mcnjさんからお嫁入りのクリスマスローズが今年も・・・
先日、埼玉県に避難生活中の友人が郡山に来たので、久しぶりに会いお茶してきました。
彼女の家は、福島第一原発から6キロの地点にあり、震災があった日は、原発から20キロ圏内にある高校に勤務中でした。
地震発生とともに津波警報が出たので、高台にあった高校はそのまま避難所になり、避難してくる住民の受け入れと世話で、その日彼女は家に帰れませんでした。
ショックのせいか切迫流産になりかけた妊婦さんもでたりで、大変な一夜を過ごしたようです。
バイモ
翌日の早朝、原発から半径10キロ内に避難指示が出て、この時点で彼女は家に帰れなくなり、その日の夕方、避難指示は半径20キロに拡大したので、彼女の高校も別の場所に避難です。
彼女は、自分の家がどんな様子なのか知ることもできず、前日学校に出勤した時の着の身着のままで次の避難所へ移動。
そこで、88歳のお母様と81歳の叔母様を連れて避難していたご主人と合流し、それから埼玉県の親戚の家へと避難したそうです。
イベリス
4月になると、彼女の勤務する高校は、県内のいくつかの高校に分散してサテライト授業をすることになり、彼女は偶然にも郡山勤務になりました。
生活の拠点も、埼玉から福島県猪苗代近くの某ホテルに移し、暫くは猪苗代から郡山まで通勤する生活になりそうです。
こんな状況じゃなければ、バンザ~イ!と喜ぶところなのですけどね~。
「自分の家を持ちながら、根無し草のように暮さなくちゃいけないなんて・・・」
彼女がぽつんと言った言葉には、今まで築き上げてきた生活が、何の予告もなしに奪われてしまったことに対する憤りと悲しみ、その感情をどう抑え何処に収めたらいいのか、置き場所に困っているような響きを感じました。
もちろん怒りの矛先は、30年の寿命と言われる原発を、延命措置でつなぎながら40年も運転してきた東電と、その管理を曖昧にしてきた政府に向けて当然と思いますが、彼らを指さし怒りをぶちまけても事態が好転しないことを彼女も重々承知のことなのでしょう。
安易に原発税に頼ってきた福島県も、無関心でいた県民も反省すべきところがあります。
けれども、地震による巨大津波も確かに想定外でしたが、これほど為す術もないとは・・・こんなに脆い原発安全神話もまったく想定外でした。
ムスカリとチューリップ
断水で水やりができなかったり、いつまでも続く寒さで葉の色が悪くなったり、植物にとっても受難が多かったけれど、
庭の花たちは、いつもと変わらない愛らしい姿で咲いてくれています。
花見てぞ 身の憂きことも わすらるる
春はかぎりの なからましかば 藤原公経
ユキヤナギ
根っこを張って元気に咲いている花たちを見て、「いつまで根無し草の生活を・・・」と言った友の言葉がリフレインします。
今日は雨。でも、いつもとは違う雨。
窪みにできた水たまり・・・中原中也風に言うと・・・汚れちまった悲しみの水たまり?
