満州の開拓を推進するための国策として昭和7年より延べ30万人の農民が開拓義勇隊として送り込まれたのです。
そして昭和20年8の月の突如としたソ連軍の侵攻によって、8万人の開拓義勇隊の農民が満州の土になったのです。
お墓はありません。線香も花も供えることが出来ません。
生きて祖国の土を踏んだ人々と犠牲者の遺族が中心になって犠牲者の霊を祀る記念碑を作ったのです。
多摩川をはるかに見下ろす丘の上に「拓魂」と彫られた慰霊碑です。
そしてそれを取り囲んで全国の地方ごとの開拓義勇隊の慰霊碑がずらりと並んでいるのです。
今日、桜ヶ丘公園を散策しているとき偶然に発見しました。
国策として満蒙開拓に送られ、ソ連軍のために死んだ日本の農民8万人のことを、私は決して忘れませんでした。
ですから、そのお墓に代わる慰霊碑を発見し、私の心は動揺しました。
非業の死を遂げた8万人の悲痛な叫びが聞こえるようです。しかしその慰霊碑が存在し、碑の前には花と水が供えてあったのです。かすかに安堵しました。
この開拓民の慰霊墓苑は東京都の公園関連予算で綺麗に管理しているようです。
丁度、都立桜ヶ丘公園管理事務所と書いた軽トラックが来ていて、植木職人が境内の樹木の剪定作業をしていました。
われわれ日本人は、満蒙開拓のため鍬だけを背負って日本を出発し、紅い夕陽の荒野に散ってしまった人々のことを決して忘れません。
靖国神社だけに参拝する偉い政治家が、たまにはこの「拓魂碑」の前に来て頭を下げて頂きたいと思いながら、下に示す写真を撮って来ました。合掌。
国策として満蒙開拓に送らた農民8万人の慰霊苑の全体です。奥に「拓魂」と刻んだ慰霊碑があり、その両脇に全国の開拓農民の出身地別の慰霊碑がずらりと並んでいます。
上は東京都知事だった安井 謙 氏による説明文です。
上は拓魂と刻んだ慰霊碑です。花と水が供えてあります。
上が全国の地方ごとの開拓義勇隊の慰霊碑です。
この慰霊苑の存在を皆様に知って頂きたいと思い、ご紹介した次第です。
詳しくは、http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-manmou-sakuragaoka.htmをご覧下さい。
なお満蒙開拓国策事業については、http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-manmou-his.htmをご覧ください。