「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

あの日を忘れない

2022年01月17日 11時28分36秒 | 日常のこと&写真
 あの日の恐怖を忘れない。
ドーンと突き上げられ身体が宙に浮く、ガタガタガタ、グラグラグラ アパートが崩壊すると寝ぼけ眼でそう思った。隣には妻がいて、私はしきりに子供の名を呼んでいた。
 そう27年前の午前5時半頃だった。阪神淡路大震災というこれまで経験したことがない大地震に襲われた。単身赴任で兵庫県姫路市に赴任しているときだった。正月明けで妻が掃除や洗濯などのためにちょうど来てくれていた時だった。
 すぐに自宅に電話を入れた。即座だったのが幸い電話がつながった。次女に状態を聞いた「家の中がぐちゃぐちゃで、テレビもサイドボードから転落したという」。幸い家具類は倒れずケガはないということでホッとした。「お姉ちゃんのところへ行ってなさい」と告げた。長女の家族も近くのマンションに住んでいた。子供たちが無事だったことに安堵し、妻をすぐに帰宅させようとしたが、電車は走らずで帰るすべがない。そこで私の車で通行可能との情報を入手し、丹波篠山へ向かいデカンショ街道を経由してJR亀岡駅まで送った。ところが姫路への帰りが大渋滞、車が動かずで何時間かかったか記憶にないほど。
 その後、情報が入るにつれ甚大な被害を受けていることが分かった。姫路支社は無事だったが神戸支社に被害が。だが救済に行きたくとも行けず、ようやく1週間ほどたってメリケンパークへ向かう船が動き、姫路港から神戸に向かった。メリケンパークを降り立ったとき愕然とした。見たことがない光景が広がっていた。本社への報告のための写真を撮りたいが、被災者の手前シャッターを切るのをためらうほどだった。神戸支社は亀裂だけで倒壊を免れたが、道路を隔てた向かいのビルは崩壊していた。デパートも市役所も大きな被害だ。
 それから数週間、神戸支社の社員安否確認や片づけなどの支援を続けた。従業員の多くも被災した。この支援が落ち着いた9月末日をもって私は会社を退職した。本来は3月末日任意退職だったが人道上のことから半年延ばした。

 また、17日は過重労働が原因で、事故で亡くした弟の命日でもある。















                    <叫び>


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