妹の病室の入口のパーテーションにぶら下げた、ハロウィンのリース
病室のドアを開けると、いきなり目の前に二人のジャックオーランタンが出迎えるというイタズラ(笑)
看護士さんたちに思いのほか受けていたようです(^_^;)
そしてこちら、ハロウィンを意識したアレンジなんですが、雰囲気を感じていただけますでしょうか?
先週の月曜日に、妹の病室に持って行ったものですが、昨日の日曜日に妹から電話。
「mintさん、お花が枯れてきたんだけど・・・」
「お水をあげてる?」と、私。
「え?お水?これプリザじゃないの?」
「・・・・・・」
妹はすっかりプリザのお花だと思ったらしく、姪にお水をあげてはいけないと言ってたそうです。
やれやれ。
そして、本日、ついにお菓子屋さんを開店しました!
と、言いたくなるようなフルラージュのケーキ&ケーキ&どこかのプリン・・・
夕方、事務所にいらしたお客さんのお土産だったそうですが、夕方なので事務所に人が少なくこんなに残ってしまったとか・・・
生ものだからと夫が家に持ち帰ったのです。信じられませ~ん
でもせっかくなので、夕食前でしたが・・・
ハロウィン仕様でもあることですし、ひとつだけいただきました!
Happy Halloween
長かった病院通いも、妹の病状が落ち着くと気持ちにも余裕ができ、本をたくさん持ちこむようになりました。
読書タイムは自分へのご褒美と、家にある本を手当たり次第に。
買ったはいいけど積読のままになっていた本、昔々に読んだけどまた読んでみたいなと思っていた本など。
その一つ。上田秋成の『雨月物語』
昔々読んだけど、何年か前青木政次の対訳本が文庫本になっているのを見つけ買っておいたもの。
短編で構成されているので、どこから読み始めていいのがお手軽。
内容的には怪奇物なので病室で読むには相応しくないかもと思いましたが、若い時に読んだ記憶とはまた違った味わいがあって、趣深く読みました。
なかでも巻一の「菊花の約」を読んだときは、時節が重なるのと、北原白秋がこの物語のことを詠んだ歌があるのを思い出し、悲しいまでに純粋な左門と宗右衛門に、心臓あたりが痛くなるような思いがしました。
寂しさに 成秋が書読みさして 庭に出でたり 白菊の花
北原白秋
重陽の節句に帰ってくると約束した宗右衛門のため、粗末な家を掃除して小菊を数本飾り、貧しい財布から酒食の用意をして待っていた左門。
捕らわれの身となっていた宗右衛門は、
『人一日に千里をゆくことをあたわず。魂よく一日に千里をもゆく』という言葉を思い出し
左門との約束を果たすため自刃して霊となり、左門のもとへ辿りつく。
左門はこの後、宗右衛門を裏切った丹治のもとへ行き、「私は信義を重んじここへ来た。あなたは不義のために汚名を残せ」と言って、丹治を抜き打ちに斬り付けた。
おどろおどろしいことの運びとは無縁に微笑むような可憐な小菊。
庭の小菊を手折って飾り、粗末な酒食を用意して待つ左門の純粋と狂気。
そのあと左門はどんなふうに生きたのかと思いを馳せる
ozさん作
今年初めての松茸は9月の中旬。
事務所に箱で届いたのを居合わせた4人で分けて、我が家に来たのがこちらの2本。
傘はもういっぱいに開いていたので早く食べなくちゃと、一番簡単な松茸ご飯にしていただきました♪
そして最近、別なところから頂いた今年2回目のマツタケ。
ずっしりとしたジャンボな松茸。思わず家族からも「おお~!」と感嘆の声。
迷わず松茸のすき焼きに!
