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coffee break おしゃべりしましょ

美味しいものがあれば幸せ♪

妹の病気のこと

2011-10-11 23:34:50 | つぶやき



庭の金木犀が良い香りを放ち、風が吹くとパラパラと音を立てて散っています。
地面には、オレンジ色の小さな花がカーペットに織り込まれた模様のようにびっしりと・・・


東日本大震災から7か月。妹の入院からは1か月と1日。
どちらも希望が見えてきたと言っていいのでしょうか。

酷かった頭痛や吐き気は治まり、左手、左足はまだ眠ったままだけれど、妹の表情も日一日と良くなり食欲も出てきました。
これからはリハビリに励み、左半身を眠りから覚まさなければなりません。

妹を襲った病気は、聞いたこともない名前の脳の病気で、あっという間に症状が悪くなる、まさに青天の霹靂のような出来事でした。
完全に元の生活に戻れるのか、後遺症が残るのか、今のところなんとも言えない状態です。
これからは良くなるばかりと信じて、後々役に立つかどうかは分からないけれど、これまでのことをちょっとずつ綴っておくことにしました。



9月11日(日) 

夫と佐野のアウトレットに行くために、出かける支度をしていたら、妹の旦那さんから電話があり、妹が近くのA脳神経外科に入院したと知らされた。
妹は、9日に娘と二人で那須へ一泊2日の小旅行に出かけた二日目、脚に思うように力が入らなくなり、ホテルの紹介で地元の診療所で診察を受けたところ、脳梗塞かも知れないと診断されたと言う。
急遽予定を繰り上げ新幹線で福島へ帰、り自宅近くの脳神経外科病院に駆け込みそのまま検査入院になった。

連絡を受けた私たちは、アウトレット行きを中止し病院に駆け付けたが、妹は思いのほか明るい表情で、トイレに一人で行ったら上手く歩けなくて転んでしまったゎ、と笑っていた。

本人は軽い脳梗塞と思っているようだったが、主治医の診断では「髄膜腫」
脳を覆っている膜にできる良性腫瘍らしい。
腫瘍の隣にできた浮腫がかなり大きくなって脳を圧迫し、運動障害を起こしているので摘出手術が必要とのこと。
手術の日取りはまだ決まっていなかった。

ベッドの空きが無く、集中治療室にいたのでこの日の面会時間は1時間だけだった。



9月12日(月)

夜、妹の旦那さんから電話。
「髄膜腫」ではなく「脳腫瘍」に診断が変わったという。
転移性の腫瘍か悪性の疑いがあると言われたそうだ。母にはこの事を言わないでおいた。

主治医から「手術は早い方がいいので、16日(金)にします。15日にご家族に詳しい説明をしますので来て下さ。」と言われたので、私にも同席してほしいとのことだった。
もちろんそれはOKだけど、15日まで待っていられないので、とにかく明日病院に行きますと返事をした。



9月13日(火)

次男が一緒に行ってくれると言うので、次男の車で福島市のA脳神経外科に向かう。
妹の旦那さんと姪が会社を休んで付き添っていた。

妹の様態は、11日とは別人のように顔色が悪く、頭痛と吐き気に苦しんでいた。
左手と左足の麻痺も進んでいる。熱も38℃。

マットが硬くて背中と首が痛いと言うので、近くのホームセンターで羽毛枕と低反発マットを買ってきて背中や肩に当ててみる。
痺れのある左腕と左足にも、小さなクッションを枕のように当ててみる。
枕やクッションの位置を時々変えてあげるが、またすぐ痛くなるようだ。

主治医の先生に会いたかったけれど、午後から休暇を取っていて会えなかった。



9月14日(水)

高速バスで福島へ。
一日中頭痛と吐き気を訴える妹。食欲が無く食べていないのに吐き気が続く。点滴には吐き気止めが入っているらしい。
あまりに辛そうなので、指を入れて吐かせるも、大きなげっぷが出ただけ。それでも随分楽になったと妹。

