この数日にわたって、第二次世界大戦の戦争犠牲者数に関して以下のような連載記事を4回掲載してきました。
その記事は以下の通りです。
「我が家のホームページ」第二次世界大戦等の戦争犠牲者数(1)第二次世界大戦での主な国の犠牲者数
「我が家のホームページ」第二次世界大戦等の戦争犠牲者数(2)日本国による賠償並びに戦後処理
「我が家のホームページ」第二次世界大戦等の戦争犠牲者数の紹介(3)地域別の戦没者数と日本が獲得した資源
「我が家のホームページ」第二次世界大戦等の戦争犠牲者数(4)日本人戦没者の113万柱の未帰還遺骨
上のような記録をご紹介した目的は日本が如何に巨大な損失をしたかという事実を皆様へ再度訴えて、平和の重要性を強調したいと思ったからです。
敗戦後から68年が経過して世代も2代、3代と交代すると、とかく戦争の悲劇を忘れがちになるのが人間です。それは自然なことです。しかし戦争の深い意味での怖さは何度強調してもし切れません。そして平和の重要性を何度も確認して行くべきと思います。そうする事こそ平和を維持する最良の方法と私は信じています。
先の大東亜戦争で日本の犠牲者は300万人という膨大な人数でした。日本が攻め込んだ中国では1000万人が犠牲になったと日本の中学校の教科書に記載されちます。
失ったものは人命だけではありませんでした。広大な満州、南樺太、台湾、朝鮮半島、そして南太平洋の日本の委任統治下にあった島々の全てを失ったのです。
その上、日本の損害は戦後も続いたのです。
何十兆円にも及ぶ賠償金をフィリッピン、インドネシア、マレーシア、ビルマ、オランダ、などなどへ支払ったのです。
一見賠償を放棄したと宣言した国々の中国、ラオス、フランス、韓国、などなどへは経済協力やODAの形で巨額のお金を送ったのです。
特に韓国へは朴大統領の時代に大きな経済援助を行って国交回復をしたのです。そして中国へはつい近年までた多額のODAを送り続けたのです。
この経済援助やODAは明快に新聞で報道されなかったので国民はその実態を知りません。日本政府が報道規制をしていたのでしょうか?
戦後処理は賠償だけではありません。外国で戦死した人々の遺骨を回収し、日本へ持ち帰る仕事を厚生労働省は根気よく続行したのです。多額の費用と人員を投入しました。それでも尚、113万5千人の遺骨が かつての戦地に残ったままです。
草生す山地に埋まり、海底深く眠っているのです。線香一本、花の一輪も供えることが出来ないのです。
そして300万人の命と引き換えに日本は戦争中に何を獲得したのでしょうか?
大豆に麦、トウモロコシ、コウリャン、鉄鉱石、ボーキサイト、石炭、ゴム、タングステン、スズ、キニーネ、マニラ麻、砂糖などを得たのです。しかし海上交通はアメリカの攻撃機と潜水艦によって寸断されていたのです。
日本に持ち帰ることが出来なかったのです。戦争中に私は満州の大豆をドラム缶に詰めて日本海へ流すと日本へ漂着するという噂を聞き、それを信じていました。
アメリカの潜水艦はドラム缶は魚雷攻撃をしないという話でした。
戦争はむなしいです。本当にむなしいです。
日本人は戦争のむなしさを何度も確認したほうが良いと信じています。永久に確認し続けらば、永久に平和が続きます。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)