美味しゅうございました。と、言いたいところですがあいにくの風邪引き(T_T)
いまいち楽しむことができませんでした
家族はもちろん美味しい美味しいの大合唱・・・・・トホホ。
ozさん作
今頃は妹の病室にいるはずだったのですが、風邪を引いてしまい、自宅です(^_^;)
風邪の菌をまき散らしてはいけないのでおとなしくしています。
さて、久々にmintの記事らしく食いしん坊&のんべえネタです。
今週の月曜日の医大の帰り、迎えに来てくれた夫を労ってあげようと人久しぶりに鮨よしさんの暖簾をくぐったら、夫の知人と遭遇。
同じカウンターに座り、夫はビール私は十四代でお疲れ様の乾杯をしていると、「泡波」という泡盛をしきりに勧めてくださる知人のお隣さん。
レトロなラベルがいかにも沖縄っぽくいい感じなんですが、でも泡盛って飲んだことが無いし~、と躊躇っていると・・・目の前にオンザロックで(^_^;)
無理やり?勧められて一口含んでみました。
あら、香りは少ないけどまろやかで美味しい!しかもほんのり甘みさえ感じます。
これはお料理の邪魔をしない、お寿司屋さんにはもってこいのお酒ですね~、とか言いながら、飲み口がいいのでグビグビ飲んでいたら、
定価は安いけれど、なかなか手に入らないプレミアム泡盛なんだよとおっしゃるのです。
久々にブロガー魂が頭をもたげ、車に置いてあったカメラをわざわざ取りに行って写真を撮らせていただきました(笑)
日本の最南端波照間島で、ご夫婦たった二人で造っているのだとか。
今度は、ちびりちびりと味わって・・・(笑)
お二人で楽しんでいらした600mlの「泡波」、私たちの参加であっという間に空にしてしまいました<(_ _)>
平目のお造りをカワハギの肝醤油でいただきました。(身の方は本日売り切れ)
カワハギの肝が美味しい季節になったのね~としみじみ。
こちらは柳葉魚←さて何と読むのでしょう?
答 ししゃもです(笑) 本ししゃも(もちろん生です)の塩焼き。身がホロホロと柔らかくて美味しい♪
ししゃもって、こんな綺麗なお魚だったのね~と思うほんのりピンク色のお姿でした。
夫はお腹ペコペコでしたが、私は病院で軽い夕食を済ませていたので、ほんの軽い気持ちで立ち寄った鮨よしさんでしたが、夫と同じくらい食べてしまいました
帰りはカロリー消費のためにと代行運転を呼ばずに歩いて帰ったのですが、途中で雨がポツリポツリと・・・
それが原因かどうかは定かではありませんが、風邪を引いてしまいました~(T_T)
くしゃみ・鼻水・咳・・・みんなひとり占め
皆様はどうぞお気を付け下さいね。
ozさん作
二度のドレナージ術と抗生剤の投与ももうすぐ6週間。脳内の炎症もだいぶ良くなってきた。
点滴の血管痛でカテーテルを入れたり、麻痺している左腕の重みで肩が脱臼したり、左半身を支える右手首が腱鞘炎を起こしたりと、新たなトラブルも発症しているが、ほんの少しではあるけれど毎日新しい反応を見せる身体に本人も驚きながら、リハビリに臨む妹の姿はひたむきだ。
10月から姪が仕事を辞めて妹に付き添うようになったので、私の付添の役目は週に2度ほどになった。
何日かおいて逢うと、リハビリの成果がとても大きく感じる。
今では1日に2回のリハビリなので夕方にはさすがに疲れるようだが、おかげで食欲も増し、病院食も不味いと言いながらも4割ほど食べるようになった。
おやつにと、行くたびにイチジクや洋ナシ、りんごなどをコンポートにして差し入れていたが、最近ではお菓子も食べるようになった。私が付き添うとおやつタイムが多くなると笑う。
抗生剤の副作用か、血液検査で肝臓に少し問題が出たが食事制限は無く、先生からもどんどん差し入れをして良いとのお許しも出た。なんなら、外食をしてもよいと。
でも、医大の周りって何もないよね~と妹と顔を見合わせて苦笑。
せめて、お弁当を作ってドライブでも出かけようかと相談中。
