朝食の終わった我が家では新聞の誌面をバラバラにして家内と私がそれぞれの関心の深い記事を読みます。
家内はジャイアンツの試合や大相撲の記事、そしていろいろなスポーツ記事を真っ先に見ます。それから短歌や俳句の文芸記事やその評論記事を読みます。
私は政治記事、特に国際政治のニュースを丁寧に読みます。そして科学や技術に関する記事も熱心に見ます。
短歌や俳句も代表的なものだけ拾い読みします。スポーツ記事も見出しだけは見ます。これは本気で読むのではなく家内と会話が出来るように準備しているだけです。
新聞のどの誌面と、どんな記事を熱心に読むかは人それぞれの趣味です。
このように趣味を軽い意味で使うことも多いものです。他人の服装を見て悪い趣味だと言うこともあります。このように趣味という言葉を使う場合は趣味の広い意味で使っています。ですから「趣味」を「好み」と置き換えても差支えがありません。
さて、ここから本題です。私は趣味の意味を限定して、次のように定義します。
「趣味とは生活を犠牲にして、執拗に続行し、自分だけが楽しむもの」です。
これは私独自の定義ですから反対する人が多くても一向にかまいません。
しかしこの定義を用いると人間のいろいろな行動が、職業なのか趣味なのかが明快に判定されませ。そして、変な趣味、悪い趣味、良い趣味の基準を自分なりに明快に言えるのです。
さて金銭や生活を多少犠牲にしなければ趣味とは言いません。
一例は、少ない月給を使って陶磁器を自分の好みで買い集めるのは趣味といえます。有給休暇を使って伊万里や九谷の里まで買いに行くのが趣味と言います。
ですから金持ちが余ったお金で焼き物を買い集めるのは私は趣味と言いません。それは道楽と呼びます。
勿論、趣味の対象は陶磁器だけでなく書画骨董、絵画、切手、何でも良いのです。またいろいろなスポーツや日本舞踊、茶道、華道なでも良いのです。
しかし生活を切り詰めて、有給休暇を犠牲にしていなければ、それは道楽であって趣味ではありません。少なくとも私はそのように区別しています。
さて「執拗に続行する」という条件も満足させなければなりません。
例えば月給をはたいて気に入った盆栽を買って来て独りで眺めていてもそれは趣味ではありません。少なくとも毎日、剪定して水をやって5年間続行したら、私はそれを趣味と言います。盆栽は難しいものです。2年や3年だけ続けて放り出したなら、それはお遊びであって趣味ではありません。
そして最後の「自分だけが楽しむもの」という条件も重要です。
よく奥さんと一緒の趣味ですという人がいますが、私は内心ニヤニヤしています。それは夫婦の好みが同じで、夫婦仲が良いと自慢しているのです。
趣味とは、奥さんの反対や子供の反対をものともせずに自分だけの世界を構築して、自分だけで楽しむものと私は定義しているのです。
学者には、「学問は私の趣味です」と平気で言う人がいます。冗談ではありません。学問はお金と地位と名声をかけ、一流のプロになって始めて成果が上がるのです。
ここまで書くと変な趣味、悪い趣味、良い趣味の違いがお分かりと思います。
変な趣味とは他人の思いつかない奇想天外な趣味のことです。たとえば月給と有給休暇を犠牲にして世界中の蟻の脚だけを収集することを5年以上楽しんだら変な趣味になります。蟻の脚だけでは生物学の進歩になんの役に立たない上、後に高価に売れるわけでもないので全く無意味な変な趣味なのです。こういうたぐいの趣味を変な趣味といいます。
悪い趣味は社会の良俗に悪い影響を与える趣味です。良い趣味とはその地域の文化に良い影響を与える趣味です。それぞれ実例を書くと「さしさわり」があるので勘弁してください。
以上のように趣味の意味を限定して考えると、長い自分の一生で生活を犠牲にした趣味と言えるものは25年間のヨットの趣味と、40年間の山小屋通いの趣味だけです。下にその写真を一枚ずつ掲載します。
家内は夫婦の義理でよく付き合ってくれました。彼女はヨットより豪華客船が、そして質素な山小屋より洒落たホテルの方が好きだったのではないかと想像しています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)