yamaの不定期日記♪♪

2005年1月から続いている迷える(?)オッサンのブログです。「アスリート」目指してます(笑)

愛と死をみつめて その18

2006-06-10 00:32:23 | NEWS

ネットで以下の記事見つけました。長文ですが 是非お読み下さい。

大手術から二か月が過ぎた、昭和38年1月、まだ痛みと闘いながらも、新年から大島みち子さんは大部屋に移りました。みんな年老いた人ばかり。隣のベッドでは、手術直後で動けない患者さんが、うなっていました。見るに見かねて、みち子さんは、自分の痛みも忘れ、その人のために、水枕の交換や食事の世話をします。これをきっかけに、みち子さんは、病院内で困っている患者さん達の世話を買って出るようになりました。みち子さんは、自分の病室ばかりでなく、隣の部屋、隣の病棟まで、困っている人の手助けに行きました。この姿に、患者さんや家族ばかりでなく、医師や看護師といった病院関係者まで、深く心を打たれました。再発の不安はありましたが、遠く離れた恋人のはげましは、なぐさめでした。
ときに襲われる苦痛。みち子さんはそれでも、患者さん達の世話をやめませんでした。家族に恵まれない寝たきりの人を見ると、下の世話まで厭いませんでした。これには看護士も驚き、病院中で評判となって行きました。みち子さんの主治医だった金光医師には、40年以上たったいまも、忘れられないことがあります。それは大勢の患者さんから巻き起こった、みち子さんの命を助けて欲しいという声です
金光医師:「あの若い娘さん、なんとかなりませんのですかとかね、それから、われわれはすでにもう人生は、このままなんかしても、年齢的に不足はないけれども、あの人なんかはなんとかもう一編病院から外に出て、活躍できないんですかとか、そのような、ほかの患者さんからあの患者さんをどうのこうのというふうなことは、あんまり聞いたことがないですね。というのは、やっぱり大島くん自身が、非常にそれらの人びとの胸に刺さるような印象を、やっぱり与える人だったということだと思うですね」



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