麻痺した左半身が100%元通りになるという保証は無いけれど、リハビリ室では片足を失った人や、両足を切断した人もリハビリに励んでいる。
一時は、動かない足ならいらないと言った彼女だったが、今は麻痺している左手左足の重みもありがたいと思えると言う。
そんな彼女の思いが通じてか、左手の指先が記憶を取り戻したかのように、一昨日からほんの少しではあるけれど動き出した。そしてそれは手首に伝わり肘も反応を始めている。
先週、ほんの数秒間だったけれどベッドの柵につかまり、立って見た夕焼け。
ozさん作
9月16日
ドレナージ術で綺麗に排膿しても、浮腫の炎症はすぐには治まらないので劇的によくなるわけではない。
細菌をやっつけるためたくさんの抗生剤やステロイドを使うことになる。
抗生剤やステロイドなどの点滴が、ベッド脇のスタンドと天井に葡萄のようにぶら下がる。
取り出した膿は培養検査をし、起炎菌が特定された後、より適切な抗生物質に変えていくのだが、決が出るまで早くても1週間はかかる。
重症感染チームと連携し起因菌を検討しながら投与していくことになる。
頭痛は大分楽になった様子だが相変わらず食欲がない。
午前中、頭にチューブリを刺した状態だがハビリの先生が来て手足を動かしてもらう。
お昼前には、排膿のチューブが外され、翌日からシャンプーのお許しも出る。
K先生から、病院食に拘らず何を食べてもいいので、好きなものをたくさん食べて免疫力を高めるように言われる。
もともと食が細い妹だが、病院食には手を付けず差し入れのサンドウィッチを少しと、葡萄を数粒食べただけ。
直ぐに吐き気を催し、食べることを止めてしまう。
夕方になると、熱が7.9℃。
夕方、甥が連休を利用して帰省し、病院に泊まってくれると言うので私は郡山に帰る。
9月19日(月・敬老の日)
夫は仕事だったので、長男と次男を連れてお見舞い。甥が
やはり顔と左手が浮腫んでいる。
声をかけても、目を閉じたままで反応したり、食後の薬をあげようとしてもなかなか口を開かなかったり。
検温や血圧測定も、眠っているかのよう。
家からCDプレーヤーを持ってきたので、音楽を流してみる。
音楽が流れる方に首を傾ける。
9月20日(火)
妹の家族はそれぞれ仕事があるので、今日からは私が病院に泊まることにした。次男の運転で朝8時に病院着。
次男が自営業なので、こんな時はとても助かる。この先も次男には相当助けてもらうことになる。
妹の方は、声をかけても反応が緩慢で、眠っているのか意識が遠くなっているのか判断しにくい状態が昨日から続いていいる。
そして、時々吐き気。まるで、手術をする前に戻ってしまったかのようで不安。
午後、造影剤を入れてCT検査の結果、再び膿が溜まり始めているとのこと。
一回目の手術で排膿はできたが、周りの浮腫が大きく炎症が強いことと、排膿しても膿瘍を形成している被膜が硬くなかなか小さくならないことが原因らしい。
前回と同じ場所に施術をすることになる。
前回吸引した膿の培養検査の結果がまだ出ていないのに・・・
主治医のK先生が出張のため、担当医のI先生からインフォームド・コンセントを受け、義弟にはI先生が連絡をしてくれる。
付添が私一人のため、夫が事務所から駆けつけてくれる。
手術室が空くまで待つ間に、K先生が出張から戻り手術を執刀。
手術時間は。4時20分~6時10分。
前回より早く終わるが、ドレナージ術はそう何回もできないので、再び膿が溜まるようであれば開頭手術もあり得るという。
ただ、開頭手術は脳内の損傷や後遺症などの危険が高まるのでできるだけ避けたいとのこと。
夜11時、K先生が妹の様子を見に病室に来る。
頭痛の他に首や背中の痛みを訴えるので、鎮痛剤を処方してもらう。
看護士が2時間毎に、血圧や酸素の測定、点滴交換に来る。
深夜3時にお通じ。
ドレナージのチューブが付いているため、逆流防止の処置をしてから身体を起こす。
チューブだらけの妹を、優しくテキパキと扱う看護士さんには本当に脱帽!