本人は梗塞だと思っているので、血栓を溶かす薬が効いていないのではと不安がる。
声は小さく切れ切れな話し方で、とても聞き取りにくい。

両足をマッサージする。麻痺が進んでいる左足もマッサージされているのはわかるようだ。
気持ちがいいと言いながら、少し眠る。

吐き気が止まらず熱が下がらないので午後に採血。結果はすぐに出ると言っていたがなかなか説明が無い。
夕方5時ごろ、やっと主治医の先生が顔を出す。ベッドの足元から気分はどうですかと尋ねられ、妹は頭痛と吐き気を訴えた。
先生は、暫くふんふんと聞いて、もう少し辛抱してくださいねと言っただけで部屋を出てしまう。

私は主治医を追いかけ廊下に出て、血液検査の結果を尋ねた。
主治医からは、検査結果に変わったところはないので治療のオーダーも変わらないとの返答。
16日の手術も予定通りなので詳しいことは明日話しますと言われる。
妹に対してもっと納得がいくような説明をしてほしいとお願いするが、妹さんは(精神的に)弱いようなので手術が終わってから話しましょうとの答え。
私が求めたのは、本当のことを話すというのではなく、妹の不安を少しでも軽くする説明だったのに。
先生との意思疎通がうまくいかないと感じる。

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ご心配をおかけしました

2011-10-05 18:38:39 | つぶやき

        


福島市の大学病院の7階。病室の窓からの眺め。福島市はどちらを向いても山また山。

でもこの日は雲が低く山の姿はよく見えませんでした。



妹が左足に痺れを感じ、自宅近くの脳神経外科病院に駆け込み入院したのは9月の10日。
まだまだ残暑が厳しく9月なのに30℃を大幅に超す真夏日でした。

あれからもうすぐ4週間。
ここ数日の朝夕の気温は10度を下回り、駆け足で秋が深まっていくようです。


15日に県立医科大附属病院に転院し、二回の手術を受けた妹。
一時は目も開けず意識が遠のくような状態になりどうなることかと思いましたが、ここにきて良い方向へと向かい始めホッと胸を撫で下ろしています。


妹の旦那さんは南相馬市に単身赴任中、甥と姪は社会人でそれぞれの職場は東京と仙台。
そんな環境の妹家族の負担を少しでも軽くしてあげられればと、平日は私ができるだけ妹に付き添うことにしました。
日頃からな私、平素の家事だけでも一杯一杯でしたが、夫や息子たちの協力を得てなんとか妹に付き添うことができました。

完全看護の病院なので付き添わなくてもいいのですが、妹が「もう来なくていいよ」と言うまで傍に居たい私と姪。

これからは、母親の看病のためお仕事を辞めた姪と交代で妹に付き添うことになります。



そして
かなり久しぶりに開いたPCに、皆様からご心配のメールやコメントがたくさん届いていて、思わず胸が熱くなりました。

本当にありがとうございます。

私はいたって元気です。ご安心くださいませ。

励ましのメール&コメントのお一人おひとりにお礼を申し上げに伺わなければならないところですが、相変わらずな私。
コメントは残せませんが、時間をかけてゆっくりと皆さんのブログをお散歩中です。


急激に秋が深まり、冷え込む日が多くなりました。
どうか皆様もお風邪など召しませんように、御身ごたいせつにお過ごしくださいませ。

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希望

2011-09-13 09:39:43 | つぶやき




3.11から半年が過ぎ、9.11からは10年の月日が経過。

それから、9月11日は8年前に亡くなった弟の、誕生日。

その11日の朝、福島市に住む妹が入院したと電話が入る。

軽い梗塞らしいとのこと。

とりあえず、母の昼食分だけ用意して、妹が入院したと言う福島市の脳神経外科病院へ向かう。

思ったより明るい表情で、会話はスムーズ。ただ左足と左手が思うように動かせず、一人でトイレに行ったら転んでしまったと笑っていた。

妹の旦那さんに話を聞くと、脳膜を包む髄膜に良性の腫瘍ができたということ。所謂、髄膜腫。緊急を要する病気ではないと胸をなでおろす。

ただ腫瘍の傍に浮腫が見られ、それが脳を圧迫するために左側一部に運動障害を起こしているので、取り除いた方がいいとの診断。


ところが昨日の夜、妹の旦那さんからあまり思わしくない電話が入りました。

これから暫くは、福島と郡山往復の生活が続くと思いますのでブログ生活は、お休みします。



昨日は中秋の名月と言うことも、すっかり忘れていました。

例年になく残暑が厳しい折、どなた様もどうぞご自愛なさって元気にお暮しくださいませ。  

                                                           mint♥


 

