coffee break おしゃべりしましょ

美味しいものがあれば幸せ♪

信州へ~軽井沢タリアセン

2013-04-30 23:53:48 | お出かけ

ホテルを出て向かったのは、軽井沢タリアセン。



まさか、こんな景色のタリアセンを見ることになるとは・・・ある意味ラッキーかしら。人影もありません。
池の傍に立つと、人懐こい鴨が餌をおねだりして、よちよちとこちらへやって来ます。

ここにはヴォーリズが設計した旧朝吹山荘の「睡鳩荘」やアントニン・レーモンドの「夏の家」、有島武郎の別荘や野上弥生子の書斎、道路を挟んだ向こうには軽井沢高原文庫と堀辰雄が一時期過ごした山荘などがあり、丁寧に観ていたら一日はかかってしまいそうです。


全部はとても回れないので、あの白樺の向こうに見えている睡鳩荘(すいきゅうそう)へ向かいます。



アメリカの建築家ヴォーリズによる設計の山荘は、フランス文学者朝吹登水子の父が昭和6年に建てたもので、1階は広々としたリビング、2階には4つの寝室があります。
太い梁や大きな暖炉がマナーハウスのような重厚さです。長女の登水子がフランスで買い付けたというカーテンも素敵。


 
 

2階の寝室のテラス側のドアを開けると、そこにも雪が積もっていました。



午後になって顔を出したお日様が、山荘前の塩沢湖をキラキラと帯状に、対岸へと誘うように光っていました。




塩沢湖の向こうでは、雪の上で、まだ五分咲きの桜が数本。



「タリアセン」とは、直訳するとウェールズ語で「輝ける額」
旧帝国ホテルを設計した建築家フライド・ロイド・ライトによれば、タリアセンとは、芸術の栄光を讃えたウェールズの詩人の名前でもあるそうです。
ライトが自分の工房を建てた時、芸術の理想郷を目指して「タリアセン」と名付けたそうです。
軽井沢タリアセンも、ライトのタリアセンに倣い、培ってきた歴史的文化と自然の理想郷を目指すという願いが込められているそうです。







                           
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信州へ~諏訪から軽井沢へ

2013-04-30 23:52:59 | お出かけ

碌山美術館を後にして今回の旅の目的の従兄会へ。
姪の嫁ぎ先が、上諏訪の駅前にビジネスホテルを持っているのでお世話になりました。



ホテル内の蕎麦処で、気楽な居酒屋モードの宴会です。
隣のお部屋では、諏訪湖のボートクラブの方たちが早い時間から盛り上がっていて、冠婚葬祭以外ではなかなか会えない私達従兄会も、負けじと大盛り上がりでした。
外は冷たい雨が降り出していたにも関わらず、従兄会は諏訪の夜の街へと繰り出し、スナックでカラオケ&ダンスの二次会。
いやはや皆さんお元気です(^_^;)
一番若いmint家は途中で脱落・・・シンデレラタイムにはホテルの部屋へと戻りました。

そして、翌朝目覚めると・・・
なんと、昨夜の雨が雪に変わっているではありませんか 
もう冬タイヤは外しちゃった我が家の車・・・

この日は、八ヶ岳倶楽部で森の散策を楽しんで、それから軽井沢に向かう予定でしたが、外遊びはとても無理そうです。
予定を変更して、全天候型の(?)軽井沢ショッピングプラザへ行ってみることにしました。
お買いものなら何処でも楽しめるmintだからいいのですが、高速のICは雪で閉鎖のところもあるようなので、ノーマルタイヤで軽井沢までの山越えができるかどうか、そちらのほうが心配でした。

他の従兄たちは、それぞれ福島、埼玉、神奈川、千葉、静岡へと帰途につきます。
もう暫く高速道路の様子を見ているとのことなので、私たちは一足先に諏訪のホテルを後にしました。
途中でガソリンを満タンにしましたが、ハイオクが170円、長野県はガソリンが高いのでしょうか。