その間にも看護士さんのポケットにぶら下がる医療用携帯がなり、他の看護士さんが廊下をパタパタと駆けていく。
何かあれば、遠慮なく呼んでくださいねと妹の胸にナースコールを置いて行く。
廊下の何処から、「お~い、お~い」と1分おきに呼ぶ老人らしき声が聞こえ、長い長い夜が流れていく。
9月21日(水)
朝7時20分。K先生。排膿の様子をチェックに来る。
今回はすぐに外さず様子を見ることにすると言う。ただ感染の危険もあるのであまり長くは刺しておけないとのこと。
培養検査の結果はまだだが、嫌気性菌の疑いが大きいので適宜試している。結果が出次第適切な抗生剤に移行するとのお話だった。
何にしても、どういう経路で脳に細菌が飛んだのか原因を突き止める必要があるという。
ドレナージのチューブを付けていると、食事、トイレ、リハビリなど体を起こす毎に逆流防止の処置をしなければならないので専属の看護士さんが欲しいくらい。
頭からはドレナージのチューブ、腕からは点滴のチューブ、お腹からは導尿カテーテル・・・チューブだらけの妹。
リハビリと体拭きの後、病室で呼吸器内科の先生から問診。
肺動静脈奇形は、小さな奇形なので開胸しないで治療できる可能性が大きいとのこと。
遺伝性のことが多いので、家族にはいないかどうか聞かれるが発症した者はいないが、抱えているものがいるかどうかは不明。
身体が回復したら胸部CT検査をし、検討していくとのこと。
午後、膿の培養検査の結果が、嫌気性菌とブドウ球菌と分かる。
抗生剤の量をマックスに使うことになるのでアレルギー反応にも注意する必要あり。
夕方、歯科口腔外科の診察。細菌の侵入が歯科経路の疑いもあるため。
今日の所は異常なしだが、レントゲンを撮らないと分からない部分もあるので、体力が回復してから再検査。
夕食の後、足をマッサージしていると妹が突然涙を流し、「こんな動かない手と足ならいらない!」って言い出した。
「なんてもったいないことを言うの!今触ってるの、感じるでしょ?50年以上もあなたのために働いた手と足なのに。動きたくても今は脳が命令できない状態だから、待っているだけ。あなたに見放されたら可哀想な手足なのよ」
妹は、泣き笑いみたいな表情で暫くいたけれど、「うん、そうだね」って一言だけ。
台風の影響で、県内のあちらこちら被害が出ている様子だが、病室にいると外の様子が全く分からない。
毎日のように妹を見舞ってくれる義父母は、台風のさ中もスタバのコーヒーと昼食を私のために差し入れに来てくださる。
義父母は80歳を過ぎており、お義母様は甲状腺癌を手術しているし、お義父様は10年前までは運転手がいたので自分では車を運転しない。
毎日お見舞いに通うのも大変なことじゃないかと思うが、そんな義父母にも親不孝だと妹は泣く。
9月22日(木)
リハビリ。まだ頭のチューブは外せていないが、逆流防止の処置をしてベッドの上に起き上がってみる。
眩暈がするのか目線が泳いで視点が定まらない。頭が項垂れてしまう。横になりますかと言われたが、もう少し起きていたいと妹。
肩や背中の痛みを訴えていた妹は、もう2度とマットには横たわりたくないかのように必死で起きている。
身体が傾いている感覚、首が項垂れている感覚が分からないという。
ただマットから解放された感覚だけのようだ。長時間ドレナージを止めておくことはできないので、再びベッドに横になると、
「お寿司が食べたいな~」と呟く。
昨日のメソメソが嘘のように、今日は前向き。
明日からまた連休なので今夜は義弟と付添を交代の予定。夫が迎えに来てくれるので、鮨よしのお寿司を頼む。
夫が到着し、お寿司を食べ始めたところに義弟も帰って来たので、夫と私は病室を後にした。
