平成24年3月11日
3月9日から10日にかけて甲府では雨が降った。さほど寒い雨ではなかったが、河口湖や富士吉田では雨ではなく雪だった。そして11日、雨は上がったが空は曇り空、しかし天気予報では日中晴れ間が差しそうだ。
同じ職場に勤務する山仲間の一人が4月から静岡に転勤することとなった。この日は送別会を兼ねた登山を予定し、昨年北岳に登ったメンバーを主に、朝6時、職場前の駐車場に集結した。行き先はヨッシーの隠れ家、黒平から黒富士ルートと撥岩を予定していた。車で昇仙峡の奥、金桜神社からマウントピア黒平への道を行くが、途中に通行止めの看板あり、さらに林道を3kmほど進むとあたりの景色は雪景色に変わった。太刀岡山が真っ白に雪化粧している。この雪の量だと、黒平から黒富士へのルートは相当な時間を要してしまい、到着できないかもしれない。かつ、撥岩から道の無い尾根を下りるのはほとんど困難である。即座にルート変更を決め、引き返して平見城の黒富士農園から登ることにする。

黒富士農園駐車場

雪の越道峠
黒富士農園からは越道峠、鬼頬山を経て黒富士に至り、八丁峠を経て農場に戻る周回が可能である。7時50分に農場を出発し越道峠に向かうが、予想通り途中から道路は雪道に変わった。30分ほど歩いて峠に到着したが、あたりはすっかりご機嫌の雪景色だ。先週の茅ヶ岳に続いて、3月にこの山域でこのような雪景色が見られるとはラッキーだ。誰も踏んでいない雪の感触を楽しみながら、鬼頬山に向かって進む。

鬼頬山に向かう雪の登山道 木の枝が雪で垂れ下がる。

樹氷の道、踏み跡の無い新雪の道
くるぶしから脛下くらいの雪でラッセルというほどでは無かったのだが、鬼頬山への急登は辛かった。張られているロープや木につかまりながら、雪の斜面に靴を蹴り込んで登り、50分ほど時間を費やしてようやく山頂近くの緩い斜面に登り付いた。なんとかアイゼン装着せずに登り切った。ここで休憩していると、幸いなことに足の速い若者2人組みが私たちに追いついてきた。コースを聞くと、本日私たちが予定しているのと同じコースを歩くとのことだ。トレースをつけておくことをお願いし、ここから先は彼らのトレースの跡をひたすら追う、他力本願登山に変わる。

霧の巻く樹氷の森 中央に見える黒い穴は鬼頬山の洞窟

鬼頬山の急登。ここの登りは相当疲れた。

森の切れ間から見る雪景色
鬼頬山山頂からは一旦急下りとなり、そしてまた登り。黒富士の直下までは緩い下りとなり、そして最後の急登が待っている。岩混じりの急斜面を登り切り、12時10分、ようやく黒富士山頂に到着した。越道峠の道標には黒富士まで2時間と書かれていたが、ちょうど3時間かかって到着したことになる。

雪山初経験者もいるが、皆笑顔。

樹氷の森から見上げる青空

鬼頬山山頂

鬼頬山からの急下り

カラマツの樹氷

陽が差すといっそう生える樹氷の森
朝は曇っていた空には青空が広がった。金峰山や八ヶ岳などは雲がかかっているが、隣の升形山、曲岳、茅ヶ岳などは良く見え、雪化粧した山並みが美しい。昼食をとってゆっくり休憩する。

黒富士山頂 ハイキングコースのはずだったのですが、結構大変でした。

黒富士展望台。富士山は見えず、残念。

樹氷の山並み 右から升形山、曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳。その向こうの南アルプスは雲に隠れる。
午後1時、下山開始する。升形山のコルあたりはいちばん雪が深く、膝下あたりまであったが、先行してくれた若者2人のおかげで迷うこともなく、労せずに通過することができた。午後になると樹氷の雪はボロボロと落下しはじめ、しばしば頭の上に降ってきた。これもまた樹氷の森の楽しみだ。1時40分、八丁峠を通過し、黒富士農園に向かって雪の感触を楽しみながらひたすら下りる。そして2時40分、黒富士農園の駐車場に到着した。参加メンバー皆、満足気な表情をしていた。