4月も後半の景色とは思えません。
何台もの除雪車に出会いましたが、そのせいか道路は綺麗に除雪されていました。
おかげで、思いのほかスムーズに軽井沢のショッピングプラザに到着できました。




ショッピングプラザのカフェの窓から。外は完全に冬景色で4月とは思えません。

ランチの後はブラブラお買い物です。
Columbiaのショップで可愛いアウトドア用のジャケットを見つけました。
機能性などを丁寧に説明してくれた方がイケメン店員さんだったので、ついそのジャケットを買ってしまいました(笑)
¥29,000が2割引きだったのでラッキー!(^_^)v
夫はバーバリのお店でフード付きのショートコート。これも2割引き

セオリーでも可愛いスプリングコートを見つけてしまい、いそいそと試着をしてみたのですが、二の腕が・・・ちょっとキツイ・・・・・・
試着の残念な結果にガックリしたところで、軽井沢までわざわざお買い物に来たのじゃないことを思いだし、そろそろホテルへ向かうことにしました。
正直ショッピングプラザは寒かったし、寝不足で少し休みたかったところでもありました。

お宿は、旧軽銀座から程近い万平ホテル。
新しいホテルに泊まりたいとも思ったのですが、随分昔に泊まった万平ホテルは、お部屋が広くてゆったりしていて、とてもいい印象だったのです。




古き良き軽井沢・・・な雰囲気

 
 

お部屋のキーがレトロでしょ。オートロックではないので、外出の時は外からも鍵を掛けないといけません。
その代り、うっかり締め出されることもありませんけど(笑)
窓の外には江戸時代からあるという大きな苔むしたケヤキの御神木があり、この御神木を囲むように、本館と客室3棟が建てられています。


紅茶でホ~ッと一息ついて、夕食は7時45分に予約して、再び雪の軽井沢へ繰り出しました。





 蛇足ですが、軽井沢ショッピングセンターで買った、コロンビアユーリジャケット。見てね^^;



防水透湿機能に優れていて、レインウェアにもウィンドブレーカーにもなるんだとか。
腋下やポケットのところがネットになっているので、ファスナーの開閉で通気を調整できるのです。
テニスの防寒にも使えそう♥





                           
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信州へ~安曇野 碌山美術館

2013-04-28 23:58:18 | お出かけ




熊井明子の「安曇野の女」を読んでから、一度訪ねてみたいと思っていた碌山美術館。
まだ、つたの緑が萌え出ていないので、煉瓦の壁の建物は何やら怖い雰囲気ですが・・・

碌山こと荻原守衛について、私は何も知りませんでした。図書館で偶然手にした熊井明子の短編集『夢のかけら』の中の「安曇野の女」を読んで、初めて碌山の名を知ったくらいですから。

「安曇野の女」の主人公妙は、祖母から叔父守衛のことを子守唄のように聞かされて育ちます。
30歳で早世した守衛には会ったことも無いのに、いつしか守衛は妙の大切な人になっていました。
妙は守衛の作品を愛し、結婚もせずに彼の作品を生涯を掛けて守っていきます。
心が折れそうな時、守衛の作品『女』の前に立つ妙。『女』は妙の心の拠り所になっていたのです。

あくまでも小説の中のお話ですが、かなり事実に近いのではと勝手に思っています。
そして、妙の心を惹きつけて放さなかった碌山の作品を、いつか見てみたいと・・・

今回、そう思ってから2か月足らずで幸運にもその機会に恵まれました。
小布施でポツポツと落ちてきた雨も何とか耐えてくれて、曇天ながらゆっくり観て回ることができました。


 
 

守衛は22歳で渡米し、ニューヨークやパリの美術学校で絵を学びますが、ロダンの「考える人」に出会って衝撃を受け、絵画から彫刻へと転向します。28歳の時にはロダンを訪ねて教えも受けています。オランダやロンドン、ギリシャ、イタリア、エジプトの美術にも接して29歳で帰国します。