9月23日(金・秋分の日)
CTの結果、膿は綺麗に排出されたのでドレナージのチューブが取れたと義弟から連絡が入った。
ちょうどお墓参りに来ていた時だったので、墓前で父と弟に報告する。少しだけホッとする。
* * * * *
今は、日一日と良い方向に向かっているので、病室を訪ねるのも楽しみ。
こうして妹の病気を振り返れるのも、良くなっているのが分かるからだと思う。
妹に付き添い励ましてあげているつもりが、妹の頑張りを見ていると、実は私の方が励まされているように感じるこの頃。
ozさん作
シデコブシの実。
花からはちょっと想像できないような変な実ですけど、皮を脱ぎ捨てると真っ赤な宝石のような実が現れてちょっとゴージャス。
9月15日 つづき
A病院の救急車で医大へ搬送され、救急外来の待合室で、どのくらい待っただろうか。
私が担当医師のKですと現れたのは、息子とさほど変わらないような若い医師(ちょっと不安)。
K先生は、送られてきた画像を見る限りではA病院と大体同じ所見だと言う。
ただ、症状の悪化が早過ぎるのが気になるので詳しいお話を聞かせてくださいと言われ、妹の旦那さんと気づいた限りのことをお話をさせていただいた。
妹が1か月半くらい前に歯の治療をしたことと、病状の経過をみて脳膿瘍の疑いもあると言われ、送られてきた資料に膿瘍を見る画像が無かったことから、もう一度MRI検査を受けることになった。
検査の結果、脳腫瘍より脳膿瘍の疑いが強くなり、緊急に膿を排出するドレナージ術が必要だと言われた。
しかし、脳腫瘍の疑いが全くなくなったわけではなかった。
主治医のK先生、ほかに3人の担当医がついて手術への準備が始まった。
K先生は妹に、これから始める手術のことを説明し、一緒に頑張りましょうと声をかけた。
脳膿瘍・・・私にとっては初めて耳にする病名。
本来無菌状態であるはずの脳内に細菌が入り、化膿性の炎症を起こし、進行するにつれて膿が溜まり膿瘍を形成していくという病気だ。
発熱や嘔吐とともに半身麻痺や言語障害などが起こり、手遅れになると重篤な髄膜炎や脳炎をきたす恐れがあると言う。
そして、手術前に本人に代わり、義弟と私と夫で、K先生からインフォームド・コンセントを受ける。
病名は「脳膿瘍」と「肺動静脈奇形」
(手術前のCTで、ごく小さなものだが肺に動静脈奇形が見つかった)
手術は穿頭ドレナージ術と言って、頭蓋骨に1.5cmの穴を穿ち、そこから膿の中に細いチューブを挿入し、脳内の膿を可能な限り排出する手術で、手術自体はそれほど困難なものではなさそうだったが、膿の中に細菌が入り込んでいる状態なので、少しの傷で膿が脳表面に漏れ出すことが怖い。
術後は、脳の炎症を抑え浮腫を軽減するために十分な抗生物質とステロイドの投与が必要になるので、副作用も心配。
午後7時30分頃手術室に入る。
途中、一番重要な部分を終えましたと、担当医の一人が経過を知らせに来てくれた。
手術が無事終了し、10時10分に妹が病室に戻ってきた。
K先生から、取り出した膿を見せられ、病状と今後の治療の説明を受ける。
分かりやすい言葉で、丁寧に説明していただいた。
ドレナージで膿を輩出したのは、治療の第一歩。
これから、抗生剤やステロイドをたくさん使うことになる。不安は残るけれど耐えてねと祈るしかない。
* * * * *
記事は過去に遡って書いています。
今妹は、右手の力だけでベッドの上に起き上がれるようになりました。
麻痺している左手はだらんと下がっている重みで肩を脱臼してしまいましたが、使わないと筋肉が衰えるので固定はせずに、リハビリの時と食事の時は三角巾で吊っています。
