小生の友人に木内光夫さんという人がいます。伊豆の伊東市に住んでいて、岩漿文学会のお世話をしています。筆名は馬場 駿といいます。毎号、力作の小説を掲載しています。
今年、発行の21号では、短編「雪積む樒」という小説を発表しています。
貧困だった生い立ちを自分の母を主人公にした感動的な話でした。
昨夜、読み始めましたが、面白くなってつい最後まで読んでしまいました。
母親の深い情愛と破天荒な生き方が描き出されていて、しかもストーリー展開が面白いのです。小説はやっぱりストーリーが面白いことが一番重要だと改めて知りました。
それも含めて、「岩漿」第21号の目次を以下に示します。
この案内の出典は、http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/kakushi/gansyou.htmです。
ご覧頂ければ幸いです。
がんしょう
第21号 平成25年04月30日発行 =================
主な活動地域:静岡県伊東市を中心にほぼ全国に会員が散らばっています。
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随筆「茶色い迷いわんこ」桂川ほたる 短編「雪積む樒」馬場駿 埋め草「雑感」(い) 岩漿ライブラリー 編集部 小説・小品「ルーツ」・小さな遺品 深水一翠 埋め草「或る子猫の死」(み) 小説「姉貴気取り」岩越孝治 「作家と作品紹介」編集部 編集後記 深水一翠 規程 題字/秋藤俊 表紙・扉・目次カット/近藤満丸 |
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先日の夜、上の写真のような森の中の小屋で文芸春秋、6月号を読んでいました。その340ページに高樹のぶ子という作家が須賀敦子のことを書いていました。
1998年に亡くなってから15年になりますが、私は須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」という本を読んだ時の感動を絶対に忘れません。
そんな思い出があったので、高樹のぶ子の批評を丁寧に読みました。
須賀敦子の文章は「心の旅路」を辿っていて、読む人に穏やかな諦観を感じさせると評しています。そして彼女が自信を失ったとき須賀敦子の「トリエステの坂道」の中の文章を読むそうです。すると感謝の気持ちがわいてきて静かな呼吸に戻ることが出来るそうです。
私は15年前に「コルシア書店の仲間たち」を読んで以来、その文章の透明感と淋しさを時々思い出しています。その他の作品も読みましたが清冽な文章と孤独な雰囲気はみな同じでした。作品には淋しいとは一切書いてありません。しかし何故か読者に寂しさを感じさせるのです。ヒョッとしたら作者自身が孤独で淋しい人生を送ったのでしょうか。
しかし須賀敦子は芦屋の裕福な家で育ち、聖心女子大に学び、パリへ留学し、イタリアの神学に興味を持ち、ミラノに定住し、ペッピーノというイタリア人と結婚したのです。そのミラノにあったコルシア書店で多くの仲間と知り合って、その事を書いたのが「コルシア書店の仲間たち」だったのです。
夫、ペッピーノは若くして亡くなったので日本に戻り、いろいろな大学でイタリア語やイタリア文学を教えていました。晩年になってから書いた「コルシア書店の仲間たち」が評判になり数々の作品が出版されました。そして69歳で亡くなります。
彼女の人生は華やかで知的に輝いていたのです。決して淋しい人生ではないのです。
私は彼女の作品にある特徴を考えています。
カトリックの信者だったのにキリスト教のことは一切書いてありません。
イタリアで結婚したのに新婚生活の楽しさもあまり見当たりません。
不思議な人です。
日本では大学の講師をしながら、何時もイタリア製の高級な洋服を着て、高価な車に乗っていたそうです。そして若い男性達を引き連れて遊んでいたそうです。心が満たされなっかのでしょうか?淋しかったのでしょうか?
しかし須賀敦子の文章にはそんな遊びの話は一切書いていません。
知的に輝けば輝くほど淋しかったのです。遊べば遊ぶほど淋しかったのです。
彼女はその淋しさを描きませんでした。ただ読む人が感じるだけです。
須賀敦子はただ一つ、「こうちゃん」という童話を書きました。それは暗くて悲しいような童話です。彼女の心象風景を書いたものと私は感じています。
彼女が亡くなってから15年。もう忘れられた作家と思っていましたら文芸春秋、6月号に高樹のぶ子さんがその文章の魅力を書いていました。同感です。嬉しくなって私の感じ方も書いてみました。
下に、夫と共にイタリアの古い建物の前に立っている彼女の写真を示します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)