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避難所「ビッグパレット」最後の日に、マンドリンの調べ♪

2011-09-01 23:34:54 | つぶやき

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の災害で避難所になっていた「ビッグパレットふくしま」が、昨日の31日で閉鎖されました。

多い時には2500人の人が避難生活をしていて、段ボールで区切られた狭いスペースに、「ただいま~」と帰ってくる小学生の姿が印象的だったのを思い出します。

自衛隊の大きな入浴用のテントも片づけられ、洗濯機と乾燥機がずらりと並んだランドリー室も真っ暗に。

避難所で友だちになり、支えあって生活してきた人たちも、仮設住宅や借り上げ住宅など、ふるさとではないそれぞれの新しい場所へと移って行き、残った50人近くの人たちも最後のお別れを惜しんでいました。


そんな避難所生活最後の日に、明治大学マンドリン倶楽部が、夏休みの演奏旅行の合間、ビッグパレットに慰問コンサートに来てくれました。




明治大学マンドリン倶楽部は、大正12年に、日本の国民的作曲家・古賀政男さんを中心に創部された倶楽部で、今年で89年目を迎える伝統ある倶楽部だそうです。

明治大学マンドリンクラブが慰問に訪れることは、わたしのブログに時々遊びに来てくださる埼玉のおばさんから教えていただきました。

古賀先生のなつかしい曲が、マンドリンの柔らかい音色にのって軽やかに流れ始めると、辺り一面が和やかなムードにつつまれました。

中には、敗戦後の日本が再建していく中で聞いた懐かしい曲だと言って、目を細めて聴き入っていましたが、再びこんな目に遭うなんて・・・と目頭を押さえる方もいました。

70年代に流行ったフォークソングやポップスがメドレーで始まると、場内には手拍子が始まり、体をゆらしながら口遊む人も。

通路に立って聞いていた私に席を空けてくれた男性は、お嫁さんとお孫さんが神奈川に疎開しているのだと話してくれました。
孫にはなかなか会えないけれど、郡山にいては被曝の積算量が増えるばかりだから仕方がないと力無く笑っていました。


前に進みたくてもどうにもならない人たちがいる現実。

避難所を出て新しい一歩を踏み出す人たちに、家族が揃って笑顔で暮らせる日が、一日も早く来ることを願うばかりです。







                           
                                 ozさん


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それぞれの3月11日

2011-08-07 09:10:03 | つぶやき

昨日(6日)、東北電力管内の電力使用率が、東京電力から受けた追加融通分(50万キロワット)を含めた供給量に対して95%以上に達したそうです。

既に4日から30%の追加供給を受けています。

いつもなら窓を開け放し風を入れて、エアコンなんか止めてしまうところですが、今は窓を開けられない地域が多いです。
無闇にエアコンを控えるわけにはいきません。

先日の豪雨で、東北の水力発電所が100万キロワットの供給力を失っています。
高校野球が始まり屋内でテレビ観戦する人も増えるので、この先がちょっと心配です。

電気予報を上手に利用して、節電生活をしなくては・・・


我が家はとりあえず、暑い時には涼しいところへ出かけようかな~、ご近所ですけど(^_^;)



                     



先日、豆腐料理のお店で友人たちとランチ会をしました。
震災後の安否は電話で確認し合いましたが、1年以上会っていなかったので、会食が本当に楽しみでした。



          


お店の玄関前に設えた、白磁の大皿に浮かぶリンドウ。
白と青と緑のコントラストが、湿気を含んだ重い空気をパッと払うかのような爽やかさでした。


遅刻常習犯の私が今回は2番目に到着し、皆にお天気が心配とからかわれました(^_^;)



            

実は私、今月がお誕生月なので、お店からお箸と記念写真のプレゼントがありました♪
そうと分かったいたらもっとお洒落をしてきたのに~(^_^;)