一日2回のリハビリのお蔭で、食欲も徐々に出てきています。 先生や看護師さんたちが食べたことを褒めるので、食べただけで褒めてもらえるなんてと苦笑いをしています。
ozさん作
大学病院に隣接する医大の中庭。
ガサガサと落ち葉を踏みしめる音と、はちみつ色の午後の日差しが交差する。
空気が冷え込む前に、妹をこの気持ちのいいベンチに連れてきたいな。
今週は、水・木・金の二泊三日の病院でした。
今夜はとうとう雨。
あのベンチにも降っているのだろうな。
9月15日
午前9時30分から主治医と面談の日。A病院では心配だと言っていた夫も同席すると言うので、8時に一緒に家を出て9時前に病院に着いた。
病室に入ると、今まで夜は付き添っていなかった部屋に簡易ベッドが置いてあり、義弟が付き添った様子。
左半身の麻痺が進んだ妹は、自分では起き上がることも歩くこともできないので全て看護士さんの手を借りていたのだが、昨夜ベッド脇のポータブルトイレに座らせてもらった時に、終わったら呼んでくださいとその場に一人になり、いざ看護士さんを呼ぼうとしたらナースコールが届かない。
もちろん声を出しても届かない。
ナースコールを取ろうと無理に手を伸ばし、ポータブルトイレから転げ落ちて、頭と腰を打ってしまった。
右おでこに小さなコブと左臀部に大きな痣ができていた。
一人になるのを極度に怖がった妹は、夜中にもかかわらず旦那さんを呼び出して、付添ってもらったということだった。
朝の回診に来た主治医に、思わず強い口調で転倒したことについて抗議してしまった。
9時30分ちょうどに、面談室に案内される。
部屋には主治医の先生、看護士さん、病院のスタッフと思われる人、義弟、夫、私の6人。
先生がMRIとCTの画像を開き、開口一番に言ったのは「県立医大に移ってもらおうと思っています。」という言葉。
転移性の腫瘍の疑いもあるので、もっと検査機関の揃ったところの方がいいと思うので、という理由だった。
昨日の夕方とは大きく違う展開になったが、大学病院に移るという判断には同意できたので、もう細かいことは言うまいと思った。
ただ、先生方がたくさんの患者さんを抱えて大変なのはわかるが、患者と接する時は、近くに寄りしっかり目を見て励ますような態度を見せてほしかった、そして、動けない患者にナースコールを持たせずにその場を離れることは、大きな医療ミスに繋がる危険があるのではないかということだけは、申し添えた。
主治医の先生も、大変申し訳ない、病院側でも十分話し合って向上に努めますと真摯に応えてくれた。
それから、主治医の先生は、「これが腫瘍で隣が浮腫・・・」と説明を始めたが、あまり頭には入らなかった。ネットで検索したのと同じような話だったように思う。
ただ最後に、悪性だとすれば、術後一年の生存率は37%と言われています、という言葉だけがやたらゆっくりと丁寧に響いて、面談が終わっても直ぐに妹の病室には戻れなかった。
医大に転院すると分かり、夫は自分の出る幕が無くなりとりあえず会社へと戻った。
ようやく病室へ戻ると、転倒による影響がないか念のためレントゲンを撮りに行ったということで、ベッドごと妹はいなかった。
レントゲンの結果は異状なしで一安心だったけれど、問題は、転院のことを妹にどう説明しようかということだった。
義弟とあれこれ考えを巡らせているときに主治医の先生が来て、今度は妹の顔を覗き込み、しっかり目を見て肩に手を置き「もう少し詳しい検査が必要なので、医大に移ってもらいます・・・云々」と説明をしてくれた。
やはり医師の言葉は説得力があり、妹もホッとした様子の表情だったし、今日の先生はやけに優しいと言って笑った。
お昼近くに先生が現れ、「これから、医大の受け入れ準備ができ次第当院の救急車で移動します」とのこと。
