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硫黄島で手をついて謝罪したアベそうり<2214>

2015-08-03 10:27:43 | 社会問題 日々雑感

もぎせかブログ館より転載しました。http://mogiseka.at.webry.info/201505/article_1.html

1945年2月19日、硫黄島(いおうとう)に、米海兵隊が上陸しました。

すでに占領したサイパン島から離陸、連日の日本本土空爆を行っていた米空軍のB-29爆撃機にとって、中間地点にある硫黄島は、緊急時の着陸基地および護衛戦闘機の発着基地として重要だったのです。

米軍11万に対し、硫黄島守備隊の日本軍は2万3千。歴戦の勇士はほとんど戦死しており、徴兵された素人の兵隊がほとんどでした。

守備隊長の栗林忠道(くりばやしただみち)中将は、在米日本大使館の駐在武官だった経験から米軍の力を冷静に判断しており、パラオのペリリュー島の戦いと同様に、地下壕を掘削して島を要塞化し、1日でも長く抵抗して米軍を足止めさせる作戦を立案しました。はじめから、全滅覚悟です。

徹底的な艦砲射撃で日本軍基地を破壊した(と思いこんだ) 米海兵隊(第3、第4、第5海兵師団)は、上陸直後に日本軍地下要塞からの猛火にさらされ、おびただしい犠牲者を出します。


徹底的な艦砲射撃で日本軍基地を破壊した(と思いこんだ) 米海兵隊(第3、第4、第5海兵師団)は、上陸直後に日本軍地下要塞からの猛火にさらされ、おびただしい犠牲者を出します。
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第4海兵師団の第24、第25海兵連隊は死傷率25%。第23連隊230人のうち、生き残ったのは99人でした。最初の3日間で死傷者はノルマンディー作戦を上回り、米軍にとっては第二次大戦における最悪の悪夢となったのです。
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最終的には米軍の物量作戦が功を奏し、戦闘開始から1ヶ月後の3月16日、栗林中将は東京の大本営へ別れの電報を打電します。

『戦局、最後の関頭に直面せり。…想像を越えたる量的優勢を以てす陸海空よりの攻撃に対し、あたかも徒手空拳を以てよく健闘を続けたるは、小職自らいささか悦びとする所なり。…今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行はんとす…ひたすら皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ、とこしへに御別れ申し上ぐ

国の為 重き努めを果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき』

26日、栗林中将を先頭に400名の日本兵が米軍への夜襲を行い、全滅しました。この戦闘で米兵180人が死傷しています。

日本軍の戦死者 1万8千人(全軍の78%)
米軍の戦死傷者 2万9千人(全軍の26%)


擂鉢(すりばち)山の山頂に星条旗を立てる海兵隊の姿は、AP通信のカメラマンだったジョー・ローゼンタールによって世界に配信され、海兵隊の勇気の象徴として語り伝えられることになります。
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日本兵の遺体の多くは、地下壕や、米軍が建設した滑走路の下に埋められ、いまも所在がわかっていません。栗林中将の遺体も見つかっていません。現在、硫黄島には海上自衛隊が駐屯し、米軍の滑走路をそのまま使用しています。

栗林中将は、故郷の信州に残した次女の「タコちゃん」をとても可愛がっており、彼女に当てた手紙も残されています。

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ます」

この「タコちゃん」はのちに結婚して新藤(しんどう)と姓を変え、息子さんが自民党の国会議員となりました。

第2次安倍内閣で総務大臣を務めた新藤義孝(よしたか)氏です。

安倍晋三氏は総理大臣として硫黄島に初上陸、滑走路に手をついて英霊に謝罪。
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第23海兵連隊のラリー・スノーデン大尉(当時23歳)は地獄の戦場から生還し、のち中将まで昇進しました。今年93歳ですがいまもお元気で、3月21日に硫黄島で行われた日米合同慰霊式典にも出席しています。
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◆ このアベバカチンが手をついて、謝罪していたのですね。よほど、戦死者の魂がいまだに彷徨っていると言われる、硫黄島では、そうせざるを得ない程、怖かったのでしょうか?いいえ、精霊を一時しずめて、戦争へまた出るから、パフォーマンスに過ぎなかったのでしょう。
実にバカバカしいではありませんか?

自民党議員の新藤義孝氏は栗林中将の孫だそうです。また戦争するんですね。栗林中将って、本当に自決しているのですか?遺体もないって、アメリカに行っていませんか?
この孫の生き方を見ると、そう思えます。アメリカのいいなり政権で、悔しいはずですが、そうではないようですね。硫黄島は、本当はどうなっているのか、調べることもできないのは、最悪ですし、不可解なものを感じます。そして、硫黄島は今は何のための基地なのでしょう?国民に知られたくないことが、今も、されているのではないでしょうか?


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