帰国後、高村幸太郎が称賛した「坑夫」など作品数点を第二回文展に出品しますが、「文覚」のみが入選。
写真左上は第三回文展に出品した作品「労働者」
精力的に制作を続け、明治43年3月下旬『女』を完成しますが、翌月4月20日に突然吐血します。
そしてその二日後の22日に永眠します。30歳という若さでした。
私達が碌山美術館を訪れた日は、守衛が吐血した日と同じ4月20日。
90歳で尚も生きたいと願った北斎の画業人生を見てきた後だけに、あまりにも儚い守衛の人生に胸が詰まる思いでした。




荻原守衛の代表作『女』 日本近代彫刻の最高傑作と言われています。
守衛の死後、第四回文展に出品されました。



『女』のモデルは、守衛が想いを寄せていた相馬愛三の妻、黒光ではないかと言われています。
黒光と同じ時代に生きたわけではないのに、妙はそのことに嫉妬のような気持ちを抱き悲しくなるのでした。

碌山美術館の館長として荻原守衛の作品を守ってきた妙の足跡は、探しても見つけることはできませんでした。

黒光に啓発され画家の勉強を始め、彫刻へと転向した荻原守衛。黒光への想いに苦悩しながら制作に励み30年の短い人生を終えました。
そして、祖母(守衛の母)の願いどおり、守衛の作品を生涯を通して守り続けた妙。

悲しいようにも思える二人の人生ですが、全てを賭して打ち込めるもの、守るものがあった二人の人生には、何か神聖なものさえ感じました。
そんな二人の象徴のように、煉瓦造りの美術館は郷愁を漂わせ静かにに佇んでいました。












                           
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信州へ~小布施Ⅱ北斎館

2013-04-27 18:45:14 | お出かけ




小布施に着いて最初に行ったのは北斎館。
葛飾北斎の肉筆画や版画、天井絵などが多数展示されています。

フランスの印象派、モネやゴッホなどにも影響を与えたという北斎の絵を、教科書や写真でしか見たことがなかったので、今回の信州旅行を機会に是非観たいと思っていました。

小布施の豪商高井鴻山と親交があった北斎は、晩年を度々小布施に滞在して画業に励んだと言います。
年齢差が46歳という北斎と鴻山でしたが、北斎を慕っていた鴻山は北斎のためにアトリエを用意し、小布施での生活の面倒もみていました。
そして、鴻山は「北斎の絵は、この世のありとあらゆるものの真そのものであるが、言葉で言い表せるものではない、北斎の絵は、ただ北斎の絵なのだとしか言い得ない」というような、北斎を賛辞する漢詩を捧げています。

享年90歳という当時ではかなり長寿だった北斎ですが、「自分が70歳までに描いたものは取るに足らないもの、73歳で禽獣虫魚の骨格草木の出生を知り得、86歳で益々上達して90歳になればその奥義を極め、百歳で神妙の域に達する」と、冨獄百景のあとがきに記しています。
晩年の画号を「画狂老人卍」と名乗ったことを見ても、北斎の描こうとする情熱にははかり知れないものを感じました。
いまわの時にも「あと10年、いや5年命を長らえられたら真正の画工になり得たのに」と言葉を残すほど、現状に満足することなく、絵を描くことへの意欲が衰えない人だったようです。




図録から、東町祭屋台天井絵「龍」図




東町祭屋台天井絵「鳳凰」図

これらは、高井鴻山の依頼で北斎が85歳の時に描いた「龍」と「鳳凰」の天井絵です。
一面が123.0×126.5cmの大きさのもを2枚、祭屋台の天井に収められています。



上町祭屋台天井絵「怒涛」図は「男浪」と「女浪」の二面があり、3年かけて制作されました。
このうち上は「女浪」です。四周を彩る縁絵は、北斎の下絵を基に鴻山が彩色しています。