升形山のコル。このあたりが一番雪が深かった。先行した若者2人に感謝。

八丁峠直下。午後になると樹氷はだいぶ落ちてしまっていた。
3月11日はあの大地震が東日本を襲った日だ。地震が発生した午後3時46分、追悼のサイレンが鳴った。参加者全員、北東の方向を向いて黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈った。この後一旦解散し、6時半、駅前の「ういち」という鰻料理店に再び集合して送別会を行った。主力メンバーの一人が欠けることは残念だが、実家が甲斐市なので都合がつけばまた一緒に登れるだろうし、2年後には甲府に戻ってきているかもしれない。新しい職場でも活躍してくれることを願う。
3月9日から10日にかけて甲府では雨が降った。さほど寒い雨ではなかったが、河口湖や富士吉田では雨ではなく雪だった。そして11日、雨は上がったが空は曇り空、しかし天気予報では日中晴れ間が差しそうだ。
同じ職場に勤務する山仲間の一人が4月から静岡に転勤することとなった。この日は送別会を兼ねた登山を予定し、昨年北岳に登ったメンバーを主に、朝6時、職場前の駐車場に集結した。行き先はヨッシーの隠れ家、黒平から黒富士ルートと撥岩を予定していた。車で昇仙峡の奥、金桜神社からマウントピア黒平への道を行くが、途中に通行止めの看板あり、さらに林道を3kmほど進むとあたりの景色は雪景色に変わった。太刀岡山が真っ白に雪化粧している。この雪の量だと、黒平から黒富士へのルートは相当な時間を要してしまい、到着できないかもしれない。かつ、撥岩から道の無い尾根を下りるのはほとんど困難である。即座にルート変更を決め、引き返して平見城の黒富士農園から登ることにする。

黒富士農園駐車場

雪の越道峠
黒富士農園からは越道峠、鬼頬山を経て黒富士に至り、八丁峠を経て農場に戻る周回が可能である。7時50分に農場を出発し越道峠に向かうが、予想通り途中から道路は雪道に変わった。30分ほど歩いて峠に到着したが、あたりはすっかりご機嫌の雪景色だ。先週の茅ヶ岳に続いて、3月にこの山域でこのような雪景色が見られるとはラッキーだ。誰も踏んでいない雪の感触を楽しみながら、鬼頬山に向かって進む。

鬼頬山に向かう雪の登山道 木の枝が雪で垂れ下がる。

樹氷の道、踏み跡の無い新雪の道
くるぶしから脛下くらいの雪でラッセルというほどでは無かったのだが、鬼頬山への急登は辛かった。張られているロープや木につかまりながら、雪の斜面に靴を蹴り込んで登り、50分ほど時間を費やしてようやく山頂近くの緩い斜面に登り付いた。なんとかアイゼン装着せずに登り切った。ここで休憩していると、幸いなことに足の速い若者2人組みが私たちに追いついてきた。コースを聞くと、本日私たちが予定しているのと同じコースを歩くとのことだ。トレースをつけておくことをお願いし、ここから先は彼らのトレースの跡をひたすら追う、他力本願登山に変わる。

霧の巻く樹氷の森 中央に見える黒い穴は鬼頬山の洞窟

鬼頬山の急登。ここの登りは相当疲れた。

森の切れ間から見る雪景色
鬼頬山山頂からは一旦急下りとなり、そしてまた登り。黒富士の直下までは緩い下りとなり、そして最後の急登が待っている。岩混じりの急斜面を登り切り、12時10分、ようやく黒富士山頂に到着した。越道峠の道標には黒富士まで2時間と書かれていたが、ちょうど3時間かかって到着したことになる。

雪山初経験者もいるが、皆笑顔。

樹氷の森から見上げる青空

鬼頬山山頂

鬼頬山からの急下り

カラマツの樹氷

陽が差すといっそう生える樹氷の森
朝は曇っていた空には青空が広がった。金峰山や八ヶ岳などは雲がかかっているが、隣の升形山、曲岳、茅ヶ岳などは良く見え、雪化粧した山並みが美しい。昼食をとってゆっくり休憩する。

黒富士山頂 ハイキングコースのはずだったのですが、結構大変でした。

黒富士展望台。富士山は見えず、残念。

樹氷の山並み 右から升形山、曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳。その向こうの南アルプスは雲に隠れる。
午後1時、下山開始する。升形山のコルあたりはいちばん雪が深く、膝下あたりまであったが、先行してくれた若者2人のおかげで迷うこともなく、労せずに通過することができた。午後になると樹氷の雪はボロボロと落下しはじめ、しばしば頭の上に降ってきた。これもまた樹氷の森の楽しみだ。1時40分、八丁峠を通過し、黒富士農園に向かって雪の感触を楽しみながらひたすら下りる。そして2時40分、黒富士農園の駐車場に到着した。参加メンバー皆、満足気な表情をしていた。

升形山のコル。このあたりが一番雪が深かった。先行した若者2人に感謝。

八丁峠直下。午後になると樹氷はだいぶ落ちてしまっていた。
3月11日はあの大地震が東日本を襲った日だ。地震が発生した午後3時46分、追悼のサイレンが鳴った。参加者全員、北東の方向を向いて黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈った。この後一旦解散し、6時半、駅前の「ういち」という鰻料理店に再び集合して送別会を行った。主力メンバーの一人が欠けることは残念だが、実家が甲斐市なので都合がつけばまた一緒に登れるだろうし、2年後には甲府に戻ってきているかもしれない。新しい職場でも活躍してくれることを願う。