まさか今日とは思っていなかったので、ちょっと驚いたが身の回りのものも少ないので、片づけをして呼ばれるのを待つ。
私が救急車の妹に付き添うことに。
救急車は初体験と苦笑いの妹に、私は父の梗塞と母のメニエールの時2回乗ったわと言うと、妹が、私は親不孝な娘だと突然泣き出す。
「治ったら、嫌というほど孝行すればいいでしょ。」と言ってみたけれど、多分平行線は交わらないなと思った。
その後は、努めて笑えるような明るい話題を探した。
救急車はけたたましい音を立てながらいくつも角を曲がり、街中を抜け、小高い山に建つ福島県立医科大付属病院へと走った。
つづく
ozさん作
庭の金木犀が良い香りを放ち、風が吹くとパラパラと音を立てて散っています。
地面には、オレンジ色の小さな花がカーペットに織り込まれた模様のようにびっしりと・・・
東日本大震災から7か月。妹の入院からは1か月と1日。
どちらも希望が見えてきたと言っていいのでしょうか。
酷かった頭痛や吐き気は治まり、左手、左足はまだ眠ったままだけれど、妹の表情も日一日と良くなり食欲も出てきました。
これからはリハビリに励み、左半身を眠りから覚まさなければなりません。
妹を襲った病気は、聞いたこともない名前の脳の病気で、あっという間に症状が悪くなる、まさに青天の霹靂のような出来事でした。
完全に元の生活に戻れるのか、後遺症が残るのか、今のところなんとも言えない状態です。
これからは良くなるばかりと信じて、後々役に立つかどうかは分からないけれど、これまでのことをちょっとずつ綴っておくことにしました。
9月11日(日)
夫と佐野のアウトレットに行くために、出かける支度をしていたら、妹の旦那さんから電話があり、妹が近くのA脳神経外科に入院したと知らされた。
妹は、9日に娘と二人で那須へ一泊2日の小旅行に出かけた二日目、脚に思うように力が入らなくなり、ホテルの紹介で地元の診療所で診察を受けたところ、脳梗塞かも知れないと診断されたと言う。
急遽予定を繰り上げ新幹線で福島へ帰、り自宅近くの脳神経外科病院に駆け込みそのまま検査入院になった。
連絡を受けた私たちは、アウトレット行きを中止し病院に駆け付けたが、妹は思いのほか明るい表情で、トイレに一人で行ったら上手く歩けなくて転んでしまったゎ、と笑っていた。
本人は軽い脳梗塞と思っているようだったが、主治医の診断では「髄膜腫」
脳を覆っている膜にできる良性腫瘍らしい。
腫瘍の隣にできた浮腫がかなり大きくなって脳を圧迫し、運動障害を起こしているので摘出手術が必要とのこと。
手術の日取りはまだ決まっていなかった。
ベッドの空きが無く、集中治療室にいたのでこの日の面会時間は1時間だけだった。
9月12日(月)
夜、妹の旦那さんから電話。
「髄膜腫」ではなく「脳腫瘍」に診断が変わったという。
転移性の腫瘍か悪性の疑いがあると言われたそうだ。母にはこの事を言わないでおいた。
主治医から「手術は早い方がいいので、16日(金)にします。15日にご家族に詳しい説明をしますので来て下さ。」と言われたので、私にも同席してほしいとのことだった。
もちろんそれはOKだけど、15日まで待っていられないので、とにかく明日病院に行きますと返事をした。
9月13日(火)
次男が一緒に行ってくれると言うので、次男の車で福島市のA脳神経外科に向かう。
妹の旦那さんと姪が会社を休んで付き添っていた。
妹の様態は、11日とは別人のように顔色が悪く、頭痛と吐き気に苦しんでいた。
左手と左足の麻痺も進んでいる。熱も38℃。
マットが硬くて背中と首が痛いと言うので、近くのホームセンターで羽毛枕と低反発マットを買ってきて背中や肩に当ててみる。