Kさん、Mさん、Oさんは、幼稚園ママ時代からの仲良しで、良妻賢母を絵にかいたようなお母様たち。
ところが私は、長男の高校の役員をご一緒したのがきっかけで彼女たちと仲良くなりましたが、彼女たちの良妻賢母には努力しても遠く及ばずの異色キャラ(^_^;)
にもかかわらず、17年のお付き合いが続いています。ママ友仲間としては2番目に長いお付き合いです。


          


お話に夢中で、お料理の写真はこれだけ(^_^;)



そして話題の関心は、それぞれの3月11日がどんな日だったのかに集中。


Kさんは、なんとジムのプールで泳いでいた時に地震に遭遇。
プールの水面には今まで見たこともないような波が起こり、天井の一部が落ちてきて、溺れるのではと思ったそうです。
その時、ご主人は筑波で学会の最中で、新幹線が止まり10日ほど帰れずにホテル暮らしをしたそうです。

近くには息子さん家族がいるのですが、、原発建屋が水素爆発した時には、3歳と1歳のお孫さんが心配になり、
福島空港は閉鎖していたので、息子さんの機転でお嫁さんとお孫さんを新潟空港まで送り、そこから宮崎のお嫁さんの実家に帰したそうです。
お嫁さんは、寂しいバアバのために毎日メールでお孫ちゃんの動画を送ってくれるそうです。いいお嫁さんだなぁ♥

Mさんは、ご主人の整形外科医院で、午後の診察が始まる2時から1時間だけ受け付けを手伝っているのですが、地震が起きたのはちょうどその時間帯。
患者さんを待合室の中央に集めて、身体を低くして揺れが過ぎるのを待ちましたが、患者さんの中にも、スタッフの中にも泣き出してしまう人がいて、院内は暫く騒然とした状態が続いたそうです。

Oさんと私は自宅にいて地震に遭いましたが、Oさんのマンションは半壊状態、11階から上の居住者は避難して未だにホテル暮らしだそうです。
マンションの改修工事はもう間もなく始まるようです。


            

                        お庭の眺めが素敵です。





3.11震災は、それぞれに人生観が変わるような体験でした。


子どもたちや妊婦さん、若い人たちの被ばくは本当に不安ですが、私たち年寄りは、福島で福島のために頑張って福島を元気にしていかなくちゃね!
ということで、まずは経済活動で貢献を。

で、次の経済活動はいつにする?





P.S.

66年前の昨日、広島に原爆が落とされました。
その時の恐怖が未だ消えやらない人々がいらっしゃいます。
私たちはその人たちの言葉を聞き、心に刻まなければならないし、後世に伝えなければいけません。

原爆と原発を同じ土俵で議論するのはどうかと思うと話していたコメンテーターがいましたが、
切り離すことってできるのかしら・・・・?


峠三吉さんの『原爆詩集』から


  序

  ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ

  わたしをかえせ わたしにつながる
  にんげんをかえせ

  にんげんの にんげんによるよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ







                           
                                ozさん

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余震が来るたび・・・

2011-07-31 23:42:42 | つぶやき

今日の未明の地震は、遅くまで本を読んでいて床に就いたのが深夜の2時過ぎだった私は、携帯電話の緊急地震速報の音が現実のものと気づくまで数秒間があったようで、夫の声で目が覚め起き上がった時には既に大きく揺れていました。

夫は素早く、寝室から続きの部屋で両手を大きく広げ、お酒が並んだ棚とその横にあるテレビをしっかりと抑えていました(^_^;)



        

寝室の横の、お酒と音楽のコーナー。


カクテルのためのお酒が10本前後置いてあるこの小さな寛ぎのコーナーを、ビールしか飲まない夫がいっしょうけんめい守ってくれました

3・11の時には、この棚からCDやお酒が落ちて、ラムやジンの液体が絨毯に浸み込み、暫く匂いがとれなくて困ったのが頭にあったようです。



地震の震源地は、福島県沖。

浜通りが震度5強で中通りは震度5弱。原発に新しい異常は無しで一安心。


1階に降りて母の様子を見に行くと、枕元のラジオで地震情報を聴いていましたが落ち着いた様子でこちらも一安心。



念のためと思い、リビングからキッチンへと回ってみたけど、何も落ちていない。よかった。



      


実はリビングにもお酒のコーナーが・・・。 こちらは何本あるかちょっと分からない。


どんだけ呑兵衛なの~と思われそうですね(^_^;)