汚染されちゃったんだな~なんて考えていたら、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
森にはいろいろな動物が棲み、空には鳥が鳴き、緑の田園が広がる自然豊かな村。
ある日、その村を不思議な現象が襲う。
牛や羊が病気で次々と死に・・・それはいつか人間にも広がり、春が来ても花が咲くことはなく自然は黙りこくっている。
今では小鳥は歌わず、ミツバチの羽音も聞こえない・・・そんな内容で始まるお話です。
核実験で飛散した放射性物質が大気や土壌を汚染する・・・
人間にとって不快な雑草や虫を駆除するために化学薬品を使い、汚染の連鎖を繰り返し、春になっても自然は沈黙したまま・・・
人間が自然を破壊し続けていることへの警鐘として書かれた本で、昔、息子の課題図書だったのを借りて読んだのを思い出し、本棚から引っ張り出してみました。
ビオラ
レイチェル・カーソンは沈黙の春の最終章で、こう言っています。
“私たちは、今や分かれ道にいる。(中略)長い間旅をしてきた道は素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うことができるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍であり破滅だ。もう一つの道はあまり<人もいかない>が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあると言えよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ。”
少し前に記事にした木村秋則さんの「奇跡のりんご」にも通じるものを感じました。
“リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているのではない。周りの自然の中で生かされている生き物なんだよ”
人間も同じだと木村さんは言います。
農薬も肥料も使わない自然農法は、半年たっても腐らない力強いリンゴを育てています。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が何十年も前に警告したことを、私たちはもっと真摯に受け止め、道を選ばなくてはと思います。
夫の実家から移植した水仙が、今花盛りです。
今日は義父の命日でした。南相馬市にある墓地の水仙も多分満開のころ。
いろんな思いが、過って、消えて・・・また浮かんで・・・
でも、美味しいものがあれば幸せ・・・な、私。
バナナをグラッパでフランベ。 シナモンのいい香り~
グラッパをたっぷり入れたので、濃厚。バナナだけれど大人向けのおやつでしたっ。
ozさん作
先週、宮城で大きな余震があった後でしたが、元気がない私を見かねた夫がお鮨屋さんへ誘ってくれました。
いつもの鮨よしさんです。
写真は、ご主人が丹精込めた枝垂桜の盆栽。郡山の桜はまだなので、一足先にこちらでお花見です。
花はもう終わりのとのことで、一段と濃いピンクになっていましたが散り際も美しいのが桜。
3.11の地震では、何年もかけて育てた盆栽の鉢が壊れ、呆然として暫く何も手につかなかったそうです。
福島のお酒「花泉」で乾杯!なんと震災の後一か月ぶりのお酒でした~。
家にいると否が応でもニュースが目に耳に入り、なかなかお酒というムードにはならなかったので、良い気分転換でした。
そして、鮨よしで元気にしてもらった次の日の4月11日。今度は福島県に震度6弱の大きな余震。
二男と買い物の帰りだった車の中、ゆっくりと道路の左側に車を止め様子を見る間も、荒れ狂う波のようにブルンブルンと揺れる電線が、電柱を倒し切れてしまううのではないかと思ったほどでした。
鮨よしさんのあの桜は無事だったかしら・・・
震災から一か月以上経つのに、大きな余震が絶えません。一か月の間にM5以上の余震が400回を超えています。
今回の余震で、いわき市の水道はやっと復旧したばかりなのに、また6割の世帯で断水だそうです。
ようやく復興への希望を見出して歩き始めたというのに・・・
年中揺れているような気がして、「今、揺れた?」と聞くのが口癖に。
それなのに、これが最後の最大余震と言うことではなく、この先一年はマグニチュード8クラスの余震も警戒しなくてはならないと言います。