 
有名な冨獄三十六景の「神奈川沖浪裏」

フランスの音楽家ドビュッシーの、交響詩「海」の楽譜の表紙になっているのが上の北斎の絵だと言われています。
図録にも、ドビュッシーが北斎の絵のビッグウェーブにインスピレーションを得たとありましたが、スコアの表紙とは色合いや線がかなり違うので、雑なコピー画のような気もします。
当時のヨーロッパでは、日本の浮世絵がそれだけブームになっていて、いろいろなコピーが出回っていたのでしょうか。
それにしても、北斎の絵がヨーロッパに強い影響を与えたのは確かなこと。

あと十年長く生きたら、どんな絵を描いていたのでしょう。






                           
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信州へ~小布施

2013-04-26 23:28:23 | お出かけ

ご無沙汰しました。
先週末、姪が嫁いでいる諏訪湖近くのホテルで夫方の従兄会があり、夫婦で出かけてきました。

諏訪までは、北関東自動車道経由で行った方が早いのですが、小布施と安曇野に寄りたかったので、北陸自動車道経由のルートを取りました。

あれほど暖かい日が続いていたのに郡山を発つ時の気温は5℃、ヒートテックの肌着を着用です(笑)

 

自宅を出て約3時間、北陸自動車道の米山SAで休憩しました。
日本海が見えます。遠くに見えるのは柏崎原発?

SA内はちょっとした公園になっていて、芭蕉の句碑がありました。
   草臥れて 宿かるころや 藤の花
芭蕉翁は、藤の花の頃を歩いたのですね。今はオオシマザクラが満開でした。


北陸道から上信越道へ。



妙高高原辺りを走っています。
信州の大きな山々が迫るドライブは、迫力満点でした。
空の色が時々暗くなり、下り坂のお天気が気になります。


小布施まで約4時間30分のドライブでした。
取りあえず目についたPマークに車を止めたら「竹風堂」というおこわ屋さんの駐車場でしたのでこちらで昼食を取ることにして、お昼には間があったので、先に「北斎館」を観て来たのですが、戻って来た時には、待ち時間20分になってました(^_^;)
 


栗おこわも美味しかったのですが、奥に見える小鉢「むかごのクルミ胡麻和え」がとっても美味でした♪


お食事の後は、栗の小径を散策。
北斎館の近く、小布施堂の裏通りの趣のある細い遊歩道です。







栗の木のブロックが敷かれ、高井鴻山記念館やお洒落なカフェ、レストランが点在する素敵な小径です。

少し足を延ばして、中島千波の「樹霊淡墨桜」や岩松院の北斎の天井絵「大鳳凰図」なども観たかったのですが、この後安曇野にも行きたかったし、諏訪のホテルに5時までに入る予定だったので今回は諦めました。次回があるかどうかは分からないのですけど(^_^;)


小布施堂本店



姪や従兄たちへのお土産にと予約しておいた、大好きなくりは奈を受け取りに小布施堂へ。
会社や家族の分は、帰る日に合わせて作りたてを送ってもらいます。
ホテルでのお夜食用に栗かのこケーキと、試食して美味しかった新商品のまろやかのこも・・・
あれもこれも食べたくなってしまいます(^_^;)


     信州の旅、続きます






                           
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八重の桜と春の味覚

2013-04-17 10:19:57 | 家ご飯

須賀川のはたけんぼで、新玉ねぎと鹿児島産の筍を買ってきたので
妙養寺の弥陀桜を観た後は、春のお家居酒屋でした。

NHKの大河ドラマ『八重の桜』に因んで作られた、栄川酒造の純米酒「八重の桜」
ちょっと前の到来物ですが、桜の季節にいただこうと取っておきました。



純米酒なのにさらりと辛口で、ハンサムウーマン八重を思わせるお酒でした。
500mlの可愛いボトルです。






ちゃぐままさんのところで拝見して以来、すっかり我が家の定番になった新玉ねぎのスープ煮。
茅乃舎の出汁を袋を破いて使い、濃いめの出汁にウェイパァーをちょっと加えてコトコト煮込みます。
歯の悪い母も、玉ねぎを丸ごと1個食べられるお気に入りの一品です。
浮かべた生麩が、桜を使い切ってしまい季節外れのもみじになったのがちょっと残念ですけど(^_^;)






