味になることを知った。しかし連絡の不備から作戦は中止されず、彼は無駄になったことを知りながら橋梁を爆破し、瀕死の重傷を負い、仲間を逃がして自分は死に臨んだ。
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ウクライナ「義勇兵」に日本人70人が志願 50人が元自衛官,
https://mainichi.jp/articles/20220301/k00/00m/030/165000c
 ウクライナ政府がロシアと戦う外国人「義勇兵」を募集しており、1日現在、約70人の日本人が志願している。在日ウクライナ大使館関係者が明らかにした。全員が男性で、元自衛官が多く「ウクライナの若い人が亡くなるぐらいなら自分が戦う」などと理由を語っているという。
 ウクライナのゼレンスキー大統領は2月27日、志願者による外国人部隊を編成すると表明。在日ウクライナ大使館が同日、短文投稿サイト「ツイッター」を通じて「共に戦いたい方々」として募集した。
 大使館から募集業務を委託された東京都内の企業関係者によると、1日夜までに約70人の志願の申し出があり、うち約50人は元自衛官だったという。かつてフランス外国人部隊に所属していた人も2人いた。
 ウクライナ側は従軍させる場合には報酬を支払うことを視野に入れるが、ツイッターでは「ボランティア」として募集。問い合わせの際に「日本にいても大して役に立たないが、何か役に立つことをしたい」などと「純粋な動機」(大使館関係者)を語る人が多かったという。
 もっとも、日本政府はウクライナ全土の危険情報を最高度の「レベル4」(退避勧告)に設定している。林芳正外相は1日の記者会見で「在日ウクライナ大使館がそうした(義勇兵の)呼びかけをしていることは承知しているが、目的のいかんを問わず、同国への渡航はやめていただきたい」と強調した。在日ウクライナ大使館も、実際に義勇兵として派遣するか否かは日本政府と調整のうえで決めるとしており、人道支援などを担う可能性もある。【飼手勇介、畠山嵩】

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