警戒しなさいと言われても、できることには限りがあります。あとは、ただ神に祈るばかりです。
久々に夕食のアップ。
食事の支度をしていても、緊急地震速報の警報音が鳴ったりするので、カメの私はビクビクのぎっくり腰、ではなくへっぴり腰
なので、できるだけ手間がかからず、後片付けが楽なメニューです
そうそう、普段から海藻類を取っている日本人は、悪いヨウ素を吸収する心配は少ないそうですョ。
我が家は、夫があまり海藻を食べないので、この機会に無理やり食べさせています(笑)
復興の妨げになるような地震が、どうかもう起こりませんように
ozさん作
震災から3週間が過ぎました。
4月になった途端日中の気温が16℃と春らしい陽気になりましたが、翌日はまた冷たい風が吹き、まだまだ三寒四温の福島県。
それでも、お隣の家の白梅は満開になり、我が家の遅咲きの梅も蕾をパンパンに膨らませてっぺんの方ではちらほらと咲き始めました。
ガソリンの供給も落ち着いてきたので、先日用事があり、震災の後初めて駅前まで出かけて来たのですが、いつも通る裏通りの見慣れたビルが、基礎の部分から盛り上がるように傾いて今にも倒れそうになっているのを見たときには、息子と二人息をのんでしまいました。
当然その先は通行止めです。
迂回して通ったショッピングモールも広い駐車場に車はなく休業、壁が落ちてしまった家やタイルがボロボロと剥がれ落ちているマンション、所々盛り上がって波打つ道路・・・
駅構内も崩壊のために立ち入り禁止で、周辺の大型ショッピングビルも、シャッターが下りたままだったり、街は思った以上にダメージを受けていました。
あらためて郡山も被災地だったのだと思い知らされました。
そしてこちら、数日前我が家に届いた大きな宅配便。差出人は宮崎県にお住いのブログ友の南国花子さんでした。
最近すっかりご無沙汰してしまっていたのですが、先日の大地震の後直ぐにお見舞いのコメントをいただき、宅配便が復旧するとすぐにこんなにたくさんの支援物資を送ってくださいました。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー、カイロ、レトルトのご飯、野菜ジュース、缶詰等々。
流通が回復してきたとは言え、飲料小物の購入はまだ制限がありましたし、ストックしていたペーパー類も、先日宮城県の長男の友人家族に届けてしまったので、とても助かりました。
花子さん、本当にありがとうございました
いただいた物資の一部は、被災地の方とシェアさせていただきました。
超美人の花子さんの笑顔を思い出し、とても明るい気持ちになりました~
そしてその2日後の今日、またまた花子さんからお水のペットボトルが2ケースも届きました。
花子さんと太郎さんの南国堂にも、数量が限定されて入荷したお水だと思いますのに、貴重なお水をありがとうございました~<(_ _)>
お友達のブログを拝見しても、被災地を支えようとしてくださる力強いお気持ちがひしひしと伝わってきます。
本当にありがたく嬉しいことです。
我が家も家族と相談しながら、微力ですができることを少しずつ続けていこうと思っています。
少し前から、地震の前日に患った腰痛のリハビリに整形外科へも通い始めました。
全身マッサージしてくれるウォーターベッドが、気持ち良すぎてついウトウト~としてしまう呑気な私です
今まで家で仕事をしてくれていた二男も、明日からは通常通り事務所に戻るので、これからは一人で頑張らなくちゃ~!
4月は始まりの季節。
様々な方が様々な思いを胸に迎えたであろう4月。
長い道のりになるかもしれないけれど、それぞれの一歩から始めたいですね
基準値を超えた野菜については出荷停止命令が出ているのだから、市場に出回っているお野菜は安心して食べてもいいはずなのに、軒並み買われなくなっているというのは本当なの?
だとしたら、悲しい。
正確な情報が欲しいと言いながら、情報を発信すればヒステリックに買いあさり、あるいは買い控え。
福島県のほうれん草を食べてくださいとは言いませんが、せめて市場に出回っているものをそんなに怖がらなくてもいいのでは?と思ってしまいます。
妹の旦那さんは、屋内退避指示が出ている南相馬区にある県庁の出先機関に単身赴任中です。11日の地震以来休日もありません。