筍ご飯は母には無理かと、柔らかい白飯を用意していましたが、
柔らかい筍だったので、母も穂先を拾って食べ春の味覚を楽しんでいました。






チコリにのせたキムチ納豆のおつまみ。上に青ネギをのせるのを忘れました(^_^;)






お刺身が無いと始まらない夫のために、カツオのたたき。
カツオはスーパーのものですけど(^_^;)
私は、高知でとても美味しいカツオのたたきをいただいて以来、
スーパーのカツオは食べなくてもよいと思うようになってしまいました。
ある意味不幸かも・・・(-_-) 



他に、茶碗蒸しと夫が作った行者ニンニクの炒め物があったのですが、
飲み始めると、どうも写真を撮り忘れてしまいます(^_^;)







                           
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越久の弥陀桜@妙養寺

2013-04-16 13:37:13 | お出かけ



何年か前にもブログアップしたことのある、妙養寺の桜。

樹齢400年をこえるという枝垂れ桜が見事で、
春になると、須賀川への行き帰りには回り道をしてよくここを通っていたものです。

日曜日のはたけんぼの帰り道に久しぶりで寄ってみたら、いつの間にかすっかり有名になっていて、
車が何台も止まっていました。
しかもお寺へ上る階段には幟も(^_^;)




こちらが樹齢400年を超えるという枝垂れ桜で、通称「弥陀桜」
幟には「越久(おっきゅう)の弥陀しだれ桜」とありました。

高さ14m、幹周り3.8mと立派な枝垂れ桜です。
別名種まき桜とも呼ばれ、越久の人たちは桜の様子を見て、農作業の準備に取り掛かったそうです。
越久の人たちと暮らしを共にしてきた桜なのですね。





枝垂れ桜の下に入り本堂を見ると、桜に包まれ桜色にそまる心地です。


  花の香にころもはふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに  紀貫之





そろそろ帰ろうと車に乗り込む間際、
見たことのあるオープンツーシーターのロードスターが入って来ました。
あらあら、助手席に彼女?を乗せた息子ではありませんか。
プップ~と冷やかしのクラクションを鳴らしてすれ違うと、
驚いて振り向いた息子が手を振っていました(笑)






                           
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カタクリ

2013-04-15 14:36:33 | 自然・花・ガーデニング

先月のお彼岸からひと月も経たないのですが、夫の実家のお墓参りに行ってきました。
今月は、義父と義兄の命日があるからです。

三男の義兄が、術後の経過が悪化して亡くなったのは27年前の桜散る頃。
その時義母は

  よみじにてまた会う日までわが胸を離れざらなむ吾子のおもかげ

という歌を詠み、墓地が自宅から歩いて行ける距離にあったこともあり、
毎日のようにお参りをしていました。
庭に咲いた季節の花々を摘んで墓前に供え、きっといろいろなお話をしていたのだと思います。

そして8年後の同じ日に、義父が亡くなりました。
義兄亡きあと、西行の辞世の句「願わくば・・・」が口癖の父でしたが、
まさに桜が惜しげもなく散る中で、あっさりと逝ってしまいました。

二人の命日の頃になると、小山のようになっている墓地の斜面にカタクリの花が群れになって咲きます。
墓地の天辺には2本の桜があり、満開を過ぎた桜は、ほんの少しの風にも耐えられないというように花びらを落とし
カタクリの群生に、風花のように降りかかるのでした。