さすがに3.11以降は、段ボール箱に入れてダイニングのカウンター下などに置いていたのですが、ビールを飲まない私は、暑い季節になるとラムやテキーラで・・・したくなるのです。


でも、いちいち段ボール箱から出してでは面倒だし、かっこ悪い・・・

そろそろいいかな~と並べてみた矢先の震度5弱でした(T_T)

幸い被害はなかったけれど、後片付けのことを考えるとお酒の瓶はまた段ボール箱入りでしょうか。

余震のたびに出したりしまったり・・・





そう・・・余震のたびに・・・・・

いろいろな思いを出したりしまったり。


言い出せば溢れそうで、しまっておくには窮屈で。


思いを巡らし始めると、行きつくところはいつも同じ。


       



誰も遊ばない公園。 ふくしまの子どもたちの夏休みは・・・

3.11の前にはもう戻れない。



 

                        
                              ozさん

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おめでとう、世界一!

2011-07-18 06:42:41 | つぶやき

  


“なでしこ”がついに世界一に!

決して恵まれた環境ではなかった日本の女子サッカーでしたが、
とうとう世界の頂点に立ちました。

働きながらサッカーを続ける、苦労人も多い日本チーム。

粘り強く諦めない。

彼女たちの大和撫子魂が、悲願の“世界一”を手にしました。

本当におめでとう!

そして、ありがとう 

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友人夫妻と

2011-06-09 12:50:42 | つぶやき

最近、ブログ更新が滞り気味です。
先月で、ブログ開設5周年だったのにすっかり忘れていましたし、6年目に入って7年目の浮気を待たずして、もう倦怠期かしらと・・・

思えば、なんでも三日坊主の私がここまで続けてきたこと自体が奇跡のようなものなんですけど・・・

震災以来、母の様子が不安定なのと、少しでも被災者の応援をしたいなと思う気持ちと、その割にたいしたことができていないなという気持ちが入り混じって、お気楽mintには少々環境の変化が大きすぎたのかな~なんて感じています。



       

我が家のバラが咲き始めているのにも気づかず、気づいたときはこんなに開いていました(^_^;)



                 


さて、去る日曜日、避難生活中の友人hama夫妻と夕食を共にしました。場所は夫が行きつけの「鮨よし」さん。

hamaは、勤務する高校が震災後数か所に分散しサテライト授業を行っているので、避難所のホテルからそれらの学校間を行ったり来たりしている忙しい人。

休日はお母様や叔母様のお世話もあったりするので、貴重な休日を迷惑かなとも思ったのですが、どうしても友人夫妻を招待したいと夫が言うので時間を取っていただきました。

hama夫妻は、その日も前日から大宮に行き、入院中の叔母様の外泊に付き合いお世話をしてきた帰りでした。
ロングドライブでお疲れだったことと思います。

それでも、こんな機会でもなければ、友人と夫婦共々会食ができることは無いので、私にとっては嬉しい時間でした。



       
           見切り品だったミニバラ、二回り位大きくなりました♪



被災した人のお話を聞いていつも感心するのは、「自分たちよりもっと大変な人がいるのだから」と誰もが口にすること。

震災時の日本人の行動が、世界中から「献身的でストイックな反応」と映ったのは、こういうことなんだな~と思いました。

それに引き替え、みっともない足の引っ張り合いを世界に露呈してしまった日本の政党政治・・・



もう帰れないかもしれない故郷を、どの時点で吹っ切るのか、決断もしなくてはいけない友人夫妻・・・

hamaのご主人は、以前から憧れていた関西方面に住むのも悪くないと言います。
そうい言えば旅行好きの二人、定年後には京都にウィークリーマンションを借りて、思いっきり京都を堪能してみたいと言ってたっけね~。

鮨よしのご主人の故郷、沖縄なども候補に入れながら、美味しいお酒や食べ物の話でしばし盛り上がりました。

話題が高校時代に遡ると、柔道部のS君は今警察署長よ、E君は町長だし・・・
なんて、私たちもそんな年代なのね~と、しみじみ年齢を感じたりもしました(笑)




       
                 今頃シャクヤクが満開の我が家^_^;