地区の殆どの人は自主避難をされて、残っている人は2万人弱だそうですが、放射能汚染の風評被害で流通がストップし、物資が届かず生活に窮して余儀なく避難をされた方も多いと聞きます。
そんな中、農業を営む人たちは、先祖から受け継いだ土地を放り出して避難はできないと留まっている人が多くいます。
特に畜産農家は深刻です。
妹の旦那さんは獣医なので、現在畜産農家の訪問&ケアに奔走中です。
基準を上回る放射性ヨウ素が検出され、酪農家では毎日牛のお乳を大量に捨てているそうです。2次汚染を防ぐため廃棄する場所の確保も間に合わないほど。
お乳が汚染されて使えなくても、牛のお乳は毎日搾らないといけないそうです。
もちろん餌も毎日あげなければいけません。
生乳検査をしながら酪農家の厳しい現実を目の当たりにして、彼もさぞ辛い思いをしているに違いありません。
出荷規制がかかっていないお野菜まで、風評被害に遭うのは、農家の方があまりにもお気の毒。
義援金や、頑張って!の言葉も大切ですが、普通の暮らしを心がけることも復興の手助けの一つだと思います。
日差しは暖かそうなのに、キーボードを打つ手はいつまでも冷たい。
お彼岸も終わったというのに、ちっとも暖かくならない今年、どうしちゃったのでしょう。
相変わらずガソリンスタンドには長い行列、灯油も手に入りにくい状態。
暖房をけちけちしているので、寒がりの私は家の中でもダウンを着て生活しています。
原発が予断を許さない状況の中、天気予報を見るように放射線量をチェックすることから始まる朝。
そんな昨日、3号機で作業中に3人が被曝し、2人が病院に運ばれたというニュース。心が痛みます。
自衛隊員や消防隊員はじめ、現場で命がけで作業をしてくださっている方々には、本当に頭の下がる思いです。
命に関わる危険な作業なのに「自分を行かせてください」と申し出る自衛隊員の方が後を絶たないとも聞きました。
隊員の方にも、大切なご家族がおありだと思うと、本当に申し訳なく思いますが、頑張ってほしいとも思ってしまいます。
22日、郡山の浄水場でも150ベクレルの放射性ヨウ素が検出され乳児の飲料は控えるようにとの指示が出ました。
我が家に小さい子はいないけれど、農産物の次は飲用水?いよいよ来たかと内心穏やかではありませんでした。
浄水器は付けているけれど、水溶性の放射性ヨウ素に効果があるというデータはないそうです。
息子によれば、ヨウ素は日にちが経つと薄くなるから汲み置きした水を使うといいということ。これでは断水状態に戻ったような気分です。
幸い我が家に繋がる浄水場では検出されていなかったのですが、念のため、5リットルの飲用水タンクに3つほど汲み置きしておきました。
夫の会社も、1,2階は大丈夫でしたが、役員室がある3階が足の踏み場もないほど壊れ、夫が法務局から戻ると、何も守ることができなかったと女性社員が呆然としていたそうです。
金額的にはかなりのダメージを受けたようですが、誰にも怪我がなかったのが何よりでした。
夫はその後、事務所の後片付けと並行して、放射能漏れの風評被害で物資が届かないといういわきに生活物資を届けるため、食品やガソリンの手配に奔走していました。
これまで何度も逆境に立たされたことがある夫ですが、そのたびに「大丈夫だよ!」と軽く笑い、ここまで来たので、今度もきっと大丈夫・・・
地震の後、断水になった我が家にも、日頃お付き合いのあるホテルやレストランからいち早く届いたお水やお弁当の差し入れがあったり、お店の食材を女将さんがわざわざ届けてくださったり。
「普段よりご馳走だな~!」なんて不謹慎にも息子たち。
情けは人のためならず。痛切に感じました。
我が家の被害は、被害と言うにはあまりに小さく、最大の被害は「お母さんのぎっくり腰だよ」って言われてしまいました。
本当は地域の防災委員で炊出し班なのですが、参加できませんでしたし。。。トホホ・・・
近くの行政センターにも約50名の方が避難生活をしていらっしゃるというのに(-_-;)
今回は役に立つどころかみんなの足を引っ張ってしまって・・・
ガソリンの入手が安定したらリハビリに行って、早く治したいと思っています。
あ~あ、早く暖かくなってほしいな~
今は、備忘録としての日記のようなもので、愚痴やボヤキも多いのでコメント欄は閉じさせていただいてます。