今回は、命日より10日も早いお墓参りでしたので、カタクリはまだ咲き始めたばかり?と思っていましたが
いつにも増してたくさんのカタクリたちが咲いていました。

桜の満開にはまだ間がありました。
風が吹いても花びらは降ってきませんが、枝が揺れるたびに懐かしい香りが漂ってくるようでした。





義父が亡くなった折には

  いとし子に手を引かれつつ旅立ちし君がみたまよ安らかならん

と詠んだ義母。

カタクリが咲く向こうに、義父母と義兄が楽しそうに談笑する声が聞こえてきそうでした。







                           
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タロッコオレンジ

2013-04-12 10:21:17 | 美味しいもの




少し前に頂いたタロッコオレンジ、初めて食すものだったので写真に撮ろうと思っているうちに残り2個になってしまいました(^_^;)
皮がちょっとドライ気味なってきましたけど、切ってみたらまだ大丈夫そうなので・・・up





夫は今朝も早い出勤だったので(と言っても8時頃ですけど)、のんびりと一人朝食の風景です。
  母はまだ起きてきません(^_^;)国会中継が無い日は、特に遅起き・・・

タロッコオレンジは、果肉が赤いオレンジ。
皮が剥きにくいので、半分にカットしてスクイーザーで絞ってジュースでいただいています。




初めて断面を見たときは、ちょっと不気味な感じがしましたけどジュースがとても美味しい!
皮がドライになっていたわりにはジューシーで、赤い汁が滴ってドラキュラの好みそうな果物です(^_^;)

奥のグラスが絞ったジュースです。朝からワインではありませんョ(笑)


今年はテニスも温泉のお誘いも断って、できるだけ家に居ることにしていますが
母と二人の時間が増えるほど気が重くなる、親不孝な私です。
(この気持ち、母にも伝わってしまってるかな~)


PCの時間も減らしているので、皆さんのブログも拝見するだけでコメント無しになっていて申し訳ありません。
のmintがのmintになれればいいのですが・・・・






                           
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空の青 ブルーな心

2013-04-10 23:48:24 | つぶやき

空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない

陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない

窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのために私は人と不和になる

在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう

            谷川俊太郎 「空の青さを見つめていると」




昨日は、夫がいつもより早く出勤したので家事を放り出してお散歩へ。
空の青さが、いつもよりしみじみと浸透してくるようで、谷川俊太郎の詩を思い出しました。
空の青さが、かえって気持ちをブルーにさせる・・・そんな心境。

分かっているのです。
屈託の種を拾い集めてばかりいるから、いつまでも心が晴れないのは。



このままずっと歩いていたいような気がして、
スポーツ広場を抜け、体育館も、サッカー場も通り過ぎ
あまり入ったことのない里山まで来てしまいました。

木漏れ日に笑う、芽吹きの森を期待して来たのに
いつの間にか空の青さは消えて、ライトグレーの薄幕を張ったようなのっぺりした空に・・・
冬枯れの山に戻ったように、黙り込んでしまいました。

こんなに遠くまで来てしまい、母が起きるまでに家に戻れるかしら・・・
そろそろ引き返さなくてはと、名残りを惜しんで辺りを見まわしていたとき


見つけたのです!春の妖精を♪




スプリングエフェメラルの仲間、ショウジョウバカマ

          あっちにも、こっちにも・・・


母ともこんな小さな喜びを共有できたなら、私の心の屈託は晴れるのに・・・
ふと、そんなことを思うのでした。


家に戻ると、パジャマにガウンを羽織った姿の起きたばかりの母が、
国会中継のTV画面に向かって、何やら苦言を呈しているところでした。



母の遅い朝食が終わると、昼食に戻る夫の食事の支度。



午後のお茶は、
夫が持って来たフルラージュのロールケーキとマルキーズのロールケーキの食べ比べ。




美味しいお菓子があれば、たとえ心に屈託のある時でも、
全て忘れて、楽しいお茶の時間を過ごせるのは、やっぱり親子?


 「変わり映えのしないロールケーキに、よく飽きもせず写真を撮るわね~」
の、苦言も忘れない母でしたが(^_^;)








                           
                                 ozさん


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