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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

無駄な時間を過ごす老境の安逸と淋しさ(3)多摩湖の堤防を歩きながら通信兵のことを思い出す

2013年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の午後は家から一番近い湖の多摩湖へ行きました。車で40分です。

気持ち良い五月晴れのもと堤防の上を往復してきました。

歩きながら50年前からよく此処を歩いたものだと考えていました。堤防の真ん中に来たとき、3、4年前にある老人に話しかけられたことを突然思い出しました。

彼は85、6歳に見えます。何も聞かないのに何故ここに来たか説明してくれたのです。

この堤防の下の方角に、戦争中に「通信学校」があったそうです。寄宿舎生だったのでよくこの堤防に散歩に来て夕陽を眺めていたそうです。

その通信学校を卒業すると通信兵として軍隊に入れるのです。

モールス信号なら私も習ったことがあると言いました。そうしたら彼は手旗信号や艦船同士の発光信号や信号弾などの事を説明してくれました。

そして真空管を沢山使った送信機や受信機の組立や修理方法も習うと言っていました。

軍隊では中国戦線と南洋へ行ったそうです。

通信兵なので戦闘に直接参加しません。戦死の危険が少ないのです。その事を言うと、彼は多摩湖の向うの奥多摩の山々を眺めて返事をしません。

しばらくして通信学校を一緒に卒業した40名のうち無事日本に戻って来たのは10名だけだったと静かに言います。

「私も年をとったので、この多摩湖の堤防に立てるのはこれが最後です。でも来れて良かった。あなたと話が出来て良かった」と言って静かに目を閉じました。亡くなった同期生の冥福を祈っている様子です。

まあ、それだけの話です。下に一昨日とった多摩湖(別名、村山貯水池)の風景を示します。

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・多摩湖は別名、村山貯水池といい東京の水道水に使うのです。上が堤防で、向こう側が西武園です。堤防のはるか向こうに大観覧車が小さく写っています。

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・これは取水塔というもので遥か湖底まで伸びていて、そこに水道水を取り込む弁がついています。その弁の開閉をする機械が入っている建物です。ヨーロッパ風の外見になっています。

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・上の一番高い山が御岳山の大山です。奥多摩の山々の中でよく目立つ高い峰です。

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・多摩湖の周囲は水道水を清潔に保つために立ち入り禁止の林で囲まれています。

水も澄んで美しいのです。釣りも禁止です。

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西武園のあるい端まで歩いて行ったら大きな鯉のぼりが空に泳いでいました。端午の節句が来るのです。これを見て何故か満足して、引き返しました。

そうしてまた無為の時間が流れるのです。それも楽しいものです。


純白のコリー犬と、痛々しい夫婦の思い出

2013年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Wanke0021

(写真の出典はhttp://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=uGqEUaXBAoXckQXp94HYCQ&ved=0CC8QsAQ&biw=806&bih=453#imgrc=2WUQVTkAHh3vLM%3A%3BTiVz786UjqZ8-M%3Bhttp%253A%252F%252Fcollie.garakutabox.com%252Fimage%252Fwanke002.jpg%3Bhttp%253A%252F%252Fcollie.garakutabox.com%252Fwhatcollie.htm%3B300%3B226です。)

この上の写真はコリー犬です。この犬を純白にし、脚をもう少し長くしたような犬に昔会ったことがあります。

それは、30年ほど前友人の星野君が猪苗代湖のヨットに招んでくれた時のことです。その帰りに、ある家で会ったのです。

ヨットの上で一緒に飲んだクルーにナミさんという若い絵描きさんがいたのです。

ヨットの上では職業や名前をくどくど聞かないのがマナーです。星野君がナミさんと呼ぶから皆もナミさんと呼びます。

次の日、「花春カップ」のレースに参加して、夕方、星野君がナミさんと私を車に乗せて福島市まで帰ってきました。

郊外まで来たとき星野君がナミさんの家にちょっと寄っていくと言います。

ナミさんの家は古い平屋だての家です。正直に書けば今にも倒壊しそうに古いのです。

ところが家の中に入るとそこは別世界です。八畳の居間に立派な応接セットが置いてあり、その肘掛けソファーの上に大きな純白のコリーが主人のように静かに座っているのです。そして少しだけ尻尾を振り、笑いながら急の客を歓迎しているのです。

気品がある犬です。吠えたり、じゃれたり、走り回ったりしません。

そのコリーの後ろの襖が少し開いていてナミさんのアトリエが見えます。描きかけの抽象画がイーゼルに乗っています。そして完成した絵も数十枚あります。

私が何故か不思議な感じになりました。この家の主人は純白のコリーなのです。そしてナミさんはその家の執事で、美しい奥さんはコリーの召使いなのです。

抽象画は簡単に売れません。かなり生活が大変そうです。この気品あるコリーは上等な肉料理しか食べない筈です。大型犬ですからその食費は大変なことが容易に想像できます。

間もなく、愛するコリーを手放す事を、ナミさんも奥さんも覚悟している様子が痛々しく感じられるのです。

痛々しく感じたのはそれだけではありません。ナミさんと美人の奥さんの間に寒い風が吹いているのです。一言でいえば性格の不一致です。

コリーだけが夫婦の絆なのです。コリーが居なくなればこの夫婦は別れると感じたのです。

それでも奥さんは我々にお茶を出し、菓子も出してくれました。

帰り際にコリーはゆっくり立って我々を玄関まで送ってくれました。少しだけ尻尾を振りながら。

次の年、星野君は「花春カップ」レースに私をまた招んでくれました。

ナミさんが見えません。どうしましたかと聞くと、星野君が、「いろいろあってね」と言いよどんでいます。とっさに私は話題を変えました。

あれから茫々30年。

あの純白のコリーとナミさんとその奥さんのその後の消息は杳として判りません。

彼等のその後の運命に幸あれと時々祈っています。

猪苗代湖のヨットレースに誘ってくれた星野君も2年前に旅立ってしまいました。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)