余震が怖くて、お返事も書けないので(^_^;)
でも、皆さんのブログにはお邪魔させていただいて、ほっこりしたり、ニンマリしたりしています。
こんな時、ブログをしていて本当によかったなあと思っています♪
みなさんにご心配をおかけしていましたが、mint家のライフラインも、水道が復活し数日前から平常通りになりました。
同じ市内でもライフラインはまちまちで、ガスが止まったり、未だに断水が続いているところもあります。
長男のマンションは、地震直後からすべてのライフラインが途切れることはなく安定していたので、日中はそちらにプチ非難をしていました。
ただ、老親を抱えているので、大きな余震でエレベーターが止まると母が大変なので、夜は自宅に戻るという生活でした。
そんな中、仙台に住んでいる長男の友人が、避難所からライフラインが復活し自宅マンションに戻って生活をしていたのですが、食料や子どもの紙おむつが無くなり、近くのスーパーも営業していないし、ガソリンもない、避難所に戻るのも困難という状態になってしまいました。
ガソリンさえ手に入れば、物資を届けてあげることができると、19日(土)に、市内の数か所のガソリンスタンドが午後1時から開くという情報を頼りに、近くのスタンドに朝6時から並んだ息子。
二男も自転車で応援に行き交代でスタンドに並び、二男が並んでいる間、長男は近くのスーパーに並び友人に届ける食材や日用品を買いに行くという連携プレーでガソリン&食料品をgetしました。
それでもパンや紙おむつは手に入れることができず、連絡を受けた私も近所のスーパーに並ぶことにしました。
おむつを手に入れることは半ば諦めていましたが、30分ほど並んで店内に入ると、ちょうど届いたばかりの紙おむつの段ボール箱を店員さんが運んできたところでした。3日ぶりに入荷したそうです。
おまけに食パンも焼きあがったところ。食パンは1家族1斤の制限でした。
おむつ2パックとまだ湯気の上がる焼き立て食パンを抱えて、なんだかウルウルしてしまったmintです。
我が家にあった、そうめんやお餅、パンケーキの粉なども添えて午後から一路仙台に向かった息子。
車の流れが良く、思ったよりスムーズに目的地に着き思ったよりも早く戻ってきました。
ガソリンも間に合ったとのこと。
大人ばかりの我が家は何を食べても暮らしていけますが、小さなお子さんを抱え、余震と物資不足の被災地の生活はさぞ大変なことと思います。
1日も早い復興をただ祈ることしかできないのは、なんとももどかしいことです。
今日の福島県は雨。大気中の放射性物質が雨とともに落ちてきて放射線量も増えているとのこと。
牛乳や野菜からは、既に国の基準を超えた放射性物質が検出されており福島県の農業はどうなっていくのだろうという不安がつのります。
先月の長閑な日に出かけた水戸の偕楽園の梅。
我が家の梅も咲き始めました。
もうすぐ桜の季節もやってくるというのに、思い切り日差しを浴びて心からお花見を楽しめる日は来るのでしょうか・・・
3月というのに本当に厳しい寒さ。
被災地で避難生活をされている方々の今後がとても気になります。
何とかして支援物資を送れないかと思案していたら、息子から情報をもらいました。
市役所に問い合わせても、個人からの物資を受け付ける窓口が無いようでしたので。
ご参考までに
特定非営利活動法人(内閣府認証)
日本ユニバーサルデザイン研究機構
http://www.npo-uniken.org/index.html
http://www.ud-web.com/oshirase3.htm
壊れたもの後片付けや、水の確保で忙しかったときはにはあまり感じなかった被曝への不安が、今頃になって刻々と忍び寄ってきています。
郡山は原発から直線で60㎞。避難や屋内退避の命令は出ていません。
しかし、米軍は原発から80㎞以内への立ち入りを禁止しました。
郡山市にもたくさんの方が避難されてきています。今後も増えると思うのに受け入れるところがない状態になってきました。
我が家も3~4人ぐらいならと思うのですが、気難しい母が少々過敏になって困っている状態。
あれこれ考えて不安がっていても仕方がありません。
今できることをして、あとは何とかなるさっ ってブログに書いたらなんだか元気になりました。