痺れのある左腕と左足にも、小さなクッションを枕のように当ててみる。
枕やクッションの位置を時々変えてあげるが、またすぐ痛くなるようだ。
主治医の先生に会いたかったけれど、午後から休暇を取っていて会えなかった。
9月14日(水)
高速バスで福島へ。
一日中頭痛と吐き気を訴える妹。食欲が無く食べていないのに吐き気が続く。点滴には吐き気止めが入っているらしい。
あまりに辛そうなので、指を入れて吐かせるも、大きなげっぷが出ただけ。それでも随分楽になったと妹。
本人は梗塞だと思っているので、血栓を溶かす薬が効いていないのではと不安がる。
声は小さく切れ切れな話し方で、とても聞き取りにくい。
両足をマッサージする。麻痺が進んでいる左足もマッサージされているのはわかるようだ。
気持ちがいいと言いながら、少し眠る。
吐き気が止まらず熱が下がらないので午後に採血。結果はすぐに出ると言っていたがなかなか説明が無い。
夕方5時ごろ、やっと主治医の先生が顔を出す。ベッドの足元から気分はどうですかと尋ねられ、妹は頭痛と吐き気を訴えた。
先生は、暫くふんふんと聞いて、もう少し辛抱してくださいねと言っただけで部屋を出てしまう。
私は主治医を追いかけ廊下に出て、血液検査の結果を尋ねた。
主治医からは、検査結果に変わったところはないので治療のオーダーも変わらないとの返答。
16日の手術も予定通りなので詳しいことは明日話しますと言われる。
妹に対してもっと納得がいくような説明をしてほしいとお願いするが、妹さんは(精神的に)弱いようなので手術が終わってから話しましょうとの答え。
私が求めたのは、本当のことを話すというのではなく、妹の不安を少しでも軽くする説明だったのに。
先生との意思疎通がうまくいかないと感じる。
福島市の大学病院の7階。病室の窓からの眺め。福島市はどちらを向いても山また山。
でもこの日は雲が低く山の姿はよく見えませんでした。
妹が左足に痺れを感じ、自宅近くの脳神経外科病院に駆け込み入院したのは9月の10日。
まだまだ残暑が厳しく9月なのに30℃を大幅に超す真夏日でした。
あれからもうすぐ4週間。
ここ数日の朝夕の気温は10度を下回り、駆け足で秋が深まっていくようです。
15日に県立医科大附属病院に転院し、二回の手術を受けた妹。
一時は目も開けず意識が遠のくような状態になりどうなることかと思いましたが、ここにきて良い方向へと向かい始めホッと胸を撫で下ろしています。
妹の旦那さんは南相馬市に単身赴任中、甥と姪は社会人でそれぞれの職場は東京と仙台。
そんな環境の妹家族の負担を少しでも軽くしてあげられればと、平日は私ができるだけ妹に付き添うことにしました。
日頃からな私、平素の家事だけでも一杯一杯でしたが、夫や息子たちの協力を得てなんとか妹に付き添うことができました。
完全看護の病院なので付き添わなくてもいいのですが、妹が「もう来なくていいよ」と言うまで傍に居たい私と姪。
これからは、母親の看病のためお仕事を辞めた姪と交代で妹に付き添うことになります。
そして
かなり久しぶりに開いたPCに、皆様からご心配のメールやコメントがたくさん届いていて、思わず胸が熱くなりました。
本当にありがとうございます。
私はいたって元気です。ご安心くださいませ。
励ましのメール&コメントのお一人おひとりにお礼を申し上げに伺わなければならないところですが、相変わらずな私。
コメントは残せませんが、時間をかけてゆっくりと皆さんのブログをお散歩中です。
急激に秋が深まり、冷え込む日が多くなりました。
どうか皆様もお風邪など召しませんように、御身ごたいせつにお過ごしくださいませ。