友人夫妻は、私なんかよりずっと怒り心頭なはずなのに、淡々と覚悟を決めているように見えました。

hamaたちを励ますつもりが、あべこべにたくさんの元気をいただいた私たち。

お土産もたくさんありがとうね~。お漬物がとっても美味しく、あんなにたくさんあったのにあっという間に食べてしまいました



すっかりおしゃべりに興じて、鮨よしさんの写真を一枚も撮らなっかたので、その日も偶然居合わせたご常連客で、ご近所の心療内科の先生に以前ご馳走になった、焼酎をアップ。

       
                     千年の響


以前、宮崎の焼酎『百年の孤独』をいただいて、これが焼酎?というくらい感動したのですが、プレミア価格でなかなか庶民の口には入りません。

そしたら、E先生が教えてくださった『千年の響』という泡盛。樽で長期熟成させたブランデーのような焼酎です。

泡盛って癖があり敬遠されがちですが、とてもまろやかで気になりません。というか、かなり美味しい~♪
お値段は、千年と言うだけあって「百年の孤独」より少しお高めですが、プレミアはついていないので熟成焼酎の大穴的存在じゃないでしょうか
その節は、息子と二人すっかりご馳走になってしまいました~(^_^;)

今度、マイボトルを入れたいな~、ね、夫(笑)





お弁当ブログで始まった当ブログですが、更新をサボり気味でお弁当写真が溜まってしまっています(^_^;)
試みとして、別ブログに、お弁当だけを記録することにしました。
よろしかったら覗いてみてくださいね♪

  
                 こちらです   お弁当日記





                   
                         ozさん

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2011-05-29 18:07:41 | つぶやき

       


今日は、朝からまとまった雨が降っているmint地方

せっかく汚染土壌を削った校庭に、雨が降り続く。この先どうなっていくのだろう。


気持ちを不安にさせるのは雨ばかりではない。
震災以来、被災地もそうでない地域も、国民は一つになり復興を目指して歩き始めているというのに、何とちぐはぐな政府と東電、安全委なのだろうか。
驚くような情報を小出しにして、責任の擦り合い。未曾有の緊急事態に、政局争いをしている場合なのか・・・・

「衆院東日本大震災復興特別委員会」なるものを、三陸の瓦礫の山を目の当たりにする場所か、福島原発の水素爆発で壊れた建屋が見える場所で開いてみたら?今すべき議論ができるのでは?
と、言いたくなってしまう。


       


先日、
友人のhama(彼女は花好きで、庭の花でドライリースを作り私のブログに何度か登場。原発事故による避難民でもあります)から、今までずっと安否が分からなかった宮城県に住む友人の安否を知らせるメールが届きました。

宮城の友人は、ご主人の退職を機に、赤々と燃える暖炉を家の中心に設えたこだわりの家を、海の見える土地に建てていました。
終の棲家として、第二の充実した人生を送るはずだったその家と友人がどうなったのか、震災の津波の映像を見たときからずっと案じていた私たちでした。

随分と日にちが経ってからでした。彼女の無事が分かったのは。
どうやって連絡にこぎつけたのかは分かりませんでしたが、一人の友人の携帯に宮城の友人からの無事を知らせる声が届き、その友人が涙ながらに彼女の無事をhamaに知らせてきたのです。

地震の後、隣人の「津波が来るから避難して!」の声掛けで、着の身着のまま、何も持たずに避難したおかげで助かった彼女。
彼女のご主人も娘さんも、それぞれ別の場所でしたが全員無事とのことでした。

私も、夫に手伝ってもらいながらインターネットで安否を調べていたのですが、正直、結果を知るのはとても怖かったです。
まだ、本人と直接連絡が取れた訳ではないのですが、彼女の無事が確認できて、本当に、よかった、よかった。

hamaからの連絡を受け、胸の奥に澱のように固まっていたものがようやく解けて流れ、体が軽くなったような気がしました。



       
                          柳津虚空蔵尊のすみれ



そして、hamaが友人の安否を巡ってメールをやり取りする中で、嬉しいメールを貰ったよと、私へのメールに添付してくれました。

以下hamaのメールを引用です。



 
 『こんばんは。

   葉っぱちゃんからの。感激


   >放射線にさらされながらも、我が家に居られる私。
    
    全て失ったけど生きてるmizu。

    家に戻れず百人百様のの悩みを抱えた生徒と寄り添う日々のhama。

    遠くから自分のことのように心配し、胸を痛めているあっちゃんやnaka。

    みんなみんな頑張れ!!