NPOユニバーサルデザイン研究機構のご紹介だけのつもりだったのに、軽く愚痴っちゃいました(^^ゞ
昨日はお米を10Kただいたので、ご飯を炊いておにぎりを作り、かぼちゃの煮物と卵焼きを添えて会社に届けました。
ホカホカご飯の香りと、ホクホクかぼちゃで十分幸せになれちゃうmintです♪
そしてこんな時こそ、明るい話題、やさしい言葉、屈託のない笑顔に救われます。
せめて、被災を免れた方たちには、明るく元気に毎日を過ごしていただき、そのパワーと気を送ってくださいね。
コメントは残せませんが、時々みなさんのブログをウロウロして、楽しいことを探しています(^_^)v
たくさんの方から応援・励ましのメールをいただき、ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
初めてコメントをくださった方もいらっしゃり、お一人おひとりにお礼を申し上げたいところですが、こちらからで失礼いたしますことをどうぞお許しください。
余震の不安と原発の不安、そして水のない不自由な生活に、気持ちも沈んでしまいがちでしたが、みなさんの温かいメッセージは、みなさんが思っていらっしゃる以上に私たち家族に勇気と元気をくださいました。本当にありがとうございます。
実は大地震が来る前日に腰痛で整形外科にかかったばかりでした。冗談半分に「こんな時に地震が来たら最悪ね」なんて言っていた矢先の地震でした。
11日の午後、2階の自室でブログの記事を書いていた時、傍らの携帯がビ~ビ~と聞きなれない音を立てるので見ると、緊急地震速報。
え?っと思う間もなく突然の揺れが来て、階下にいる母が気になりながらも杖を持って立っているのが精いっぱいでした。
そこへ夫からの携帯電話で、とにかく落下したり倒れそうなものの傍から離れて、むやみに外へ出てはいけないと言われました。
その時法務局にいた夫は、古い建物の天井の一部が落下するのを見て、これは尋常ではないと咄嗟に電話をしたそうです。
周囲で、物が落ち倒れるのを無力にもただ見ているだけ。ようやく揺れが小さくなり、階下へ降りると、母はダイニングテーブルの下に入って私の名を呼びながら、「大丈夫~?」と叫んでいました。
周囲はガラスや瀬戸物の欠片が散乱して、コーヒーテーブルはひっくり返り、本棚の本も飛び出し、シャンデリアはブランコのように揺れていました。
玄関で靴を履き、テーブルの下の母にも靴を履かせ、暫くは目の前に広がっている光景が現実のものとは呑み込めませんでした。
二男から、「僕は無事だけど、そっちは大丈夫?」というメールが入り、ようやく本当に起こったことなんだと実感しました。
長男が休暇を取ってスキーに行っていたのを思い出し、雪崩に巻き込まれないかとこちらも心配でしたが、地震発生後2時間ぐらいでこちらに着き、自分のマンションに戻る前に安否を確かめに立ち寄ってくれました。
11日と12日は、着の身着のまま靴を履いて、家族5人がリビングにかたまり、続く余震に警戒しながらまんじりともせずに夜を過ごしました。
テレビで宮城や岩手の被害の甚大さを知るにつれ、怖さと気の毒な思いで涙が止まりませんでした。
そして、国内外から被災地に赴き、命がけの捜索・救助に当っている方々、ライフライン復旧のため昼夜を問わず作業を続けている方々には頭が下がる思いで、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
今、燃料不足で市はゴミの収集もできない状態。
給水車も出動できなくなっては大変と、我が家もガソリンを節約するため、二男は自宅で仕事をし、長男は自転車で通勤しています。
生協の配達もストップし、買い物は腰痛の私に代わり二男が自転車で行ってます。
役に立たない私は、ご飯を炊くだけ・・・(T_T)
そして今日の夕方、夫から会社の水道が復活したと連絡があり、その30分後には我が家の水道からも水がでてきました。まだ細く、断続的にですけど。
蛇口をひねると水が出る、そんな単純なことがこんなに嬉しいことだなんて・・・
この5日間で、今まで当たり前と思われていたことが実はとても幸せなことなんだと思い知らされました。
しかし、まだまだ不安はつのります。
果たして、この蛇口から出る水が安心して飲める水なのだろうか・・・
