後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キラキラ輝いて魅力的な方が遺したジャーマン・アイリスが今年も咲きました

2013年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

40年余、お付き合いのあった近所の老婦人が2011年の11月に、92歳で旅立って行きました。最後までキラキラ輝いていて魅力的な方でした。

そのご婦人から10年位前に頂いたジャーマン・アイリスが、今年も上品な色合いの花を咲かせました。

その花を見ると彼女のことが思い出されます。

女性が年をとっても美しく輝くのは何故かと考えさせる方でした。

自宅から出棺のとき、その美しいお顔の周りに家内と一緒に沢山の花々を入れた事を思い出します。

どんな女性でも老いれば容色が衰えます。しかし美しい、女らしい精神の灯を燃やし続ければ何時までも魅力的な女性でいられるのです。

彼女とは、庭に咲く花を通しての軽い挨拶からお付き合いが始まりました。

家内の文学の会に30年余も通っていました。家内は知的で上品なその方が大好きのようでした。私は家内の話を通して彼女をとても親しく感じていました。

よく旅行に行ってはおみやげを私の家へ届けてくれました。私が玄関に出ると綺麗な、丁寧な言葉で話します。

帰ったあといつもああ、美しい女(ひと)と話が出来て良かったと思ったものです。電話にたまたま私が出ると、優しく挨拶します。80歳以上になっても声の美しい方でした。少女のような恥じらいの気持ちを持つていました。

いつまでも好奇心が強く美術関係の展覧会や音楽会へ出かけるのです。和服も洋服もお洒落に着こなし、挙措の美しい方です。本をよく読み、国内外の旅行もよくします。

自宅の庭には花々を絶やしません。その花々の中からジャーマン・アイリスの株を分けて下さったのです。

知り合ってすぐに、家内と何度か自宅へ招んでくれたのでご主人とも話し合ったことがあります。物静かで思慮深い感じの方でした。しかし数年後に亡くなってしまいました。

彼女は西日本のある町の大きな酒蔵のお嬢さんとして育ちました。ご主人との間には一人娘がいて、孫娘が2人、ひ孫が6人います。良い家族に囲まれていつもやさしく微笑していました。

その彼女が、2011年の秋に亡くなり、近所が急に淋しくなりました。

今日は頂いたジャーマン・アイリスの今年の花の写真をお供えしてご冥福をお祈り致します。どうぞ安らかにおやすみください。近所の私も、家内とともに時々お祈りいたしております。

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テレサテン(鄧麗君)の中国大陸での復活と抗日ドラマの氾濫

2013年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

200812819721 アジア全域で愛されたテレサ・テンは1953年生まれで、1995年に42歳の若さで亡くなりました。

福建語、広東語、北京語に加ええて日本語、英語、フランス語、マレー語が堪能で、その甘い声と抜群の歌唱力でアジア全域で人気を博したのです。

日本でも何度もレコード大賞をとりました。「時の流れに身をまかせ」という歌を覚えている人も多いと思います。

私は以前から彼女に興味を持っていました。中国共産党と激しく対立する台湾の国民党側に立って台湾側の宣伝活動をしていたからです。

台湾の軍隊の慰問活動を盛んにしていていました。

中国政府は1980年代になると彼女の歌を発売禁止にして大陸からは締め出したのです。そして1989年の天安門弾圧事件を非難した彼女へ対して、中国政府は激しく反発したのです。彼女の歌の取り締まりを一段と厳しくしたのです。

ところが昨日、北京で彼女の生誕60周年記念コンサート大会が大々的に開催され、中国大陸での復活を北京政府が認めたのです。めでたいことです。

この記念コンサート大会では香港の人気歌手も参加して、悲劇的なラブロマンスを歌った「何日君再来」なども公演されたのです。「何日君再来」の歌詞を丁寧に読んでみると、その内容は戦争とは直接関係のない男女の別れの悲なしさを歌ったものです。

テレサテンはカトリックでテレサはよくある洗礼名です。マザー・テレサと同じ洗礼名なのです。当然、共産主義はいけないと思っていたに違いありません。

それはそれとして、中国大陸では昔から抗日映画や抗日ドラマが常に人気がありました。

中国共産党は日本軍を撃破して、大陸を統一したおかげで現在の繁栄があるという歴史を宣伝します。それだけが共産党独裁を正当化する唯一の根拠なのです。ですから共産党独裁が続くかぎり中国のテレビには抗日ドラマが氾濫するのです。

私が中国へ何度も行った1980年代は熱烈日中友好の時代でした。しかし通り過ぎる映画館では必ずのように抗日映画の大きな看板が出ていました。

私を大歓迎してくれた北京鋼鉄学院の周栄章教授に苦言を呈すると、あれは単なる娯楽映画だから気にするなと笑っていました。

考えてみると中国共産党が戦争をして完全に勝利したものは抗日戦争しかありません。そして私も含めて人間の男は戦争映画が好きなのです。ですから中国で戦争映画は抗日映画やドラマが氾濫するのです。

戦後、我々はアメリカの西部劇映画を見て楽しんだものです。その多くは白人が獰猛なアメリカ原住民(当時はインディアンと呼んでいましたが)をバンバン打ち殺す内容でした。しかし私はインディアンを憎みませんでした。娯楽映画は所詮そんなものです。

ですから中国のテレビに抗日ドラマが氾濫しても一切気にしないことが重要です。一切無視です。気にすると喜ぶのは中国共産党です。自分たちの独裁の正当化が日本や外国へも宣伝できるのですから喜ぶ筈です。

それにしても年から年中、程度の悪い抗日ドラマばかり見せられている中国人が可哀想に思われます。

いくら娯楽だといってもそれは低俗すぎる文化ではないでしょうか。

それに比較するとアメリカの戦争映画の中には、深く考えさせる立派な内容の戦争映画があります。

中国は経済が発展しても困った国です。ですからこそ昨日のテレサ・テンの北京での生誕60周年記念コンサートは明るいニュースと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)