    何時か笑顔で会える時まで♪』


葉っぱちゃんのメールに、自分たちの置かれている状況を改めて感じ、励まされ感激したと・・・



葉っぱちゃんは、南相馬市に住んでいる高校の同級生。
超優秀な一男一女の母親で、子どもたちにピアノを教える彼女は、優しくて私たちの中で一番の良妻賢母。そして、良嫁。
これにはほかの友人も異論は無いはず(笑)

mizuはピアノの腕はコンクールで入賞するほど優秀なのに練習嫌い。
大学時代はバンドのボーカルもしていて、卒業後は小さな画廊に勤めたけれど、結婚したら絶対三食昼寝付きと公言し、その通り決行しました(笑)
彼女の安否がわかるまでの日々、成増のmizuのアパートにお泊りしたことなどを思い出しては、くよくよしていたmintです。

hamaは親孝行の頑張り屋さん。高校でも部活に励み文武両道で将来の目標に向けて頑張っていました。
私が三鷹に住んでいたころ彼女は久我山。近かったこともあり、彼女の実家から送られたおふくろの味をよくおすそ分けしてもらいました。
長男のおむつを取り替えてもらったことや子守をしてもらったことも・・・。

あっちゃんは私たちの中でダントツの大人の女性。なかなかの論客で、怖いもの知らず。
BFもたくさんいて、何だか大人だな~と眩しかった存在です。
ワインをお茶代わりにする酒豪でもあり、我が家が郡山に越した時は、BFをアッシー君にワイン1ケースを持って遊びに来ました(笑)

nakaは頑張るのが嫌なお気楽者。担任にはいつも「総領の甚六」と言われていました。
「一番結婚できなそうなのに、一番早く結婚したな~」とも。
ユルユルな性格は未だ変わらず・・・そうmintのことです(^_^;)


mizuのこともhamaのことも心配するだけで、何もしてあげられない自分が情けないですが、そんなmintでもありがたがってくれるhama。
こちらの方が元気づけられている日々です。


お正月に、葉っぱちゃんの家にみんなで集まり、飲んで食べてお喋りに興じたあの日。葉っぱちゃんのピアノ伴奏で校歌も歌ったね。
また、そんな日が来るよね。



         



大きな被災をしたわけでもないのに、鬱々とした気持ちを引きずっていた私。

やっと小さな一歩が踏み出せたような気がします。

短足な一歩なので、本当に小さい(^_^;)

そしてゆっくり。。。ですけど。








                    
                         ozさん



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薫風

2011-05-04 15:52:25 | つぶやき

今年はいろいろなことがいつもと違います。

校庭の地表から高い放射線量の値が出て、校庭での活動が制限され運動会は中止。
汚染された土を削っても、処理することができない・・・

小さなお子さんがいらっしゃるご家庭では、どれほど不安が募っていることか。

先日の小佐古内閣官房参与の涙の辞任劇も不安を増幅させるばかり。
もちろん子ども達の被曝基準を20m㏜/年にすることには異議がありますが、県民が望むことは、子どもたちの被曝量を如何に少なくできるかということ。
小佐古氏が、今まで原発を推進してきたことの責任を感じていらっしゃるのなら、専門家として事故の収束へ向けてもっと努力していただきたかった。






須賀川市の釈迦堂川に鯉のぼりが上がりました。

例年なら満開の桜と一緒に泳ぎ始めていた鯉のぼりですが、被災のため遅れたのでしょう、桜からのバトンタッチです。

5月の風を受け、気持ちよさそうに泳いでいます。







我が家のジューンベリーに、白く小さな花が咲きました。

カメラを向けても、風に揺れてなかなかつかまらない。





お土産に頂いたロールケーキ。こんなところにも“がんばろう福島”がありました(笑)

外は汗ばむような今日の陽気。

ハーブティーを淹れて、ホッと一息


薫風を受けてなびく鯉のぼりのように、元気に走り回る子どもたちの姿が、一日も早く校庭に戻ってきますように




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