今回の大地震で「原発は安全」という神話は脆くも崩れ去りました。
原発の現場で決死の作業をなさっている方々のことを思うと、胸が張り裂けそうですが、今後起こりうる事態を考えると、何としても原子炉のメルトダウンは避けて欲しいと祈るばかりです。
屋内退避区域の中で孤立してしまった人たちも、食料が尽きて深刻な状況です。
我が家もようやく落ち着いた生活になりつつあります。
そんな中、せめて灯油・ガソリン・電気・水の節約に努め、物品の買い占めに走るのだけはやめようと言い出したのは、以外にも息子たちでした。
果たして、自然の力を私たち人間の知恵でどれほど想定できるものなのでしょうか。
原子力発電の現実を知った今、私たちは身の丈に合った生活というのをもう一度考え直さなければならない時に直面したと言えるのかもしれません。
たくさんのお見舞いのコメントをありがとうございます。
生まれて初めて震度6の地震を体験しました。
とりあえず、家族共々無事です。
断水中ですが、電気とガスは使えますのでラッキーです。
家の中は、棚からいろいろな物が落ちて部屋中散らかっていますし、余震が頻繁にあるので不安は拭い去れませんが、大変な被害に遭った方々がたくさんいらっしゃる中で申し訳ないくらいラッキーだったと思います。
簡単ですがとりあえず無事をお知らせいたします。
温かいコメント本当にありがとうございます♪
みなさま、こんにちは。
長くご無沙汰したにも関わらず、当ブログに立ち寄ってくださり、本当にありがとうございます。
昨日、ようやく新しいパソコンを納品していただき、ネット生活が復活しました。
滅多に風邪など引かない私が、節分の後に風邪を引いてしまい、まさに鬼の攪乱
そして、私の風邪ウィルスがうつったかのようにパソコンも調子を崩し、画面が暗くなり何も見えないという状態に・・・
他のところは動いているのに、画面だけが停電になってしまったような感じでした。
そんなことが2度3度とあり、とうとう明かりが戻らずという状態に・・・
思えばまる5年、機械音痴な私に無茶苦茶な使い方をされながら、今までよく頑張ってくれました。
音がいいPCだったので、いつもCDを入れて音楽を聞きながら、ゆるゆるとクッキーやチョコを片手にコーヒーをいただきながらの、まったりしたネットサーフィンでした。
お菓子の屑をこぼしたりベタベタした手で汚しちゃったりと、大分草臥れた姿だったので、お別れ前にキレイにしておきました(笑)
今までありがとう!私のdynabook
そして、今度の新しい相棒はこちら。
私も夫も機械には疎いので、二人で量販店を回ってもあまりの情報の多さに何を選んでいいのか分からないので、会社でお世話になっている業者さんにお願いしました。
こちらの希望を伝え、いくつかの提案をいただき、その中から選びました。
迷った末、軽さとバッテリー駆動時間の長さ(10時間)とお値段でこちらに決めました。
軽さとバッテリーに拘ったのは、ロングドライブの時や美容院での時間に、これでDVDを観ようと思ったから(笑)
テンキーがついたため、微妙に位置が変わったキーボードのタッチにまだ慣れていないのですが、チャーミングな容姿のLavieに、すぐに仲良くなれそうな予感がしています
パソコンの傍にいつもひっついているワンコはシェパードのジョンです(笑)
お腹で拭き掃除ができるようになっているのですが、彼のお腹で拭いたら余計に埃がついてしまいました(^^ゞ
まずはジョンを洗ってあげないと・・・
画面がほぼ真っ暗な状態のdynabookから、どうやってデーターのお引越しをするのかと気がかりだったのですが、
別のモニターに接続して、ちゃんと操作ができるんですね~!(こんなことで感心するのは私だけ?)
傍であれこれ質問をしてお仕事の邪魔をしながら作業を眺めていましたが、どんなPCもサクサクっと操ってしまうのには驚きでした。
写真とiTunesのデータ量が多くて時間がかかり、データ引っ越しはまだ途中です。
復活はしたものの、使い勝手に手間取り、ブログ更新にはまだまだ時間がかかりそうなmintです。
ちびりちびりと、バレンタインの名残りチョコをつまみながら新しいPCの前で奮闘しています。
もうすぐ皆さんのブログにもお邪魔できると思いますので、またよろしくお願いいたします